音楽

2009年11月11日 (水)

演奏会に行ってきました「住友郁治ピアノリサイタル ハイドン、ベートーヴェン、ブラームス、リスト」(2009-40)

2009年9月24日(木)東京文化会館小ホール(東京メトロ日比谷線銀座線上野駅徒歩8分) 使用ピアノ:ベヒシュタイン

《プログラム》

J.ハイドン:ソナタ 第50番 ハ長調 Hob.ⅩⅥ.50

L.v.ベートーヴェン:ソナタ第17番 ニ短調 作品31-2「テンペスト」

     ・・・・・休 憩・・・・・

J.ブラームス:6つのピアノ小品集 作品118

F.リスト:巡礼の年報第1年「スイス」より第6曲〈オーベルマンの谷〉

F.リスト:メフィストワルツ第1番 村の居酒屋での踊り

《印象 感想など》

 東京文化会館友の会のプレゼント企画に当選したもの。私の席:N列47番(自由席)。ピアノ:ベヒシュタイン。ベヒシュタインを聴くのは初めて。聴衆はかなり入る。

ハイドン:ピアノ・ソナタ 第50番 ハ長調 Hob.ⅩⅥ-50

 第1楽章 落ち着いた音。スタインウエイほどきらびやかではない。聞こえるのは紛れもない古典派の音楽。  第2楽章 テンポはゆっくり。  第3楽章 テンポを上げて、きっちりとした演奏。

《作品解説》 渡辺千栄子

 本年はヨーゼフ・ハイドン(1732~1809)の没後200年という記念年にあたるため、そのハイドンを讃え、本日の演奏会は彼の作品で始められます。

 ハイドンが何曲のピアノ・ソナタを書いたのかについては、真偽が明らかでない作品があるため、いまだに確定されておらず、54曲とも62曲とも言われています。いずれにせよ、ハイドンは生涯を通じてピアノ・ソナタを書いたことは明らかです。本日演奏される《第50番ハ長調》(ヴィーン原典版では第60番)は、ハイドンが1794年から翌年にかけてロンドンを訪れた時に書かれたことから「ロンドン・ソナタ」とか「イギリス・ソナタ」と呼ばれる3曲のソナタの第1曲です。

 優れたピアニストであったジャンセン嬢に捧げられたもので、充実した作品となっています。明るく快活なアレグロの第1楽章、表情豊かに歌うアダージョの第2楽章と続き、アレグロ・モルトの第3楽章によって軽快に曲が結ばれます。

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調「テンペスト」作品31-2

 第1楽章 序奏のあと、少し決然と有名なテーマに入る。このピアノ、なかなかいい音で響く。  第2楽章 やさしい感じの音楽で繋ぐ。ロマンを感じさせる。  第3楽章 そして終曲へ。大好きなテーマが奏でられる。とても素敵な演奏。

《作品解説》 渡辺千栄子

 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)は、ほぼ全生涯にわたって独奏ピアノのための作品を書いています。ピアノ曲は、彼の作曲家としての成長の軌跡をたどることのできるジャンルのひとつとなっていますが、なかでもとりわけ重要なのがピアノ・ソナタです。ベートーヴェンは、初期に書かれた作品番号のない曲を含め、37曲のピアノ・ソナタを遺していますが、本日は「テンペスト」の名前で有名な第17番が演奏されます。第17番は、1802年に作られた作品31のソナタの第2曲ですが、この頃のベートーヴェンは難聴に悩んでおり、苦悩する彼の心境が曲に反映されていると言えましょう。

 「テンペスト」という名前は、ベートーヴェンの身の回りの世話をしていたシントラーがこの曲表現内容について尋ねたところ、ベートーヴェンが「シェークスピアの『テンペスト』を読みなさい」という話に出来しています。この話の真偽はともかく、第1楽章は冒頭からラルゴの瞑想的な楽句を巧にアレグロの情熱的な楽に対比させることによって、まさにテンペスト(嵐)のような効果を生みつつ劇的に展開されていきます。そして物思いに耽っているかのようなアダージョの第2楽章の後、優しさと烈しさがぶつかり合いながら展開されるロマンティックなアレグレットの第3楽章によって曲が閉じられます。

ブラームス:6つのピアノ小品集 作品118

 第1曲 ロマン的な曲だが活気がある。  第2曲 しっとりとした感じの曲。  第3曲 リズミックだが流れる。  第4曲 伸びやかな感じの曲。第5曲、第6曲と続く。

《作品解説》 渡辺千栄子

 優れたピアニストでもあったヨハネス・ブラームス(1833~1897)は、生涯にわたってピアノと関係のある作品を書き続けましたが、ブラームスが59歳の夏、ヴィーン郊外の保養地イシュルで書かれた四つの小品集(作品116、117、118,119)が、彼の最後のピアノ作品となりました。以前から書いていたピアノ小品を組み入れて完成されたこの四つの小品集にはブラームスの個性が集約されていますが、全体的にはブラームス特有の力強さや情熱は影を潜め、ロマン派音楽の黄昏のような、枯れた響きにつつまれた叙情的な作品となっています。

 また、この年のはじめにブラームスは、生涯にわたって音楽上でも強い影響を受けた女性の一人エリザベト・フォン・シュトックハウゼンと姉のエリーゼを相次いで亡くしており、四つの小品集には時折亡き人への想いを語っているかのような感傷的な響きも漂っています。本日はその中から作品118の《6つのピアノ小品集》が演奏されます。

 第1曲は、情熱が込められた幻想曲風の曲。第2曲は、昔を懐かしみ、その思い出を淡々と語っているような曲。第3曲は、ブラームス特有の力強い響きとリズムが印象的で、流麗な旋律に彩られた中間部との対象も見事です。第4曲は、どこかわびしさが漂う曲で、自由なカノンの手法が用いられています。第5曲は、のんびりとした田舎の田園風景を思わせるような曲。中間部のトリル用いた細かな動きは小鳥たちのさえずりを描写しているようです。第6曲は、苦悩に覆われた曲で、寂しさの中に不気味な響きが漂っていますが、中間部は全く対照的な力強く軽快なものとなっています。

リスト:巡礼の年報 第1年「スイス」うおり第6曲「オーベルマンの谷」

《作品解説》 渡辺千栄子

 フランツ・リスト(1811~1886)の《巡礼の年報》は、第1年「スイス」(1855年出版)、第2年「イタリア」(1858年出版)、第2年補遺「ヴェネツイアとナポリ」(1861年出版)、第3年(1883年出版)という全4集2巻から成るピアノ小品集です。標題が示すように、リストが訪れた土地で触れた自然や芸術、体験等からインスピレーションを得て書かれた作品が集められています。

 本日は第1年「スイス」より第6曲〈オーベルマンの谷〉が演奏されます。この曲は《巡礼の年報》26曲中、とりわけ有名な曲のひとつです。

 リストは、24歳の時に既婚のマリー・ダグー伯爵夫人とパリの社交界を逃れ、スイスのジュネーブに滞在しており、その時のスイスで触れた印象や体験を綴った曲集『旅行者のアルバム』を1842年に出版しています。その後この曲集に含まれる7曲をもとに2曲を加えて作り直したものが《巡礼の年報1年「スイス」》です。第6曲〈オーベルマンの谷〉は、フランスのフランスの文学者セナンクールの書簡形式の小説『オーベルマン』にインスピレーションを得て書かれたものです。この小説は当時ゲーテの『若きウエルテルの悩み』と並んでベストセラーになったもので、自殺願望を持つ主人公の青年オーベルマンが自己の道を見出すまでの内面的な心の動きがスイスの自然の描写を交えながら描かれています。リストは〈オーベルマンの谷〉の冒頭に小説からの一節を引用しており、まさに小説の主人公オーベルマンの心の変化を巧に描いています。

リスト:メフィスト・ワルツ 第1番「村の居酒屋での踊り

《印象 感想など》

 非常に活気のある曲。ハイテクニックを要する曲。高い音でセンチメンタルを感じさせる。

《作品解説》 渡辺千栄子

 リストは、19世紀ヨーロッパを代表するピアノの名手で、特に若いころは、彼の超絶技巧に酔いしれる若い女性の熱狂的なファンもいるほどの人気ぶりだったと伝えられています。そうした彼の作品には、超絶的技巧が要求されるものが多く、本日演奏される《メフェスト・ワルツ 第1番》もそのひとつに数えられます。

リストは『ファウスト』の物語に基づく作品をいくつか書いていますが、《メフィスト・ワルツ 第1番》もそのひとつです。大作《ファウスト交響曲》(1854~57)がゲーテの『ファウスト』に基づいているのに対して、《メフィスト・ワルツ 第1番》はレーナウの『ファウスト』に基づくもので、1857年から61年にかけて書かれた管弦楽曲《レーナウのファウストからの二つのエピソード》の第2曲《村の居酒屋での踊り》をリストがピアノ演奏用に編曲したものです。物語は、居酒屋にやってきたファウストと悪魔メフィスト、メフィストがヴァイオリンでワルツを弾き始めると人々が踊り出し、ファウストもマルガレーテを見つけて踊り出す。そうして二人がそっと居酒屋から抜け出すと、夜空ではナイチンゲールが歌っているという内容ですが、その内容が名人芸的手法を駆使しつつ巧に表現されています。

アンコール シューマン:トロイメライ

《プロフィール》

住友郁治(ふみはる)

 1969年生まれ。国立音楽大学付属高校卒業。国立音楽大学首席卒業。国立音楽大学大学院主席終了。現在、国立音楽大学、洗足音楽大学、各非常勤講師。・・・・・

 これまでに池澤幹男、武井恵美子、ダン・タイソン、故アンリエット・ピュイグ=ロジェ、各氏に師事する。

ピアノ:ベヒシュタインについて-ユーロピアノ株式会社

 エントランスで貰ったパンフレットより

 C.ベヒシュタイン   神話と生きる文化

 クラシックの楽器は偉大な人物と同じである-傑出した個性を持ち、いつでも人を納得させ、内奥の望みを満たしてくれる。新しい次元を開いてくれることはあっても、決して失望させられることはない。

 ベヒシュタインにはそんな個性がある。1853年以来、ベヒシュタインの音色はプレイヤーと聴衆を魅了し続けてきた。

 巨匠たちは、その偉大なメッセージを伝える仲介者としてベヒシュタインに全幅の信頼を寄せてきた。リストからルトスラフスキー、チェリビダッケからベンデレツキー、バーンスタインからセシル・テイラー、シャルル・アズナブールからチック・コリアまで、一点の曇りもない一級品の良さを味わうには、必ずしもピアニストである必要はばい。現在製作されている機種は、それぞれにベヒシュタインの響きの伝統を宿しており、弾いててみると思い通りの音とタッチで高い要求に十分応えてくれる。・・・・・

 ベヒシュタインの音-透明な響き

 リストからジャズ音楽まで、巨匠たちが愛好

 ベヒシュタインピアノは、音の立ち上がりが速く、音色に透明感があるので、演奏者のイメージがそのテクニックによって的確に表現できると言われます。こうした響き方はやはりスタインウエイの豪奢なそれとは対照的です。リストやドビュッシーは、非常に複雑な和音の上であっても意図する旋律を美しく表現できる楽器としてベヒシュタインを評価し、生涯にわたってベヒシュタインを弾き続けました。ドイツ・ワイマール市にあるリストハウスには、リストが弾いたグランドピアノが現在も置かれていますが、これは1999年初めにベヒシュタインの工場で復元された後、スペインのコンサートで何度も使用され、その品質の高さと耐久力を実証しました。

 ベヒシュタインピアノによる近年の名演奏としては、J.ボレットのリスト作品の演奏(録音)を忘れることはできません。彼は、ベヒシュタインの価値を熟知したピアニストならではの演奏記録を数多く残しています。また、クラシックだけではなく、即興演奏に重点をおくジャズ音楽の世界でも、ベヒシュタインのこうした特性が好まれて、ベヒシュタインが数多く使用されています。世界に名だたるベルリン・ジャズフェスティバルでも使用されているのはつねにベヒシュタインで、近年では、セシル・テイラーが、即興演奏の録音でベヒシュタインを弾いています。

カール・ベヒシュタインの音作りの思想

 ベヒシュタインがピアノ作りを始めた19世の初頭、ピアノ産業のマーケットリーダーはブレイエル社、エラール社のあるフランスでした。カール・ベヒシュタインはピアノ製造技術を習得すべくフランスに渡って研鑽を積んでおり、帰国後の彼がピアノ作りのコンセプトとしたものの中にもフランス流のピアノ製法が生きていました。また、ベヒシュタインピアノの個性である透明な響きを確立したのは、友人カール・ベヒシュタインに対するハンス・フォン・ビューローやリストなど錚々たる作曲家たちの要求でもあります。

 現在のベヒシュタインが課題としているのは、カール・ベヒシュタインが作った響きの伝統を継承し、現代の音楽需要に応えることです。素材の選択、木材の自然乾燥や鉄骨のシーズニングは、目的とする音作りのための必要条件で、機能上または生産上、品質の平均化を優先する大量生産のピアノ製造とは基本的に姿勢が異なります。ベヒシュタイン社のピアノ製作過程でもっとも優先されるのは、楽器の個性を作ることです。

 アップライトピアノでも、ベヒシュタインの独特な響きが奏でられるよう、グランドピアノの場合と同様、各部にわたって工夫され妥協のない製作が製作がなされています。

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2009年11月 6日 (金)

演奏会に行ってきました「日本歌曲コンクール 声楽部門本選会」(2009-39)

第17回日本歌曲コンクール声楽部門本選会 詩/作曲/声楽部門入賞者表彰式 2009年9月22日(火・祝)午後1時30分開演 東京文化会館小ホール(東京メトロ日比谷線・銀座線上野駅徒歩8分) 東京文化会館友の会プレゼント企画に当選したもの。

《ご挨拶》 財団法人 日本歌曲振興会 会長 小林久美 2009年9月22日

 財団法人 日本歌曲振興会 主催、日本歌曲コンクールの開催は、本年第17回を迎えることとなりました。

 日本歌曲の創作と普及とを目指す本会は、1956年、名アルト歌手故四家文子(しけ ふみこ?)女史により「美しい日本語と香り高い歌を」の理念のもと、詩人・作曲家・俳優・声楽家の同志とともに発足し、43年目となります。その長い道程の努力と発展の中で、1978年、詩・作曲・声楽の3部門からなるコンクールが開始され、音楽文化の向上と新人の登竜門として広く世に認められるようになりました。お陰様で、今回は詩部門、作曲部門ともに応募者が多く、それだけに、高いレベルの作品に出会うことができましたことを慶ばしく思っております。

 詩部門入賞詩を課題曲として作曲し、その入賞曲を声楽部門の課題曲とする画期的な本会のコンクールは、第16回までは3部門をまとめて文化庁助成をいただきましたが、今回、第17回については、詩・作曲部門に対し平成20年度の、声楽部門に平成21年度の「文化庁芸術団体人材育成事業」としてご支援を頂くことができました。

 関西、関東の予選を乗り越え、本日を迎えられた声楽部門の出場者各々が、年月をかけ築かれた実力と個性で、新しく息づく作品の世界を、大きく花開かせていただきますことを期待しております。

声楽部門本選会

 1.課題曲 詩、作曲部門入賞作品

 2.自由曲 新・波の会歌曲選集Ⅰ・Ⅱ、および波の会、新・波の会、(社)日本歌曲振 興会より出版された作品の中から、予選と異なる任意の1曲

 午後1時30分開演~終了午後4時30分 

  私の席:K列26番 演奏会形式のコンクール ピアノ:スタインウエイ

  審査委員:声楽家:中村綾子(審査委員長)、青山恵子、伊藤晶子、伊藤和子、大賀 寛、小林久美、竹澤嘉明、冨岡純一郎、内藤綾子、内藤千津子、林 廣子、平野忠彦、本宮寛子

 本選出場者 大阪予選・東京予選を通った15名

 《本選結果と印象》

  第1位 福島 勲〈バリトン〉

   1.雲

     〈詩〉和気康之 〈曲〉船橋登美子

   2.木洩れ日のヴィジョン

     〈詩〉中西 遙 〈曲〉会田道孝

      バリトンらしい艶のある素敵な声。やわらかいソフトな声。本選には15名が出  たが印象ではダントツの1位と思った。

 第2位 小野田 薫〈ソプラノ〉

   1.雲

     〈詩〉和気康之 〈曲〉山口哲人

   2.すてきな春に 〈詩〉峯 陽 〈曲〉小林秀雄

      ソプラノそのものの歌声、歌唱。印象  メゾっぽい出だし。落ち着いた声。入選はするだろうという印象。

  第3位 鈴木さやか〈ソプラノ〉

   1.雲

     〈詩〉和気康之 〈曲〉船橋登美子

   2.火の花

     〈詩〉薩摩 忠 〈曲〉涌井嘩子

    出だしメゾっぽい声。艶がありよく響き通る。強弱があり、シンのある歌唱。入選は

   するだろうという印象。

 《表彰式Ⅰ 詩部門》

  最優秀賞 「シラネアオイ」 林 哲也

  優秀賞 「雪月花」 芝 洋美

       「雲」 和気康之

       「僕たちの居場所」 住連木(しめのき) 

       「水になりたい」 水谷有美

       「ファンタジックラプソディ「海洋理髪師」」 藤 なおみ

       「雲のゆくえ」 久野(くの) 麗 

       「ひとつぶの豆」 鈴木純子

       「小さい葉っぱのエチュード」 伍東ちか

 審査委員

  詩人:西岡光秋(審査委員長)、狩野敏也、木下宣子、新川和江

  作曲家:小森昭宏

  声楽家:小林久美

 《表彰式Ⅱ 作曲部門》

 最優秀賞および(株)全音出版社賞

  「雪月花」 西田直嗣

 優秀賞

  「シラネアオイ」 西田直嗣

  「雲」 船橋登美子

  「雲」 山口哲人(あきひと)

  「水になりたい」 広瀬正憲(まさのり)

 審査委員

  作曲家:小林秀雄(審査委員長)、大中 恩、小林昭宏、佐藤 眞、中嶋恒雄、平井丈二郎

 

 

 

    

  

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2009年11月 4日 (水)

演奏会に行ってきました「吉田優子ピアノリサイタル R.シューマン、A.ベルク」(2009-38)

2009年9月7日(月)東京文化会館小ホール 19:00開演 東京文化会館友の会プレゼント企画に当選したもの(東京メトロ日比谷線・銀座線上野駅徒歩約8分)

《プログラム》

R.シューマン:フモレスケ Op.20

A.ベルク:ピアノ・ソナタ Op.1

R.シューマン:ファンタジー ハ長調 Op.17

《プログラムノート》 吉田優子

 本日のプログラムでは、ベルクの作品をシューマンの2作品の間に据えて、同じシューマンの作品でありながら形式的に対峙する2曲が、より鮮明に表現出来ればと考えております。また時代の異なるシューマンとベルク、二人の作曲家の内なる感情を響きにのせて皆様の心にお届けできればと思います。

《印象 感想など》

R.シューマン:フモレスケ Op.20

 私の席:H列26番(自由席) ピアノ:スタインウエイ。奏者:ピンクのスカートで登場。1楽章のみの曲。夢見るような出だし。弾むような音楽。つま弾くような流れの音楽。何ともロマンティックな調べ。シューマンらしさの横溢した曲。そしてダイナミックな展開もあり、情緒あふれるメロディーが多数現れる。最後は静かに終わる。

《曲目解説》 吉田優子

 1839年、29歳のシューマン(1810~1856)がわずか8日間で完成させた。翌年に妻となるクララへの手紙に「この1週間ずっとピアノの前に座り、作曲し、笑ったり泣いたりを繰り返していました。そのすべてを君は作品20、つまり大きい《フモレスケ》の中に見つけるでしょう。」と書いている。

 この頃シューマンは、ピアニストであるクララとの結婚を望んでいた。しかし、クララの父ヴィーク(シューマンの師でもある)の激しい反対を受け、別離を余儀なくされていた。その過酷な精神状態が、創作への想いを一層かきたてたといえるだろう。

 また幼少から文学と音楽に深い関心を示していたシューマンは、若い頃から彼自身に内在する多面的な気質を、フローレスタン(衝動的で情熱的)と、オイゼビウス(夢想的で内省的)に代表される創作上の人物として、彼の作品の随所に登場させている。

 フモレスケとは「夢想的な熱狂とユーモアというドイツの国民性に根ざした2つの特性を混合したもの」とシューマン自身が述べている。憂鬱、涙、喜び、可笑しみ等、情緒的機知的なものが巧に融合したドイツ人固有の性格と捉えられる。

 曲は 7つの部分からなり、時には憂鬱に、時には快活に、日々刻々と揺れ動く心情を変ロ長調とト短調の2つの調性でモザイク模様のように紡いでいく。そして振り返ってみると関連性の深い、美しい情感溢れる作品となっているのである。

A.ベルク(1885~1935):ピアノ・ソナタ Op.1

 1楽章の叙情的に聴こえる音楽。まさに現代音楽という印象。

《曲目解説》 吉田優子

 1907年から1908年にかけて作曲され、1910年に作品として出版。当初3楽章からなる作品を想定していた。第1楽章が完成した後「なかなかふさわしいものが浮かばない。」と師であるアーノルド・シェーベルク(1874~1951)に相談したところ、「ではあなたは言われるべきことはすべて言ってしまったのでしょう。」という助言を受けた。それに納得し、1楽章で完結したという。

 基調はロ短調となっているが、冒頭と終結に垣間見られる程度である。4度音程や増3和音、半音階を多用すること、また解決音を伴わない7度音程等、複雑な和声進行を使用することにより、調性は遠のき移ろいで、ほとんど感じられない。

 長い旋律の中のモティーフは、対位法で書かれた各声部においてつねに展開の性質をもつ。pppからffff の振幅で、速度記号もことごとく指示が徹底して細かい。緻密に組織されながらも、抑揚のカーヴをドラマティックに描いていく。激動の中、神秘的な落ち着きと心をえぐる叫びが出現する。

R.シューマン:ファンタジー ハ長調 Op.17

《印象 感想など》

 第1楽章 あくまで幻想的かつ情熱的に  第2楽章 中庸の速度で  第3楽章 穏やかに、どこまでも穏やかさを保って

 第1楽章 幻想的な曲。ロマンティシズム溢れる曲。ダイナミズムも十分。低音の響きが印象的。最後は静かに閉じる。

 第2楽章 元気よく活発なスタート。中間部はやさしくリズミック。

 第3楽章 静かに始まる。そしてやさしくリズミックに。情緒的な音楽。そして盛り上がり、静かに曲を閉じる。

《曲目解説》 吉田優子

 もともとボンのベートーヴェン没後10年記念碑建立基金のために作曲し、「フローレスタンとオイゼビウスのための大ソナタ」とした。のちに各楽章を「廃墟」「凱旋門」「星の冠」とし、最終的に「ファンタジー(幻想曲)」という名称になった。1838年完成。フランツ・リストに献呈された。

 冒頭にロマン派の詩人F.シュレーゲル(1772~1829)の「夕映え」の一節を掲げている。

 色とりどりの大地の夢のうちに

 すべての音を貫いて

 ただ一つの静かな音がひびいてくる

 耳を傾ける人に

 クララ宛の手紙の中で、この中の「静かな音」がまさしくクララであり、「きみをあきらめた1836年の夏の不幸を思わずに、この曲を理解できることはないでしょう。」と書いている。クララの頭文字CからC-dur(ハ長調)を基調に、クララの主題といわれる順次下降する5度音程が全楽章を通して現れる。

 ベートーヴェンへの敬愛の念やクララへの想いをロマンティシズム溢れる壮大な作品へと転化させている。

 全3楽章のうち第1、2楽章ではフロレスタン(情熱的)が主導権を握り、オイゼビウス(内省的)は瞑想的な第3楽章で姿を現す。

 第1楽章 あくまで幻想的かつ情熱的に

 ソナタ形式ではあるが、(伝説の音で)と題したC-moll(ハ短調)の挿入部を持つ。湧き上がる情熱や葛藤、静かな詩情、舞踏的な躍動感が交錯する。終わりにベートーヴェンの「遙かなる恋人に」のテーマが引用される。

 第2楽章 中庸の速度で、終始精力的に

 ロンド風行進曲。精神の高揚と生命の躍動に充ち溢れている。シューマンが好んだ付点リズムが多用される。

 第3楽章 穏やかに、どこまでも穏やかさを保って

 展開部を持たない自由なソナタ形式。分散和音が穏やかな波となって、美しい旋律が語りかける。最後に唯一のクライマックスをもつ。

《プロフィール》 吉田優子

 国立音楽大学を経て、国立大学大学院を主席で修了。クロイツァー賞を受賞。大学院在学中、ヘルムート・バルト、ダン・タイソン各氏のレッスンを受ける。

 国立大学および大学院新人演奏会、クロイツァー賞受賞記念演奏会出演。NHK洋楽オーディションに合格し、NHK-FM土曜リサイタル出演。日墺文化協会、北九州芸術祭等、各主催推薦コンサート出演。また、1990年ウイーン国立音大セミナー、1995年デトモルト国立音大セミナーに参加、推薦終了コンサート出演。ゲオルク・F・シェンク、アナトール・ウゴルスキ各氏の指導を受ける。・・・・・

 ピアノを篠井寧子、クロイツァー豊子、管野洋子の各氏に師事。現在、国立音楽大学講師。(財)日本ピアノ教育連盟会員。

   

   

 

 

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2009年11月 2日 (月)

演奏会に行ってきました「レクチャー・コンサート 『作曲家の挑戦』シリーズ 2nd フランス6人組の風」(2009-37)

ブログ「モントウー演奏会日記」のアクセスは2万3千を超えました。ご愛読ありがとうございます。これからも書き続けます。ご意見、ご感想などありましたらお寄せください。

2009年9月4日(金)19:00開演 東京文化会館小ホール(東京メトロ日比谷線・銀座線上野駅徒歩8分程度)

《プログラム》

レクチャー・コンサート フランス6人組の風

 ナビゲーター&クラリネット:赤坂達三  ピアノ:浦壁信二

アルチュール・オネゲル:クラリネットとピアノのためのソナチネ

ジェルメンヌ・タイユフェール:アラベスク

ダリウス・ミヨー:スカラムーシュ

      ・・・・・休 憩・・・・・

ルイ・デュレ:3つの短い小品

ジョルジュ・オーレック:映画音楽「ムーラン・ルージュ(赤い風車)より“ワルツ”

フランシス・プーランク:クラリネット・ソナタ

《印象 感想 ナビゲーターの話の聞き書き ()内(文責モントウー)

 私の席:L列31番。どんどん聴衆が増え、ほぼ満席。

 ナビゲーターの説明・解説付き演奏。クラリネットはとても上手い。(フランス6人組は、コクトーがまとめ役だった)

フランス6人組の風  解説:柿沼 唯

 第1次世界大戦が終結して1年あまりが経った1920年1月のパリ、文芸誌「コメディア」に6人の若い作曲家たちが紹介された。書き手は評論家のアンリ・コレ(1885~1951)。彼は6人を「ロシア5人組」になぞらえて「6人組 Le Grupe Des Six」と呼び、ほどなくこの名は広く知られることとなった。6人の共通の友人で詩人のジャン・コクトー(1889~1963)が宣伝を買って出たことも大きかった。6人はこの時期いくつかの演奏会を開き、作品を持ち寄ってピアノ曲集を出版し、コクトーの台本によるバレエに共作で音楽をつけた。しかし3年後にはグループは自然消滅し、6人は以後それぞれの道を歩んでゆくことになる。

 ダルウス・ミヨー28歳、アルチュール・オネゲル28歳、ジェルメンヌ・タイユフェール28歳、ルイ・デュレ32歳、フランシス・プーランク21歳、ジョルジュ・オーリック21歳。彼らが活躍した1920年のパリでは、戦後の自由で開放的な気分が謳歌され、若者達は「祝祭と狂乱の日々」に明け暮れていた。芸術の分野ではダダイズムの芸術家たちの活動がピークを迎え、既成の価値観に風穴を開ける新しい芸術運動が花を咲かせていた。そんな中「6人組」が理想とした作曲家は、ダダイストたちとも交流のあったエリック・サティ(1866~1925)だった。その音楽は単純で率直、明晰で機知に富み、民衆的な笑いを含み日常に根ざしたものであり、彼らはその人間性(ユマニテ)の部分を受け継ぎそれぞれのやり方で作品を書いたのである。グループ解散後も6人は変わらぬ友情のもと、それぞれの個性を発揮した作品を書き続けるが、20世紀のいわゆる現代音楽の波に乗ることは なかった。そして21世紀の今、「6人組」の作曲家たちに再評価の光があてられている。彼らの音楽はどちらかと言えば軽く、遊びの気分に満ちており、いつまでも少年のような純真さを失わない。

A.オネゲル:クラリネットとピアノのためのソナチネ

 ふんわりとしっとりとした音楽。低いクラリネットの音は柔らかい音色。クラリネットはもの凄く上手い。

《解説》 柿沼 唯

 スイス人の両親のもとフランスで生まれ、パリ音楽院ではミヨーと同期だったオネゲル(1892~1995)は、「6人組」の中でただ一人ドイツ音楽への深い敬愛を隠さず、ミヨーとは正反対の気質の持ち主だった。音楽のダイナミズムを追求し、機関車の力感をオーケストラで表現した〈パシフィック231〉は、彼の即物主義の作風を代表する作品として名高い。この〈ソナチネ〉は「6人組」に参加していた時期の1921~1922年に作曲された作品。

 第1楽章 モデラート  第2楽章 レント・ソステヌート  第3楽章 「生き生きとリズミカルに」

(日本は、1916年、オネゲルはモンパルナスの路地のアトリエに住んでいた。ワグナーに強い共感を抱いていた。他のメンバーは反ワグナー派。サティは6人にとって無くては存在だった。サティはブラック・ジョークの塊だった。サティはオネゲルに絶交宣言をした。

G.タイユフェール:アラベスク

 「6人組」の中で唯一の女性作曲家であり、コクトーに「耳のマリー・ローランサン」と呼ばれたタイユフェール(1892~1983)は、パリ音楽院在学中にミヨーやオネゲルと出会い「6人組」に入った。アメリカ人風刺漫画家と結婚してニューヨークに移住するなど、2度の離婚を含むその波乱の人生は、チャプリンをはじめ驚くべき豊かな交友に彩られている。

 ラヴェルに個人的に師事したこともアル彼女の作風は、明晰な書法と豊かな色彩感をそなえ、あらゆるジャンルに多くの作品がある。1973年に作曲された〈アラベスク〉は、クラリネットのための美しい小品。

(タイユフェールはサティをこよなく愛した女性。母からピアノを学んだ。)(「6人組」に共通なのは、バレエ音楽や(チャプリンの)映画音楽。)

D.ミヨー:スカラムーシュ

 (①空飛ぶ医者。)元気のよい音楽。聴いたことのあるメロディー。滑稽味のある曲。  ②ゆっくりとした音楽。ユーモアがある。ピアノ伴奏は高音部が印象的。  ③活気のある音楽。よく聴くメロディーが流れる。クラリネットはとても上手い。

(南仏のマルセイユ生まれ。父はアマチュアのピアニスト、母は歌手。7歳でヴァイオリンを鳴らす。カリフォルニアで教鞭をとる。天才と言われていた。50曲以上を作曲していた。残っている曲は1曲もない。

《解説》 柿沼 唯

 裕福なユダヤ系の家庭に生まれ、パリ音楽院で学んだミヨー(1892~1974)は、友人の詩人ポール・クローデルが公使としてリオ・デ・ジャネオロの赴任した際、その秘書としてブラジルに滞在し(1917~1918年)、帰国後「6人組」の活動に参加して指導的役割を果たした。大変な多作家で、しかもその作風は多彩をきわめる。(劇音楽や映画音楽も数多く手がけている)。1937年作曲の〈スカラムーシュ〉は、モリエールの喜劇によるこどものためのドラマ「空とぶお医者さん」のための付随音楽を、2台のピアノ用に改作したもの(クラリネットでもしばしば演奏される)。ミヨーのトレードマークともいえるブラジル音楽からの影響がこの作品にも色濃い。

 第1曲 「活発に」  第2曲 「中庸の速さで」  第3曲 「ブラジルの女(サンバのリズムで)

L.デュレ:3つの短い小品

 ①クラリネットのみの素朴な作品。  ②中ごろに高音も。  ③軽快な部分も。

(南仏のオリーブ出身。この曲は単純でごまかしのきかない曲。たぶん、いや絶対(日本)初演。20歳で商学の学位を得る。1921年南仏のサントロペに移住。1936年パリに帰郷。コクトーの映画音楽を作曲するようになる。「美女と野獣」など作品は多い。1954年オネゲルの後任で作曲家協会の会長になる。

《解説》 柿沼 唯

 6人中最年長だったデュレだが、20歳の頃までに正規の音楽教育をほとんど受けたことがなく、ドビュッシーのオペラ〈ペレアスとメリザンド〉を聴いて感銘を受けて、音楽の道を志したという。1921年に早くも「6人組」を離脱し、その後は社会主義者として広く大衆のための音楽を書いた。この〈3つの短い小品〉は、オーボエ独奏のために晩年の1974年に作曲された作品。素朴なメロディーには、ほのぼのとした味わいががある。

 第1曲 「中庸の速さで」  第2曲 「中庸の速さで」  第3曲 アレグロ・スケルツァンド

G.オーリック:映画音楽「ムーラン・ルージュ(赤い風車)より“ワルツ”

 (画家ロートレックの生涯を描いた映画から。ワルツは目立たない曲。有名な曲とのこと。)たしかにいい曲。

《解説》 柿沼 唯

 プーランクとともに最も若いメンバーだったオーリック(1899~1983)は、15歳の時に作品が出版されて作曲家デビュー、20歳までにいくつもの舞台音楽を手がけるという早熟ぶりを示し、そのユーモアあふれるフレッシュで明晰な作風は「6人組」の理念に最もふさわしいものだった。1930年代以降、彼はその才能を映画音楽の作曲に注ぎ、大家として大きな成功を収めた。コクトーの「美女と野獣」や「ローマの休日」は名高い。〈ムーラン・ルージュ〉はロートレックの生涯を描いた1952年のハリウッド映画。

F.プーランク:クラリネット・ソナタ

 (ナビゲーターとして演奏とお話両方というのは、なかなか大変です。プーランクは最大手の化学者・経営者を父に持ち、24歳の時にディアギレフの要請でバレエ音楽「牝鹿」を作曲。

《解説》 柿沼 唯

 「6人組」の仲間に加わった時、作曲はまだ独学だった。その後シャルル・ケクランについて本格的に作曲を学ぶ。作風は軽妙洒脱、そして旋律や調性から決して逸脱しない保守性もプーランクの特徴である。「ガキ大将と聖職者が同居している」と評されたこともある。この〈クラリネット・ソナタ〉は、ベニー・グッドマンの求めに応じて1962年に作曲された作品で、オネゲルの追悼を意図して書かれた。しかしその翌年、プーランク自身がニューヨークで心臓発作により急死したため、この曲の初演はカーネギーホールにおけるプーランク自身の追悼演奏会で行われることなった。

第1楽章 アレグロ・トリスタメンテ  第2楽章 ロマンツァ  第3楽章 アレグロ・コン・フォーコ

(フランス6人組はロシア5人組に近いものを目指したわけではない。この曲はオネゲルの追悼のために書いたが、自分の追悼の曲ともなった。)

 ①コケティッシュな曲。  ②ゆっくりとしたテンポ。しっとりとした感じ。  ③活気があり盛り上がる。

《プロフィール》

ナビゲーター&クラリネット:赤坂達三 

 国立大学で学んだ後、パリ国立高等音楽院のクラリネット及び室内楽を第1位で卒業。他、パリ・ポールデュカ音楽院、ヴェルサイユ国立音楽院、共に第1位で卒業。トゥーロン国際音楽コンクール第3位(クラリネットで国際音楽コンクール連盟加入のコンクール上位授賞は日本人初)、日本木管コンクール第1位、20数年に渡りリサイタルでの活躍はもちろんの事、国内外の主要オーケストラやゲヴァントハウスをはじめとする著名な弦楽カルテットとの共演は数え切れない。・・・・・

ピアノ:浦壁信二

 1969年10月生まれ。4歳よりヤマハ音楽教室で学ぶ。1981年JOC(ジュニア・オリジナル・コンサート)国連コンサートに参加、ロストロポーヴィチ指揮ワシントン・ナショナル交響楽団と自作曲を共演。その他にも各地で自作曲を多数のオーケストラと共演。

 1985年都立芸術高校音楽科に入学。1987年渡仏し、パリ・コンセルヴァトワールに入学。ジャニィヌ・リュエフ、ベルナール・ドゥ・クレピィ、ジャン・ケルネル、ミシェル・メルレの各氏に師事。和声、フーガ、伴奏で1等賞、対位法で2等賞を得る。ピアノをパラスキヴェスコ氏に師事。1994年オルレアン20世紀音楽ピアノコンクールで特別賞“プランシュ・セルパ”を得て優勝し、ヨーロッパ各地でリサイタルを行う。・・・・・現在室内楽、伴奏等で活躍中。

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2009年10月30日 (金)

演奏会に行ってきました「東北大学混声合唱団創立50周年記念演奏会 長谷部雅彦:生命の進化の物語、高田三郎「水の命」ほか、モーツァルト:合唱曲ほか、委嘱曲「きらめく生命(とき)ほか」(2009-36)

2009年8月23日(日)開演14:00 東北大学百周年記念館 川内萩ホール(旧川内記念講堂)  

 「モントウー演奏会日記」は、演奏会を聴いた報告でしたが、今回は私たちの演奏会の報告です。

《プログラム》

1st stage  現役のメンバー

委嘱曲「生命の進化の物語」【初演曲】

   作詞・作曲:長谷部雅彦

   指揮:長谷部雅彦  ピアノ:遠藤瑤子

2nd stage 私たちOB・OG(昭和40年~45年入団)の「歌語会(歌って語ろう会)」

     高田三郎「水のいのち」より、

   愛唱歌より(進行、解説付き)

   フィンランド民謡「夏の夕べ」

   ピッツ「森の教会」

   「私の動物園」より「河童」

     阪田寛夫(詩) 大中恩(曲)

   高田三郎作曲「水のいのち」より1.雨 5.「海よ」

   指揮:板橋憲一郎  ピアノ:津村順子

3rd stage 「歌語会」以外のOB・OG合唱団「秋の子」

     W.A.Mozart:「santa Maria,mater Dei」ほか

   指揮:佐々木正利  ピアノ:津村順子

4th stage 現役のメンバー 

    委嘱曲「きらめく世紀(とき)」【初演曲】

  作詞:ライナー・マリア・リルケほか  作曲:江村玲子

  指揮:佐々木正利  ピアノ:江村玲子  エレクトーン:芳賀まゆこ

アンコール(三合唱団合同演奏)

  第七楽章 大地賛歌

   作曲:大木惇夫

   作曲:佐藤 眞

   指揮:佐々木正利

《演奏会の経緯など》

 「東北大学混声合唱団」は創立50周年を迎え、現役とOB・OGの2合唱団が合同で仙台の「東北大学百周年記念会館 川内萩ホール」で演奏会を行うことになりました。今回は、その報告です。

 現役の合唱団は、2曲とも委嘱曲の初演。意欲的なプログラムでした。我々「歌語会」(70人程度)は板橋憲一郎さんの指揮で歌いました。それまで4回合宿練習を行いました。他の合唱団の選曲はあまり聴きなれない曲でしたが、我々の曲は親しみやすい曲で、本番では指揮者が練習で注意したことがほとんどクリアできたと思いました。指揮者によると演奏後OKサインを出したかったほどの出来と言っていました。

 なお、演奏会の模様は、地元紙「河北新報」にアンコールの写真入りで、大きく紹介されました。

 なお我々が現役の頃は女性部員が少なく、団員獲得には苦労したものです。今は女性団員も増えて100人ほどのメンバーとのこと。様変わりのようです。

 ところで新設の「萩ホール」は、以前は「川内記念講堂」という良いホールでした。たぶん2000人程度のホールでした。私は「イ・ムジチ」合奏団など学生時代たくさんの演奏を聴きました。懐かしい思い出です。「萩ホール」は多分1,200人ほど収容の中ホール。壁など茜色の、全て木造、。私は東京で色々なホールで演奏会を聴いていますが、出色の響きで、出演する側にも便利に設計された極上のホールでした。

 なお演奏後、近くの「国際ホール」に出演者、演奏に出ない方も含めて200名のほどの方々が参加し、旧交を温めながら打ち上げを行いました。

   

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2009年10月29日 (木)

演奏会に行ってきました「ヴァイオリンとピアノ夕べ(古橋綾子、下山静香)」

2009年8月11日(火)東京文化会館小ホール(東京メトロ日比谷線上野駅徒歩8分)

《プログラム》

W.A.モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ ト長調K.V301

ポフスラウ・ヤン・マルティヌー:ヴァイオリン・ソナタ第2番

ウジューヌ・イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第6番ホ長調作品27-6

マヌエル・デ・ファリャ/コハニスキ編:スペイン民謡組曲

マヌエル・デ・ファリャ:スペイン組曲

フランツ・シューベルト:ヴァイオリン・ソナタイ長調 作品162D574(二重奏曲)

ヴァイオリン:古橋綾子  ピアノ:下山静香

《ごあいさつ》 古橋綾子

 本日はお忙しい中、ご来場くださいまして誠にありがとうございます。沢山の方々に支えられながら続けてまいりりましたこのシリーズも八回目を迎え、これもひとえに皆様のお陰と感謝致しております。

 今年の4月には4年ぶりにプラハを訪れる事ができ、チェコのピアニストと共演させて頂き、新たな思いで深い貴重な体験とともに、EUに加盟し変動している国の様子をも感じ、又ヨーロッパの音楽の奥深さを新たに感じ取り帰ってくる事が出来ました。今回は、留学しておりました時にプラハの師匠について滞在させていただきました。思いで深いスペインの国の作曲家ファリャの作品を中心に、スペイン音楽のスペシャリストの下山静香氏をお迎えしてお贈り致します。

 アルハンブラ宮殿の近くに滞在し、シエスタのあるゆったりとした時間の中で、明るい空や海、豊富な魚介類やエキゾチックな建築物などまた新たな刺激を私に与えてくれました。その時支えてくださった方は残念ながらもういらっしゃいませんが、私はずっと感謝し続けることでしょう。

 毎回入れさせて頂いています無伴奏は、イザイがスペインの演奏家に献呈しました第六番を弾かせて頂きます。また留学先のチェコの曲は、今年没後五十年の記念の年にあたります、マルティヌーのあまり日本では演奏されていないソナタをご紹介させて頂きます。

 今まで同様群馬交響楽団、その他のご協力を得てこのコンサートを開催することができました事、また今まで師事して下さいました諸先生ら様々なご支援をくださった方々に心より感謝申し上げます。

 今宵のさまざまな国の音楽が皆様のお心にかないお楽しみいただければ幸いです。

《印象 感想など》

モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ ト長調K.V.301

《印象 感想など》

 H列26番。自由席。ピアノ:スタインウエイ。

 第1楽章 よく聴く曲。キレイな音のヴァイオリン。ヴァイオリンに刻むような素敵なメロディーがでる。ピアノもなかなか良い伴奏。素敵な二重奏。  第2楽章 ヴァイオリンとピアノがよく絡む。緩やかに歌う。心地よい音楽が流れる。

《解説》 渡辺和彦

 モーツァルトは1778年ころ、ドレスデンの宮廷で活躍していたヴァイオリニスト作曲家のJ.シュスター(1748~1812)が作ったヴァイオリンとピアノのためのソナタに刺激されて、俗称「マンハイム/パリ・ソナタ」をまたは「プファルツ・ソナタ」(K.301~306)を作った。このト長調のソナタはその第1作に当たり、同年2月マンハイムで成立をした。ただ一連のソナタの中で、この曲だけは、最初はフルート・ソナタとして創作され、途中からヴァイオリンソナタに変更されたようである。

 第1楽章 アレグロ・コン・スピリート、ト長調。ピアノを従えて冒頭からヴァイオリンが伸びやかなメロディーを歌って始まる。一見単純とはいえ、モーツァルト以外のの人には作り出せないすばらしい音楽である。

 第2楽章 アレグロ、中間部にト短調のシチリアーノをはさむト長調のロンド。主題が美しく、22歳のモーツァルトのみずみずしい歌が聴こえる。中間部のヴァイオリン・パートは、それまでのモーツァルトのヴァイオリン・ソナタと比べてかなり雄弁である。

ポフスラウ・ヤン・マルティヌー:ヴァイオリン・ソナタ第2番

《印象 感想など》

 

第1楽章 情緒のある曲。  第2楽章 ゆったりとしたメロディー。静かに閉じる。  第3楽章 ピアノがリズミックに出る。ヴァイオリンもリズミックに続く。

《解説》 渡辺和彦

 今年「没後50年」を迎えたチェコ生まれ、後にフランスやアメリカに移って国際的に活躍した作曲家、ポフスラウ・ヤン・マルティヌー(1890~1959)は、20世紀後半当たりから再評価が進み、演奏会でその膨大な作品群の一部がよく取り上げられるようになってきた。彼には「ヴァイオリンソナタ」が第1番(1929)から第3番(1944)まで3曲あり、これ以外に「ソナチネ」(1937)と習作的なヴァイオリンハ長調(1919)、同ニ長調(1926)も残されている。以上を合計すると全6曲。ほかにもあまりに作品が多く、しかも本人が自作に作品番号を付けなかったので、マルティヌー作品は後にベルギーの音楽学者ハルブライフ(1931~)H番号で区別・分類されることがある。今日演奏されるヴァイオリン・ソナタは第2番(1931作曲。1933パリで初演)にはには「H208)の番号が与えられている。

 この第2番は、後の第3番(H303)と比べると、楽章数が4つではなくて3つで、全体にコンパクトな作りになっている。前作の第1番(H182)で採用したジャズの要素は影を潜めている。技法が懲りすぎて“煩雑"にきこえることのある長大な第3楽章よりも、全体にスッキリして聴きやすく演奏時間も半分以下の12分前後とコンパクトにまとまっている。

第1楽章 アレグロ・モデラート。ほぼ古典的なソナタ形式に従ったニ長調の音楽で、展開部の途中で新しい動機も出現する。音楽の感触としては、1930年代に西ヨーロッパで流行した乾燥した新古典主義の作風だが、ヴァイオリンとピアノのやり取りにユーモアを感じさせたりする点が、いかにもマルティヌーらしい。

 第2楽章 ラルゲット。楽譜上では3拍子と2拍子が頻繁に交替する近代的な作りだが、実際にきこえてくるのはネオ・バロック風の変ロ長調、二部形式の音楽である。

 第3楽章 ポコ・アレグレット。ここは第1楽章以上に乾燥した新古典主義の音楽で、調はト長調が基本。ヴァイオリン・パートは速い進行や重音、フラジオレット(ハーもニクス)などが頻出して結構難しい。

ウジューヌ・イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第6番ホ長調 作品27-6

《印象 感想など》

 ヴァイオリンよく響いて歌う。高音が鳴る。

《解説》 渡辺和彦

 ウジューヌ・イザイ(1858~1931)は19世紀末から20世紀初頭にかけてのもっとも優れたヴァイオリニストで、ヴァイオリン演奏史に与えた影響は絶大。彼がリーダーとなった弦楽四重奏団のために作曲された名作も少なくない。作曲家としても重要で、代表作である「無伴奏ソナタ」作品27(全6曲)は、1924年に、シゲティの演奏するバッハを聴いて強い霊感を受け、短い時期に一気に書き上げられた。この曲集の中では第3番が有名だったが、1980年代からは他の5曲も頻繁に演奏・録音されるようになって今日にいたっている。

 第6番は、スペインのヴァイオリニスト、マニュエル・キロガ(M..Quiroga 1882~1961)に献呈されてている。キロがはかなりのテクニシャンだったらしく、難曲揃いの曲集の中にあっても、特に第6番は技巧的に難しい。主題にハバネラのリズムを採用するなどスペイン風の色彩も濃厚で、急速なオクターブ上昇や10度、ワンボウ・スタッカート、激しい音の跳躍などを次々と繰り出していく。曲は自由な三部形式の単一楽章で、アレグロ・ジュスト・ノン・トロッポ・ヴィーヴォの第一部と、アレグレット・ポコ・スケルツァンドの中間部、そして第三部からなる。

エマヌエル・デ・ファリャ/コハニスキ編:スペイン民族組曲

《印象 感想など》

Ⅰ スペイン情緒のある曲?ヴァイオリンのピチカートが印象的。  Ⅱ なめらかに音楽が流れる。  Ⅲ 弾むような演奏。ヴァイオリンの高音が印象的。  Ⅳ ピアノはリズミックナ演奏。ヴァイオリンはよく鳴る。Ⅴ Ⅵ  しなやかなテーマが流れる。

《解説》 渡辺和彦

 エマヌエル・デ・ファリャ(1876~1946)は、アルベニスやグラナドスと共に近代スペイン音楽再興の祖ともいうべき人で、スペインのフォークロアに基づく作品も多い。1914年作のソプラノ(またはテノール)とピアノのための「7つのスペイン民謡」もそのひとつで、これはのちに作曲者承認で名ヴァイオリニストのパウル・コハニスキ(またはコハンスキー。1887~1934))がヴァイオリン編曲版を作成した。

 ヴァイオリン編曲の際、全体は7曲から6曲に減らされ、メロディーもヴァイオリン演奏用に変更が加えられている。また終曲「ホタ」は、ピツィカートとアルコの交替、ポンティチェロ奏法(スル・ポンティチェロ=楽器の駒の上に弓を当てて金属的な音を出す特殊奏法)などによるエキゾティックな雰囲気と奇抜なリズムのために、ヴァイオリニストのリサイタルのアンコール・ピースにもなっている。①ムーア人の織物②ナナ(子守歌)③カンシオン(歌)④ポロ⑤アストゥリアーナ⑥ホタ、以上の6曲からなり、コハニスキ版で演奏する際はこの順番が原則だが、敢えてオリジナルの「7つのスペイン民謡」の曲順に近い形に戻すヴァイオリニストもいる。本日はコハニスキ版楽譜の通りの曲順で演奏される。

エマヌエル・デ・ファリャ:スペイン舞曲

 この曲はファリャの代表作とされるオペラ「はかない人生」(1904~05作曲。1903初演)の第2幕で演奏されるもので、一般にはクライスラー(1875~1962)によるヴァイオリンとピアノによる編曲で、いっそう親しまれている。作曲者自身によるピアノ編曲版もある。なお第2幕にはもう1曲別の「スペイン舞曲」も挿入されているので、区別するために、きょう演奏されるものを「スペイン舞曲第1番」、別の曲を「第2番」と呼ぶこともある。

 クライスラーによる編曲はモルト・リトミコ(非常にリズミカルに)指定、イ短調、8分の3拍子。かなり特徴のあるリズムのピアノ伴奏に乗って、ヴァイオリンがピツィカートなどを交えながら軽快に演奏していき、中間部ではハ長調に転換、さらに転調を繰り返していく。最初の部分が戻ってきてから先は第一部とはかなり変化があり、最後はイ長調による激しいffで終結する。あまり長くないが、一度耳にすると忘れられないスペイン情緒たっぷりの曲である。

フランツ・シューベルト:ヴァイオリン・ソナタイ長調 作品162 D.574(二重奏曲)

《印象 感想など》

 第1楽章 しっとりとした歌がテンポよく流れる。ピアノとヴァイオリンがよく絡む。  第2楽章 ゆるやかに歌う。ゆっくりと落ち着いたメロディー。  第3楽章 素敵なメロディー。見事な演奏。

《解説》 渡辺和彦

 フランツ・シューベルト(1797~1828)には、「3つのソナチネ」として知られる「作品137」ヴァイオリン・ソナタ集がある。(1816年)。その1年後、1817年に本格的なヴァイオリン・ソナタとして作曲されたのが、このイ長調の曲である。このソナタの初版楽譜の扉には「ヴァイオリンとピアノのための『デュオ』」と大書してあった。そのため、少し以前まではこの曲を「ソナチネ」と区別する意味で「デュオ」と呼ぶこともあった。

 第1楽章 アレグロ・モデラート、イ長調。のんびりとしたピアノの前奏に乗って、ヴァイオリンが歌い出す。ソナタ形式ながら、次々と新しい主題や動機が出てくる。なお楽譜の提示部には繰り返し記号がついている。

 第2楽章 スケルツォ、プレスト、ホ長調。第1楽章がイ長調で、第2楽章がホ長調という調関係は、ハイドンなどには先例があるが、続く第3楽章の調も考慮すると、かなり珍しい選択で、いかにも「ロマン派」的といえる。

 第3楽章 アンダンティーノ、ハ長調。変奏曲。ハ長調で主題がスタートし、その後に調が移ろっていくところなど古典派の変奏曲のセオリーから逸脱しており、ここもロマン派的である。主題はほとんどドイツの民謡の感じで、最後はまたハ長調に帰っていく。

 第4楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ、イ長調。ソナタ形式による簡潔なフナーレ。

《プロフィール》

ヴァイオリン:古橋綾子

 桐朋学園大楽付属「子供のための音楽教室」、桐朋女子高等学校音楽科、桐朋学園大学を経て同大学研究科修了。

 1995年4月群馬交響楽団入団。

 1995年秋より1年間チェコ共和国プラハにおいて、ヴァチスラフ・ノボトニー氏に師事し研鑽を積む。今までに故平田忠、鈴木愛子、故江藤俊哉、江藤アンジェラ、アナ・チェマチェンコ、リン・ブレックスリー各氏に師事。ジェラール・プーレ、ピエール・アモイヤル、アレキサンドロ・モッキア(古楽器)各氏のマスターコースを受講。室内楽を岩崎叔、三善晃、故北爪利世、青木十郎各氏に師事。

 スイス・レンク音楽祭、アメリカ・ボゥドイン音楽祭、草津国際音楽アカデミー、京都フランスアカデミーなど国内外の音楽祭にてマスターコースを受講。・・・・・

 2003年8月草津で行われたベートーヴェン・フィルハーモニーソリストオーデイションにて二位(一位なし)受賞。・・・・・

ピアノ:下山静香

 桐朋女子高等学校音楽科、桐朋学園大楽卒業。同室内楽研究科修了。1999年文化庁派遣芸術家在外研修員として渡西、故R.M.クチャルスキのもとで研鑽。マドリード市立図書館、リエージュ(ベルギー)など各地でのコンサートに出演。その後マシャール音楽院、(バルセロナ)にてC.ガリガ、故C.ブラーボ(モンボー夫人)、A.デ・ラローチャに師事。・・・・・

 東京藝術大学・音楽環境創造科、桐朋学園音楽学部各非常勤講師。

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2009年10月26日 (月)

演奏会に行ってきました「すみだトリフォニーホール・ジュニア・オーケストラ モーツァルト:「ジュピター」、メンデルスゾーン:《夏の夜の夢》」(2009-34)

2009年8月6日(木)午後7時開演すみだトリフォニーホール(東京メトロ錦糸町駅徒歩7~8分)

《プリグラム》

W.A.モーツァルト:交響曲第41番 ハ長調 K.551「ジュピター」

F.メンデルスゾーン:劇音楽《夏の夜の夢》

指揮:松尾葉子  マイム:沢のえみ  管弦楽:トリフォニーホール・ジュニアー・オーケストラ

《ごあいさつ》  トリフォニーホールジュニアー・オーケストラ団長 墨田区長 山崎 昇

 本日は、トリフォニーホール・ジュニアー・オーケストラの第8回演奏会にようこそおいでくださいました。

 今回のコンサートでは、より多くの皆様にお楽しみいただけるよう初めて昼・夜の2回公演を行います。(昼は8月7日(金)午後2時開演)また今月下旬にはジュニアー・オーケストラにとって2回目となる演奏旅行で山梨県を訪れることが予定されています。数ヶ月にわたる練習の成果を多くの場で発表できることは、団員にとっても大きな喜びに違いありません。

 「ジュニアー・オーケストラはライフワーク」と語る指揮者・松尾葉子音楽監督とともに、献身的な指導にあたっておられる新日本フィルのメンバーの皆様に、厚く御礼申し上げます。

 結びに皆様とジュニアー・オーケストラの団員にとって忘れない素敵な「夏の夜の夢」となるよう心から願っております。

 トリフォニーホールジュニアー・オーケストラ音楽監督 松尾葉子

 スペインの情熱的な音楽の余韻も冷めないうちに、ジュニアはリストやメンデルスゾーンに取り組み始めました。今年生誕200年という記念の年にあたるメンデルスゾーンの「夏の夜の夢」から序曲や結婚行進曲などを演奏します。17歳という若さで、この序曲は作曲されました。同じ年代のジュニアが、この曲をどのように感じるのか楽しみです。幻想的な妖精達の世界を描いている曲なので、マイムの沢のえみさんに誘い役をお願いしました。

 今年は山梨県の皆さまにもジュニアの演奏をお聴きいただけることになりました。みんな張りきっています。熱い夏になります。

《プロフィール》

松尾葉子

 名古屋生まれ。お茶の水女子大学教育学部音楽科を卒業後、東京藝術大学を経て同大学院を修了。1981年渡仏、パリのエコール・ノルマルでピエール・デルボー氏に師事。

 1982年にフランスのブザンソン国際指揮者コンクールで、日本人としては小澤征爾に次いで二人目の優勝。日本のほとんど全てメジャー・オーケストラを、オペラ、オペレッタを指揮。実力と人気を兼ね備えた指揮者として活躍。1999年セントラル愛知交響楽団の常任指揮者に就任。演奏会のみならず地域活動なども活発に行い、同楽団と中部地域の文化の活性化にも大きな貢献を残した。2004年からは同楽団の主席客演指揮者に就任している。

 1982年より東京藝術大学指揮科で後進の指導にあたる。

トリフォニーフォールジュニアー・オーケストラ

 2005年10月にできた小4から高3の子どもだけの81名のオーケストラです。世界のオーケストラを指揮している松尾葉子音楽監督と“すみだトリフォニーホール"にフランチャイズしてる新日本フィルハーモニ交響楽団団員より直接ご指導いただき、一人ひとりがキラキラ輝きながらオーケストラを楽しんでいます。全員が集った無限大の輝きをお楽しみください。

《印象 感想など》

 コントラバス2。メンバーは、夏らしい衣装。私の席:4列29番(指定席)メンバーは、見た感じでは小学生から中学生か。

W.A.モーツァルト:交響曲第41番 ハ長調 K.551「ジュピター」

 松尾は銀色っぽい衣装で登場。結構いい音を出す。ホルン、ツボに来るとよく鳴る。なかなかの演奏。

 第1楽章 いきいきと快速に(アレグロ ヴィヴァーチェ)  第2楽章 歩くような速さで、歌うように(アンダンテ カンタービレ)  第3楽章 メヌエット(やや快速に)(メヌエット アレグレット)  第4楽章 極めて快速に(モルト アレグロ)  

第1楽章 結構上手い。アンサンブルも悪くない。言えばいろいろあるけど。  第2楽章 よく流れ歌う。  第3楽章 トリオはよく歌う。 第4楽章 コーダ、キマル。盛大な拍手。

《プログラムノート》  前島秀国

 今から221年前の1788年8月10日モーツァルトは彼の最後の交響曲となった「ジュピター」を完成させました。「ジュピター」という呼び名は、モーツァルト自身が付けたのではなく、ヴァイオリン奏者で興行師だったザロモンがローマ神ジュピター(ギリシャ神ゼウスに相当する)にちなんで命名したとか。あらゆる調の中で最も安定したと言われるハ長調のい王者のような風格を漂わせた交響曲第41番は、確かに天空を司る神「ジュピター」の名に恥じぬ作品と言えるかも知れません。

 最後の第4楽章では、「ド-レ-ファ-ミ-」という音型を持つテーマ(第1主題)が活躍し、楽章の終わりにはフガートと呼ばれる高度な作曲テクニックが用いられています。このフガートの部分では、「ド-レ-ファ-ミ-」の音形がチェロ&コントラバス→ヴィオラ→第二ヴァイオリン→第1ヴァイオリン→ファゴットの順番に登場しますので、注意しながら聴いてみればよいでしょう。モーツァルトが大小さまざまなブロックを使って、ひとつの大きな構築物を作り上げていくように作曲した様子が伝わってくると思います。

F.メンデルスゾーン:劇音楽《夏の夜の夢》より

             「序曲」  「夜想曲」  「道化師の踊り

              (ベルガマスク)」

             「結婚行進曲」

《印象 感想など》

 コントラバス5人。「序曲」いいテンポで出る。快調な若々しい流れる音楽。  「夜想曲」管楽器から入る。パントマイムがアクセントになる。  「道化師の踊り(ベルガマスク)」は活気のある音楽。  「結婚行進曲」はトランペットが印象的。やはり名曲。アンサンブルも快調。

《プログラムノート》 前島秀国(サウンド&ヴィジュアルライター)

 今年、生誕200年を迎えるメンデルスゾーンの「結婚行進曲」は、おそらく誰でも一度は耳にしたことがあるはずです。この「結婚行進曲」は、もともとシェークスピアの戯曲《夏の夜の夢》の上演のために書かれた劇音楽の中の1曲。劇音楽というのは、いまの時代の映画音楽やゲームミュージックの元祖と考えていただいて結構です。

 シェークスピアの《夏の夜の夢》は、これもいまの時代の目線で見てみるとラブコメの元祖ということになります。2組の貴族のカップルがいて、結婚を望んでいるのですが、親の事情が複雑に絡み、思うように進まない。「親が決めた相手と結婚しないなら、お前がいま付き合っている娘を死刑にする」なんていう、とんでもない時代の話です。そこにパックと呼ばれる妖精が現れ、惚れ薬を使ってイタズラをしたから、さあ大変。2組のカップルは、なんと好きな相手を入れ替えてしまいます。果たして、カップルたちの恋の行方は・・・・?

 メンデルスゾーンがシェークスピアの原作を初めて読み、「序曲」を作曲したのが17歳の時。感覚的には、いまのラブコメが大好きな高校生とさほど変わらなかったかもしれませんね。それから17年が経過した34歳の時、メンデルスゾーンは当時のプロイセン国王から《夏の夜の夢》の劇音楽の作曲を依頼され、新たに12曲の音楽を書き下ろしました。本日はその中から4曲が演奏されます。

 最初の「序曲」は木管による短い導入の後、妖精たちが生き生きと跳びはねる様子が弦楽器から見事に伝わってきます。「夜想曲」は、原作の第3幕の後に演奏される幕間(まくあい)の音楽で、妖精パックの魔法によって眠りについてしまう2組のカップルを描いた静かな音楽。森の深々とした様子を表現したホルンの響きに注目してみてください。「道化師の踊り(ベルガマスク)」は第5幕、めでたく元サヤに収まった2組のカップルの結婚式で演奏されるダンスの音楽。ベルガマスクとは「北イタリアの町ベルガモに伝わる踊り」という意味です。そしておなじみ「結婚行進曲」は第4幕と第5幕の幕間に演奏される、華やかなマーチです。

《プロフィール》

マイム:沢 のえみ

 東京都出身。桐朋学園短期大学部芸術家演劇専攻卒業後、渡仏。パリ市民マルセル・マルソー国際マイム学院を日本人初のディプロマを取得、卒業。ニデルメイエ国立音楽院ダンス高等科コンテンポラリーダンスコースを主席卒業、完全帰国後、現在は現代マイムの俳優・演出家として創作・作品発表をするとともに、演劇公演の出演や振り付けなどを行っている。

                          

                        

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2009年10月24日 (土)

千里バッハ合唱団オーケストラ演奏会 J.S.バッハ《ロ短調ミサ曲》(2009-33)

2009年8月1日(土)午後5時開演紀尾井ホール(JR・東京メトロ四谷駅 上智大学前ソフィア通り徒歩8分) 千里バッハ合唱団オーケストラ演奏会。

 学生時代の混声合唱団の奥様がソプラノで歌っており、聴きに行きました。

《プログラム》

J.S.バッハ:《ロ短調ミサ曲》

ソプラノ:松田真由美  アルト:上辻静子  テノール:井場謙一  バス:小玉 晃

合唱:千里バッハ合唱団  管弦楽:千里バッハオーケストラ  オルガン:田中影代

指揮:八木宣好

《ごあいさつ》 千里バッハ合唱団 千里バッハオーケストラ

 本日は、千里バッハ合唱団オーケストラ演奏会にご来場賜りまして、まことにありがとうございます。バッハをこよなく愛し、バッハのオラトリオ作品に魅せられた面々がステージに上がります。およそ110名超のメンバーが「ロ短調ミサ曲」を歌い上げます。この大所帯は、さすがのバッハさんも作曲当時の想定の範囲をはるかに超えているのではと思いますが、それだけにバッハファンが多い証しとも。

 この度は2回公演を計画し、団創立以来初めて東京公演を実現しました。大阪(大阪厚生年金会館芸術ホール)と東京の2回の演奏会を大成功させたいと団員一同心から念じ練習に励んで参りました。さいごに、今日ここにお運びくださいました皆様方に厚く御礼申し上げ、今後とも私どもを温かく見守って下さいますようお願い申し上げる次第です。

《印象 感想など》

 私の席:BR1の13(自由席)。2階右側のバルコニー席。合唱団はソプラノ38人、アルト41人、テノール17人、バス19人(総勢115名。以上団員名簿による)男性は中央、女性は左右。結構ベテランが多いコーラス。

 千里バッハオーケストラ:ヴァイオリンⅠ 4名、ヴァイオリンⅡ 3名、ヴィオラ 2名、チェロ 2名、コントラバス 1名、フルート 2名、オーボエ 2名、ファゴット 1名、ホルン 1名、トランペット 3名、ティンパニ 1名。

《歌詞対訳と解説》 対訳:小林 標  対訳:山口篤子

 ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685~1750)は65年の生涯で1000を超える作品を遺した。そのなかで、1748年から翌年にかけてまとめられた《ロ短調ミサ曲》は、バッハ最後の完成作品と考えられている。

 ミサ曲は、キリスト教の典礼のための音楽である。14世紀以降カトリックでは、ひとりの作曲家がラテン語の典礼文全体に作曲する「通作ミサ」が伝統となっていたが、宗教改革を経てカトリックから分離したプロテスタントでは、ラテン語の使用は制限され、ミサでは典礼文の前半部分のみが用いられた。実のところ、ルター派の教会音楽家だったバッハが書いた5つのミサのうち、4曲はルター派式の短いもので《ロ短調ミサ》は例外的な存在である。

 佳境にはいったバッハは、自らの音楽的集大成として通作ミサを書くことを思い立ち、過去につくった作品に念入りに改編を加え、さらに新たな作曲もして、全部で27の楽章からなるこの大規模なミサ曲をまとめあげた。ここでは、彼が生涯を通じて習得したさまざまな技法-バロックのそれはもちろん、ルネッサンス風の作法や、彼の晩年に流行した様式までも-が時代を超えて統合されている。しかし、バッハが融合を試みたのは音楽だけではない。先にも述べたように、カトリックのミサの形態をとってはいるが、プロテスタント的な要素を多分に含んでおり、宗教の枠組みを超える普遍的な性格を有している。このような《ロ短調ミサ曲》の有り様に、生涯の大半を教会音楽家として過ごしたバッハの吟持をみてとることができよう。

第1部 Missa:1733年、〈キリエ〉と〈グローリア〉からなるルター派のミサとして作曲。

1.合唱(Kyrie eleison  主よ哀れんでください)

 曲は鮮烈な全合奏で開始され、オーケストラの前奏をへて長大な5声の合唱フーガとなる。フーガの主題には、バロック時代の音楽語法で心からの叫びや哀願を意味する跳躍が用いられ、独特の陰影を与えている。

(アマとしては好ましいコーラス、伴奏)

2.二重唱(Sop & Alt) (Chrite eleison  キリストよ哀れんでくだい)

 ユニゾンのヴァイオリンと通奏低音を伴う二重唱。前後の〈キリエ〉がバロック的な荘重さを示すのに対し、この楽章は18世紀半ばに流行した装飾的な書法で書かれており、軽やかで優美な表情を見せる。

(ソロの声、よく通る。子音がはっきりと聞こえ、さすが)

3.合唱(Krie eleison  主よ哀れんでください)

 古式のフーガ。この様式はルネッサンス期に活躍した作曲家パレストリーナをを模範とし、2分音符を基本単位とするアラ・プレーヴェ、主に順次進行による旋律、厳格な対位法などを特徴とする。「Kyrie 主よ」につけられた半音階的進行には、キリストの象徴としてバッハがしばしば用いた音形で、楽譜上の4つの音符を線で結ぶと十字架があらわれる。

(コーラス、重くならず軽やかに流れる)

Gloria

4~5.合唱(Gloria in excelsis Deo.    至高の境地にあっては神に栄光が(ありますように)。

(Et in terra    そして地上では)

(Pax hominibus bonae voluntatis   良き志持つ人々に平安が(ありますように)。

 神の栄光を讃える〈グローリア〉からは、オーケスらにトランペットとティンパニが追加され、音楽に祝祭感と輝かしさを添えていく。第4曲と第5曲は、ひとつの旋律をオーケストラと合唱が交互に奏する協奏的な楽曲で、後者はフーガになっている。「至高の境地」「地上」という対句的な歌詞を受けて、主題も対照的に、第4曲では高めの音域で跳躍を伴い、第5曲では低めの音域でなだらかにつくられている。

6.アリア(Sop)  (Laudamus te.Beedicimus te   

   私どもはあなたを褒め称え、賛美します。)

(Adomus te. Grofikamus te.    私どもはあなたを拝み、崇めます。)

 神への賛美のアリア。独奏ヴァイオリンのオブリガートを伴う。装飾的かつ技巧的な旋律、短長の逆符点のリズムなど、18世紀の流行を取り入れた華麗な音楽。

(第1ヴァイオリン(コンマス)、軽やかに弾く)

7.合唱

  (Gratias agimus tibi    私どもはあなたに感謝を捧げます。)

  (propter magnama gloriam tuam.    あなたの偉大なる栄光のゆえに。)

 4声の合唱フーガ。古様式に準じた形で、下声部から沸き上がるように主題が積み重ねられてゆく。オーケストラは概ね合唱をなぞるが、後半になるとトランペットが独立してフーガ主題を奏ではじめ、壮麗なクライマックスへと至る。

(落ち着いたコーラス)

8.二重唱(Sop  &  Ten)

  (Domine Fili unigenite    主にして一人息子たるお方、)

 (Jeu Christe altissime.    高き無比なるイエス・キリストよ、)

 (Domine Jeus,Rex coelestis,    主なる神、天の王よ、)

 (Deus Pater  omni;potenns.    神にして、全能なる父よ、)

 (Domine Deusu, Agunus Dei, Filius Patoris,    主なる神、神の子羊、父の御子よ。)

 フルートのオブリガート付きの二重唱。第2曲などと同じく、当世風で華やかな書法による。曲の前半、ソプラノとテノールは2行をひとまとまりとして、異なる歌詞を同時に歌い、それぞれ「父」あるいは「子」を表す。後半では最後の1行を同時に歌い、転調の末に次の次の合唱を導き出す。なお、歌詞2行目の「altissime 高さ無比なる」という語は、バッハが人生の後半を過ごしたライプツィヒの慣例により追加された。

(二人ともよく通る声、伴奏のアンサンブルも良い。フルートも上手い。)

9.合唱

 (Qui tollis peccata mundi,    あなたは世界の罪を取り除いて下さるお方)

 (miserere nobusu.    私どもを哀れんでください。)

 (Qui tollis pecata munndi,    あなたは世界の罪を取り除いて下さるお方)

 (suscipe deprecationem nostoram.    私どもの哀願を受け入れてください)

 キリストへの救憐を歌う。「peccata 罪を」の哀願を表す跳躍音程。「miserere哀れんでください」の執拗な反復による強調など、密やかさの中に強い表現がみられる。弦楽器の固執的音型や、フルートのまつわりつくような動きも象徴的。

(しっとりとした歌唱)

10.アリア(Alt)

  (Qui sedes ad dexteram Patris,    あなたは父君の右側にお座りの方)

  (miserere nobisu,    私どもを哀れんでください)

 前曲に続き、救憐のアリア。舞曲風の楽曲で、オーボエ・ダ・モーレがオブリガートを奏する。

(オーボエが素敵な演奏。アルトの落ち着いた歌唱)

11.アリア(Bass)

 (Quoniam tu solus sanctus,    なぜなら、あなたお一人が神聖にして、)

 (Tu solus Dominus,    あなたお一人が主であり、)

 (Tu soplus altissimus    あなたお一人が高き無比なるお方なのですから、)

 (Jesu Churite.    イエス・キリストよ。)

 ファゴットと通奏低音の上でホルンが高らかに鳴り響き、バスは高さ無比なるキリストを称える。

(バスらしい発声。ホルンよく鳴る。)

12 .合唱

 (Cum Sancto Spiritu    (私どもが)聖霊に見守られ、

 (in gloria Dei Patris.    父なる神の栄光に包まれて(ありますように)。

 (Amen.    アーメン。

 快活な協奏フーガ。ひとつめのフーガは通奏低音のみを伴ってシンプルに展開されるが、ふたつめでは正規の主題と、その入りの前後に挿入された主題断片とが、複雑に絡み合う。最後は華々しい総奏で締めくくられる。

(コーラス、伴奏とも快調に走る。トランペットが素敵に吹かれ、快演)

       ・・・・・休 憩(15分)・・・・・

第2部 Symbolum Nicenum:晩年に改編・作曲。キリストとその受難を象徴し、シンメトリカルな構成をとる。

13 .合唱

 (Credo in unum Deum,

第2部は信仰告白。ここでは神へのゆるぎない信仰が、7声の(合唱5声+ヴァイオリン2声)による古様式のフーガで歌われる。その下では、通奏低音が四分音符の刻みを延々と続けてゆく。フーガ主題は、カトリックではグレゴリオ聖歌として、ルター派せはコラールとして共有されている旋律からとられた。

(フーガ。子音、よく聞こえる。)

14.合唱

 (Patrem comnipotentem,    全能の父として、)

 (Factorem coedi et terrae,    天と地の造り主、)

 (xisibilium comnium et invisbilium,    眼に見えるもの、見えぬものすべての造り主として。)

 4声の合唱による協奏フーガ。主題の入りではしばしば、前曲の歌詞の断片が和声的に重ねられる。オーケストラは概ね合唱と同じ動きをするが、ここでもトランペットは途中から独立してフーガに加わる。

(コーラスはフーガ。トランペット、快調に鳴る。)

15.二重唱(Sop & Alt)

 (Et in unum Dominum Jesum Chrisum,    そして唯一の主なるイエス・キリストを(信じます)、

 (Filium Dei unigenitum.    神の一人子たるお方として、)

 (Et ex Patre natum annte omnia secila    ありとある世に先だって父より生まれたるお方、)

 (Deum de Deo, lumen de lumine    神より出た神、光より出た光、)

 (Deum verum de Deo vero,    真の神より出た真の神として。)

 (Genitum, non factum,    造られたのではなく生まれたお方、)

  (consubstantialem Patori:   父君と一体であられるお方として。)    

 (Per quem omnia facta sunt,    すべてはその父君によって造られたものでした)   

 (Qui propter nos homines,    そしてそのお方は私ども人間のために、)

 (et propter nostram salutem    私どもの安寧のために)

 (descendit de coelis    天から降り下ってくださいました)

 こだまのようなカノンが印象的な二重唱。ふたつの声は歌詞にある通り「父」と「子」の一体性、あるいはここでの信仰告白の対象であるキリストを表すとされる。

16.合唱

 (Et incarnatus eat de Supiritu Sancto    そして聖霊より)

 (ex Maria Virginer::)

(Et homo factus est.    人間となられたのでした。)

 ここからは3つの合唱でキリストの生涯を辿ってゆく。第16曲はキリストの誕生。伴奏の固執的音型も含め、降誕を象徴する下降音形が支配的だが、最後の1行だけは、天を仰ぎみるかのように上行形に転じる。

(しっかりと落ち着いたコーラス 。)

17.合唱

 (Crucifixus etiam pro nobis,    それのみならず私どものために十字架刑に遭いました。)

 (sub Pontio PPilato passus,    ポンティウス・ピラトゥスのもとで受難され、)

 (et sepulfus est.    葬られてしまわれたのです。)

 シンメトリカルな構造の中心に位置する楽章。ここに受難をもってきたのは、プロテスタント的な措置。通奏低音が奏する半音階の下降音形(ラメント・バス)、その13回もの反復。合唱にみられるため息のような音型など、嘆きの表現が随所に見られる。

18.合唱

(Et resurrexit tertia due,    そして三日目に復活されました、)

(secundum Scripturas,    聖書に書かれた通りに。)

(Et ascenndit in coerum:    そして天上に昇られて、)

(sedet ad dexteram Dei Patoris.    今は父なる神の右側に座っておられます。)

(Et iterum venturus est moruos:    そそてふたたび来られるはずです、栄光を携えて、)

(judicare vivosu et mortuos:    生きている者、死せる者たちを裁くために、)

(sujus regni non erit finis.    その方の王国には終わりはないのですから。)

 前曲を長調の和音で終始することによってわずかに示されたキリストの復活が、ここで高らかに歌い上げられる。合唱とオーケストラによる協奏フーガで、途中には、最後の審判について歌うバスの長いパート・ソロが挿入されている。

(一転して元気によい活気のある、コーラス。ティンパニ、トランペットが響く。)

19.アリア(Bass)

  (Et in Spuritum Sanctum,    さらに私は聖霊を信じます、)

 (Doninum,et vuvuficantem,    主として、また命を与えるものとして。)

  (qui ex Patre et Filioque procedit.    聖霊は父と御子の双方より出て、)

  (Qui cum Patre et Filio simulu adorahur,    父と御子と同じく生まれ、)

  (et connglolificatur:    同じく崇められている方、)

  (qui loctus est per Prophetas.    予言者を通じて言葉を発したお方です。)

  (Et unam sanntam csthlicam    さらに私は、聖霊にして真正の、)

  (et apostolicam Ecclesiam.    使徒に導かれた唯一の教会を信じます。)

 聖霊と教会への信仰告白についてもアリア。オーボエ・ダモーレの二重奏と通奏低音を伴い、温かで親しみやすい雰囲気をもつ楽曲。

(オーボエ・ダモーレ、よく鳴る。バス、温かみのある声。)

20~21.合唱

 (Conteor unum baptisma    私は公言いたします、ただ洗礼だけが)

(in remissonem peccatorum.    罪の許しへとあることを。)

(Et exspecto resrurectionem mortorum.    そして私は待ち望みます、死せる者たちの復活と)

(Et xitam venturi secli    来るべき世における生活を。)

(Amen.    アーメン。)

第20曲は洗礼への信仰告白。対をなす第13曲と同じく古様式のよるフーガで、主題も同じくグレゴリオ聖歌からとられている。曲尾では第21曲の歌詞(3行目)が先取りされるが、その不穏なまでの緊張感は、切れ目なく続く次曲で歓喜へと転換する。第21曲は第14曲に対応する協奏フーガ。あくまで上昇を志向する動きが特徴的なふたつの主題によって、死者の甦りの期待が表現され、最後は全合奏の「アーメン」で華やかに締めくくられる。

(少しコーラスが不安定な部分もある。アーメンコーラスで締めくくる。)

第3部 Sanctus:もともとは1724年、クリスマスのために書かれた楽曲。晩年に改作され、ミサ曲に組み入れられた。

22.合唱

 (Sanctus, Sanctus, Sanctus,    神聖にして神聖、神聖なるものです、)

 (Dominus Deus Sabaoth.    神は万軍の主なのですから。)

 (Pleni sunt coeli et terra gloria ejus.    天も地もその方の栄光で満ちているのです。)

歌詞は旧約聖書イザヤ書に基づく。「Snctus」という言葉が3回繰り返されることにちなみ、楽曲全体も「3」に支配されている。全6声の合唱では3声ずつの動きが目立ち、オーケストラでもトランペットとオーボエは3本ずつ、弦も3声(ヴァイオリン2声+ヴィオラ)でまとめられている。さらに、曲の前半では3連符が多用され、後半は3/8拍子のフーガとなる。フーガの途中から聞こえはじめる主題とよく似たモチーフは、曲の最後でも強調され、次の〈オザンナ〉へと引き継がれる。なお、歌詞の最後の部分はカトリックの「glloria tua あなたの栄光」から、ルター派式の「gloria ejus その方の栄光」に変更されている。

(活気のあるコーラス。)

第4部 Osanna,Benedictus,Agnus Dei et Dona mobis pacem:晩年に旧作から改編。

23.合唱

 (Osanna in excelsis.    至高の境地にも、オザンナ(祈り届きますよう)

 二重合唱とオーケストラによる協奏フーガ。前曲の主題に似たモチーフは、ここで「オザンナ」という歓呼の声になる。ふたつの合唱群がカノンをなしたり、フーガと和声的な動きが対比されたりと、二重合唱が駆使されている。

(活気のあるコーラス。トランペットが印象的。)

24.アリア(Ten)

  (Benedictus,    讃えられるべきです、)

 (qui venit in nomine Domini,    主という名を持ちて来られたお方は。)

 フルートと通奏低音のみを伴うアリア。晴れ晴れとした〈オザンナ〉に挟まれたこの曲の静謐さは、ことさら印象深い。

(フルートの伴奏。やわらかい声のテナー。)

25.合唱

 第23曲が繰り返される。

 (活気のあるコーラス。トランペットが活躍。)

26.アリア(Alt)

 (Agnus Dei qui tollis peccata mundi:    神の子羊、世界の扉を取り除いてくださる方、)

  (miserere nobis.    私どもを哀れんでください。)

 アルトが再びキリストへの救憐を歌う。伴奏は通奏低音とユニゾンのヴァイオリンのみ。歌唱声部のため息のような旋律は、ヴァイオリンとカノンをなす。

 (深みのあるアルトの声。高い部分もよく通る。)

27.合唱

 (Dona nobis patem.)    私どもに平安をお与えください。

 終曲は平安への祈り。自筆譜ではこの曲の後に、他の作品同様、バッハ自身の手によって「完了、神にのみ栄光あれ」という言葉が添えられている。音楽は第7曲と同じものだが、一説によればこの再現は、ここでなされる平安への祈りに先の歌詞内容(神への感謝)を重ね合わせるために行われたのであり《ロ短調ミサ曲》を含むバッハのすべての創作活動に対しての感謝を表しているのだという。

(バッハを愛する気持ちが伝わってくる演奏でした。)終了:19時5分。

《プロフィール》

ソプラノ:松田真由美

 大阪音楽大学音楽学部声楽科卒業、同大学音楽専攻科終了。在学中より八木宣好氏に師事し、日本テレマン協会にて、教会音楽のソリストとして活躍。「ソロリサイタル」「ジョイントリサイタル」をはじめ「ミュージックセミナー」「クラシック音楽家振興会推薦コンサート」等、数多くの演奏会に出演。また合唱組曲やモーツァルトのミサ曲をはじめ「レクイエム」「戴冠ミサ」フォーレ「レクイエム」バッハ「ロ短調ミサ曲」「クリスマス・オラトリオ」「ヨハネ受難曲」「マニフィカト」「マタイ受難曲」のソリストをつとめるなど、バロック音楽から古典派ロマン派をレパートリーの中心に、現在はフリーのソロシンガーとして各方面で活躍している。

アルト:上辻静子

 相愛大学音楽学部声楽科卒業、同大学研究科修了。バロック音楽を中心に演奏活動をおこなっており、数少ないコントラアルトとして、カンタータ、オラトリオの演奏には無くてはならない存在である。また日本テレマン協会のヨーロッパ演奏旅行にソリストとして参加し、現地紙などで高い評価を受ける。一方ドイツ歌曲の分野でも女性では珍しい「冬の旅」全曲などを過去4回のリサイタルで取り上げ、その成果に対し大阪文化祭奨励賞、大阪府民劇場奨励賞を受賞。最近は日本歌曲の演奏にも意欲的である。荘田作、故柴田睦陵の両氏に師事。現在、相愛大学音楽学部講師、日本テレマン協会会員。

テノール:井場謙一

 府立春日丘高校、大阪音楽大学音楽学部声楽科卒業。在学中は林誠氏に師事。ベートーヴェン「第九」、ヘンデル「メサイア」、バッハ「クリスマス・オラトリオ」「ヨハネ受難曲」、モーツァルト「レクイエム」、グノー「聖チェチーリアミサ」他、ハイドン、シューベルト、ブルックナーのミサ曲など宗教曲を中心としたレパートリーの他、「魔笛」タミーノ、メノッティ「アマールと夜の訪問者」カスパール王などのオペラでも活躍、その繊細な美声と安定した歌唱力で、数少ないコンサートテノール歌手として活躍している。現在、茨木市立養精中学校教諭、日本テレマン協会会員、茨木市合唱連盟技術顧問、茨木市音楽芸術協会会員、プリランテ三島指揮者。

バス:小玉 晃

 京都市立芸術大学大学院、ヴィーン国立音楽大学大学院修了。リートをモーリア、オペラをニックラー、発声を宮廷歌手ニコロヴァに師事。在欧中リサイタルの他、多数の演奏会に出演。バロック作品の歌唱法をV.エグモントに、リート解釈をホッター、シュライヤー、ヘフリガー、ペリー他に学ぶ。ベートーヴェン「第九」、バッハ『マタイ受難曲』、『ヨハネ受難曲』ヘンデル『メサイヤ』、ブラームス、ヴェルディ、フォーレの『レクイエム』他、ソリストを数多く。モーツァルト『コジ・ファン・トゥッテ(グリエルモ)』『魔笛』(弁者)他に出演。J.S.G.国際歌曲コンクール第1位。日本音楽コンクール入選。青山音楽賞、松方ホール音楽賞大賞他、受賞多数。理論に裏付けされた発声指導には定評が有り、各方面から指導依頼も多い。大阪音楽大学、同志社女子大学講師。日本ドイツリート協会副会長。京都市民合唱団他、指導者。

指揮:八木宣好

 数多くの演奏会・放送・レコーディング・海外演奏旅行などを行っており、これらを自らの音楽基盤にしている。レパートリーはドイツ音楽を中心に、バロック教会作品からロマン派・現代作品まで得意の分野である。特に教会作品についてはアカデミックなプロの合唱団「テレマン室内合唱団」を自らの手で創設創立(1969年)し、多くの珍しい作品を紹介。一方、1963年バッハ生誕300年を前に、アマチュア精神による最高のバッハ演奏を目指し「千里バッハ合唱団」を創立。以後、その音楽監督として指導に当たる。また「バッハ生誕300年記念国際国際音楽祭」にソリストとしてドイツ文化省の招待を受け、世界一流アーティストと並び出演する。最近は自らの演奏に留まらず、良い音楽環境作りのために演奏会の企画や後進の指導育成にも尽力している。大阪音楽大学を経て同大学院修了。日本演奏連盟賞受賞。現在、クラシック音楽家振興会代表幹事、大阪音楽大学講師。

千里バッハ合唱団 千里バッハオーケストラ

 千里バッハ合唱団は、J.S.バッハ生誕300年(1985年)を2年後に控えた1983年3月に結成された。1985年に第1回自主公演として「ロ短調ミサ曲」を演奏以来、「クリスマス・オラトリオ」「ヨハネ受難曲」「マタイ受難曲」「マニフィカート」などJ.S.バッハの主要な宗教的合唱曲を順次取り上げてきた。1994年には、創立10周年記念行事として、ドイツのヴァイマール市からフランツ・リスト音楽大学室内合唱団を招聘し、「ヨハネ受難曲」の合同演奏会をいずみホール他で開催し、翌年にはドイツで〈バッハ週間〉関連行事として、アイゼナハの聖グルク教会、ヴァイマールのヘルダー教会にて、再びフランツ・リスト音楽大学室内合唱団と合同で「ロ短調ミサ曲」をを演奏した。また、1999年4月にはベルリンのフィルハーモニー大ホールにて、ツィマーマン教授の指導により高名なベルリンアカデミーおよびベルリン・シンフォニカーと合同演奏会を開催した。そのほか、各種キリスト教団体からの依頼によりチャリティー公演もおこなってきた。

 2003年7月「ロ短調ミサ曲」を創立20周年記念演奏として歌って以来、ほぼ年1回J.S.バッハの大曲を歌ってきたが、今回再び「ロ短調ミサ曲」の演奏へと一巡してきた。大阪公演に引き続き、今回初めて東京公演をおこなう。今後は、J.S.バッハの曲を中心にほかの作曲家の曲も適宜とりあげていく。

 練習は、毎週水曜日の夜7時から千里公民館でおこなっている。千里バッハオーケストラは、千里バッハ合唱団専属のオーケストラとして誕生し、合唱団の活動を支える大きな役割を担ってきた。合唱団・オーケストラ・独唱者・指揮者を含む総合芸術としての、オラトリオ・ミサ曲・カンタータなど声楽曲の分野に焦点を絞っている。

成就のときを迎えて 待望の《ミサ曲ロ短調》

 鈴木雅明(指揮・チェンバロ・オルガン)  ききて・文=歌崎和彦 雑誌「レコード芸術」(2008年1月号)音楽之友社刊より

 鈴木雅明指揮、バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)におよる《ミサ曲ロ短調》が2007年年度のレコードアカデミー大賞銀賞を受賞した。・・・・《ロ短調ミサ曲》は鈴木氏が中学・高校時代に、明けても暮れても聴き続けた作品であるが、なかなか演奏と録音の機会を得ることができなかったという。鈴木氏とBCJは90年代末に《マタイ》《ヨハネ》の両受難曲と《クリスマス・オラトリオ》を録音しており、これでバッハの4大宗教曲を完成したことになるわけで、まさに待望の録音というべきだろう。(なお、お話は、レコードアカデミー賞の部門賞が決定する以前の07年10月19日に、東京藝術大学大学美術館の新館でうかがった)。・・・・

(歌崎)ミサ曲ロ短調を録音されて、BCJとのバッハの4大宗教曲が完成しましたが、他の曲は1998年と99年の録音でしたから、随分間がありました。・・・・・

(鈴木)・・・・最近は毎年ヨーロッパのツアーがあるので、ライプツィヒでの録音も考えましたが、結局いつもやっているホームグラウンドがいいだろうと、カンタータ全集と同じ神戸松蔭女子学院大学チャペルでの録音になったのです。

 またなかなか録音できなかったのは、第2ソプラノにこれという人がいなかったこともあるんです。音域的にも難しいパートなので、オーディションをしたり、人づてに探してもらったりしていたのです。

(歌崎)第2ソプラノはレイチェル・ニコルズさんですね。・・・・・

(歌崎)今回の合唱は、ソプラノⅠⅡが各3名、それ以外の3パートは各4名ですね。

(鈴木)ロ短調ミサ曲の難しさは、合唱の比重が大きいうえに最後にアルト、テノール、バスのソロがあることです。私たちの場合は、ソリストが合唱を兼ねますので、合唱を1時間以上歌ってから、あの美しいアリアを歌うことになり、それで負担が大きいので、演奏会ではソプラノの2人は合唱もうたうけれど、アルト、テノール、バスはソロだけを受け持ってきました。実際ではそれが一番バランスがいいのです。・・・・・

(歌崎)録音では全曲を通して歌う必要がないので、アルトとテノール、バスも合唱を兼ねることが可能になったわけですね。CDを聴かせていただいて、合唱がしなやかに洗練されているだけでなく、録音での表現にもとてもしっかりとしたエネルギーがあると思いました。

(鈴木)カンタータでは各パート3人なので、今回は合唱の人数が少し多いのですが、ロ短調ミサ曲は二重合唱が多いのでソプラノは各3人、アルト以下は4人にしたのです。ソプラノはほとんど2部に別れるので、その場合はソプラノ3+3に対してアルト以下は4-4-4、二重合唱では基本的に3-2-2-2のペアになるので、曲による差が少ないのです。・・・・

(歌崎)オーケストラとのバランスの面でも、とてもいいと思いましたし、二重合唱でのあのような広がり感は、やはり各パート1人では得られなかったでしょうね。

(鈴木)ソプラノは3人で、5部合唱では他のパートより1人少なくなりますが、音域が高いですし、際立った音色の人を選んであるので、バランス的にも十分だったと思います。・・・・・

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2009年10月16日 (金)

演奏会に行ってきました「東京藝大シンフォニーオーケストラドイツ公演記念演奏会 ベートーヴェン第九」(2009-32)

2009年7月26日(日)15:00開演 東京藝術大学奏楽堂(大学構内) (JR上野駅公園口徒歩15分・東京メトロ日比谷線・銀座線上野駅徒歩20分)

ご挨拶  植田克己(東京藝術大学音楽部長)  澤和樹(副学部長)

 東京藝大シンフォニーオーケストラドイツ公演は、2008年7月の、駐日ドイツ連邦共和国大使館プリンツ公使と新国立劇場運営財団遠山敦子理事長から本学宮田亮平学長への依頼に基づき、実現する運びとなりました。今年8月、ベルリン(ドイツ)のコンツェルハウスで開催される第10回ヤングユーロクラシック音楽祭の、オープニング(7日)におけるベートーヴェン交響曲第9番の演奏会、その翌日(8日)には日本人作曲家の新作を含む演奏会を開催することになっております。

 この間音楽学部では、学部を挙げての協力支援体制によるオーケストラ派遣という認識の下で「ドイツ公演実行委員会」を立ち上げ、オーケストラに参加する学生の選抜はもとより、音楽祭事務局からの要請による《第九》ソリスト派遣の決定と人選、細川俊夫作品のピアノ独奏者の決定、邦人委嘱作品(新作)についての学内募集と選考などをおこなって参りました。

 また、今回のオーケストラ派遣をより有意義なものとするため、当音楽祭のみならず複数の音楽祭への参加についても検討を重ね、シュタットハレ・コングレスザール(ドイツ・カッセル)で開催される、「北部ヘッセン芸術の夏」への出演(9日)も併せておこなうことなりました。

 この度の東京藝大シンフォニーオーケストラドイツ公演では、参加する学生たちの日頃の教育研究成果が充分に発揮される演奏が行われることを確信しております。さらには国際的な舞台で演奏することの意義を、彼らが自分の目で見、耳で聴き、肌で感じて、世界で活躍する基本を身につけることにより、将来国際親善や文化交流においても大きく寄与してくれることを期待しております。

 最後に成りましたが、東京藝大シンフォニーオーケストラドイツ公演を実現するあたり、ご支援、ご協力を賜りました皆様に心から御礼申し上げます。

《プログラム》

L.V.ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 作品125

 ソプラノ:岩下晶子  アルト:谷地畝晶子  テノール:山本耕平  バリトン:今井俊輔  合唱:台東区区民合唱団  管弦楽:東京藝大シンフォニーオーケストラ  指揮:高関 健

参考までに。

第2日 7月31日(金)

P.ヒンデミット:ウエーバーの主題による交響的変容

高橋幸代:「SANDRA-光満ちる海へ-」

細川俊夫:「沈黙の海」ピアノ、弦楽オーケストラ、打楽器のための 

 ピアノ:入江一雄

S.プロコフィエフ:交響曲第5番 作品100

も演奏された模様です。モントウーは1日目のみ聴きました。

《プログラム》

第1日 2009年7月26日(日)15:00開演

ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱付き」

《印象 感想など》

 二階席を除き、ほぼ満席。全員が招待。コントラバス7人、舞台左奥。コーラスは最初から舞台に。コンサートマスターは男性。多分、名簿によると守屋剛志。

第1楽章 さっぱりとした簡潔な出だし。若々しいオーケストラ。生きのよい演奏。  第2楽章 キレのある演奏。金管、ティンパニーなどキビキビとした響き、演奏。  第3楽章 穏やかな演奏。よく歌い、流れる。(ソリスト入場)  第4楽章 勢いのある出だし。コントラバス、静かに有名なテーマを奏する。合奏へと続く。バリトンソロ、朗々とした歌唱。コーラス好調。女性陣、両脇。男性は中央。オケもキビキビとしたアンサンブル。コーラス、合奏とも山場は一体となった演奏。後半、急ぎすぎず。コーダはソロ、コーラスともたっぷりと盛り上がる。そしてテンポを上げて突っ走る。急テンポで終了。快演。凄い演奏。盛大な拍手。真夏の第九も悪くない。

《プログラムノート》 島野聖章(東京藝術大学演奏芸術センター教育研究助手)

 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)の9つの交響曲の中でも特に傑作とされ続けている「第九」交響曲は1824年、作曲者が54歳の時に完成した。大規模な楽曲構成、独唱及び合唱の導入、斬新な楽器法など、当時としては前代未聞といえるこの作品は、古典派交響曲の集大成であると同時にロマン派への扉を開き、後の交響曲作曲家に多大な影響を与えた。

 第1楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ・ウン・ポコ・マエストーソ、ニ短調、4分の2拍子、ソナタ形式。冒頭、弦楽器による空虚5度の神秘的な響きがやがて厳しさに満ちた第1主題に発展する。その後、流れるような変ロ長調の第2主題が続き、力強く壮大な音楽が展開していく。

 第2楽章 モルト・ヴィヴァーチェ、ニ短調、4分の3拍子、大規模なスケルツォ楽章。切れのよいリズムを保ちながら躍動感溢れる音楽が進んでいく。この楽章ではティンパニーが素晴らしい効果を発揮する。

 第3楽章 アダージョ・モルト・エ・カンタービレ、変ロ長調、4分の4拍子。複合変奏曲形式。祈り、希望、安らぎに満ち溢れた緩徐楽章。その美しさはたとえようもないほどであり、聴き手を幸福に満ちた世界へ導いていく。変ロ長調の主要主題、ニ長調の副主題が反復、変奏、転調を経てコーダへ至る。

 第4楽章 プレスト、ニ短調、アレグロ・アッサイ、4分の4拍子、自由な変奏曲形式。人類愛を高らかに歌い上げるこの楽章は、人生の苦難を連想させる騒々しい音楽で始まる。やがてチェロとコントラバスが有名な旋律を静かに静かに奏でると、それが次第に発展していく。その後、バリトンが「大友よ、喜びにあふれた調べを歌おう!」と力強く歌い始め、独唱、合唱が歓喜の歌を次々と歌い上げて壮大に展開し、感動的なクライマックスを築いて曲を閉じる。

《レコードやCDのことなど》

 レコードやCDは自分が気に入ったものを聴いていればいいわけですが、ここでは自由への賛歌1989年、ベルリンの壁崩壊直後の特別演奏会のCDを紹介します。

自由への賛歌~1989年、ベルリンの壁崩壊直後の特別演奏会

 バーンスタインと6つのオーケストラの団員による第9

 1989年12月25日、ドイツの東西分離の象徴でもあったベルリンの壁が崩壊したことを記念した一大イヴェントが、レナード・バーンスタイン(1918~1990)が指揮したこの演奏会でした。バーンスタインはここで、バイエルン放送交響楽団をメインに計6つの楽団のメンバーによって特別に編成されたオーケストラを指揮し、これに東西ドイツの合唱団と東西ドイツ&英米のソリストが加わった豪華な布陣によるアンサンブルを指揮しています。

 ちなみに6つのオーケストラの内訳は、西ドイツ・東ドイツに、ドイツの東西分離のきっかけとなったアメリカとソ連、それに第二次大戦時のドイツの敵国イギリスとフランスのオーケストラというもので、記念碑的な演奏会をさらに特別なものにしようという関係者の尽力が偲ばれます。

 なお、バーンスタインはここで、ベルリンの壁が崩壊したという歴史的事実を祝うために第4楽章の歌詞の“Freude(歓喜)”を“Freiheit(自由)”に変更して歌わせています。当時のバーンスタインはすでに肺ガンに冒されており、しかも自身そのことを知っていたといいますから、ここでの渾身の指揮ぶりはまさに命がけのものだったのでしょう。しかしバーンスタインは最後までエネルギッシュでした。

【収録情報】

ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 Op.125『合唱付き』

 ソプラノ:ジューン・アンダーソン  メゾ・ソプラノ:サラ・ウォーカー

 テノール:クラウス・ケーニヒ  バス:ヤン=ヘンドリンク・ローテリング

 バイエルン放送合唱団  ベルリン放送合唱団メンバー  

 ドレスデン・フィルハーモニック児童合唱団

 バイエルン放送交響楽団  シュターツケペレ・ドレスデン・メンバー

 ロンドン交響楽団メンバー  レニーングラード・キーロフ劇場管弦楽団メンバー

 パリ管弦楽団メンバー

 収録時期:1969年12月25日

 録音場所:東ベルリン、シャウシュピールハウス

 録音方式:デジタル(ライブ)

 

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演奏会に行ってきました「野尻多佳子ピアノリサイタル シューマン、ベートーヴェン」(2009-31)

東京文化会館(小ホール)東京文化会館友の会プレゼント企画に当選したもの。 (JR上野駅公園口徒歩5分、東京メトロ日比谷線・銀座線上野駅・徒歩10分)

《プログラム》

R.シューマン:「ダヴィッド同盟舞曲集」 OP.6

L.V.ベートーヴェン:ピアノソナタ「月光」 OP.27-2

《印象 感想など》

 私の席:I列25番(自由席)中央 ピアノ:スタインウエイ 奏者は白いドレスで登場。

R.シューマン:「アラベスク」 OP.18

 聴いたことのあるメロディー。ロマン的な曲。

R.シューマン:「ダヴィッド同盟舞舞曲集」 OP.6

 第1曲 Lebhaft(プロローグ)F.E.  第2曲 Innig(メデティション)E.  第3曲 Mit Hit Humor F.  第4曲 Ungeduldig(ストリーム)F.  第5曲 Einfach(少女)E.  第6曲 Sehr rasch(ストリーム)F.  第7曲 Nicht Schnell(メランコリー)E.  第8曲 Frisch(スケルツォ)F.  第9曲 Lebhft  第10曲 Sehr Rasch(バラード)F.  第11曲 Einfach(優しい歌)E.  第12曲 Mit Humr(スケルツォ)F.  第13曲 Wild und lustig(行軍)F.E.  第14曲 Zart und sinend(夢見る人)E.  第15曲 Frisch F.E.  第16曲 Mit guten Humor F.  第17曲 Wie aus der Feme(遙かに)F.E.  第18曲 Nicht Schnell(最後のワルツ)

《印象 感想など》

 7時10分から7時40分。第1曲 ダイナミックな出だし。第2曲 語りかけるような曲。第3曲 力強いタッチ。第4曲 ロマン的な曲。第5曲 ピアノ(弱い音)で、素敵なタッチ。第6曲 勢いのある曲。第7曲 思わせぶりな曲。第10曲 力強い曲。第11曲 しなやかな曲。第12曲 勢いのある曲。第14曲 夢見るような、やさしい感じの曲。第15曲 力強いタッチ。第17曲 夢見るような感じの曲。第18曲 少しテンポを上げて。心地よいワルツ風の展開。最後は静かに終わる。

《プログラムノート》  野尻多佳子

 本日はお忙しい中、またお暑い中をお越しくださいましてありがとうございます。久しぶりに自分自身でプログラムノートを書いてみたくなり、ペンをとりました。

 まず、お詫びと訂正です。フライヤーでは第2部の冒頭、ショパンのノクターンと印刷されていましたが、リサイタルの直前にどうしても「熱情ソナタ」の前はもう一曲ベートーヴェンを弾きたくなり、ノクターンに替って「月光ソナタ」を入れさせていただきました。シューマンとショパンは、同年生まれで同時期に活躍した同じロマン派を代表する作曲家なのですが、最近あまりその個性の違いに改めて圧倒されてしまい、一緒に弾くことに抵抗が出来てしまいました。(CDでは同じアルバムに入れているのですが・・・!)またまた、気まぐれが・・・でも心の真実の声・・・どうぞお許しくださいませ。

 「ダヴィッド同盟舞曲集」は1837年、シューマンが27歳の時に作曲されました。「ダヴィッド同盟」とはシューマンが考え出した架空の団体であり、因習的、保守的な古い芸術に対して挑んでいくいく人々を意味しています。活発で闘争的なフロレスタン(F)、静かで瞑想的なオイゼピウス(E)を主人公として様々な曲想が登場しますが、どちらもシューマンの内面の表現にほかなりません。また、この曲集のいたる所にクララ・ヴィーク(後のクララ・シューマン。女流ピアニストの草分け的存在)との恋愛の影響が感じられます。第一曲の冒頭にはクララの同じ作品6の「音楽の夜会」に使われたテーマを用いています。「音楽の夜会」も架空の音楽家たちの集いを表した曲で、「ダヴィッド」と同様のテーマを持っています。この時期、クララの父が二人の仲を大反対していましたが、若い二人はこうして結び付きを強めていったのです。シューマンらしい、情熱的な、詩情あふれる作品です。18曲から成りますが、個々の曲にはドイツ語の表情やテンポに関する表記だけで題名はついていません。( )の仲の副題?は私が感じたままにつけてみたものです。

 

       ・・・・・休 憩・・・・・

L.V.ベートーヴェン:ピアノソナタ「月光」OP.27-2

第1楽章 アダージョ  ソステヌート  第2楽章 アレグレット  第3楽章 プレスト

第1楽章 低音がよく聴こえる。  第2楽章 メゾフォルテの強さ。下の音が、よく聴こえる。  第3楽章 テンポを上げて、気持ちよく走る。

《プログラムノート》 野尻多佳子

 ベートーヴェンの「月光」も「ダヴィッド・・」と同じ27歳の時に書かれました。ピアノ弟子でベートーヴェンの青春の一幕を飾った伯爵令嬢、ジュリエッタ・ヴィチアルディに捧げられています。「月光」はニックネームで正式には「幻想風ソナタ」、恋の曲というより、耳の疾患に絶望する苦悩と静かな決意を曲に思えます。

L.V.ベートーヴェン:ピアノソナタ「熱情」 Op.57

第1楽章 アレグロ アッサイ  第2楽章 アンダンテ コン モルト  第3楽章 アレグロ

《印象 感想など》

 第1楽章 強いタッチの曲、演奏。力強い演奏。低音のメロディーが響く。テンポを上げて中音のが美しいテーマ。  第3楽章 テンポを上げて走る。コーダはテンポを上げてきっちりと終わる。

《プログラムノート》 野尻多佳子

 「熱情ソナタ」は、親友でパトロンでもあったブルンスヴィック伯爵に捧げられています。この頃のベートーヴェンは、遺書まで書いた大きな苦しみから立ち直り、新しい力強い世界を得て、次から次へと傑作を生みだします。この時期のベートーヴェンの作品には、大きなエネルギーと強い意志と、ある種の使命感のようなものさえ感じられます。自分が何者であり、世界に何を表明するのかを自覚し始めたような自信も見られます。

 私にシューマンが親しい友であるなら、ベートーヴェンは大きな山・・・いつも近くにあるのに登ろうとすると、ますます高く遠く感じます。それだから常に登りたいと思うのでしょうけれど・・・。

アンコール グラナドスの曲

《プロフィール》

 東京生まれ。大学在学中より、オーケストラとの共演、室内楽、ソロ等の活動を始め、ソロリサイタルや、内外の音楽祭に出演。卒業後、しばしば渡欧し、ヨーロッパの著名な演奏家達の指導を受ける。

 現在、ソロや室内楽で活躍。2000年より、銀座の王子ホール、東京文化会館小ホールで毎年ソロリサイタルを行う。ドイツ、オーストリー、スイスなどでも演奏活動を行い、国内外の著名な演奏家との共演も多い。また、ヨーロッパの様々なピアノ(スタインウエイ、を初めとして、ベーゼンドルファー、ベッヒシュタイン、プレイウェル、クローネ、等々)を使っての「モンヴェール・サロンコンサート」シリーズは15回にわたり多くのファンを得ている。そのほかにも、現代美術とのコラボレーションコンサート、長野県川上村所蔵の1900年製造のスタインウエイでのリサイタルなど、ピアノの音色に大きなこだわりをもつことをポリシーとした活動が多い。・・・・

《レコードやCDのことなど》

ベートーヴェン:ピアノソナタ

 レコードやCDなどは自分の気に入ったものを聴いていればいいわけですが、私はバックハウスリードリッヒ・グルダのCD全曲盤をよく聴いてきました。

   

     

        

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2009年10月13日 (火)

演奏家に行ってきました「新宿交響楽団第37回定期 C.ドビュッシー:「小組曲」(ビュッセル編)、E.エルガー:交響曲第1番」(2009-30)

2009.6.27.(土)新宿文化センター 大ホール(都営新宿線新宿三丁目駅徒歩10分)

《プログラム》

C.ドビュッシー:「小組曲」(ビュッセル編)

E.エルガー:交響曲第1番 作品55

ごあいさつ  新宿交響楽団 団長:細谷道生

 みなさま、本日はようこそお越しくださいました。

 早速で恐縮ですが、私こと、本年より団長を務めさせていただくことになりました。創団から約20年の歴史の中では、舞台から客席を見渡して数えられるほどお客様が少ない時期もありましたが、本日のように沢山のお客様をお迎えできるようになったことは大変嬉しくもあり、また、当楽団がそれだけ多くの方々に支えられている証左であるとも考えております。皆様のご期待に応えられるよう努力をしてまいりますので、今後ともご指導のほどお願い申し上げますとともに、当楽団の“ファン”として末永く応援いただくことを切に願う次第です。

 さて、本日は19世紀末~20世紀前半に活躍した作曲家、ドビュッシーとエルガーの作品2題を取り上げます。まず、ドビュッシー『小組曲』はアマチュアオーケストラでも頻繁に演奏される曲ですが、実は当楽団がドビュッシーの曲を演奏するのは今回が初めての経験となります。また、『威風堂々』で有名なエルガーもまた当楽団には馴染みの薄い作曲家ですが、特に本日演奏する『交響曲第1番』はプロ・アマともに演奏機会の少ない難曲ということもあり、団員一同、様々な試行錯誤を繰り返しながら取り組んでまいりました。技術的にはまだまだ未熟かもしれませんが、一人でも多くのお客様に“来てよかった”と思っていただけるよう心を込めて演奏しますので、是非、舞台から聴こえてくる音だけでなく、その背景にある意気込みも感じ取っていただければ幸いに存じます。

 それでは最後までごゆっくりお楽しみください。

《印象 感想など》

C.ドビュッシー:「小組曲」(ビュッセル編)

Ⅰ 小舟にて  Ⅱ 行列  Ⅲ メヌエット  Ⅳ バレエ

 楽団からの招待。私の席:7列40番。遅れてⅢのメヌエットから聴く。アンサンブルはなかなか良い印象。

E.エルガー:交響曲第1番 変イ長調 作品55

第1楽章 アンダンテ・ノビルメンテ・エ・センブリーチェ-アレグロ  第2楽章 アレグロ・モルト  第3楽章 アダージョ  第4楽章 レント-アレグロ

第1楽章 弦の中低音がテーマを奏する。続いて全合奏へ。ゆったりとした素敵なテーマが奏される。テンポをあげて次のテーマが現れる。  第2楽章 金管が元気な音楽を演奏する。少しせわしない、活気のあるテーマが現れる。そして、しっとりとした音楽が現れる。  第3楽章 叙情的な美しい音楽が流れる。  第4楽章 活発なマーチ風の音楽が奏される。後半は、テンポよく盛り上がる。メロディックなテーマが現れ、よく歌う。コーダ、大いに盛り上がる。快演。ブラヴォー。

アンコール エルガー:威風堂々 1番

 エルガーには、アンコールにいい曲がありましたね。やはり快演。アマオケのひたむきな演奏。少し下手でも、聴衆を感動させる。とても大事だと思います。

《プログラムノーツ》 

C.ドビュッシー:「小組曲」  Une Corniste Trentaine

日本でもっとも人気のある絵画の分野である印象派。その印象派が影響を受けたとされる日本の浮世絵を愛した作曲家のアシル・クロード・ドビュッシー(1852~1918)は、ある意味フランス音楽の分野での印象派であり、彼の作品を生んだフランスとは遠く離れた日本において彼の楽曲が親しみを込めて受け入れられ、その心地よい旋律や印象が記憶に残るというのもさほど不思議ではありません。

 ドビュッシーといえば、多くの方が小・中学校の音楽の教科書を通じて触れたことがあるかと思いますが、彼の一般的に知られる作品は、文学(詩・演劇)や映像(自然)からインスピレーションを得たものが多くあります。今回演奏するこの「小組曲」(4曲編成1888~1889年頃)もポール・ヴェルレーヌ(「忘れられた小唄」「艶やかな宴」)やシャルル・ボードレール(「ボードレールの5つの詩(悪の華より)」ステファン・マラルメ(「牧神の午後のへの前奏曲」)といった、フランスを代表する詩人の作品から大いに影響を受けていた頃の作品で、もともとはピアノ連弾の曲でしたが、後に管弦楽曲として編成されました。それでは、パリ郊外の貧しい陶器店の長男として生まれたドビュッシーが、19世紀末フランス芸術界でさまざまな芸術家と交流し、遠く離れた日本においても今なお愛される作品を生みだした背景をたどってみましょう。

 ドビュッシーは、海兵隊出身の父と料理人の娘で気性の激しい母との間に生まれました。経済的に困窮していた父は職を転々とし、また普仏戦争中にコミューン派として投獄されるという過酷な家庭環境にありましたが、幼少期に叔母のいるカンヌでバイオリンを習ったことが、音楽に触れた最初の機会となり、そこでの圧倒的なCote d`azurの海と空の蒼、そして色鮮やかな花とその芳香をドビュッシーは鮮烈な印象として記憶しています。

 さらに父が収監中に知り合ったある音楽家を通じてドビュッシーはピアノのレッスンを受けることになり、わずか1年足らずでパリの国立音楽院に入学することになります。

 芸術家にありがちな頑固で人付き合いが苦手な性格に加え、基礎的な音楽理論の欠如といったことに苦労しながらもよき指導者に導かれ、次第に頭角を現していきます。また当時の裕福な家庭が専属のピアニストを雇い入れるという仕事を通じて、、人の求めに応じて作曲や編曲を手がけたり、上流社会や他の芸術家との交流の輪も広がりました。

 そして1884年ローマ大賞を受賞し、名声と2年間の奨学金、そしてローマでの留学生活を送ることになりますが、パリに残してきた恋人が気がかりで心はパリにある状態でした。しかし彼が留学の最後に提出した「春」(ボッティチェッリの作品からヒントを得た)は学士院で「芸術の危険な状態である曖昧な印象主義的作品」と評され、彼の音楽史上の「印象主義派」の発端となります。

 ローマ留学後、当時パリでは伝統的な芸術観念を打破しようとした芸術家(詩、絵画、音楽)を印象派や象徴派と呼び、その多くはボヘミアン的な生活(20代、才能はあるが世間知らず、経済的には他者の恩恵に頼っている)を送っていました。その中にドビュッシーも身をおくことで資産家の晩餐会やカフェに出入りし、次第に音楽以外の教養も身につけ、刺激を受けることで音楽の分野で象徴派・印象派の代表的な作品を生みだしていきます。そしてヴェルレーヌの詩的境地に大いに影響を受けて、この小組曲や詩集と同題の作品を含め、20年間にわたり18曲を生みだしました。

 この「小組曲」は室内楽的編成ではありますが、それはまさに詩という短文が受け手の感性により、無限の世界を創造させるような作品であるといえます。第1曲「小舟にて」は、光と影が織り成す水面とそこをすべる小舟の情景を描き、第2曲「行列」では旋律が規則正しく3度で動くことで隊列が足並みをそろえて進んでいく様子が想像されます。第3曲「メヌエット」は後年のベルガマスク組曲に通じるような優雅な雰囲気に溢れ、そして終曲「バレエ」は当時の華やかな芸術界を彷彿とさせるような生き生きとしたワルツが印象的な作品です。

 私達も各種楽器が織り成すさまざまな色を重ね、ちりばめることで印象派の音楽にふさわしい演奏を皆様にお贈りできればと思っております。

E.エルガー:交響曲第1番変イ長調 作品55

第1楽章 アンダンテ・ノビルメンテ・エ・センブリチェーチェ-アレグロ  第2楽章 アレグロ・モルト  第3楽章 アダージョ  第4楽章 レント-アレグロ

第1楽章 弦の中低音がテーマを奏する。全合奏へ。確固としたゆったりとした素敵なテーマ。そしてテンポを上げて、次のテーマへ。  第2楽章 金管が元気なテーマを奏する。少しせわしげな音楽が続く。活気のあるテーマが現れ、しっとりとした音楽が奏される。  叙情的な、キレイな音楽が奏される。  第4楽章 不安げなゆったりとした音楽が奏され、少し速い音楽へ。後半はなかなかよいテンポで盛り上がる。メロディックなテーマが現れ、よく歌い流れる。コーダ、大いに盛り上がる。快演、ブラヴォー。

アンコール エルガー:威風堂々1番

 エルガーにはアンコールにふさわしい曲がありましたね。ひたむきなアマチュア・オーケストラの演奏。少し技術は劣るかもしれませんが、聴衆に感動を与える。大事なことだと思います。

《プログラムノーツ》  mennsonge800

作曲家としては、地元の合唱音楽祭のために作品を委嘱される程度だったエドワード・エルガー(1857~1934)は、40歳を過ぎて発表した「エニグマ変奏曲」によって国際的に成功を収めました。1904年にナイトに叙され、サー(Sir)の称号を得て、名実共に英国の国民的作曲家として人気を集めていたエルガーが、満を持して1908年に発表したのが、この交響曲第1番です。初演は大変な反響を呼び、1年ほどで100回あまりも再演されたほどです。現在でも英国では大変人気があり、英国のオーケストラの常任指揮者に就任したら、避けては通れない作品となっています。

 パーセル(1659~1695)以来“音楽不毛の地”(本当は決して不毛ではあったわけではないのですが)と言われていた英国で、復興の“のろし”を上げたこの交響曲は、エルガーの第1番であるとともに、「英国の交響曲」第1番でと言っても過言ではありません。

第1楽章:アンダンテ・ノビルメンテ・エ・センブリチェーチェ-アレグロ

 エルガーが好んで使用した「ノビルメンテ(気品を持って)」の指示を持つテーマが、ヴィオラ・木管によって開始されます。このテーマに背筋が伸びる(いや、シャレじゃなくて)、何とも言えない満たされた気分を味わっていただければ、まずはエルガーの世界へ足を踏み入れたと言えるでしょう。このテーマは、全曲を通してのモットーとなります。曲中何度も登場しますので、ぜひおぼえていただきたい!

 続くアレグロはニ短調で情熱的に開始されます。このほとばしるパッションも、エルガーの魅力の一つです。時に力強く、時に優美に、きわめて充実した音楽が展開します。冒頭テーマがクライマックスを築いた後、やがて収束に向かい、再び冒頭テーマが静かに再現され、楽章を閉じます。

第2楽章:アレグロ・モルト

 主部は弦楽器の忙しない動きと金管による行進曲調の勇ましい旋律が登場します。「川辺を渡る風の音が聞こえる」とエルガー夫人が評した、木管やヴァイオリンが楽しげに歌う中間部を経て、主部が再び現れます。初めのうちの烈しさもだんだん落ち着いてきて、切れ目なく次の楽章へ続きます。

第3楽章 アダージョ

 繊細かつ熱い思いに満ちた、叙情的で美しい楽章。最初に現れる旋律は第2楽章の忙しない弦楽器のフレーズと全く同じ音の並びなのに、なんて優美な音楽!

 後半は冒頭テーマを基にした旋律が現れ、クラリネットの持続音で夢見るように楽章を閉じます。

第4楽章:レント-アレグロ

 不穏な表情のレントに続き、アレグロの主部へ。強迫的な付点リズムの主題と行進曲風の主題が現れ、曲は突き進んでいきますが、突然低音金管によって寸断される冒頭テーマが回想されます。このテーマ回想部分、ヴァイオリン、ヴィオラは後方列のみで演奏するよう指示があり、何となく遠くから懐かしい旋律が聞こえてくる・・・・と言った風に感じられます。第1楽章の最後の方で冒頭テーマが回帰するところでも同じ指示がされているのですが、気がつきましたでしょうか?

 やがてさきほどの行進曲風の主題が、ハープの分散和音に乗って、情緒たっぷりと弦楽器で歌われます。万感ここに極まれり、といったところ、実にエルガーらしい部分です。その後、アレグロに戻り、さらに音楽が熱を帯びていったところで、冒頭のテーマが高らかに回帰します。圧倒的な高揚感!その後音楽は速度を速め、「未来への大いなる希望」を暗示する輝きの中で全曲を閉じます。

《プロフィール》

指揮:高畠 寛

 東京藝術大学付属高校を経て、東京藝術大学卒業。ヴァイオリンを高畠亘、兎束龍夫、海野義雄、田中千香士、アーロン・ローザンド、ジャン・ローランの各氏に、指揮を佐藤功太郎氏に、室内楽をルイ・グレイラー氏に師事。ハンガリーにいけるバルトークセミナーにて研修、アンドレ・ゲルトラー氏に師事。1956年より定期的にリサイタルを行っている他、多数のソロ演奏、協奏曲の共演、レコード録音、放送録音など幅広く活動。・・・・・

 指揮者としても、これまで市川交響楽団、つくば学園都市オーケストラ、ムジカ・ド・モルト、聖徳大学付属中・高等学校管弦学部他、多くのオーケストラを指導。またオペラも多数手掛けており、「魔笛」、「フィガロの結婚」、に続き2008年3月の「コジ・ファン・トゥッテ」の好演も好評を博した。2010年9月には「ドン・ジョバンニ」を公演予定。

 現在、東京藝術大学管弦学部研究部講師、テオフィルス室内管弦楽団、新交響楽団、みなとオペラ常任指揮者、杉並弦楽合奏団客演指揮者、DYD記念オーケストラ&合唱団指揮者。

トレーナー(ホルン) 高野哲夫  トレーナー(トランペット)佛阪千生  トレーナー(トロンボーン)村田厚生

サブトレーナー(コントラバス)青木芙美子  サブトレーナー(コントラバス)渡邉淳子

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2009年10月 9日 (金)

演奏会に行ってきました「レクチャーコンサート『作曲家の挑戦シリーズ』1st歌に込めた先駆性 ナビゲーター&ソプラノ:浜田理恵 エリック・サティ(2009-29)

2009年6月19日(金)東京文化会館小ホール(JR上野駅交差点渡って5分、東京メトロ日比谷線・銀座線上野駅徒歩10分) 私の席:SS席L列30番(完売だったらしいけど若干空席あり)

レクチャーコンサート『作曲家の挑戦』シリーズ 1st 歌に込めた先駆性 ナビゲーター&ソプラノ:浜田理恵 ピアノ:三ツ石潤司 エリック・サティ

《プログラム》

3つの歌(天使~エレジー~森)

もうひとつの3つの歌(シャンソン~中世の歌~花)

あなたが欲しい

やさしく

医者の家で

3つの歌(伊達男~青銅の像~帽子屋)

      ・・・・・休 憩・・・・・

歌詞のない3つの歌曲(ランブイエ~鳥~マリーエンパート)

3つの恋愛詩(砂粒でしかないのならば~生まれつきの禿~あなたのアクセサリーは隠れている)

潜水人形(二十日鼠のアリア~スプリーン~アメリカの蛙~詩人のアリア~猫の歌)

《印象 感想など》 

文中のナビゲーターの話はモントウーの聞き書き。文責はモントウー。

 チケットは完売とのことで、ほぼ満席。若干空席あり。ナビゲーター&ソプラノ:浜田理恵は黒っぽい衣装で登場。

《プログラムノーツ》 解説:國士潤一

エリック・サティ 時代を超えた先駆者

 「梨の形をした3つの小品」「犬のための本当にぶよぶよした前奏曲」「あらゆる意味で、でっちあげられた数章」「気むずかしい気取り屋の3つの高雅なワルツ」「ひからびた胎児」

 奇妙な名前は、いずれもエリック・サティ(1866~1925)の作品の題名だ。継母からピアノを習い、1879年パリ音楽院に入学するも中退し、モンマルトルのカフェでピアノを弾いたり、カフェ・コンセールの指揮者をしたりと、生涯ボヘミアン的な生活を送ったサティは、ピアノ曲と並んでシャンソンを含む声楽作品も数多く生みだした。神秘思想に興味を持ち、神秘主義的秘密結社「バラ十字団」の専属作曲家として初期の作品をサティは書く。文学酒場「黒猫」や「旅篭屋“釘”」「ターベル・アテネ」などのシャンソン伴奏ピアニストとして生計を立てつつ、中世音楽への接近を見せたのもこの時代である。

 結社の司祭と絶縁した頃に知己を得たドビュッシーとは、その後20年以上も続く交友を重ねた。平行和声・平行音程、非機能的和声といったドビュッシーの語法は、サティからの影響によるものだった。サティの影響は、ドビュッシーのみならず、ラヴェルや「フランス6人組」にも及び、ストラヴィンスキーやアンドレ・ジイドやジャン・コクトーといった文学者、ピエール・ボナールやパブロ・ピカソといった画家との交流も知られている。ディアギレフ率いるロシア・バレエ団のために1916年に作曲した《バラード》は、ジャン・コクトーの台本、パブロ・ピカソの美術を得て、大いに注目を集めた。

 サティは、その生涯の数々の奇行、ボヘミアン的生活の伝説を残すと共に、様々に作曲のスタイルを変貌させつつ多くの作品を残した。西洋音楽の流れから飛び出したその先進性は、ジョン・ケージにまで強い影響を及ぼす。サティの「先進性」は、むしろ近年やっと正当的な評価を獲得してきていると言えるだろう。

《印象 感想 ナビゲーターの話など》 ナビゲーターの話は、モントウーの聞き書き。文責モントウー。

 ナビゲーター&ソプラノ:浜田理恵は、椅子に座って話す。サティのみのコンサートは難しいと思っていたら、東京文化会館から話が来た。アカデミックなものを調べて歌うという雰囲気だった。1曲目(「3つの歌」)は、サティ20歳の頃の歌。「黒猫」は日本のキャバレーとは少し違った雰囲気。ちゃんとした歌手が歌っていた。「黒猫」はモンマルトルの丘にある。映画の「パリ」はモンマルトルが舞台。サティ(1866年生まれ)の頃はワグナーの時代。今に残っている作曲家達がパリに密集していた。サティは平行和音をやっていた。教会旋法にも馴染んでいた。(浜田が声を掛けながら、ピアニストと二人で話す)

3つの歌

 天使

 最初、いきなりソプラノのフランス語の素晴らしい声。

 エレジー

 ピアノの音、少なめの伴奏。

 森

 とても美しい声。やはり語りかけるような歌唱。声はよく響く。

《曲目解説》 たぶん國士潤一

 1886年の3つの歌曲は、サティの友人、J.P.コンタミーヌ・ド・ラトゥールの詩に作曲された。このサティ20歳のの作品は、翌87年に父アルフレッド・サティによって出版されている。ド・ラトールは、本名、パトリシオ・コンタミーヌ、スペインのカタラン地方出身の無名の詩人であった。「天使」と「森」は作品20に含まれ、「エレジー」は作品19となっている。

もうひとつの3つの歌

 シャンソン

 中世の秋

 花

《曲目解説》 國士潤一

 「シャンソン」は作品52とされているが、作曲は1887年でこの作品番号は疑問視されている。ド・ラトゥールの詩に作曲。「中世の歌」は1906年、高踏派詩人カテュル・マンデスの詩に作曲されている。ド・ラトゥールの詩を用いた作品「花」は、1886年に作曲された作品20の3曲の中の1曲。

あなたが欲しい

 今度は1900年頃の唄。ある女性と大恋愛をしている。すごい狭い部屋に住んでいた。アップライト・ピアノが入らないくらい狭い部屋。歌って話す。

《曲目解説》 國士潤一

 サティの代名詞とも呼ぶべきこの名曲は、1900年にアンリ・パコリの詩に作曲されたシャンソン。シャンソン界で「スローワルツの女王」と呼ばれたポーレット・ダルティのレパートリーとして有名になった。

やさしく

 《曲目解説》 國士潤

  ヴァンサン・イスパの詩に作曲されたシャンソンで、大きな人気を獲得した。副題は「歌うワルツ」。文字通りやさしく歌われるワルツ風シャンソンである。

医者の家家で

 1900年前後の作曲で、ヴァンサン・イスパの詩による。当時、この曲も大ヒットした。

      ・・・・・休 憩・・・・・

3つの歌

 伊達男

 青銅の像

 帽子屋

《曲目解説》 國士潤一

 1916年5月16日、ファッション界の重鎮P.ポワレの姉の店で、ジャーヌ・パトリが創唱した。「伊達男」はM.God(エム・ゴッド)の詩。「ペル・エポックのミューズと呼ばれたミシャ・ゴデプスキの弟ツィパは「ムッシューゴッド」と呼ばれたが、その娘ミミ・ゴゴデプスカ(16歳)の詩がこれてであるツィパのサロンには、ラヴェル、ストラヴィンスキー、「6人組」やジイド、ボナールも常連客で、ラヴェルは、9歳のミミと6歳の弟ジャンに《マ・メール・ロア》を捧げている。

 「青銅の像」はレオン・ポール=ファルグの「潜水人形」の詩に作曲しているが、サティの愛読書であったルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」から主題を取っている。冒頭にはグノーのオペラ「ミレイユ」からの引用がある。

歌詞のない3つの歌曲

 本当は歌詞がついていたかも?歌詞がついているように聴こえる曲。

《曲目解説》 國士潤一

 いずれも題名の通りのヴォカリーズで、文学キャバレーで歌われるための作品。

3つの恋愛詩

 砂粒でしかないのならば

 生まれつきの禿

 あなたのアクセサリーは隠れている

《曲目解説》 國士潤一

 1914年11月に作曲されたこれらの歌曲は、あずれもサティの自作の詩が用いられている。サティの自画像的作品とも言われている。

潜水人形

 二十日鼠のアリア

 スプリーン

 アメリカの蛙

 詩人のアリア

 猫の歌

 コクトー、ピカソ、ディアギレフに関係する曲

《曲目解説》 國士潤

 サティの友人の詩人レオン・ポール=ファルグの詩に1923年5月に作曲された5曲からなる曲集。この奇妙な題名についてフォルグは、「潜水人形ね。人間てのは、いつだって動物で黴菌の中にだって入って行くんだ・・・・。それが、このタイトルさ」と語っている。サティの手帳には、5曲についてのコメントが書かれている。「二十日鼠のアリア」は滑稽に。「スプリーン」はメランコリックに。「アメリカの蛙」は幻想的に。「詩人のアリア」は軽やかに。「猫の家」は道化た調子で。

「番外

 番外として、サティ以外の曲が歌われた。

 ラヴェル:「ハバネラ」「聖女」

 プーランクの曲

 アスマ:「スポーツ」

《プロフィール》

ソプラノ&ナビゲーター:浜田理恵

 1987年東京藝術大学卒業、1990年同大学院修士課程修了。パリ留学。1991年パリ市立シャトレ劇場にてデュカ「アリアーネと青髭」でオペラ・デビュー、UFAM主催国際声楽コンクール第1位。1992年第19回パリ国際声楽コンクールオペラ部門第1位。バスチーユ・オペラでオネゲル「火刑台上のジャンヌ・ダルク」で聖母マリア、1994年ビゼーの「カルメン」のミカエラを歌う。

 以後フランスで「ラ・ボエーム」のミミ、「蝶々夫人」のタイトルロール、「ドン・ジョバンニ」のエルヴィラ、「ファウスト」「トゥーランドット」など多くのオペラに出演。1997年パリ市立シャトレ劇場にてフィリッピ・マヌレー「北緯60度線」(世界初演)出演。出光音楽賞受賞。・・・・・フランス在住。

ピアノ:三ツ石潤司

 東京藝術大学大学院博士課程単位取得。ビュイグ=ロジェ女史にコレペティツィオン、伴奏を学ぶ。ウイーン国立音楽大学に学び、1989年より講師、1995年より2008ン年まで声楽科専任講師。リート科のアシスタントも務めた。同時にウイーン、モンテカルロ、オペラコミック、シャトレ等の劇場で活動、国際オペラコンクールの公式伴奏、審査員も務めた。

 日本では2003年からローム主催の音楽セミナー(指揮者小澤征爾氏)で毎年講師を務めている。2008年10月より武蔵野音楽大学教授。コレペティートア・伴奏者・作曲家として幅広く活動している。

    

    

   

  

 

 

 

  

     

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2009年10月 2日 (金)

演奏会に行ってきました「クライネス・コンツェルトハウスOp.27 J.S.バッハ、M.ラヴェル、Z.コダーイほか(2009-28)

クライネス・コンツェルトハウスOp.27 ヴァイオリン三戸素子 チェロ小澤洋介 2009年7月17日(金)7pm東京文化会館小ホール JR上野駅徒歩5分・東京メトロ上野駅徒歩7~8分 東京文化会館友の会・プレゼント企画に当選したもの 私の席:G列26番(自由席)

《プログラム》

J.S.バッハ:フーガの技法より 3つのカノンBWV1080

E.シュルホフ:ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲

M.ラヴェル:ヴァイオリンとチェロのためのソナタ

西澤健一:ヴァイオリンとチェロのための組曲 作品38

Z.コダーイ:ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲 作品7

《印象 感想など》

J.S.バッハ:フーガの技法より 3つのカノンBWV1080

Ⅰ.反行の拡大カノン  Ⅱ.12度のカノン  Ⅲ.反行の拡大カノン

Ⅰ.艶のあるヴァイオリン。チェロ、中低音響く。途中でアンサンブル、ダウン。弾き直す。 Ⅱ.チェロから入る。次にヴァイオリン。テンポの良い演奏。刻みしっかり。  Ⅲ.ヴァイオリンから入り次にチェロ。心地よい二重奏。

《プログラムノート》 解説:三戸素子

J.S.バッハ:(1685~1759):フーガの技法より 3つのカノンBWV1080(1749年作曲)

 本日のプログラムは「二重奏の挑戦」。まずJ.S.バッハの「フーガの技法」より「究極の二声音楽」であるカノンを3つ演奏する。

 50歳を過ぎたバッハは、「フーガ」という作曲技法を、ここでとことん極めてみようと思ったに違いない。一つの主題をまず設定した彼は、アルト声部から始めるフーガ、次にバスからテノールから、そしてソプラノからはじめるフーガを書き、今度はそれを鏡のように反行させたもの、装飾したもの、修飾したもの、縮小を含むもの、2つの主題による二重フーガ、三重フーガ、二声で作ったカノン等々、まるで将棋の棋譜のように、実験音楽のように書き尽くしていった。

 音楽稼業じつに200年のバッハ家、その凝縮されたDNAの最高峰、J.S.バッハが極めつくした「フーガの技法」。その中から二声のためのカノンを3つとりあげる。その1曲目と3曲目は同じテーマを使い、違った形で織りあげたものである。この「フーガの技法」は演奏する楽器の指定がされていない。よってこの音楽のクロスワードパズルを、ヴァイオリンとチェロで演奏するのも一興と思う。

E.シュルホフ:ヴァイオリンとチェロのためのにじゅうそうきょく

Ⅰ.モデラート  Ⅱ.アレグロ ジョコーソ「ジプシーの女」  Ⅲ.アンダンティーノ  Ⅳ.

モデラート

Ⅰ.少し不安定な音楽。  Ⅱ.ヴァイオリンの超高音が奏される。  Ⅲ.チェロから入る。弦を弾く。  Ⅳ.ヴァイオリンから出る。チェロ、ピチカート。ヴァイオリンもピチカート。しんみりとした音楽。

E.シュルホフ(1894~1942):ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲(1926年作曲)

《プログラムノート》 解説:三戸素子

 シュルホフは第2次世界大戦時にナチの強制収容所で虐殺されたチェコの作曲家。戦後多くの消えたしまった東欧の芸術家の一人であるが、ここ20年で再発見され、再評価されている。

 プラハの音楽一家に生まれて、8歳の時「ピアノの神童」としてドヴォルザークに絶賛され、ウイーン、ケルン、ライプティヒで作曲を学び、数々の賞も受け、技巧派ピアニスト、またジャズピアニストとしても活躍した。その作風は20世紀前半という時代にだれも模索した、印象派、表現主義、ジャズ、新古典、社会主義リアリズム、民族主義の真っ直中で、自分の響き・個性をも打ち出している。

 この二重奏曲は4楽章構成。第1楽章は5度や下降半音階を使いながら、穏やかな第1テーマと緊迫した第2テーマが対比されている。第2楽章は「ツィンガレスカ」(ジプシーの女の意)と題されたピッツィカートが効果的な楽章。第3楽章は叙情的で民族的な香りのする緩徐楽章。第4楽章は第1楽章のテーマが回帰され、緊迫しコーダへ突入する。かっちりとした隙のない構成の、完成度の高い作品である。

M.ラヴェル:ヴァイオリンとチェロのためのソナタ

Ⅰ.アレグロ  Ⅱ.非常に速い  Ⅲ.遅く   Ⅳ.活気を持って速く

Ⅰ.フランス音楽ぽい匂い。  Ⅱ.ピチカートで勢いのある刻み。  Ⅲ.チェロ、低音のメロディー。ゆっくりとしたテーマ。  Ⅳ.ピチカート。ヴァイオリンとチェロとも刻む。

《プログラムノート》 三戸素子

ラヴェル:ヴァイオリンとチェロのためのソナタ(1922年作曲)

 洗練されたスタイル、刺激的な透明感のある美しい色彩、独特の緊迫感・・・・。ラヴェルの音楽の魅力は、私たちがあこがれる近代フランス・パリの感性と知性そのものである。

 この「ヴァイオリンとチェロのためのソナタ」は40代の彼が、次々と室内楽の傑作を生み出した時期に書かれた。彼は様々な実験を作品に試み、この曲は音楽の叙情的面を排除し、音という素材のみを洗い出して取り上げた作品である。その成果は、この二つの弦楽器から今まで想像もつかなかった響きの数々を生みだすということで顕れた。初演の際、従来の叙情的な音楽を期待する聴衆には理解できない斬新さをこの曲は持っていた。

 フラジオレットの重なりやピッツィカートの組み合わせ、倍音に倍音を重ね合わせる、それを様々なリズムで凝縮させたり引き延ばしたり・・・。弦楽器の音色というパレットはここで一挙に多彩に立体的になったのである

 4楽章制のソナタで、冒頭から流れ出す美しい浮遊感のある音楽は、もうこの新しい弦楽の世界を提示している。第2楽章は音がはじけあい、殆ど無国籍の音楽となる。第3楽章は静かで美しいテーマだが、スケール大きく起伏豊かに展開する。第4楽章は、民俗調のテーマを材料にぶつけ合い反復させ、ラヴェルお得意の緊張感でフィナーレとなる。

西澤健一:ヴァイオリンとチェロのための組曲 作品38

Ⅰ.序曲 アダージョ-アレグロ  Ⅱ.アリア アダージェット  Ⅲ.ガヴォット  Ⅳ.ブーレ

 Ⅰ.たっぷりとした響きのよい曲。アンサンブルがよく、曲にふさわしい演奏。聴きやすい、なじみやすい曲。  Ⅱ.素朴なメロディーがなかなか良い。  Ⅲ.リズミックでメロデジックな演奏。  Ⅳ.アンサンブルはよく馴染み、素敵な演奏。  Ⅴ.ジーグ

作曲者、ステージに登場。

《プログラムノート》 三戸素子

西澤健一(1978)ヴァイオリンとチェロのための組曲(2003年作曲)

 6年前、西澤25歳の時の小澤洋介・三戸素子の委嘱により書かれた作品。バロック期の組曲のスタイルを持ちながら、新しい和声や多様性の技術をふんだんに使用して、しかもその新しさが自然に機能する領域にまで達した作品である。

 コダーイやラヴェル等の近代ものの響きの中で、この西澤作品はなんとシンプルで清々しく響くことだろう。この作品の何が新しいのか、何のために今さらバロックのスタイルをとるかと思う方もおられるだろう。だがどの楽章をとっても美しく、構成も隙のないこのようなロマンティックなこの作品を書けと言われても書けるものではない。

 第1曲は雄大な序曲に引き続き、軽快な舞曲調のフーガ楽章。第2曲は美しく穏やかなアリア、第3曲は軽快なガヴォット、第4曲はブーレで中間部にミュゼットが付く。第5曲は華やかで大きな空間の広がりを持つジーグ。

《プロフィール》

ヴァイオリン:三戸素子

 桐朋学園大学卒業後、スイス・ヴィンタートゥール音楽院を経てザルツブルク・モーツァルテウム音楽大学卒業。篠崎功子、中山朋子、A.P.シュトゥッキ、H.ツェートマイヤー、塩川悠子の各氏に師事、N.ミルシュタイン、G.シュルツ、M.プレスラー、アマデウス弦楽四重奏団他のマスタークラスに参加。在学中に「ザルツブルク国際モーツアルト週間」」でソリストとしてデビュー以来、ヨーロッパ各地の音楽祭や音楽協会主催のリサイタルを行っている。・・・・・

 1992年より日本に本拠地を移し、室内楽シリーズ「クライネス・コンツェルトハウス」を主宰、・・・・桐朋学園「子供のための音楽教室」講師。毎日新聞主催全日本学生コンクール審査員。

チェロ:小澤洋介

 ザルツブルグ・モーツァルテウム音楽大学卒業。1985年より2年間トロント大学においてV.オルロフに師事。1989年より1992年までザルツブルグ室内オーケストラの主席チェリストを務めるかたわら、ソリスト及び室内楽奏者をとしてヨーロッパ各地で演奏。12年にわたる海外生活の後、1992年より日本に本拠地を移し、以来ソリスト、オーケストラとの共演や指揮、チェロ一本の独奏による「小澤洋介の世界」、また国際的に評価の高い「サンクト・フローリアン三重奏団」で1993年バンフ国際音楽祭招聘アーティスト、1996年NYカーネギーホール演奏会、1999年には350年の伝統を誇るスイス・ヴィンタートゥール音楽協会のコンサートに出演等、多彩に国際的に活躍。また室内楽シリーズ「クライネス・コンツェルトハウス」を1994年より主宰し、・・・・・10年来のベートーヴェンの「チェロ・ソナタ」の全曲演奏会を再び行い「これはひとりの演奏家が成し得た“快挙”といっていい」と評される。(音楽の友2007/8)

作曲:西澤健一

 1978年東京生まれ。15歳よりピアノを始め、同時に独力で作曲を始める。1996年国立音楽大学作曲科に入学。翌1997年中退。作曲を故溝上日出夫、川島素晴の両氏に師事。1998年第三回福井ハープ音楽賞コンクール作曲部門奨励賞。受賞作が全音楽出版社によって出版。1999年ピアノ・デュオ作品による第五回国際作曲コンクールB部門第一位、児玉賞受賞。同年第四回東京国際室内楽作曲コンクール第一位。現在までに作曲された約70曲の作品は、その殆どが演奏され、海外でも好評を得ている。

  

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2009年9月28日 (月)

演奏会に行ってきました「クァルテット・エクセルシオ ハイドン、ドヴォルザーク、チャイコフスキー、ベートーヴェン」(2009-27)

新日鉄音楽賞贈呈式・受賞記念コンサート「特別賞:金山茂人 フレッシュアーティスト賞:クァルテット・エクセルシオ ハイドン、ドヴォルザーク、チャイコフスキー、ベートーヴェン」(2009-27)(紀尾井ホール JR四谷・東京メトロ四谷駅 上智大学ソフィア通り徒歩7~8分) 紀尾井ホール特別会員、友の会会員招待演奏会

《新日鉄音楽賞》

 新日鉄音楽賞は、1990年(平成2年)新日本製鐵創立20周年と同社が提供してきた「新日鉄コンサート」放送35周年を記念して設けられた音楽賞です。この賞を通して日本の音楽文化の発展と将来を期待される音楽家の方々の一層の活躍を支援することを目的としています。

賞の概要

 フレッシュアーティスト賞(賞状・トロフィー・副賞 300万円)【1名】

 将来を期待される優れたアーティストを対象とした賞。技術のみならず、音楽性、将来性を重視し、広い範囲から選出、その年の最優秀者を決定し、賞を贈る。

特別賞(賞状・トロフィー・副賞 100万円)【1名】

 クラシック音楽をベースにした活動を行っている個人を対象とした賞。演奏家に限定せず、幅広いジャンルの中から、音楽文化の発展に大きな貢献を果たした方に対して賞を贈る。

選考委員

委員

 菅沼準二(東京藝大名誉教授)

 寺西基之(音楽評論家)

 富永壮彦(音楽ジャーナリスト)

 百瀬 喬(音楽評論家)

 池辺晋一郎(作曲家)

 中村紘子(ピアニスト)

顧問

 三善清達(音楽評論家)

 

特別賞 金山茂人(しげと)財団法人東京楽団理事・最高顧問

フレッシュアーティスト賞:クァルテット・エクセルシオ 第1ヴァイオリン:西野ゆか 第2ヴァイオリン:山田百子 ヴィオラ:吉田有紀子 チェロ:大友 肇

《受賞者の紹介》

特別賞 金山茂人:財団法人東京交響楽団理事・最高顧問

 30年にわたって東京交響楽団の楽団長をつとめ、同オーケストラの演奏、企画の充実、経済的基礎の安定に尽くした。その後、日本演奏連盟、日本オーケストラ連盟なども拠点に活動の幅を拡げている。音楽界全体を確かに見渡しての意欲的な発言と行動は、日本音楽界の将来を展望する活力の中心になっている。

 財団法人東京交響楽団理事・最高顧問、財団法人日本演奏連盟専務理事。

 1963年3月、国立音楽大学器楽科(ヴァイオリン専攻)卒業。

 1963年4月財団法人東京交響楽団にヴァイオリン奏者として入団。1967年から4月からはインスペクター・副代表補佐を兼務した。1976年4月には代表代行(統括責任者)に就任し、1977年4月代表に就任した。

 1964年から東京交響楽団は楽員の自主運営となっていたが、1980年9月、財団法人の再認可に伴って専務理事楽団長に就任、2005年2月楽団長を退任するまで足掛け30年に渡って東京交響楽団の発展に寄与した。楽団長退任とともに理事・最高顧問に就任し、現在に至る。

 東京交響楽団で培われた豊富な経験と日本の音楽界に対する鋭い洞察に基づく新しい発想を生かし、東京オーケストラ事業協同組合会長、社団法人日本オーケストラ連盟副理事長、芸術家会議常任幹事、日本アルバン・ベルク協会協会常務理事、日本・ロシア音楽家協会副会長、財団法人所沢市文化振興事業団アドヴァイザー、埼玉県鴻巣市ヴィルトオーゾアンサンブル楽団支配人、日本中国文化交流協会常任理事、富山県文化審議会委員としても、数多くの実績を重ねている。

 これまでに、平静16(2004)年度北日本新聞文化功労賞、平成18(2006)年度「渡邉暁雄音楽基金」特別賞を受賞。近著には「楽団長は短気ですけど、何か?」(2008年水曜社刊)がある。

第19回 新日鉄音楽賞 受賞記念コンサート

クァルテット・エクセルシオ

 第1ヴァイオリン:西野ゆか 第2ヴァイオリン:山田百子(ももこ) ヴィオラ:吉田有紀子 チェロ:大友 肇

《プログラム》

ハイドン:弦楽四重奏曲第77番 ハ長調 Op.76-3 Hob:77「皇帝」より第1楽章

ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第12番 ヘ長調 Op.96「アメリカ」より第1楽章

チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番 ニ長調 Op.11より 第2楽章「アンダンテ・カンタービレ」

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第9番 ハ長調 Op.59-3「ラズモフスキー第3番」

《プログラムノーツ》 真嶋雄大(音楽評論家)

クァルテット・エクセルシオについて

 新日鉄音楽賞フレッシュアーティスト賞は、将来を期待される優れたアーティストストを対象とした賞であり、技術のみならず、音楽性や将来性を俯瞰した選考方針が、内外に高く評価されている。事実、第1回受賞の諏訪内晶子を初め、そのすべての受賞者が現在に至るまで著しく充実した演奏活動を繰り広げている上、今後さらに深く成熟していくだろう期待感に満ち溢れている。

 そして今回、弦楽四重奏団として、いやアンサンブルとして初受賞したのがクァルテット・エクセルシオである。これまでの18回は、指揮者を含めて全員がソリストであったのに対し、ひとつの団体が受賞したことは極めて意義深い。そもそもアンサンブルの性格上、音楽祭などその機会のみの演奏会として取り組むケースが増大している昨今の音楽界で、常設の弦楽四重奏団を継続的に運営していくことの難しさは、既に歴史が証明している。それでもなお弦楽四重奏に魅せられ、そして古今の作曲家たちが渾身のエネルギーを注いだジャンルだからこそ、遙かに見通す境地があるのだろう。

 その常設という理想を最大限に生かした結果、クァルテット・エクセルシオの音楽的思想や方向性に於けるベクトルは鮮やかに統一され、堅牢たる造形と情纒綿たる詩情、そして壮大なダイナミズムが構築されていく。特に近年取り組んでいるベートーヴェン作品における深い洞察力と表現力は比類なく、このクァルテットの真摯な対峙は高く評価されてしかるべきである。

 今回の受賞コンサートでは、まさに王道と呼べる弦楽四重奏曲が演奏される。その傑作たちに対し、クァルテット・エクセルシオは計り知れない集中力と自然な流れを携え、純度の高い音楽的感興を創出するに違いない。

 フェルメール・クァルテットやアルバン・ベルク四重奏団など、創設40年を経て解散する弦楽四重奏団相次ぐ中、この若き精鋭たちは、世界に冠たる弦楽四重奏団に成長するに違いない。

《印象 感想 曲の解説など》

 ステージ横からヴァイオリンを弾きながらメンバーが登場。女性3人(空色の衣装)、男性はチェロのみ。黒の衣装。ボッケリーニの曲で帰営ラッパを奏する曲らしい。粋な登場の仕方。

ハイドン:弦楽四重奏曲第77番 ハ長調 Op.76-3

 とてもキレイな音色。溌剌としたアンサンブル。

《曲の解説》

 2度にわたるイギリス旅行からウイーンに帰ったハイドンは、エルディーディ伯爵の依頼による弦楽四重奏曲(第75番~第80番)を6曲書いた。イギリス滞在中に国歌が愛唱されているのに感銘を受けたハイドンは、故郷オーストリア国歌の制定を提案、実際に書き残した。その主題を第2楽章の変奏曲に使い、完成されたのがこの「第77番《皇帝》」である。この作品は当時ナポレオンに迫害されたウイーン市民に広く親しまれ、その旋律は現在のドイツ国歌となっている。

ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第12番 ヘ長調Op.96「アメリカ」より第1楽章

 有名なテーマ。ヴィオラ、溌剌とした若々しい演奏。とても良い。緊迫感のある緊密な演奏。

《曲の解説》

 ニューヨークでは国民音楽院を設立したサーバー夫人に招聘され、ドヴォルザークは1892年に渡米、その音楽院院長として3年間を過ごした。その時期は、作曲活動を著しく充実させた時期でもあり、「交響曲第9番《新世界より》」や、この「弦楽四重奏曲《アメリカ》」など数々の傑作が生み出された。

 この作品は、夏期休暇に招かれた学生の一家が演奏するために書き上げられたが、ボヘミアの民謡度材がふんだんに使われており、著しくノスタルジックな雰囲気が漂う。

チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番 ニ長調Op.11より第2楽章「アンダンテ・カンタービレ」

 うっとりとする有名なテーマ。よく歌う。

《曲の解説》

 チャイコフスキーの室内楽作品は決して多くない。この作品を含む弦楽四重奏曲(3曲)とピアノ三重奏曲、そして弦楽六重奏曲くらいである。

 チャイコフスキーは、恩師ニコライ・ルービンシュタインが創設したモスクワ音楽院で教鞭を執っていた。その恩師の勧めでで自作の演奏会を開催したが、思うように集客できず、会場を小ホールに変更、そのための室内楽作品を1871年、新たに作曲した。それがこの作品で、特に第2楽章は極めて美しく、後にトルストイが聴いて涙したという。

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第9番 ハ長調 Op.59-3「ラズモフスキー第3番」(全楽章)

 第1楽章 序奏:アンダンテ・コン・モート・ヴィヴァーチェ  第2楽章 アンダンテ・コン・モート・アレグロ・ヴィヴァーーチェ  第3楽章 メヌエット:グラツィオーソ  第4楽章 アレグロ・モルト

 第1楽章 緊迫した序奏、出だし。キレイなアンサンブル。テンポを上げて走る。爽やかな音色。  第2楽章 ゆったり入る。チェロのピチカート、ヴァイオリンの素敵なテーマ。静かに終わる。  第3楽章 リズミックナ楽章。  テンポを落として4楽章へ。  第4楽章 リズミックにテンポを上げて。ベートーヴェンらしさが横溢した快演。将来性を予感させる楽しみなクァルテット。

《曲の解説》

 ベートーヴェンは1799年頃、6曲からなる初の弦楽四重奏曲「Op.18」を完成させた。ベートーヴェンが初期の創作段階で、交響曲と弦楽四重奏曲の作曲について最後まで留保していたのは非常に興味深いが、続いて1806年には3曲の「Op.59」に着手した。この3曲は、当時ヴァイオリンの名手と歌われたイグナツ・シュバンツィヒの弦楽四重奏を聴いてベートーヴェンが啓発され、その弦楽四重奏団と専属契約を結んでいたアンドレアス・ラズモフスキー伯爵からの依頼で作曲されたと伝えられている。3曲ともに「ラズモフスキー」の愛称で呼ばれているが、特にこの「第3番」は壮大なスケールと規模を持ち、緻密な声部書法や和声変化に著しい特徴を持っている。

アンコール 山田耕筰:からたちの花

受賞記念トーク

 特別賞受賞者:金山茂人

     聞き手:河村陽子(NHKアナウンサー)

                  ラジオ深夜便などに出演

 受賞記念コンサートに先立ち、特別賞を受賞の金山茂人氏にこれまでのご経験や現在のクラッシク音楽界への思い出をお話しいただきます。

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2009年9月25日 (金)

演奏家に行ってきました「新交響楽団定期 デュカス:交響詩「魔法使いの弟子」、リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」(2009-26)

新交響楽団第206定期演奏会 指揮:山下一志 2009年7月5日(2:00pm開演 東京芸術劇場大ホール(JR池袋駅徒歩5分)  最近はどういうわけか「エロイカ」の演奏会が続きます。

《プログラム》

デュカス:交響詩『魔法使いの弟子』

リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」

ベートーヴェン:交響曲第3番 変ホ長調「英雄」

《印象 感想など》

 私の席:N列23番。満席。

デュカス:交響詩『魔法使いの弟子』

 遅れて、入り口直ぐの所で立ち見(ほとんど見えず)、立ち聞き。管楽器(ホルンなど)上手い。アンサンブルはなかなか良い。

《プログラムノート》 浦 美昭(ファゴット)

 デュカスは1865年にパリで生まれたフランスの作曲家であり、31歳の時に作曲したこの曲で一躍その名を高めた。この曲は、ドイツの文豪ゲーテが1797年に書いた同名のバラード(物語詩)のフランス語訳に基づいて作られている。ちなみに、ゲーテの詩は紀元二世紀シリアの風刺作家ルキアノスの「嘘つき、または懐疑者」にヒントを得て書かれたと言われている。どのような物語なのか、ゲーテの書いた物語にルキアノスの短編を織り交ぜて脚色してみた。

序奏

 今日は魔法使いの先生がお出かけで留守。静かな屋敷には僕ひとり。(ヴィオラとチェロのフラジオレットにのって弦楽器やこれに続く木管楽器が遅いテンポで静かな屋敷内の水や箒のテーマを奏でる。)僕は箒(ほyき)を手に取り、先生の真似ををして着物をきせてみた。(速いテンポで演奏される木管楽器による弟子のテーマ)このあいだ盗み見たあの魔法がうまくいけば、箒に買いものに生かせたり、料理を作らせることだって出来るんだ。これで仕事や家事が楽になりそう。でも先生、僕に魔法をたくさん教えてくれたのに、あの魔法だけは教えてくれなかった。何故だろう?(急にテンポが速くなり、弱音期をつけたトランペットの魔法使いのテーマは、まるで弟子が先生の真似をして呪文を唱えてているよう)さあ、例の呪文を唱えるのだ。この僕が奇蹟を起こして見せようではないか。渾身の力を振り絞り、僕は呪文を叫んだ。「モビリコーパス!箒よ動け!」(ハリーポッターに呪文だそうで・・・・失礼。ティンパニーの一打で突然フェルマータ休止、魔法が効いた?)

スケルツォ

 固唾を飲んで見つめる僕の前で、箒は二本足でむっくり起きあがったと思うと、よちよち歩き出したではではないか。(箒のテーマはファゴットによるこっけいなスケルツォ)ようし、今からは僕の言うとおりに動くのだ。「バケツを持って川から水を汲んでこい!」箒のやつ、川辺にすっ飛んでった。水を汲んだかと思うと電光石火で戻ってくる。そして水槽に水をざあっとぶちまけた。ほら、もう二度目だぞ。水槽も水がめも、あの水盤にもこの水盤にも水がなみなみと溢れている。目にも止まらぬ早わざで水はどんどん増えてくる。(箒のテーマ、水のテーマが繰り返し演奏される)どんなもんだい、僕の魔力は先生にまけないぞ。

 でも、もうそろそろやめてくれ!お前の働きは存分にわかったから!えい、しまった。もとの姿に帰す呪文を覚えてなかった。これじゃ部屋は水浸し。あいつめ、つぎつぎ新しい水を運んでくる。水がどんどん僕に襲いかかる。もうこれ以上はほっとけん。先生に見つかったら叱られる。斯くなる上は、この斧で箒を叩き割ってくれよう。「えいやーっ!」(短い休止)ほれ見ろ見事に命中、箒は真っ二つ。これで一安心・・・・と思ったら。割れた箒の一方がむくりと起きあがり、また水を汲み始めた。(ふたたびファゴットによる箒のテーマ)かとと思うともう一方も起きあがり、とうとう二人の召使いが出来上がってしまった。こいつらのまあよく働くこと「広間も階段も水浸し。なんともすさまじい大洪水!先生、大先生、どうかおろかな私を助けてください!(箒、弟子、水のテーマがますます入り乱れる)

コーダ

 (金管楽器のファンファーレにのせた)魔法使いの大先生のお出ましだ。そして最後に、師曰く『隅に退け、箒よ、箒!汝ら本来、箒なり。何故ならば汝らを霊として呼び出し、その目的に供しうるは、ただの練達の師あるのみなれば』

 日本の昔話の似た話を思い出した。道に迷った旅の老人を泊めた親切な若者は、お礼に老人から何でも希望のものが出せる石臼をもらう。若者は村人のみんなに石臼を使ってご馳走をふるまった。しかし、悪い村人に石臼を盗まれてしまう。悪い村人は、これさえあれば金持ちになれると船で海へ逃げる。途中でおむすびを食べようと石臼に塩を出させるも、止め方がわからず、あふれ出た塩の重みで臼は海の底に沈んでしまう。臼は塩を出し続け、そのために海の水は塩辛いというお話。

 また西洋では神の言いつけを守らず禁断のりんごを食べ、エデンの園を追放されたアダムとイブの話や、天まで届くバベルの塔を作ろうとしたため神の怒りを買い、異なる言語を話すようになった人々の話などがある。神様だけではなく、自然などに対しても畏敬の念を忘れ、それを真似しようとしたり、支配しようとする人間のおろかな行為に対し、大先生の言葉は、わたしたちが越えなくてはならないものの存在を教えてくれる。

 ドイツ人の知人にきいたところ、『魔法使いの弟子』の話はドイツの小学校の教科書に載るくらい誰でもが知っているそうだ。かわいらしくユーモラスで含蓄のあるこの物語を、デュカスは音楽によって見事に映像化している。

 ファゴット吹きからひとこと。箒の役を演じるファゴットは、楽器の見た目も箒の柄に似ている。重い水をふらつきながらも黙々と運ぶ姿をぜひご想像ください。また、斧で真っ二つにされたあとゾンビのようにムクムクと起きあがる様子は、コントラファゴットが不気味に演じます。

 初演:1989年、パリにて作曲者自身の指揮による。

リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」

 コンサートマスターは女性。コントラバス8人。コントラバスの低音、よく響き通る。

《プログラムノート》 山口裕之

 「英雄の生涯」「アルプス交響曲」あるいは「家庭交響曲」といったR.シュトラウスの交響詩を聴いたり演奏したりするときにいつも感じるのだが、作曲家がこういった標題音楽に対して与えている音楽の各部分の説明は、むしろ音楽にとって邪魔なものかもしれない。確かに、そういった説明を通じて作曲家が何を描こうとしているのか、そしてそれぞれの部分が何を表しているのか、明確に思い描くことができる。しかし、それによって逆に、我々は与えられた説明から生み出されたイメージとしてしか音楽を捉えられることができなくなってしまう。「英雄の生涯」のさまざまな主題は、もっと自由に、音楽そのものとして聴くとき、はるかに豊かなものとして受け取ることができるのではないだろうか。

 とはいえ、われわれにとって、作曲家が語る言葉が作品を理解するための重要な手助けとなるというのも間違いないことだ。「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」に関しても、R.シュトラウス自身、ある音楽学者の求めに応じて応じてこの曲の標題内容をかなり詳細に総譜に書き込んでおり、それによってわれわれはこの交響詩の表現する具体的情景を知ることができる。ここでもそのシュトラウス自身の言葉を紹介することにしたいが、その前に、そもそもティル・オイレンシュピーゲルとは何者なのか簡単にふれておく方がよいだろう。

 あそらく多くの日本人にとって、「ティル・オイレンシュピーゲル」という名前は、クラシック音楽が好きであれば、このR.シュトラウスの交響詩によって知られているか、さもなければほとんど馴染みのないものといえるだろう。しかし、ドイツ、オーストリアをはじめヨーロッパのいくつかの国では、ティル・オイレンシュピーゲルは、知らない人はまずいないほど有名なキャラクターである。ティル・オイレンシュピーゲルの物語は、16世紀初頭に書かれた「ティル・ウーレンシュピーゲルの退屈しのぎ話」(ブラウンシュバイクの徴税書記ヘルマン・ポーテの作と考えられている)によってヨーロッパ各地に広がっていった。

 主人公のティル・オイレンシュピーゲルは悪戯者の放浪人で、生まれたときから死んだ後まで、人々に悪戯を仕掛けて楽しませたり、激怒させたりし続けた道化タイプの人物である。実は、「原作」といえるポーテのテクストでは、手工業の親方や聖職者・王侯といった権力者をからかう愉快な話だけでなく、とてつもない糞尿譚(スカトロジー)がしつこいほど繰り返され、また弱者をいたぶる話も含まれている。しかし多くのドイツ人が思い描くティルのイメージは、おそらくこの16世紀初頭の民衆本に描かれたものというよりも、むしろ絵本など、子ども用に書き直されたものによって生み出されたものといってよい。ちょっと調べてみるだけで、ドイツ語圏、英語圏など、実に多くのティル・オイレンシュピーゲルの絵本が(アニメのDVDやビデオ、朗読CDも!)出版されているのがわかる。なかでもケストナーによる再話(1938年)は、ヴァルター・トリアーによる挿絵とともに、多くのドイツ人の「ティル」のイメージを作り上げてきたといえるだろう。

 1895年に作曲された「ティル」は、もちろんそういった現在のドイツ人のイメージとはある程度異なる文化的環境の中で生まれたものだが、楽しく反抗的なキャラクターという点では基本的に一致する。R.シュトラウス自身があとから総譜に書き込んだティルの物語は、まさに昔話の書き出しから始まる。「むかしむかしあるところに、いたずら者の道化がいました。」続いて、軽やかなホルンのソロによってティルが登場する。「名前はティル・オイレンシュピーゲル。」この旋律の(断片)は「ティルの主題」として、いろいろな姿をとって全曲に繰り返し現れることになる。ここから基本的に6/8拍子となるのだが、実はこのティルの主題は7/8拍子のようなリズムとなっており、ここにも世間的な枠組みからはみ出すティルの姿を見て取ることができる。

 「それはひどいいたずら(コボルト)だった。」オーケストラの強奏に次いで現れるひょうきんなクラリネットソロによる主題は、もうひとつのティルの動機としてやはり曲全体のいたるところにちりばめられている。この動機は、冒頭の「昔々」の旋律が形を変えたものである。

 そして、6/8拍子の軽やかなギャロップとともに、ティルは「新しい悪戯のために出発。-待ってろよ、この嘘っぱち野郎ども。」これから、ティルの悪戯の犠牲となる者たちに楽しく宣戦布告した後、ここからかなり具体的な4つのエピソードが音楽によって描かれてゆくことになる。

 一つ目の話は、女たちでにぎわう市場の中へと馬で突っ込み、市場を大混乱に陥れる悪戯である。「そらっ!馬で市場の女たちの真ん中へ。」しかしその大騒ぎはあっという間に終わり、ティルはその場から「七里靴ですたこら逃げ出す。」そして、「ネズミの巣穴へ隠れて」やりすごす。

 二つ目のエピソードは、「僧侶に化けてさもえらそうにお説教。」比較的穏やかなテンポのユーモラスな旋律である。「しかし、悪戯者の姿が足の親指からちらりとのぞいている。」(クラリネットのソロ)。そのように悪戯を楽しみながらも、ティルは「キリスト教を侮辱したかどで恐ろしい末路をたどることになるのではないかという思いに捉えられる。」。この箇所は、ミュートをしたトランペットとホルンによる不安げな旋律で表現されている。

 ヴァイオリン・ソロによる細かい下降音形に続く三つ目のエピソードでは、「騎士に姿を変えたティルが美しい娘たちとやさしく洗練されたあいさつの言葉をかわす」(オーボエによるやさしげなティルの動機)。ティルは「娘たちに求愛する」が(管楽器の上昇音形の繰り返しが感情の高まりを表現)、娘たちに体よく拒絶される。「やさしくても、肘鉄は肘鉄。」ティルは怒り狂い、「全人類に復讐することを誓う」(ホルンにユニゾンによる強奏)。

 しかし、すぐに気を取りなおしたかのように現れる。ふざけたティルの動機に導かれて、第四のエピソードのための「俗物学者のモティーフ」が現れる。これは、ファゴットに始まりさまざまな楽器がぶつぶつ言うかのように折り重なる主題である。ティルは「俗物学者にとてつもない難題をつきつけた後、目を白黒させている連中をほたらかしにする」ので、学者たちはしばらく喧喧諤々と混乱した議論を続ける羽目になる。ティルはそんな学者たちを尻目に、「遠くからしかめっ面」(ffによるふざけたティルの動機。最後は木管楽器のトリル、ホルンとトランペットによるストップ音)をしてみせる。

 余談だが、道化の「しかめっ面」(難しい顔をするしかめっ面ではなく、むしろ「あかんべー」のほうが近い)には独特の文化的伝統がある。自分を笑いものにすることで相手に取り入り、持ち上げながら、心を許した次の瞬間にその相手にしかめっ面をしてみ見せることで、その上下関係をあっという間に逆転して見せるのだ。(ヴィスコンティの映画「ベニスに死す」には、それが見事に凝縮されたシーンがある。)音楽では、ホルンの金属的なストップ音はこういった意味合いを持つことがある。

 そしてその場を後にすると軽やかで楽しい「ティルの鼻歌」とともに、ティルは何事もなかったかのように歩いてゆく。その後、ソナタ形式の再現部のように、冒頭と同じくホルンによるティルの主題が現れると、二つのティルの主題が気まぐれに、そして次第に混沌とした様相を帯びながら、ほとんど大騒ぎになるまで高まってゆく。と、突然、ティルのこれまでの悪戯に対する「裁判」の物々しい響きが鳴り響く。(小太鼓と金管楽器)。ティルはしかし、「どうでもいいことばかりに口笛を吹く」。だが、結局この裁きの手から逃れることはできない(ここで「恐ろしい末路」の予感を表していた旋律が再現する。)。ティルは処刑台の「はしごのうえへ!ティルの身体はだらんとなり、息はこと切れる。最後の衝撃-ティルのはかない命は終わった。」しかし、冒頭と同じく物語の語り手によるエピローグによって、処刑によって死んでもなお、ティルんのはちゃめちゃな物語は楽しく締めくくられることになる。

 実は、シュトラウスが標題的に描き出したこのティルの物語は、物語の筋そのものとしては、ヘルマン・ボーテの「原作」うちにそれに当たるエピソードをほとんど見出すことができない。俗物学者を煙に巻く話が多少素材的に重なるくらいだ。確かに度重なる悪戯のためにすんでのところで縛り首になりそうになった話はあるが、ティルの最期は処刑によるものではない。シュトラウスによるティルの物語は、作曲者のかなり自由なイメージによってつくりだされたものといえそうだ。

 しかしさらにいえば、われわれ自身、作曲者による標題的な言葉を念頭に置きつつも、もっと自由なイメージでこの音楽を捉えていいのではないか。R.シュトラウスは、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」を初演した指揮者フランツ・ヴュルナーが曲の内容についてあらかじめ訪ねたところ、次のように答えている。「ティル・オイレンシュピーゲル」に対する標題を与えることは私にはできません。言葉に表現してしまうと、私がそれぞれの箇所で考えたことは、とてつもなくおかしな印象を与えてしまうことになるでしょうし、いろいろと軋轢を生むことになると思います。今回は聴衆の皆さんにご自分で、この悪戯者の差し出す胡蝶の殻を割って[難題に取り組んで]いただくということにしませんか」ティル・オイレンシュピーゲルの標題的内容についてこのように答えておきながら、シュトラウスはさほど時間を置かずにして先に紹介したような「ティル」の標題について具体的に書き記しているわけだが、それでもなお、標題について語ることはできないというシュトラウスの言葉は、やはり力を持ち続けている。この演奏会でも、一方ではシュトラウスによって与えられた解説を楽しみにしながら、もう一方で、「聴衆の皆さんにご自分で、この悪戯者のの差し出す胡蝶の殻を割っていただくということでいかがだろうか。

初 演:18095年11月5日 フランツ・ヴェルナー指揮ケルン・ギュルツェニヒ管弦  楽団

ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」

《印象 感想など》

 第1楽章 コントラバスなどの低音弦の和音、よく通る。アンサンブルとても良い。引き締まった演奏。  第2楽章 重くならず、流れる。  第3楽章 快調に走る。  第4楽章 フルート軽やかな演奏。メロディックなテーマ、伸びやかにリズミックに。中低音、充実した音。金管楽器、充実した演奏。コーダに向かって大いに盛り上がる。ブラヴォー。

《プログラムノート》

音楽史上の革命性  土田恭四郎(チューバ) 

 「革命」「雄大」「壮快」「躍動」「飛躍」「雄弁」「荘厳」「大胆」「強靱」「入念」「緻密」「巧妙」「驚嘆」「高貴」「自由」・・・・・、まだまだ書き足りない。“エロイカ(英雄)”として広く親しまれているこの作品は、ベートーヴェン(1770~1827)が独自の音楽語法と作曲技法を確立し、交響曲という領域にてヴィーン古典派の表現を格段に広げ概念を変えた、音楽史上転換点を迎えた金字塔ともいえる傑作といえよう。

 1792年に生地ボンから、マクシミリアン・フランツ選帝候の命により、宮廷音楽家ベートーヴェンは研鑽のため再びウイーンに赴いた。その時、友人たちから門出をいわうための記念帳が贈られている。その中に重要な後援者であるヴァルトシュタイン伯爵から一文の最後「たゆまぬ努力によって、モーツァルトの魂をハイドンの手から受け取るのは、あなたです。」に表されるように、18世紀後半にハイドンとモーツァルトによって熟成されたヴィーン古典派の音楽様式を継承しつつ、自己の探求を積み重ねて個性を確立し新境地を切り開いたモニュメンタルな曲として、ベートーヴェンという巨大な宇宙の中でシリウスのような輝きのごとく、交響曲第3番「英雄」が出現した。

 ヴィーンの社交界にピアニストして活躍し、音楽愛好の貴族たちの注目を集めて名声を確立したベートーヴェンは、交響曲第1番や6曲からなる弦楽四重奏曲のセットを完成、作曲家としての不動の地位を構築していた。この時代、音楽家としての致命的な難聴と耳鳴りの苦悩の中で、死後、遺品の中から発見された「ハイリゲンシュタットの遺書」が書かれていることはよく知られている。耳疾からの絶望というよりはその克服を表現したものとして、すなわち、芸術は危機を乗り越える手段として、爆発的な創造力により、次々と作品が生み出されていく、世にいう中期の「傑作の森」時代に邁進していく。交響曲第5番「運命」や第6番「田園」、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」に代表される数多くの作品の出発点のひとつとして、けたはずれな作品として、交響曲第3番「英雄」はベートーヴェンの生涯の中でも重要な位置にあるといえよう。この作品が生み出された当時の肖像画を見ると、後世のイメージとはだいぶ異なる最先端のファッションに身をつつみ、みだしなみのよい上品な姿にて、まるで「英雄」を意識しているかのような独特の輝きが感じられる。

 その後、耳疾で社交界から遠ざかり、スランプとロマン主義への接近、孤高様式の完成(交響曲第9番や5曲の弦楽四重奏曲に代表される晩年の大作群)へと向かっていくが、創作課程が複雑で作曲の課程で常に発展し、また生存していたときから神格化されて特別な崇敬によるさまざまな評伝が錯綜し、「楽聖」としてその後の芸術家たちに影響を与えてきたことは、ベートーヴェンに関する研究の広さと複雑さにつながっている。この部分に関しては新交響楽団第183回演奏会でのプログラムに掲載されて「答えはひとつではない。」を参照していただきたい。

(新響ホームページから「過去の演奏会」を選択し第183回演奏会の詳細にあり)

http://www.shinnkyo.com/conncerts/p183-1.html

 ■様式=交響曲第3番の解説

 この作品が生まれた時代のヨーロッパ社会は、フランス革命後の変動による価値観の変化、ナポレオン・ボナパルトの出現、神聖ローマ帝国の消滅、といった激動の中にあった。文学と哲学の探究、政治的展開への関心を持って、職人としてではなく自立した音楽家として、ベートーヴェンは、あらゆる社会的な境界を越えて自己を確立すべく活躍した。

前項で述べた彼に関する研究の広さと複雑さとして、この作品には数多くの逸話や伝説が存在している。ナポレオンに対する複雑な感情(例えばナポレオンへの尊敬と関心、皇帝の座についたことでの激怒による献呈の破棄といった逸話、“ボナパルト”という標題へのこだわりと“シンフォニア・エロイカ-ある偉大な人物への思い出を記念して”としてロプコヴィッツ候へに献呈された経緯)、当時のベートーヴェンによる一連の「プロメテウス」音楽との関連性、「英雄」の本質的意味等、ここでは詳細な解説はあえて省き、ベートーヴェンの作品に共通した要素を列挙してみよう。

「長さと編成」

 当時の交響曲というスタイルからかけ離れた50分近い長さであること。今まで同じパートとして譜面に書かれていたチェロとコントラバスが分離されていること。ホルンが3本という特殊な編成であること。以前の交響曲と比較してほとんど二倍の規模として意図された長さにより効果と意欲的な楽器法は、より充実した響きを表現し、音楽表現の拡大と創造力の進化につながっていく。

モティーフ」

 メロディーとしては、三和音を基礎とした単純明快なモティーフで、しかもそれを多相的に発展させ、自己完結した旋律ではなく常に反復や変容を持って造形されている。そして、重要なのはメロディーだけでなくリズムパターンを加えて、多相的変化の手法による内的な統一感を生み出している。これは第1楽章に顕著な要素であり、リズムとして一定の拍子に変化を与えスピード感をつけるシンコペーションを用いて、小節をまたいで本来の拍のとり方を変化させる強拍をずらして独特のリズムを生み出している効果としてのミオラ(?)を誘発しリズムを今まで従属的地位から引き上げている。調性や和音とメロディーだけでなく、強拍記号を多彩に使用してダイナミックな表現を創出している。

「調性と和音」

 変ホ長調は「英雄的」な性格を持つことで後世に影響を与えている。例えばR.ワグナー「ニーベルングの指輪」に登場する英雄ジークフリートの動機とか、R.シュトラウス「英雄の生涯」も同じ調で表現されている。和声としては大胆且つ効果的に不協和音を使用し、増六和声や減七和音をたびたび登場させて緊迫感と劇的な表現を生み出している。先述のリズムパターンと同様、この作品以外にも見られるベートーヴェン作品の重要な特長といえよう。

構成」

第1楽章

 音楽用語として“アレグロ・コン・ブリオ”といえば“エロイカ!”と出てくるほど有名な標記。4部分からなるソナタ形式だが巨大な展開部とコーダが特長。最初にチェロで登場する「英雄」のテーマは、その後の他のテーマとも関連性を持っており重要。展開部の後半オーボエによる哀愁を帯びたメロディーが秀逸。再現部の直前、ヴァイオリンが属和音で二度音程を奏しているところで突然ホルンにテーマを吹かせ、ロプコヴィッツ侯爵邸での試演のときにホルンが拍を取り違えたかと弟子のフェルディナンド・リースが思ったという有名な箇所がある。当時の和声上の反則で記譜上の誤りと考えられていたが、この劇的な仕掛けは作曲者が意図していたものである。

第2楽章

 「葬送行進曲」という名称を与えたのは初めてのこと。三部形式を複合的に変化させたものといえよう。葬送の主題とともに小太鼓の音形が登場する。トリオに相当する部分はハ長調となり英雄の偉大さを賛美、この後のヘ短調による二重フガートが苦悩を表現しているようでドラマ性に富んでいる。最後はため息のような嘆きと、遠くに去るように終結する。

第3楽章

 本格的な“スケルツォ”。複合三部形式にてスピ-ド感あふれ、トリオに三本のホルンによるアンサンブルが効果的。出版社であるブライトコプフ&ヘルテル宛の手紙の中にも、わざわざ「三本のオブリガート(独奏)ホルン」と書かれており、まさしくその真価が発揮されている。

第4楽章

 変奏曲だが、先例を破る規模の大きさがある。ベートーヴェンが同時期に作曲したバレエ音楽「プロメテウスの創造物」に代表されるメロディー主題とバス主題が対置されており、特にバス主題が前面にでている。これら2つの主題は巧に組み合わされて大きな流れを構築している。

“B to C”から“B to B”へ

 バッハは「バッハ」(小川)ではなくて「メーア」(大海)という名であるべきであった、という言葉はバッハの音楽の果てしない広大さと深さをたとえたものとして、ベートーヴェンの有名なしゃれといわれている。ベートーヴェンは、若きころボンにて、クリスチャン・ゴットロープ・ネーフェよりバッハの平均率クラヴィーア曲集を通して学び、当時の和声や音楽構成に対する理論的秩序に関する問題を通して音楽理論を認識した。ベートーヴェンは終生バッハの作品に親しんでいたという。

 長年チューバを演奏している筆者にとって、チューバはベートーヴェンの死後に開発された新しい楽器とはいえ、バッハ(Bach)から現代(Contemporary)へというチューバの持つレパートリーの広さと演奏表現の可能性としての概念を認識しているが、時代を超越した精神世界の奥深くへいざなう音楽の流れとして、バッハ(Bach)からベートーヴェン(Beethoven)という大きな概念を感じている。「英雄」をはじめとするベートーヴェンの音楽は、バッハという大海の流れのうえで、後世のあらゆる作曲家の作品と生き様に多大な影響を与え続けている。ベートーヴェンの作品から受けたプレッシャーの大きさと、その意義を継承する責任も含めて、特に表現様式として交響曲を選択したブラームスやブルックナーはもちろんのこと、伝統的なソナタ形式による作品ではベートーヴェンを凌駕することが困難であるといった感覚が存在していたのは確かであり、ベートーヴェンの確信に満ちた先駆性が改めて感じられる。

初  演:1804年5月末、ウイーンのロブコヴィッツ候邸にて作曲者自身の指揮により試演。1805年4月7日、ヴィーンのアン・デ・ヴィーン劇場にて作曲者自身の指揮により公開初演。

日本初演:1909年11月28日東京音楽学校にて第1楽章のみ。A.ユンケル指揮。1920年12月4日東京音楽学校にて全曲。G.クローン指揮。

楽器構成:フルート2,オーボエ2,クラリネット2,ファゴット2,ホルン3,トランペット2,ティンパニー、弦五部

《プロフィール》

指揮:山下一史

 1984年桐朋学園大学を卒業、ベルリン芸術大学に留学、1986年デンマークで開かれたニコライ・マルコ国際指揮者コンクールで優勝。

 1985年12月からカラヤンの亡くなるまで彼のアシスタントを務め、以後、デンマーク放送交響楽団、ライナス交響楽団、ソンダイルランド交響楽団などを指揮、着実にヨーロッパでの実績を重ね、1993年から1998年までヘルシンボリ交響楽団(スエーデン)の主席客演指揮者を務めた。1998,1999年と連続して、スエーデンの名門、マルメ交響楽団の定期公演、1999年3月にはオークランド交響楽団(ニュージーランド)の定期公演に出演した。

 日本国内では1988年NHK交響楽団を指揮してデビューを飾り、以後国内の主要オーケストラに定期的に出演し、好評を得ている。オーケストラ・アンサンブル金沢のプリンシパル・ゲスト・コンダクター(1991年から1993年)、九州交響楽団の常任指揮者(1996年~199年)を歴任。大阪音大ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団常任指揮者(1902年~1908年)を務め、2005年秋には、新国立劇場より松村禎三《沈黙》公演が招待され、東京の音楽界にも衝撃を与えた。2008年4月より同団名誉指揮者就任。

 2006年4月からは仙台フィルハーモニー管弦楽団より指揮者として迎えられ、R.シュトラウス「英雄の生涯」、リムスキー=コルサコフ「シェラザード」などのCD制作を行うなど積極的な活動を展開、2009年4月からは同団の正指揮者に。・・・・・

新交響楽団

 1956年創立。会社員、教員、学生、主婦、など、さまざまな職業、年齢にわたる団員で運営されているアマチュアオーケストラである。東京を拠点として年4回の自主演奏会を中心に演奏活動を行い、演奏曲目への深い共感に根ざした、ハートのある演奏を展開している。

 創立以来、音楽監督・故芥川也寸司の指揮のもと、旧ソ連演奏旅行、ストラヴィンスキー・バレエ三部作一挙上演、10年に及ぶ日本の交響作品展(1976年サントリー音楽賞受賞)、ショスターコヴィチ交響曲第4番日本初演などの意欲的な活動を行ったきた。またマーラーの交響曲全曲シリーズ(山田一雄指揮)、細川俊夫委嘱作品「ヒロシマレクイエム」初演、現代の交響作品展`91,`92,および1993年9月ベルリン芸術週間への招待演奏(石井真木指揮)、映画誕生100年演奏(小松一彦指揮)・・・・・オーケストラとしての可能性を最大限に生かした積極的かつ幅広い活動を実施しており、各方面から注目を集めている。・・・・・

《レコードやCDのことなど》

デュカス:交響詩『魔法使いの弟子』

 レコードやCDは自分の気に入ったものを聴いていればいいわけですが、「魔法使いの弟子」はデュトワ指揮モントリオール交響楽団のCDがありました。(ということはあまり聴いた記憶はありません)。

リヒアルト・シュトラウス:交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』

 カラヤン:指揮ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団のLPレコードを聴きました。たぶんカラヤンの初期の録音で、後の、何でも滑らかに演奏するカラヤンくさい演奏ではありません。ある人がカラヤンの演奏を評して、何でも歌謡曲にしてしまうと言った方がいました。(カラヤンファンの方にはすみません。)でもこれは考えたら、カラヤンの演奏を最も的を射た評かもしれません。複製芸術のリーダーとして、「ナマだけがホンモノだという」「ライブ信仰」(私もややその傾向ががありますが-しかしやはりホールが鳴るという感覚は堪ない」)。

 「コンサートは死んだ」と言って、聴衆の前での演奏を拒否したのはグレン・グールドでした。おかげで我々は、今多くの彼の演奏をレコードやCDで聴くことができます。

ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄

 前回よく聞くレコードやCDは紹介しましたのでたので今回はそれ以外

 ベートーヴェン交響曲全曲録音から2枚。1枚はアーノンクール指揮ヨーロッパ室内管弦楽団。

 もう1枚はヘルベルト・ケーゲル指揮ドレスデン管弦楽団のCD。ヘルベルト・ケーゲルは、許光俊著「世界最高のクラシック」(光文社新書)(2005年3月5日 6刷発行) によると「1902年にドイツのドレスデンで生まれた。以後、旧東ドイツで活躍し、時にライプティヒ放送交響楽団、ドレスデン・フィルを率いてよい仕事をした。

 この指揮者は1990年の自殺を機に発見された指揮者である。N響などにも客演していたから、日本でもまったく無名ではなかったのだが、認知度はきわめて低かった。またショスタコヴィッチ、マーラー、シベリウスなど少なからぬCDも発売されていたのに、ほとんど黙殺されていた。東ドイツ=地味で古くさいというイメージがこびりついていたのである。

 だが現在ケーゲルのCDは続々と発売され、虚心に耳を傾けた人たちは、彼の音楽のユニークさと強烈さにすっかりと圧倒されてしまった。目下、世界中で日本ほどケーゲルの音楽が認知され、喜ばれている国は他に存在しない。

 ケーゲルの音楽は社会主義国においてのみ実現可能だったと言っておそらく間違いはないだろう。手間暇かけてオーケストラや合唱を鍛え上げることは、予算の厳しい制約を受ける環境では不可能なのだ。今後、ムラヴィンスキーやチェリビダッケ、ケーゲルのようなオーケストラを鍛えに鍛えた演奏は、音楽を取り巻く状況が変化してしまったがために、二度と不可能なのかも知れない。・・・・・

 あと現在あるメーカーから着々と発売準備が進められているベートーヴェン交響曲第5番、第6番「田園」(ドレスデン・フィル)について触れておく。これは日本ライヴであり、生演奏やFM放送を聴いた人たちの間では伝説として語られていた超強力な演奏なのである。それがついにCD化されることになった。(今はアプリコットから全曲盤=輸入盤が出ている)1989年年という演奏時期を見れば一目瞭然、これは東ドイツの崩壊前後に行われた演奏である。おそらく、ケーゲルの中には新しい時代に対する期待と不安が渦巻いていたことだろう。それが、躁鬱とも言える異常な表現を生み出した一因と推測される。ベートーヴェンの第5番についてはフルトヴェングラーが1947年第二次世界大戦後の最初の復帰演奏会で指揮したきわめて特異であると既に述べた。ケーゲルの第5番は間違いなくそれと並ぶ一回性の切羽詰まった迫力を持った演奏である。陰鬱なところはとてつもなく陰鬱であり、希望に満ちたところは底抜けに開放的だ。その極端な振幅にはたまげる。突然のテンポの動きも、尋常ではない。・・・・・

 いずれにせよ、ケーゲルの音楽には、ひとりの人間の存在がかかっていることがよくわかる。でも、そんな音楽を奏でてしまうことがはたして幸福なのかどうか。私(筆者)には判断つきかねる。

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2009年9月19日 (土)

演奏会に行ってきました「東京大学フォイヤーベルク管弦楽団 ロッシーニ:歌劇「セビリヤの理髪師」序曲、モーツァルト:クラリネット協奏曲、ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」(2009-25)

東京大学フォイヤーベルク管弦楽団第21回定期演奏会 2009年6月28日(日)14:00開演 文京シビックセンター大ホール(都営大江戸線春日駅徒歩10分)

《プログラム》

ロッシーニ:歌劇「セビリアの理髪師」序曲

モーツァルト:クラリネット協奏曲

ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」

《印象 感想など》

 この演奏会は基本的に無料。カンパ方式。いつも地下通路から長い列が並ぶ。聴衆は上手いオケということを知っている。私は賛助会員。3,000円で良い席を確保してくれる。並ばなくとも、指定席に座れる。また演奏会のCDを、次回公演の案内とともに送ってくれる。賛助会員に値する演奏を、いつもしてくれる。私の席は、21列31番。1階のど真ん中。団員名簿を見ると、仙台の私の出た大学の後輩が、ヴァイオリンに見える。

ロッシーニロッシーニ:歌劇「セビリアの理髪師」序曲

 女性は、いつも通りに自由でカラフルな素敵な衣装。コンサートマスターは女性。私の知っているトレーナーは、ステージには見あたらない。学生だけのメンバーかな。

 軽いテンポで、プロに負けない、キビキビとした見事で快調なアンサンブル。素敵な音楽が響く。

《曲目紹介》 高木 奏(団員名簿からするとヴァイオリン奏者)

 オペラの序曲というと、皆さんはどんなものを連想されるでしょうか。例えば、何が始まるんだろうというドキドキわくわくする曲であるとか、オペラの開幕を華やかに飾る曲であるとか・・・・・中にはオペラの聴きどころを集めたものというイメージをお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんね。

 今回演奏する「セビリアの理髪師」の序曲は、大半の皆さんのイメージを裏切らないような曲だと思います。「パッパーン!」と華やかに始まり、おしゃれで優雅なメロディーがあったかと思えば、スピード感のあるわくわくするメロディーがあったり・・・・・と、場面はどんどん展開していき、最後は「ロッシーニ・クレッシェンド」という固有名詞が出来てしまうほどの盛り上がりで締めくくられます。

 では、オペラの聴きどころという視点で見てみるとどうなのでしょうか。とりあえず「セビリアの理髪師」のオペラをザッと聴いてみても、同じようなメロディーはどこにも見あたりません。ここで、この序曲はオペラ全体のイメージを曲にしたのかな、と考えてしまった私は少し甘かったようです。

 中にはご存知の方もいらっしゃるかも知れませんが、ロッシーニ(1792~1868)といえば、ベートーヴェンやシューマンなどの不遇の生涯をたどる作曲家が多い中、ハンサムな顔立ちに作曲でも大成功をおさめ、作曲を止めた後も美食三昧に明け暮れた幸せ者。そんな彼の代表作となるこの曲ですが、結論から言ってしまえば「《パルミーラのアウレリアーノ》ために作られ、ついで《イギリス女王エリザベッタ》にも使用された序曲」、つまり丸ごと再々利用された序曲だとか。そもそもこのオペラ自体3週間で書かれただけのことはあり、自身のオペラの転用が多々見られるようです。確かに当時は今のような著作権意識はなく、自分の音楽の転用はおろか他人の音楽の転用をする人までいたようで。そう考えるとこれぐらい普通のことだったのでしょうか。ただロッシーニ自身、新しくできた著作権という制度のおかげで大富豪になりあがった、というのがまたおかしい話ですが。

 こんな背景を聞いてしまうとイメージダウンも甚だしいところですが、心配はご無用です。そこは「ナポレオンは死んだが、別の男が現れた。」と絶賛されるだけの才能の持ち主。いくら切り貼りされていようと転用されていようと、すばらし一つの筋の通ったオペラに仕上がっています。本日は彼の世界を、どうぞお楽しみくださ。

モーツァルト:クラリネット協奏曲  太斎 彗(メンバーの名簿によるとクラリネット奏者)

《印象 感想など》

 第1楽章 コンサートマスター、男性に替わる。メンバーは少なくなる。誰でも知っている出だし。クラリネット、伴奏とも透明な音楽が流れる。クラリネットは清澄な響き、音色。伴奏もしっかりと付いてくる。  第2楽章 クラリネット、柔らかい響き。とても上手いクラリネット。弱音が絶妙。天国的音楽。  第3楽章 音楽が絶妙に転がる。クラリネットはよく響く。清澄で典雅なモーツァルトの音楽。

《曲目紹介》 太斎 彗(団員名簿によるとクラリネット奏者)

 ベートーヴェンをどう思うかという質問に対し、ロッシーニは「彼は最も偉大な音楽家」だと答えました。

 それではモーツァルト(1756~1791)はどう思うかと重ねて聞くと、「彼こそ唯一の音楽家だと。」と答えたそうです。

 これは一体どういう意味なんでしょう?ベートーヴェンを偉大な音楽家としておきながら、モーツァルト以外に音楽家はおないというのは言うのは、矛盾していると思いませんか?「音楽はどんな恐るべきことを語るにしても、決して耳をそこなわず、耳を満足させる、どこでも音楽でなければなりません。」

 このモーツァルトの言葉にヒントが隠されています。

 音楽は何を表そうと、耳を喜ばせる音楽としてとどまらなくてはならない。ここには音楽は、音楽以外の何かに役立てるためでも、音楽以外の何かを表現するためでもなく、どこまでいっても音楽であること以外に出ないという信条が語られているのです。ただ美しくなければならない、という内なる法則にのっとるのが音楽。これと対称に「真実を言うためには、冒してはならない美の法則など一つもない」「音楽は、哲学より高い人間の知恵を伝える芸術だ」とし、音楽は人間の精神の真実を強烈に告知するもだと考えたベートーヴェンとは、音楽の意味が異なってくるわけです。

 純粋に「音楽そのもの」へと向かおうとしたモーツァルトの音楽は、国家、宗教、思想などといった枠組みから解放された普遍性を獲得します。その純粋さが、モーツァルトは他の音楽家とは比較することができない「唯一の音楽家」であるという、大作曲科ロッシーニにさえ言わしめたのでしょう。

 死の二か月前に書かれた「クラリネット協奏曲」は、そんなモーツァルトの音楽の純粋さを充分に味わわせてくれる曲です。晩年、妻に宛てた手紙の中でモーツァルトは「ぼくの感じは、とても説明しようがない。何というか、からっぽなのです。何かへの憧れはあるのだけれど、けっして満足させられることはなく、したがって、やむときもない」と語っています。こうして名づけようのない空虚な心から、無心でどこまでも澄み切った音楽が生まれました。優しい表情を湛えたアレグロ第一楽章。第二楽章では向かう先もわからないまま心地よく穏やかに流れていくアダージョ。あまりにも平静でシンプルなために、かえって深いかなしみを呼び起こします。フィナーレは軽やかなロンド主題から始まり、自由な遊びに満ちていながら、時おり憂愁の影が差すものとなっています。穏やかな明るさ、そして暗さをあわせもつクラリネットという楽器は、そんな晩年のモーツァルトの心情と音楽に寄り添うようです。

 死を前にしたモーツァルトの透徹した境地が生み出したこの曲の響きは、洗練されつくし、かぎりなく透き通っています。それは音楽が音楽そのもであろうとするがための透明さなのです。

ベートーヴェン:交響曲第3番 変ホ長調「英雄」

《印象 感想など》

 第1楽章 コントラバス7人。コンサートマスターは男性のまま。「ジャン、ジャン」という有名な出だし、キビキビとしした音楽がリズムにのって快調に走る。アンサンブルが実に良い。最高のアマオケの一つ。よく音楽が流れる。低音弦のピチカートが小気味良い。若々しいエロイカ。  第2楽章 葬送行進曲。リズムがよく、重すぎず、よく流れる。重低音が響く。  第3楽章 スケルツォ。テンポよく入る。刻むように、快調に飛ばす。トリオのホルン、素敵に響く。  第4楽章 変奏曲。よく流れ、歌う。有名なテーマ、ドンドン走る。キビキビと進む。コーダへと向かい、大きく盛り上がる。終曲は慌てず盛り上がる。快演、ブラヴォー。

アンコール ブラームス:ハンガリアンダンス7番

《曲目紹介》  長久 由佳(団員名簿によるとヴァイオリン奏者)

 「英雄」という言葉にどんなイメージをお持ちでしょうか?軍勢を率いる白馬の騎士、チームを勝利へ導くピッチャー、いじめられっ子を助ける正義の味方。人それぞれのイメージがあると思います。ベートーヴェン(1770~1827)はこの交響曲を描いたのはどのような英雄像なのでしょう。曲の成立までの経緯とともに、ご紹介したいと思います。

 ベートーヴェンの生涯には絶えず困難が付きまといました。貧困、病苦、不幸な恋、楽団の無理解や同僚の嫉妬など挙げればきりがないほど程の労苦を背負っていたのです。特に、音楽家にとって最も致命的な耳の病に冒されたことは彼を悩ませ続け、絶望させ、あわや自殺というところまで追い込まれます。こうしてベートーヴェンは『ハイリゲンシュタットの遺書』を草するに至りました。「このまま耳が聞こえなくなって、ピアノと作曲を取り上げられたら、もう何も残らない。私の人生は終わりだ。」

 常人では耐えられないほどの過酷な試練だと言えるでしょう。それでも彼が持ちこたえられたのは、頭の中から音楽が沸々と湧き出て鳴り止まなかったからだと思います。音楽によって人生の問題と向き合い、解決の道を示し、価値を生み出さなければならないという強い使命感、熱情が彼に自殺を思いとどまらせたのです。

 呪うべき運命に打ち勝ったベートーヴェンは、力強く復活を遂げ次々に傑作を生み出します。その皮切りとなったのが交響曲第3番「英雄」なのです。それまでの柔らかく調和の取れた作品とは大きく異なり、意志によって運命と立ち向かう決然とした人間像が作品となっています。運命のへの挑戦、征服を表した交響曲第5番「運命」などへと続く流れの原点です。

 先のモーツァルトの紹介文にもある通り、ベートーヴェンにとっての音楽とは人間精神の真実を伝えるものでした。

 この曲に表れているのは、ベートーヴェンにとっての理想の人間像としての「英雄」です。作曲にあたり着想の元となったのはナポレオンの存在であったと言われています。フランス革命後の混乱から国を立て直した執政としてのナポレオンの共和的・民主的な精神は、ベートーヴェンが書で親しんだ古代ローマ・ギリシャの英雄に並び、彼の理想を具現化する存在だと思われたのです。もっともナポレオンが皇帝につくことで、その思いは裏切られてしまうわけですが。

 ベートーヴェンは、彼の理想とする英雄像を世に響かせようとしました。空想の産物に終わらせることなく現実に音楽として表すことで、現実を理想の高みに近づけることが彼にとって重要だったのです。

 このように書いてしまうと、あまりに高尚な理念で、共感できそうにない気がしてしうかもしれません。しかし、この曲には葛藤や身を切るような哀しみ、それを乗り越えた後に待ち受ける喜びといった人間的な表情が生き生きと感じられます。理想を謳いながらも、それが遙か遠くに感じられるのではなく、むしろ私たちの身に迫って感じられるには、ベートーヴェンが苦しみを知り抜いた人間であり、そうした人としての苦しみから目を背けずにどこまでも向き合った人間だからなのでしょう。

 曲の構成も従来の約束事にとらわれない画期的なものとなっています。ベートーヴェンはこの曲で交響曲の単なる形式的変化を目指したのではありません。存分に英雄の精神を伝えようとした結果としての変革なのです。

 第1楽章の展開部、終結部は異例なほどに長大であり、提示部では七つもの動機が流れるように織り込まれ、変化に富んでいます。勇壮で高貴な英雄の姿・精神が、様々な角度から映されているようです。葛藤や危機を孕みながら曲は進行し、勝利の行進で幕を閉じます。第2楽章に葬送行進曲、第3楽章にスケルツォ、第4楽章に変奏曲という配置はそれまでの交響曲という常識からかけ離れたものでした。

 特に葬送行進曲に関しては、実在の将軍の死を悼むものであると言われていますが、英雄につきまとう悲劇の象徴なのではないか、はたまたベートーヴェン自身の過去の苦しみからの決別なのではないか、それが配置された意味を考えさせられてしまいます。英雄の葬送にふさわしく、荘厳で重々しいメロディーが進行します。感情を押し殺すような歩む葬列の足取りは重い。明るい光が差し込んだかと思えば、心を砕くような哀しみが襲う。それでも粛々と葬列は歩む。やがて静かに足を止める。

 私はやはり、第2楽章の抑えきれない哀しみにベートーヴェンの味わった苦難を感じてしまいます。さらに言えば、絶望を乗り越えたベートーヴェンの姿と、この曲全体から感じられる英雄の姿を重ね合わせてしまうのです。この楽章が、第3楽章の気晴らしのような明るさ、楽しみさをより際立たせます。第4楽章の緊迫感の高まり、突如訪れる平穏、フィナーレの気分の高ぶりよりも、より深みを増すのです。

 それでは皆様、困難に立ち向かう英雄の生き様に思いを馳せつつ、どうぞお楽しみ下さい。

《プロフィール》

指揮者:小山貴之

 指揮者兼ヴィオラ奏者。現在、読売交響楽団ヴィオラ奏者。京都市立芸術大学卒業。ヴァイオリンを岩淵龍太郎、岸辺百々雄、辻井淳、(故)阿部靖、G.ボッセの各氏に師事。大学在学中よりテレマン室内管弦楽団に在籍し、演奏活動を行う。・・・・・

 卒業後ヴィオラに転向し、読売日本交響楽団に入団。・・・・・また、指揮法をドイツの巨匠、クルト・レーデル氏に師事。上野浅草フィルハーモニー管弦楽団、大学管弦楽団の指揮・指導も行い、これまで読響メンバーのオーケストラなどでも指揮を行うなど、指揮者としても積極的に活動している。北九州シンフォニー合唱団指揮者。

クラリネット:亀井良信

 桐朋女子高等学校音楽科を卒業し渡仏。パリ市12区立ポール・デュカ音楽院、オーヴェルヴェリエ・ラ・クールヌーヴ地方国立音楽院に入学、どちらも満場一致の1位で卒業。トゥーロン国際コンクール(クラリネット部門)スペディダム賞受賞。日本木管コンクール第1位及びコスモス賞受賞。フランスの作曲家、指揮者でもある、Pierre Boulez氏に認められ、フランスの騎馬オペラ団“ZINGARO”の“TRIPTIK”世界ツアーソリストとして出演。2003年に帰国。これまでに亀井良行、横川晴児、鈴木良昭、M.アリニョン、A.ティーフィルなどと共演。ソロ、室内楽で活動する他、サイトウキネンオーケストラ、水戸室内楽管弦楽団などにも参加している。

 第6回出光音楽賞、2005年度アリオン音楽賞を受賞。東京音楽大学講師。(使用楽器:BUFFET CRMPON〈TOSKA〉Bb管&A管)

《レコードやCDのことなど》

モーツァルト:クラリネット協奏曲

 レコードやCDは自分の気に入ったものを聴いていればいいわけですが、モーツアルトのクラリネット協奏曲は、私はクラリネット:フランソワ・エティエンヌ、モーリス・エウィット指揮エウィット合奏団のアナログ・LPモノーラルレコードで楽しんできました。

ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」

 私はブルーノ・ワルター指揮シンフォニー・オブ・ジ・エア(実質はトスカニーニが育てたNBC交響楽団トスカニーニが亡くなったときの追悼演奏会のライブ。1957年2月3日に前年演奏活動からの引退を発表していたブルーノ・ワルターが指揮台に上がる)。ヨゼフ・カイルベルト指揮ハンブルク国立フィルハーモニー管弦楽団のLPレコード、ピエール・モントウー指揮ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団のCDを楽しんできました・

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2009年9月15日 (火)

演奏会に行ってきました「クラシカル・プレイヤーズ東京 モーツァルト、メンデルスゾーン、ベートーヴェン」(2009-24)

メンデルスゾーン生誕200年記念 クラシカル・プレイヤーズ東京 2009年6月12日(金)19:00開演 東京芸術劇場大ホール(JR池袋駅徒歩5分)

《プログラム》

W.A.モーツァルト:歌劇「ルーチョ・シッラ」シンフォニア

F.メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調(第2稿)

L.V.ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」

 指揮:有田正広  ヴァイオリン:堀米ゆず子 

 オーケストラ:クラシカル・プレイヤーズ東京(ピリオド楽器使用)

《印象 感想など》

W.A.モーツァルト:歌劇「ルーチョ・シッラ」シンフォニア(8’)

 弦楽器はビブラートなし。①少しくすんだ音色。生き生きと、シャキッとした音楽。  ②ゆったりとと流れる。  ③生き生きとした音楽。

《プログラムノーツ》 小川恒行

W.A.モーツアルト:「ルーチョ・シッラ」序曲(シンフォニア ニ長調 K 135)

 1770年12月26日にミラノで行われたモーツァルトのオペラ・セリア「ポント王のミトリダーテ」の初演は成功裏に終わった。気を良くした興業主は1773年の謝肉祭に再度モーツァルトのオペラを上演することを決定した。こうして作曲されたのがオペラ・セリアの「ルーチョ・シッラ」である。1772年の10月ごろに台本がザルツブルクに届き、モーツァルトは出演する歌手を知らないためアリアを後にして、レチタティーヴォや合唱、序曲の作曲に取り掛かった。その後、父レーオポルトと共に10月24日にザルツブルクを発ち、11月4日にミラノに到着、12月26日に初演が行われ、翌1月25日までに26回上演されるという大成功を見たのである。

 モーツァルトのオペラの序曲は、全体が完成した後、公演直前に作曲されることが多いが、「ルーチョ・シッラ」はこのような事情で序曲が先に作られた。序曲は急-緩-急の3つの楽章で構成されている。これはA.スカルラッテティらナポリ楽派のオペラやカンタータなどに起源を持つもので、古典派初期の多くの作曲家に交響曲(シンフォニア)として受け継がれたものである。ザルツブルクでは1771年12月に温厚な領主大司教ジギスムントが亡くなり、翌年3月に新たに選出されたコロレードが到着して、かつてのような大旅行ができなくなったモーツァルトは、この時期に自らの交響曲の作法を発展させる。このような中で作られたのがこのシンフォニアK 135だったのである。

 第2楽章ではフルートが使われ、当時はオーボエ奏者が持ち替えで吹いたと思われる。

【楽器構成:2ob/(2Fl),(Fg),2Hr,2Tp,Timp,Strinngs】

F.メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調(第2稿)

 第1楽章 美しい音色で颯爽とした演奏。続けて2楽章へ。  第2楽章 ソロヴァイオリン、とても艶やかな演奏。弾きすぎず、伴奏も良い。  第3楽章 ソロヴァイオリン、いいテンポでよく流れる。やはりロマン派の音楽。しかしメタメタな美音ではない。気持ちのよい音楽が流れる。テンポを上げて、さっぱりとした快演。

《プログラムノーツ》 小川恒行

 メンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲 ホ短調」は1844年9月16日に完成し、翌1845年の3月13日にライプティヒのゲヴァントハウスの演奏会で初演されている。この時のヴァイオリン・ソロはメンデルスゾーンの友人フェルディナンド・ダヴィット(1810~1873)、指揮は常任指揮者だったメンデルスゾーン自身が健康をそこねていたため、副指揮者のニールス・ガーデ(ガーゼ)(1817~1890)によって行われた。

 初演者のダヴィットはシュポーア(1784~1859)門下のヴァイオリニストで、ヨゼフ・ヨアヒム(1831~1907)やアウグスト・ヴィヘルミ(1845~1908)らの名ヴァイオリニストを育て近代ヴァイオリン奏法礎を築いた人物である。彼はベルリンでメンデルスゾーンと親交を結び、1836年にメンデルスゾーンが指揮者を務めるゲヴァントハウス管弦楽団コンサートマスターとなっていた。メンデルスゾーンの作品に限らず、現在でもダヴィットが書き込みをした当時の作品の楽譜は、その時代の奏法を知る上での重要な手がかりになっている。

 曲は、1838年にメンデルスゾーンがダヴィットに「来年の冬までには協奏曲を贈りたいと思っている、それはホ短調である」と書き送っているように1838年には着想されたと考えられる。各楽章を続けて演奏するなど、斬新さを持ちながら形式的にもバランスが取れ、ドイツ・ロマン派の豊かさを併せ持ったこの傑作は完成までに6年を要したことになる。この間、そしてその後の出版までにダヴィットはメンデルスゾーンに、主に演奏効果に関する様々な助言を与え、カデツァも作っている。

 これまで、一般的に使われてきた楽譜は、1845年にライプティヒのプライトコプフ社からのをもとにレオポールト・アウワー、カール・フレッシュら、後の時代の名ヴァイオリニスト達が手を加えたものだった。1988年にメンデルスゾーンの自筆スコアなどが再発見されたことにより、この曲の初演の形が明らかになった。それは冒頭の管楽器の和音の長さにはじまり、カデンツァ、1楽章の終結部の大きな異動、オクターブの入れ替えやカット、アーティキュレーションの違いなど現行の楽譜とはかなり異なるものである。同時にその自筆譜からの筆写譜にメンデルスゾーンが鉛筆で加えた書き込みなどによって、ダヴィットの助言を得ながらメンデルスゾーンが変更を加えて決定稿が出来た経緯もわかってきた。これら初稿と決定稿は、2005年にベーレンライター社から出版され、以後、初稿も演奏会や録音で使用されるようになったきている。

 本日の演奏では、この作品に対するダヴィットの助言の重要性、メンデルスゾーン自身による変更、決定稿が出来て初版が出版されたのが初演の翌年とごく短期間であることなどから、1845年の決定稿の原典版を用いることにした。「冒頭、弦楽器のみで演奏されるさざ波のような音型は、一般的に穏やかに演奏されているが、内に秘められた抑えきれない熱情を持ったゆれるようなアレグロを意識したい」指揮者の有田氏はいう。

 1.アレグロ モルト アパッショナート(初稿ではアレグロ コン フッコ)  2.アンダンテ  3.アレグレット ノントロッポ

【楽器編成:ヴァイオリン.ソロ:2Fl、2Ob, 2Cl .2Fg, 2Hr, 2Tp, Timp, Strinng】

L.V.ベートーヴェン:交響曲第3番 変ホ長調「英雄」

 第1楽章 ひなびた音、快調に走る。テンポが良い。古楽器らしい演奏。大げさにならず、ノンビブラート。すこぶる快調に音楽は流れる。  第2楽章 重々しくない葬送行進曲の出だし。ティンパニー等、小気味良く進む。重くならず、少し軽みがあるくらい。  第3楽章 スケルツォ、テンポを上げて走る。ホルン、テーマを快調に奏し、テンポを上げて走る。  第4楽章 有名なプロメテウスの創造物のテーマ。古楽器らしい演奏。弦のトップ奏者達、よく流れる。ひたすら走る。少しずつ盛り上げてコーダへ。ホルンや管楽器、軽く、なかなかの小気味良い演奏。やや充実感に欠けるかな。まだ第一回目の演奏会。今後に期待したい。

《プログラムノーツ》 小川恒行

 ベートーヴェン自身、第9番ができるまでは「最もよく出来た」交響曲と考えていたといわれる第3番「英雄」は1804年に完成している。この曲はそれまでの交響曲史に例を見ないような斬新さを持った曲であった。第1楽章はじめに変ホ長調の主和音が2度演奏されるという、曲の末尾を冒頭に置いた形であること、それまでになく長大な展開部を持つこと、第2楽章が葬送行進曲であること、第4楽章のテーマは「12のコントルダンス」の第7曲からのもので、大成功したバレエ音楽「プロメテウスの創造物」(1801)の終曲に転用され、その後ピアノ曲「エロイカ変奏曲 作品35」(1802)として使われ、さらにこの4楽章のテーマに使われたのである。この交響曲は、第1・第2楽章のかつて例を見ないほどの壮大さも含めて、まさに「英雄」の名にふさわしい作品となったのである。ロブコヴイッツ侯爵の居城で1804年6月に行われたと考えられる非公開の初演は「三重協奏曲 作品56」と共に行われ、おそらくベートーヴェンが楽員に要求したのは強大な音で、力強くということだったねであろう。

 この曲に関しては、ウイーンに駐在したフランスの全権大使ベルナドット将軍の依頼によって作曲されたという説、捧げようとしていたナポレオンが皇帝に即位したということを聞いて激怒したベートーヴェンが楽譜の表紙を破りとって床に叩きつけたということ、同じく怒ったベートーヴェンが浄書譜の扉のタイトルを穴が開くまで激しく抹消したという話など、作曲に着手してから初演されるまでの経緯については様々な話が伝えられている。

 ベートーヴェンのスケッチ帳から見れば、作曲の着手は1803年の初め頃と考えられる。1792年にボンからウイーンに移ったベートーヴェンがハイリゲンシュタットの遺書を書いたのが1802年10月である。耳の疾患というピアニストとしては致命的な状況の中で作曲家としての道を選ぶということは想像に難くない。ベートーヴェンが、音楽の中心地のひとつであり、自由で発展を続けるパリに出て成功を収めようと考えるのは当然のこととも言えよう。ピアノ・ソナタ「ワルトシュタイン」を作るきっかけとなった、パリのピアノ工房「エラール」から贈られたピアノ、ボン時代の友人でもあるアントン・ライヒャのパリでの活躍、ベルナドット将軍に随行しパリとウイーンを行き来していたヴァイオリニスト、クロイツェルとの親交などベートーヴェンをパリに向かわせる要素は多かった。名曲として受けいれられた「プロメテウスの創造物」のテーマを使いパリでも知られていた「エロイカ変奏曲」と交響曲、そしてパリで人気のあった協奏交響曲の形をとる「三重協奏曲 作品56」、「ワルトシュタイン」を携え、その交響曲をナポレオン献呈し、当時ヨーロッパ中に知られていたコンセール・スピリチュエルの演奏会に出演しようとしたと考えることも出来る。フランス国旗のもととなった「自由」「平等」「博愛」の3原則は、ふらっと3つの変ホ長調、3拍子で書かれた第1楽章、あまり例を見ないホルン3本の使用、3つの独奏楽器をもった協奏曲などともむすびつくのである。

 「英雄」は自筆の作曲譜は残されておらず、ベートーヴェンが所有していた浄書譜(ベートーヴェンと、一部別の人物の手による書き込みがある!)が残されており、これが第一次資料となっている。この楽譜の扉に期されたナポレオンへの献呈の辞は削り取られた穴があいている。もし怒りにまかせてペンで消したり削り取れば、次の紙にも汚れや、傷が残るはずだが、そのような痕跡はみあたらない。これは不器用であってもきちんとした考えがあって抹消したことを思わせる。交響曲をナポレオンに捧げることを止めたのは、当時の社会情勢の悪化から、ロプコヴィッツ侯爵以下の人々がベートーヴェンのパリ行きを危惧し、断念させるために曲の買い取りを申し出たと考えられる。交響曲も三重協奏曲もプロコヴィッツ侯爵に捧げられている。

 今回の演奏について指揮の有田氏は「第1楽章冒頭のチェロのテーマは民衆の声で3つの声で構成され、その後の第1ヴァイオリンは貴族のうろたえをあらわす。」「第2楽章の葬送行進曲は英雄にむけられたものではなく、悲惨な戦いで亡くなった40万の一般民衆にむけられたもの」「第3楽章のトリオでの3本のホルンはナポレオンの凱旋を表す」と考えている。また、ベートーヴェンの手で、浄書譜のタイトルページの隅にホルンの並び方について1番を中央にするように指定されているので、「左から2-1-3と配列して」オーケストラの左側に置くなど多くの考えを述べている。斬新で、聴き所の多い演奏となるだろう。

 近年、ベーレンライター社から出版された原典版とされる新しい楽譜を使用する演奏が多くなってきたが、この楽譜もベートーヴェンの校閲を経た浄書譜(前出)譜と比較するとアーテキュレーションをはじめ、多くの異同があるため、本日の演奏では浄書譜に準拠して演奏する。

 1.アレグロ コン ブリオ  2.マルシア フネブレ:アダージョ アッサイ  3.スケルツォ:アレグロ ヴィヴァーチェ  4.フィナーレ:アレグロ モルト-ポコ アンダンテ-プレスト

【2Fl.,2Ob.,2Cl.,2Fg.,3Hr.,2Tp.,Timp.,Strinngs】

《プロフィール》

指揮:有田正広

 1972年、桐朋学園大楽を主席で卒業。同年、第40回NHK・毎日音楽コンクール(現・日本音楽コンクール)で第1位を獲得。翌年、ベルギーのブリュッセル王立音楽院に留学。1974年からコレギウム・アウレウムのメンバーとして、ヨーロッパ、日本などで活動。1975年王立音楽院をプルミエ・プリで卒業。同年、ソルージュ国際音楽コンクールのフラウト・トラヴェルソ部門で第1位となる。1977年オランダのハーグ王立音楽院に入学、半年で最高栄誉賞つきソリスト・ディプロマを得て、卒業。

 帰国後もブリュッヘン指揮「18世紀オーケストラ」のヨーロッパ・ツアーやクイケン兄弟との共演、トレヴァー・ピノック指揮「イングリッシュ・コンサート」の日本公演にソリストとして招かれるなど、内外の名手たちとも盛んに共演。1985年に発表されたレコード『ドイツ・バロックのフルート音楽』でレコード・アカデミー賞の2部門と文化庁芸術作品賞を受賞。1989年には「東京バッハ・モーツァルト・オーケストラ」を結成。指揮者として結成記念公演を行い、絶賛された。・・・・・ 

 1990年にサントリー音楽賞を受賞。・・・・・最近では指揮者として京都フィルハーモニー室内合奏団、響きホール室内合奏団(北九州)などへ客演するほか、桐朋学園大学オーケストラの指導、演奏会などを定期的に行っている。2009年4月ロマン派をレパートリーとする日本初のオリジナル楽器によるオーケストラ、クラシカル・プレイヤーズ東京を結成、新たな音楽的想像を常に探求している。

 現在、昭和音楽大学教授、昭和音楽大学ピリオド音楽研究所長。桐朋学園大楽特認教授。

ヴァイオリン:堀米ゆず子

 4歳よりピアノを始め、5歳よりヴァイオリンを久保田良作氏のもとで始める。1975年より江藤敏哉氏に師事。1980年、桐朋学園大楽音楽科を卒業。1980年、ベルギー・ブリュッセルにおけるエリザベート王妃国際コンクールで、日本人として初めて優勝。その結果、一躍注目を集め、ヨーロッパを中心に世界各地からオーケストラとの共演、リサイタルなどの招待を受けはやばやと一流音楽家の仲間入りを果たした。・・・・・

 現在、ブリュッセル王立音楽院客員教授。使用楽器は、ヨゼフガァルネリ・デル・ジェス(1741年製)

クラシカル・プレイヤーズ東京 リーダー:戸田 薫

 東京藝術大学卒業。ヴァイオリンを若林正伸、林茂子、景山誠治各氏に、オリジナル楽器によるバロック音楽演奏について若松夏美女史に師事。この時より東京バッハ・モーツァルトオーケストラに参加。1992年山梨古楽コンクールにて最高位受賞。同年オランダのデン・ハーグ王立音楽院に留学。しぎすう゛ぁると・くいけん、エリザベト・ウォルフィッシュのもとで研鑽を積む。渡欧まもなくヨーロッパにおいても本格的な演奏活動を始め、ラ・プティット・バンドをはじめとした主要オーケストラや、室内楽ではアンドレアス・ショル、アニュエス・メロンなど多くのミュージシャンと共演。・・・・・2006年6月から東京バッハ・モーツァルトオーケストラ(現クラシカル・プレイヤーズ東京)のリーダーに就任。桐朋学園大楽古楽科講師。

クラシカル・プレイヤーズ東京

 ヴァイオリン:11名、ヴィオラ:3名、チェロ:4名、コントラバス:2名、フルート:2名(管きよみ、前田りり子)、オーボエ:2名、クラリネット:2名、ファゴット:2名(1人は堂阪清高)、ホルン:3名、ティンパニー:1名。

《レコードやCDのことなど》

メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調

 レコードやCDは自分の気に入ったものを聴いていればいいわけですが、私はヴァイオリン:アルチュール・グリュミオ、ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、ヴァイオリン:ヤッシャ・ハイフェッツ、シャルル・ミンシュ指揮ボストン交響楽団のLPレコード(ハイフェッツはプレミアムCDもあります)をよく聴いてきました。

ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」

 夥しい録音がありますが、古楽器では、アンドリュー・マンゼ(Andrew.Mannze)指揮、Helsingbonng Simphony OrchestraのプレミアムCDを聴きます。

  

 

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2009年9月11日 (金)

演奏会に行ってきました「豊島区管弦楽団 ファリャ「三角帽子」、ドビュッシー「交響詩『海』、ドヴォルジャーク:交響曲第7番(2009-23)

豊島区管弦楽団68回演奏会 2009年6月7日(日)午後2時 東京芸術劇場大ホール(JR池袋駅徒歩5分) 私の席:1階K列5番(自由席) 招待

《プログラム》

マヌエル・デ・ファリャ:舞踏音楽『三角帽子』

クロード・ドビュッシー:交響詩『海』-管弦楽のための3つの“交響的素描”

アントニン・ドヴォルジャーク:交響曲第7番

《印象 感想など》

エマヌエル・ファリャ:舞踏音楽『三角帽子』第2組曲(15分)

 1..隣人たちの踊り  2.粉屋の踊り  3.終幕の踊り

 ハープ2台、コントラバス7つ。(1)色彩豊かな響き。コンマスのソロ・ヴァイオリン印的。チェロの低音良い。  (2)チェレスタが入る。ヴァイオリンに香しいテーマがでる。  (3)低音が響く。鉄琴が高い音。弦楽合奏が強奏。チェレスタが鳴り、コーダが盛り上がる。

《曲目解説》  パンフレットより

 ファリャはスペインのアンダルシア地方出身の、現代スペインの国民主義音楽を代表する作曲家である。1907年から1914年に渡仏し、デュカス、ドビュッシー、ラヴェル、アルベニスらと親交し印象主義の影響を受け、これにスペインの民族的要素を加えて彼独自の作風を確立した。出世作となったバレエ音楽「恋は魔術師」(1914~1916作)とこの「三角帽子(1918~1919年作)はスペイン色豊かな彼の代表作である。その前後にはピアノ曲や協奏曲、声楽曲も作曲しているが演奏される機会は少ない。

 本作品は小説にもとづくパントマイムのための音楽「代官と粉屋の女房」をロシアバレエ団率いる希代の天才興行師ディアギレフの依頼により、2幕のバレエ音楽に作り直したものである。アンダルシアの町はずれに三角帽子(権力の象徴)をかぶった好色な代官が現れ、権力を笠に着て美しい粉屋の女房をものにしようとするが、反対に散々な目に遭わされ面目を失うという物語である。振り付けは当時のロシアバレエ団のスターダンサーであり、ディアギレフの恋人でもあったマシーンが担当し、主役の粉屋を踊った。美術・衣装はピカソ、指揮はアンセルメという豪華な顔ぶれで1919年ロンドンで初演された。親しみやすいメロディーとマシーンのキャラクターが相まって空前の大成功を収め、ファリャの名声は不動のものとなった。

ドビュッシー:交響詩『海』-管弦楽のための3つの交響的素描(27分)

 Ⅰ.海の夜明けから真昼まで  Ⅱ.波の戯れ  Ⅲ.風と海の対話

 チェレスタが入り、コントラバス7。

 Ⅰ 色彩豊かな響き。コンサートマスターのヴァイオリン・ソロが印象的。ヴァイオリン、チェロ等が続く。

 Ⅱ 気持ちよく音楽が流れ、歌う。合奏が少しずつ勢いを増す。ティンパニー、フルートが響く。低音で美しい音楽が流れる。金管に高い音が現れ、合奏で強奏。チェレスタが入り、コーダが盛り上がる。

 Ⅲ ワルツ風の弾むような音楽。よく流れる。トリオ風の音楽を挟み、まさにスケルツォ。盛り上がる。次いで、序奏風の音楽が繋ぎ、ティンパニーが鳴り、チェロがなかなかの旋律を奏す。合奏が弾んで流れる。全合奏で素敵なテーマが現れ、盛り上がる。そしてコーダへ。快演。ブラオー。

《曲目解説》 パンフレットより

 ドビュッシーの代表的な管弦楽曲の一つである「海」は1903年に着手し1905年に完成、同年初演された。「交響詩」と呼ばれることもあるが、ドビュッシー自身はあえて交響詩という言葉を用いず「管弦楽のための3つの交響的素描」という副題を付けている。

 当時のフランスはジャポニズムの流行により日本の浮世絵などが人気を博していた。この作品も葛飾北斎の版画「富岳三十六景」の「神奈川沖浪裏」にインスピレーションを得たとも言われており、実際初版のスコアの表紙にはこの浮世絵が使用されている。

 この曲は紛れもない表題音楽ではではあるが、それは実在の海を描写したしたものではなく、彼自身の中にある海のイメージの描写と考えるのが適切であろう。

 第1楽章「海の夜明けから真昼まで」

薄暗い夜明け前の海がppの弱奏で表される。次第に楽器が増していき夜明けを迎える。やがて真昼の太陽に煌めく雄大な海の姿へ発展していく。

 第2楽章「波の戯れ」

寄せては返し、細かく砕け、大きくうねる波の様子が次々と楽器を変え表現される。

 第3楽章「風と海の対話」

弦楽器の海と管楽器の風との対話により曲は進む。一旦穏やかになるが、最後にはオーケストラ全体が大きな波となってクライマックスを迎える。

アントニン・ドヴォルジャーク:交響曲第7番 ニ短調 Op.70

 第1楽章 アレグロ・マエストーソ  第2楽章 ポコ・アダージョ  第3楽章 スケルツォ:ヴィヴァーチェ-ポコ メノ モッソ  第4楽章 フィナーレ:アレグロ

 第1楽章 有名な出だし。低弦にボヘミア的テーマが現れホルンに素敵なテーマが出て少しずつ勢いを増して流れる。ティンパニー、フルートが印象的。

 第2楽章 気持ちよく流れ、歌う。ホルン、合奏が少しずつ勢いを増し、流れる。合奏が少し乱れる。チェロ、コントラバスにメロディーが現れる。

 第3楽章 ワルツ風の弾むような音楽。よく流れる。トリオ風の音楽をはさんで、まさにスケルツォ。大いに盛り上がる。

 第4楽章 序奏風の出だし。それを受けて、ティンパニー、チェロになかなかの旋律が現れる。全合奏で弾んで流れる。ホルン、合奏で素敵なテーマが奏される。盛り上がりコーダへ。快演。ブラヴォー。

《曲目解説》 パンフレットより

 ドヴォルジャークは生涯9つの交響曲を作曲している。1881年には第6番が初演され、大好評を博し円熟の境地を着々と築き上げていた。しかし疲労やプレッシャーで焦り、不安等にも苛まれていたせいだろうか、第7番だけは際立って内省的な色彩が色濃く出ている。1883年にブラームスの交響曲第3番が初演され、大いに刺激を受けたドヴォルジャークは1885年1~3月の間に第7番を一気に書き上げた。従って多少ブラームスの影響は感じられるもの、チェコの民族音楽的とも言える独特の語法と時代的なロマン主義的エッセンスが随所に顔を出し、後の交響曲第9番「新世界」にも通じるようなドヴォルジャークとしての確固たる音楽となって実を結んでいる。

 曲は4つの楽章から成る。ヴィオラとチェロによる重々し主題で始まる第1楽章は内省的な旋律で、フルートとクラリネットの平和で牧歌的な第二主題との対比が印象的である。

 第2楽章は、穏やかで味わいがあり、ドヴォルジャーク独特の繊細な美しさに満ちている。第3楽章は、「これぞスラブ」と叫びたくなるような独特なリズムによる舞曲風のスケルツォで、明るく陽気なスラブ民族の踊りを彷彿させる。

 しかし第4楽章に入ると、一転して激した苛立ちを思わせる第一主題をクラリネットとホルンが奏し、民族的な第二主題もどこか熱っぽい。曲はどんどん緊張感が高まり、コーダでは壮大な第一主題が奏されて力強く終結する。

アンコール:ドヴォルジャーク7番、8番より1楽章づつ

 総じてこのオーケストラは、出来はAクラスのアマチュアオーケストラ。演奏は一部もう少しのところはあるもの、アマとしては上出来。ひたむきな演奏がとても良い。

《プロフィール》

指揮者:川本統脩

 桐朋学園大学作曲理論学科音楽学専攻で入学して途中転科して指揮専攻で卒業。すぐに音楽大学で教育活動に携わると同時に、広島交響楽団を中心に活動を始める。1985年には、第一回「アルトゥーロ・トスカニーニ」国際指揮者コンクールで優秀な成績を収めてプロの指揮者のための特別コースを終了し、エミリヤ・ロマーニャ州立オーケストラを指揮してイタリア各地で演奏会を行うなど積極的に研鑽を積んだ。・・・・・

 日本の吹奏楽コンクールでは長年審査員を務め、・・・・・2007年台湾實践大学客員教授を務める。

 現在、洗足学園音楽大学及び日本大学芸術学部に於いて指揮法を教えながら、オーケストラの指揮者として後進の指導に当たっている。日本音楽財団事業運営委員。日本指揮者協会会員。ソニー吹奏楽団音楽監督・常任指揮者。

 当団へは2005年6月より客演、2006年7月常任指揮者就任。

《レコードやCDのことなど》

マヌエル・デ・ファリャ:舞踏音楽「三角帽子」

 レコードやCDは自分の気に入ったものを聴いていればいいわけですが、私は初演者のエルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団のCDをよく聴きました。

ドビュッシー:交響詩『海』

 シャルル・ミュンシュ指揮フランス国立放送管弦楽団のLPレコードで楽しんできました。

ドヴォルジャーク:交響曲第7番

 ジョージ:セル指揮クリーヴランド管弦楽団のLPレコードを聴いてきました。

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2009年9月 4日 (金)

現代日本のオーケストラ音楽

平成21年6月4日(木)午後7時開演 東京文化会館大ホール(JR上野駅公園口徒歩3分・東京メトロ日比谷線徒歩10分) 東京文化会館友の会プレゼント企画に当選  私の席 席番号:メモ記載なし(中央ど真ん中)

《表彰式》

 日本交響楽振興財団奨励賞

 第31回作曲賞入賞作品

  小坂友宏:CNSMATED ANOTHER~影を失ったもう一つの消滅

  小森俊明:管弦楽の為の変遷

 本選会での演奏後(今回の演奏)、第2次選考委員会が開催され、以上の2曲から作曲賞が選定され、該当作品があれば後日日本交響楽振興財団のホームページで発表するとのことでしたが、後日日本交響楽振興財団のホームページには該当作品無しとのことでした。

 選考委員

 一柳 慧、岩淵龍太郎、海老沢 敏、野田暉行、間宮芳生、安良岡章夫、小松一夫(第33回演奏会指揮者)

《印象 感想など》

第31回作曲賞入選作品

日本交響楽振興財団第31回作曲賞第1次選考について

海老沢 敏(財団法人 日本交響楽振興財団理事、同作曲賞選考委員)(尚美学園大学大学院 特別専任教授)

 「現代日本のオーケストラ音楽」第33回演奏会において、実際のオーケストラ演奏において取り上げられることで  最終選考がおこなわれる複数の候補作品、いわゆる入選作品(日本交響楽振興財団奨励賞該当作品)を書面(楽譜)審査によって選考する第1次選考委員会は、平成21年2月9日(木)の午後に旧経団連会館でおこなわれた。

 選考に立ち会ったのは一柳 慧、岩淵龍太郎、野田暉行、間宮芳生、奈良岡章夫に筆者を加えた計6名で、すでにお知らせ済みのことであるが、昨年の11月24日に逝去された廣瀬量平委員と体調不良のため辞任を申し出られた三善晃委員を除く計6名の上記委員、それに第2次選考に加わられるが、第1次選考では演奏の難易度を指揮者のお立場から評価して下さる小松一彦氏が、書面審査で加わっての選考であった。

 私が座長を相つとめて始められた委員会では、従来の選考方法や課程を踏まえての選考がおこなわれた。

 今回の応募者数は計17名で、うち再応募が6名、学歴は音楽大学大学院修了者が2名、同大学院在学生が4名、海外の大学を含む音楽大学卒業ないし修了者が4名、一般大学大学院修了者が1名、一般大学卒業者が5名、その他1名という内訳であった。

 また提出された応募作品は、応募者自身の深刻では10分未満が2曲、10分以上15分未満が8曲、15分以上20分未満が6曲、20分以上が1曲という分布で、平均13分というところ。

 まず、応募全17曲中、さらに次の選考段階に進める作品について、票の制限を設けずに挙手で諮ったところ、計10作品が選考外とされ、他の7作品について小松氏の演奏の難易度に関する意見も参照しつつ、4作品が対象外とされた。

 続いて第2ステップは残る3作品のうち、1曲は選考員の過半数の票が得られず、例年のように3作品が入選作品(奨励賞受賞作品)に値しないとの判断から、活発な意見交換がおこなわれ、入選作品は今回は2曲とする判断が下された。

 その結果、以下の2作品が入選作品と決定された。

 入選作品

 日本交響楽振興財団奨励賞(賞金各20万円)

 小坂友宏 CONSUMTED ANOTHER SHADOW~影を失ったもう一つの消滅~(約10分)

 小森俊明 管弦楽の変遷 Evolution pour Orchestre(約13分)

 これら2曲の入選作品(奨励賞作品)は平成21年6月4日(木)午後7時、すなわち本夕、東京文化会館大ホールでおこなわれる「現代日本のオーケストラ音楽」第33回演奏会において取り上げられ、この2作から、作曲賞に値する作品か否かがコンサート終了後におこなわれる第2次選考委員会で決定される。

 この2作の作曲者の紹介、2作品の作曲者による紹介は紹介は本プログラムを参照されたい。

 選考委員会座長による作品に関する報告、ならびに批評家による論評は、のちに発表される予定である。

 なお、入選作品が2曲となったことにより、招待作品は黛敏郎氏の「曼荼羅交響曲」と湯浅譲二氏の「クロノプラスティックⅢ-スタシスとキネシスの間で~ヤニス・クセナスキの追悼に~」の2曲が演奏される。

日本交響楽振興財団 作曲賞

 「作曲賞」は、オーケストラ作品の創作奨励と普及を目途として、昭和53年に創設されました。わが国のオーケストラ界に、そのレパートリー作品として末永く残し得る作品の発掘をめざしています。

 公募による「作曲賞」応募作品から、譜面による第1次選考で入選作品3曲(原則)を決定し、「現代日本のオーケストラ音楽」演奏会にて初演後、作曲賞の該当作品を決定します。

《作曲賞》

 「現代日本のオーケストラ音楽」演奏会の初演による第2次選考を経て、優秀作品と認められたものに対して贈られる。(賞金50万円)

《日本交響楽振興財団奨励賞》

 原則として、譜面による1次選考で選ばれた「入選作品」3曲に贈られる(賞金20万円) 

小坂友宏:CNSMATED ANOTHER~影を失ったもう一つの消滅

《印象 感想など》

 コントラバス 6人。幽玄な出だし。ハープ1、弦楽中心。ピアノ、金管、鉄琴、トロンボーンが続く。中程からテンポを上げて、元気のよい音楽へ。そして曲はしんみりとなり、静かに終わる。

《作曲者の言葉》

 この曲の主旨は、人にまつわる意識と無意識についてそれぞれの中に存在する本質的な発生・覚醒、そして消滅に至るまでのプロセスを描いたものである。不安定で曖昧な意識と決定的な完全な無意識は全く別物のようであるが密接な関係を保ち、我々の深層世界の中枢でそれらは互いに呼び合い、静寂を醸し、感情のうねりを種々の混乱からバランスをとった(あるいはすべてを失った)終焉へと完遂するのである。

 楽想は変化を求め、大きな流れの中に事象科する断片的な旋律や和声が、奇妙に計算されたリズムの操作によって進行していく。オーケストラの音響配置については特に十分考慮し、基調となる素材の魅力を保持しつつそれぞれが表現方法の多彩なバリアントとなるように努めた。

 本日はこのように光栄な機会をいただき、私自身想像の一端を担えたことを喜び、最後に関係者の皆様へ心から感謝を申し上げます。

《プロフィール》

小坂 友宏

 1980年神戸市生まれ。2003年度大阪音楽大学音楽学部作曲学科卒業。作曲を千原英喜氏に師事。

 在学中は作曲の基礎たる勉学に励む一方、とりわけ交響楽の分野にも興味を持ち、作曲家・年代を問わず多くの管弦作品の研究に取り組む。卒業後1年間音楽専攻科に在籍し、指揮法について松尾昌美氏に習う。

小森俊明:管弦楽の為の変遷

《印象 感想など》

 コントラバスは左右3台ずつ配置。弦楽器も左右に分かれて配置。ピアノそしてハープで出る。カネが入り、左右の弦はピチカート。コンサートマスターの弦は幽玄な響き。木琴、チューバ、トロンボーン、ピアノが続く。そして弦の弱音が梵鐘を思わせる音。最後は静かに終わる。

《作曲者の言葉》

 この作品は、緩-急-緩という、テンポが交替する4つの部分から成っている。そして音楽的素材は、古典的な意味での主題的性格をそなえた2つの長い主題と、こうした性格の希薄な、短い数多くのモティーフに大別される。ほとんど全てのモティーフおよび第3部冒頭の主題Bは、第1部冒頭の主題Aから派生しており、その意味で、この作品は(主題性の問題を捨象した、純粋な)音楽的素材の水準においては、単一主題に基づく一元的構成によっているといえる。

 時間に沿って全体構成を辿ってみると、まず、第1部は先述のとおり、冒頭で主題Aが提示され、中間部を経たのちに復帰する。

 第2部は主題Aから派生したモティーフが、更に次々と新しいモティーフを派生させながら発展していく構造となっており、全体はおおよそ6つの小部分に分けられる。

 第3部も先述のとおり、主題Aから派生した主題Bが提示され、発展し、やがて緩やかな起伏を形成する。

 第4部は、主題Aから派生した新しいモティーフが、更に次々と新しいモティーフを派生させながら発展していく構造となっており、全体はおおよそ6つの小部分に分けられる。つまり、音楽的実質を別にすれば第2部と相似した構造と持っているのだが、登場する諸楽節がいくぶん断片的である点が、第2部とは異なっている。

 最後に、今回のような大変かつ貴重かつ有意義な機会を与えて下さった全ての関係者のみなさまに、深く感謝を申し上げます。

《プロフィール》

 横浜市出身。現在、東京藝術大学修士課程作曲専攻に在籍。5歳よりスズキメソードにてピアノを学び、12歳で全課程を修了。その間、才能教育東海管弦楽団との共演等、オーディションを経てのソロ演奏を度々行う。

 その後、PTNAピアノ演奏検定合格、藝大神奈川同声会新人コンサート出演、札幌現代音楽展招待作曲家、二人展開催、「日本の作曲家」出展等。また、第7回東京国際室内楽曲コンクール、アマチュア演奏家のための作曲コンクール等に入賞。

 今までに作曲を松下功、野田暉行、小鍛冶邦孝、和声を國越健司、対位法を小谷野賢一、ピアノを三谷亜佐美、君塚美智子、阪倉良百、市田儀一郎、遠藤恵眞子、岡野嘉子の各氏に師事。

《招待作品 1》

黛 敏郎:曼荼羅交響曲

 《印象 感想など》

 メロディックなテーマが流れる。鉄琴、そして合奏。オーケストラらしい作品。弦楽器の使い方が上手い。

 《曲目解説》 音楽評論家 片山杜秀

 1960年完成。同年3月27日、岩城宏之指揮NHK交響楽団が初演。

 曼荼羅とは仏教の中でも密教系の宗派が修行に用いる絵画。密教では一般に、我々人間を含めてこの世のすべてが実は大日如来という究極の仏の化身だと考える。その真理を悟るために用いられるのが曼荼羅だ。修行者はその前で瞑想することで悟りを得ようとする。

 曼荼羅には色々な形式があるが、日本密教の重んじたのは金剛界と胎蔵界曼荼羅の2種。前者は現世が大日如来の化身であるとの真理を認識するための心の働かせ方を9段階に分けて図像化する。後者は現世が大日如来の化身という真理そのものを率直に示す。

 黛は両曼荼羅のイメージを楽章ひとつずつで表現する。2つの楽章は共に、梵鐘の響きを解析して得られた、6音ずつの2つの合音で統一される。(C・E♭・A♭・D♭・F・B♭・と、C・B・E・D・F♯・A)。その6音ずつを積むと広い音域をまたがる2つの「梵鐘のコード」が出来る。また、組み合わせを工夫しつつ横に並べれば、抽象的で断片的な旋律から東洋的な息の長い旋律までが導かれる。そういう仕掛けで全体が賄われている。

 第1楽章(金剛界曼荼羅)。前半では種々の要素が刹那的に明滅する。「梵鐘のコード」の豊かな響きも、刺激的な運動も、現れてはすぐ消える。金剛界曼荼羅を構成する9段階が順不動に交錯する様を表すようだ。ついで音楽は、メシアン風のリズム法や東洋的旋律を奏ではじめる。バラバラだった9段階はある種のまとまりに整理されだす。その後に長い減衰があり、「梵鐘コード」で終わる。

 第2楽章(胎蔵界曼荼羅)。「梵鐘のコード」のゆるやかな連打で始まる。やがて音楽は高揚し、世界はキラキラと輝きだす。大日如来の光が遍く行き渡るのである。そして修行者はついに自らが大日如来の分身たるひとりの私なのだと悟る。勝利の行進がはじまる。その高潮のあとには、再び平安が広がる。

黛 敏郎

 1929年2月20日、横浜生まれ。東京音楽学校(現東京藝術大学音楽学部)で、橋本國彦、池内友次郎、伊福部昭につき、ついでパリ音楽院でトニー・オーバンの教室で学んだ。

 最初期にはドビュッシー、ラヴェル、ストラヴィンスキー等、留学後にはメシアンやヴァレーズの影響を受け、ミュージック・コンクレートや電子音楽やポスト・ウエーヴェルン風点描書法も日本でいちばんはやく実践。1958年の《涅槃交響曲》で仏教寺院の梵鐘の響きを解析して大管弦楽に見事に模倣させるという世界に類例なき音響を実現し、まだ20台で圧倒的地位を確立する。

 以後、アジア的なるものへの傾倒。その他の代表作に、雅楽に取材したバレエ音楽《BUGAKU》(ニューヨーク・シティ・バレエ委嘱)、三島由紀夫原作によるオペラ《金閣寺》(ベルリン・ドイツ・オペラ委嘱)等、それから膨大な映画音楽がある。1997年4月10日没。

《招待作品 2》

 湯浅譲二:クロノプラスティックⅢ-スタシスとキネシスの間で-

   ~ヤニス・クセナスキの追憶に~(約13分) (N響委嘱作品)

 《印象 感想など》

 大オーケストラ。コントラバス6 右奥。ハープ 2、ピアノ 左奥。打楽器から出る。合奏へ。フルート、そして合奏。弦楽器が印象的な音楽を奏す。鼓を打つような打楽器。合奏。騒音のような音楽。低弦、うなる。鉄琴、不協和音ぽい合奏。チェレスタ。最後は静かに終わる。凄い音楽、曲。終了後、湯浅が客席からステージへ。

《曲目解説》

 題名は「可塑的時間」を意味している。音楽を支える時間が可塑的ならば、音楽の空間もまたそれにつれて伸縮する。私は元来、音楽は、一方で作曲者のコスモロジーの反映としてあり、同時にそれは、音響エネルギーの時間軸上での変遷として捉えられると思っている。

 この曲は、むしろ後者にウェイトが置かれており、音高、音強、音色そして持続のすべてが生成する音響エネルギーが生成流転するものとして作られている。

 技法的にはここ20年間に培われて来た2オクターブにまたがる12音の数種の音階(モード)と、そこからさらに導きだされた、2次的、3次的なモードを使っている。そして時間的側面では、単層的な時間、多層的な時間、これ等の性質が、音響運動のキネシス(動)とスタシス(静)を往復しつつ生成流転する12分ほどの曲である。

 作曲が丁度半ばをすぎたころ、長年敬愛していたヤニス・クセナスキ他界の知らせがあった。私はクセナキスから多くを学んだ。とりわけ、既成に捉われない独創性と、いささかの妥協も許さない、徹底した創作態度にあやかりたいと思っていた。

 クセナキスも私の音楽を認めてくれた作曲家の一人だった。

 東京、チューリッヒ、サンディエゴ、郡山、パリのポンピドゥセンター、また彼のアトリエで何度となく私の音楽を聴いてくれたクセナキスに、この曲を捧げて、ありし日のクセナキスを偲びたいと思う。なお、この曲は2005年ザグレブでのISCM(国際現代音楽協会)世界音楽祭に入選、演奏され、その後、ヴェニス・ビエンナーレでも演奏されている。

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2009年8月29日 (土)

演奏会に行ってきました「オーケストラ・リベラ・クラシカ ハイドン:交響曲第3番、オルヴェ・レジーナ ホ長調、オルガン協奏曲 ハ長調、交響曲第44番「悲しみ」(2009-21)

オーケストラ・リベラ・クラシカ 第23回公演 2009年5月27日(水) 浜離宮朝日ホール(都営大江戸線築地市場駅徒歩5分) 私の席:8列13番(とても良い席)会場はチェンバロや室内楽等には最適のホール。

《プログラム》

ハイドン:交響曲第3番 ト長調 Hob.Ⅰ:3

      サルヴェ・レジーナ ホ長調 Hob.ⅤⅤⅢ b:Ⅰ

      オルガン協奏曲 ハ長調 Hob.ⅩⅤⅢ:1

      交響曲第44番 ホ短調 Hob:「悲しみ」

《印象 感想など》

ハイドン:交響曲第3番 ト長調 Hob.Ⅰ:3

 オリジナル楽器のオケ。第1楽章 鈴木 チェロの席で弾く。ホルンはピストン全く無し。生き生きとしたテンポのハイドン。ホルン活躍。  第2楽章 憂いを帯びた楽章。  第3楽章 ホルンや管楽器活躍。快適なテンポ、アンサンブル。  第4楽章 速いテンポで入る。生き生きとしてチャーミングな演奏で終わる。

ハイドン:サルヴェ・レジーナ ホ長調 Hob.Hob.ⅩⅩⅢ b:1

 鈴木:指揮に回る。オルガン、ソプラノ入る。第1楽章 ソプラノ・ソロよく通る声。  第2楽章 コーラス入り、ソプラノ・ソロも。  第3楽章 ソプラノ・ソロ  第4楽章 コーラスとソプラノ・ソロ。ゆったりとした音楽の流れ。オルガンは小さめ。

ハイドン:オルガン協奏曲 ハ長調 Hob.ⅩⅤⅢ:1

 鈴木 指揮に回る。第1楽章 可愛らしく、軽やかでよく響く素敵な曲。  第2楽章 テンポ落として、オルガン鳴る。  第3楽章 キビキビとした素敵な始まり。

ハイドン:交響曲第44番 ホ短調 Hob.Ⅰ:44「悲しみ」

 鈴木 チェロの席で演奏。  第1楽章 短調の響き。ホルン テンポを速めて快活に走る。  第2楽章 「悲しみ」の雰囲気続く。間にトリオ風の曲挟まる。  第3楽章 ゆったりとした緩やかな音楽。  第4楽章 弦の強い弾き方で終わりまで押し通す。

アンコール ハイドン:交響曲第42番 4楽章

《プログラムノーツ》  鈴木秀美
 
皆様、本日はOLC第23回公演にようこそお出で下さいました。

 『没後200年記念する今年、私たちは何をすればいいだろうか・・・晩年の大作《ロンドン交響曲》、オラトリオ《天地創造》が繰り返し演奏されるであろうことは容易に想像されるけれ、私達の活動の現状には限りがあるし、今まで大筋としては年代順にやってきたのであり、私たちはまだそこまで至っていない・・・・』楽譜棚を眺めつつそんなことを考えあぐねて思いついたのは、こらまたアマノジャクに、世の中が晩年の作に集中するなら、こちらは思い切り若いところに目を向けてみようということでしたでした。歴史上稀に見る多作のハイドンなのですから、記念する年には、いつにも増して様々なところに光りが当たってもしかるべでしょう。

 今夕お届けする曲のうちサルヴェ・レジーナとオルガン協奏曲はは、そういうわけでハイドンの最初期、おそらく1756年(モーツァルトが生まれた年)のものです。珍しいことにハイドンが晩年まで所持していたサルヴェ・レジーナの自筆譜には1756年という数字が1790年代になってから書き込まれているのですが、この曲にはちょっとしたエピソードがあります。

 ハイドンの妻、マリーア・アンナ・アロイージア・アポローニア・ケラーは、ロッシーニの妻と並んで「悪妻」としてばしば引き合いに出されます。ニュー・グローヴ辞典は『我々は夫側の話しか得ていない』と一応中立を保っていますが、ハイドンは『彼女は子供を産めなかったので、私は他の夫人の魅力により少なく無関心であった』、『自分の夫が霊感に満ちた芸術家であろうと靴職人であろうと、彼女には何の関係もなかった』等々と晩年に述べています。アイゼンシュタットにあるハイドン記念館には彼女の肖像画がありますが、私はその何とも怖そうな肖像を見てドキッとしてしまいました。普通当時の肖像画はできるだけ美しく描かれているものだと思うのですが・・・・召使い達ともあまり話をせず、難しい人であったと伝えられています。

 このアンナ・マリーアにはテレーズという妹がおり、ハイドンが好きになり結婚したかったのは、実は彼女の方だったと言われています。しかし両親の希望もあって彼女は修道院に入ることになり、このサルェ・レジーナとオルガン協奏曲ハ長調は、1756年のその機会に作曲されたと推測されているのです。かつら職人であった彼女たちの父ケラーは、ハイドンが若く貧しかった時代に様々な手助けをしたらしく、そのこともあったかどうか、4年後の1760年、自分より3歳年上の姉、マリア・アンナと結婚下のでした。

 サルサヴェ・レジーナは乙女マリアを湛える内容で、多くの作曲家が曲を書いていますが、ハイドンはこれともう1曲を1771年に作曲したのみです。全体は5つの楽章から成り、若く清々しい中にもたっぷりとした独唱の旋律の旋律や装飾的音型、また合唱との対比なども充実しています。

 ハイドンの1750年代の資料は少ないのですが、下宿していた同じ建物に住んでいたポルポラという有名な作曲家兼声楽教師から、ハイドンはイタリア語、イタリア的歌唱法と作曲法等を学びました。作曲の教材に用いられたのはフックスのグラドゥス・アド・パルナスムというこれまた有名なもので、ハイドンの持っていた本には数多くの書き込みがラテン語でされていたそうです。サルヴェ・レジーナはいうまでもなくラテン語の歌詞ですが、ハイドンにとってはこの頃既にラテン語の歌詞に音楽をつけること、またイタリア語に作曲することは身についていたと言えるでしょう。

 サルヴェ・レジーナと同時に演奏された考えられているオルガン協奏曲ハ長調にはやはり自筆譜が残されており、ハイドン自身の手で756(1756年)と日付が書かれています。スコアの冒頭にはクラリーノ(トランペット)1と2の指定があるのですが、その段に音符は書かれていませんでした。古典派の時代にオーボエと組み合わされているのはホルンが一般的でありますすが、クラリーノという指定は特別なものでもあり、今回使用した楽譜はオーストリアのメルク修道院所蔵の筆写譜から採られたトランペットのパートが加えられています。今回トランペットを加えるべきかどうかかなり躊躇していたため、チラシに演奏者の名前を書くことができなかったことをお詫びいたします。

 順序が前後しましたが、最初にお送りする交響曲第3番は1762年までに書かれたと考えられているもので、エスターハーズィに行ってから書いたかどうかは明らかではありません。エスターハーズィとの正式な契約は1761年5月であるものの、ハイドンは自分で作品目録を創るに当たって1757年から10年ごとの区切りとしており、その契約以前に既にいくつもの作品が書かれていた可能性はかなりあります。この交響曲は、ハイドンの初期作品に共通する若々しいエネルギーに溢れた作品です。1760年台前半は最も多作の時期でもあり、約25曲の交響曲がこの時期に生み出されています。

 もう一つの交響曲第44番は1772年までの作、今夕のプログラムでは一番遅く書かれたものですが、決然とした両楽章、不気味なカノンのメヌエットと美しい緩徐楽章があり、没後を記念する年にいかにも相応しいものです。「悲しみ」というタイトルは、ハイドンが亡くなった1809年にベルリンで行われた式典でその緩徐楽章が演奏されたことに由来し音楽とは関係ありません。また1770年代に書かれた短調作品はしばしば「疾風怒濤」(Stru and Dranng)と結びつけて扱われますが、作曲時期は音楽の方が先であり、関係はないと近頃は考えられています。ハイドン自身がこの曲を殊の外気に入っており、自分が亡くなったときにはこの緩徐楽章を演奏してほしいと言っていたというエピソードがあるのですが、その出所は明らかでないようです。リベラ・クラシカでは、2002年11月の第3回公演に際し、録音もされています。

 サルヴェ・レジーナは例外的な調性、ホ長調で書かれていますが、この調はハイドンにとって何か特別な意味があったのでしょうか。エピソードの真偽はともかく、第44番の格別美しい緩徐楽章もホ長調ですし、晩年の大作《四季》の「夏」でも、乾ききって力のなくなった自然と人間を描くテノールのカバティーナがホ長調、その他にも意味深く味わい深い曲がいくつも残されています。

 OLCの声楽との共演はこれで3度目ですが、小規模ながらも合唱を含み、オルガンも含むプログラムは初めてのことであり、私たちにとっては大きな一歩です。またサルヴェ・レジーナの初版は1982年、トランペットの入ったオルガン協奏曲の楽譜の出版は1985年です。ハイドンの様々な側面は、まだまだ十分知られていると言えないのです。

 有名作曲家の有名作品だけが繰り返し演奏されることの多い現状は、音楽文化の衰退を意味するものです。日本食は寿司と天ぷらのみ非ず、イタリア料理はスパゲティのみに非ず。同様にハイドンも「驚愕」や「時計」と「天地創造」だけで推し量れるものではありません。今夕の音楽と演奏が楽しんでいただけるものでありますよう、またこれを機に皆様が様々なハイドン作品をお聴きくださるよう、祈っております。

《プロフィール》

オーケストラ・リベラ・クラシカ

 オリジナル楽器で古典派音楽を専門に演奏するオーケストラ。世界的チェロ奏者、鈴木秀美が主宰・音楽監督をつとめ、2002年5月に旗揚げ公演を開催。ソリスト・レベルのアーティスト30数名が国内外から終結、表現力の高さと楽曲への斬新なアプローチが話題になっている。

 決して広く知られていないハイドンの初・中期の交響曲に新たな光りを当て、また《パリ交響曲》やモーツァルトの名交響曲セレナード等を今までに演奏。鈴木自身のチェロをはじめ、若松夏美のヴァイオリン、スタンリー・ホッホランドのフォルテピアノ他多数の奏者を独奏(唱)招いて協奏曲や歌曲を演奏した。浜離宮朝日ホールでの定期公演は全てライヴ収録され、“アルテ・デラルコ(弓の芸術)”レーベルからリリース。2008年5月にはオーケストラとして22枚目となるCDを発売し、演奏と合わせて好評を得ている。

指揮・チェロ:鈴木秀美

 デン・ハーグ王立音楽院に留学、A・ビルスマ氏に師事。国内外でそろ、室内楽、指揮と演奏活動を展開し、数多くの話題CDも発表。1995年に日本人としては初めての、オリジナル楽器による「バッハ:無伴奏チェロ組曲全曲」を録音、平成7年度文化庁芸術作品賞を受賞。著書に「『古楽器』よさらば!」(音楽之友社)「ガット・カフェ」「無伴奏チェロ組曲」(東京書籍)。第37回サントリー音楽賞受賞。

ソプラノ:星川美保子

 東京藝術大学音楽学部声楽科卒業、同大学院オペラ科終了。2005年3月二期会本公演「魔笛」パミーナ役で二期会デビュー。・・・・・2003年から2005年までドイツ・ライプティヒに留学。毛利準、井原直子の各氏に師事。二期会会員。

声楽アンサンブル:ラ・フォン手ヴェルデ

 ソプラノ:鈴木美登里、鈴木美紀子

 アルト:上杉清仁、横町あゆみ

 テノール:谷口洋介、及川豊

 バス:浦野智行、小笠原美敬

 鈴木美登里が主宰し、2002年に結成された日本では数少ない本格的マドリガーレ・アンサンブル。16~17世紀初頭イタリアのマドリガーレをレパートリの中心に据え、マドリガーレの本質である「言葉と音楽の融合」を目指す。年に2回の定期演奏会とクリスマスコンサートを中心に着実な活動を展開。ソリストとしても活躍中の実力派メンバーによって結成されている。

オルガン:今井奈緒子

 東京藝術大学、ドイツ・フライブルク音楽大学オルガン科卒。1985年ドイツ・G・ベーム国際オルガンコンクール、1988年ベルギー・ブルージュ国際バッハコンクール入賞。現在東北学院大学教養学部教授、大学オルガニスト、宗教音楽研究所所長。日本キリスト教団霊南坂協会オルガニスト。

ヴァイオリン:若松夏美

(コンサートマスター)桐朋学園大学卒。ヴァイオリンを鷲見三郎、江藤俊哉の各氏に師事。デン・ハーグ王立音楽院にてバロック・ヴァイオリンをシギスヴァルト・クイケンに師事。バッハ・コレギアム・ジャパン、オーケストラ・リベラ・クラシカのコンサートマスター。オランダの18世紀オーケストラのメンバー。BISおよびTDKアルテ・デラルコにモーツァルト、ハイドン、ボッケリーニの室内楽、協奏曲を録音。東京藝術大学古楽科非常勤講師。

《レコードやCDのことなど》

 レコードやCDは、自分の気にいっているのを聴いていればいいわけです。私は、ハイドンの交響曲はシギスヴァルト・クイケン指揮ラ・プティット・バンドのCDを愛聴しています。しかしハイドンの第3番、44番は目録に入っていません。鈴木秀美指揮オーケストラ・リベラ・クラシカは、ハイドンの交響曲全曲演奏を演奏会で目指しており、演奏終了後ライブを次回の演奏会にCDを発売します。そのうちいつかライブCDが全交響曲揃うものと思います。演奏は何れも評したとおり、活気のある生き生きしたものです。全曲は完成するまで待ちたいと思います。

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2009年8月21日 (金)

演奏会にいってきました「曽根麻矢子チェンバロリサイタル J.S.バッハ:ゴールドベルク変奏曲」(2009-20)

 このブログのアクセスは、おかげさまで20,000を超えました。拙いブログですが、ご愛読どうもありがとうございます。引き続き「モントウー演奏会日記」を書き続けますので、ご愛読よろしくお願いします。

 2009年5月23日(土)15:00開演 浜離宮朝日ホール(都営大江戸線築地市場駅下車5分) 曽根麻矢子チェンバロリサイタル《J.S.バッハ連続演奏会 第12回“最終回”》 

 私の席:1階18列11番(ど真ん中)ほぼ満席 黒地に金色の草の模様を施したチェンバロ このホールはチェンバロ演奏や室内楽には最適のホール。音がよく届く。曽根は淡いピンクがかった衣装で登場。

《あいさつ》 曽根麻矢子

 こんにちは。シリーズ最終回にようこそおいで下さいました。

 とうとう、最後・・・・!

 この6年間、この日を迎えることをとても楽しみに頑張ってきたはずだったのですが、今の私が、いつもの演奏会と変わらない気持ちでいることは、とても意外なことです。

 最終回が終わると気がぬけてしまうのではないか、という予測も見事に外れました。新しい種類のお仕事が決まり、益々頑張らなければ、というところです。なんと音大の「先生」になってしまったのです。

 今年は1月にフランス、5月に東京で行われたラ・フォル・ジュルネというフェスティバルでバッハのソロを沢山演奏しました。他のチェンバリスト達には『こんな沢山のソロプロギラムを3日間で弾くなんて、正気の沙汰じゃない!』とさんざん言われましたが、そこで改めて、この6年の積み重ねを深く感じました。

 演奏会に足を運んで下さる皆様がいらっしゃることで勉強する力が湧いたこと、どんなに感謝しても足りません。なんせ、試験がないと勉強しない子供と同じで、本番がなければ練習もしないものですから(笑)。この日々が、私のチェンバロ人生の中で大切な財産となり、これから先のステップへと繋がることを信じています。

 今日は演奏後に、皆様と乾杯(ご協力いただいたメルシャンさま、ありがとうございました。)

 楽しみにしています(本当に・・・・すごく・・・・)。

 皆様、本当にどうもありがとうございました。

《プログラム》

J.S.バッハ(1685~1750)

ゴールドベルク変奏曲BWV988

 アリア

 第1変奏~第15変奏

 〈休憩〉

 第16変奏~第30変奏

 アリア

 ☆演奏者の希望により、休憩前の拍手はご遠慮下さい。

《印象 感想など》

 前 半

 着実なタッチ、テンポ。きらびやかな、メリハリの効いた音。じっくりとした進行。よく音楽が流れる。

 後 半

 粒たちのよい音。バッハはチェンバロのために作曲した曲なんだと実感した。後半はしっとりとした曲が多い。終わり近くは華やかな変奏。アリアに戻るとホットする。終了は16時40分。その後、ホールのロビーで曽根も入り、ワインで乾杯。

《曲目解説》  樋口隆一

 ヨハン・セバスチャン・バッハは、1723年から1750年までの27年間を、ザクセン選帝候国の大学・商業都市ライプティヒのトマス・カントル兼音楽監督として過ごしている。彼自身の年齢でいえば、38歳から65歳であるから、ちょうど壮年期から晩年にあたる。なかでも1730年頃から1740年頃までの10年間といえば、彼は45歳から55歳。ひとりの人間としてまさに脂の乗りきった時期といえる。

 当時のバッハの多彩な活動の中でも特徴的といえるのは、彼が自作品の集大成を目指したことである。「クラヴィーア・ユーブング(練習曲集)」の名のもとに、鍵盤曲の出版を始めたのである。まず1731年には作品1を冠した第1部が出版された。内容は6曲の《パルティータ》BWV825~830あった。第2部の出版は1735年で、それには《イタリア協奏曲》BWV971と《フランス風序曲》BWV831とが収められた。1739年に出版された第3部は異色の存在で、これは大オルガンと家庭用の小オルガンのために書かれた大小の《コラール前奏曲》(BWV669~689、計1曲)と4曲の《デュエット》BWV802~805、そしてそれらを包み込むように前と後ろとに分けて置かれた変ホ長調の《前奏曲とフーガ》(BWV552)という、総計27曲からなる大規模なオルガン曲集であった。

 4つめの「クラヴィーア・ユーブング」は、1741~42年にニュールンベルクのシュミット社から出版された曲集で、これが今日《ゴールトベルク変奏曲》と呼ばれることの多い《アリアと種々の変奏》(BWV988)にほかならない。

 《ゴールドベルク変奏曲》という名称の由来は、1802年に出版されたフォルケルによる最初のバッハ伝に載せられた逸話によっている。フォルケルによるとその由来はこうだ。ドレスデンのザクセン選帝候宮廷駐在の前ロシア公使カーザーリンク侯爵は、バッハのいたライプティヒにしばしば滞在し、若いお抱え音楽家のゴールトベルクにバッハのもとでレッスンを受けさせた。伯爵は不眠症だったので、眠れぬ夜には控えの間でゴールドベルクが何か弾いてきかせねばならなかった。あるとき伯爵はバッハに、穏やかでいくらか快活な性格を持ち、眠れぬ夜に気分が晴れるような作品を書いて欲しい、と申し出たという。その希望をバッハは叶え、伯爵はそれを大いに気に入って、眠れぬ夜には「ゴルドベルク君、私の変奏をひとつ弾いておくれ」と所望するのが常だったという。

 フォルケルの逸話の影響で、この作品は19世紀になると《ゴールトベルク変奏曲》と呼ばれるようになった。しかし残念ながら、フォルケルが伝える楽しい逸話の真偽のほどはかなり疑わしい。ゴットリープ・ゴールトベルクは1727年生まれで、1741年にはまだ14歳にすぎず、伯爵付の音楽家として身を立てていたするのはいささか早すぎるし、肝心の出版譜にも、伯爵宛の正式の献辞が欠けているからである。ただし、バッハが何回かのドレスデン旅行、特に1741年11月の旅行の際に伯爵を訪問し、すでに刷り上がっていた1冊を献呈し、後年伯爵がそれをゴールトベルクに好んで演奏させた、ということは充分に考えられる。

 《ゴールトベルク変奏曲》は、ト長調、4分の3拍子の、サラバンド風の美しいアリアと、その32小節からなる低音旋律(ないしはその上に形成される基本和声)に基づいた30の変奏からなっているが、第16変奏にはフランス風序曲が置かれているため、それを境に前半と後半に分けて考えることもできる。30の変奏は、それぞれ3つの変奏からなる10組のグループに分けられ、それぞれのグループは、模倣の音程関係が増大してゆくカノンによって締めくくられる。ただし最後のグループだけは、カノンではなくクオドリペットで終わっている。

サラバンド風の典雅なアリアは、『アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽手帖』にも記入されている。この音楽手帖は1725年に記入が開始されているものだが、このアリアを記入したバッハ夫人アンア・マグダレーナの筆跡の鑑定から、1773年ないし34年以前ということは考えられない。おそらく、バッハがこの作品を作曲していた頃に、夫人がアリアのみを自らの音楽帳に記入したと考えるのが自然だろう。

 30の変奏のもととなっているのは、右手が演奏する魅力的な旋律ではなく、左手が奏でてゆく32小節から抽出される隠された低音主題であるが、その由来については明らかではない。少なくともその最初の8音は、バッハが生まれたアイゼンナハで、聖オルク教会のオルガニストをしていたヨハン・クリストフ・バッハ(1642~1703)の作とされている《12の変奏曲》の原曲となったサラバンドの16小節からなる低音主題から、最初の4音と最後の4音を取り出してつなぎ合わせたものだということがわかっている。おそらくバッハは、この8音をもとに32小節の基本的な低音を紡ぎ出したのだろう。

 冒頭のアリアがすでにサラバンド風であるように、それぞれのグループ冒頭を飾る変奏にも舞曲風の性格を持ったものが多い。例えば速い8分の3拍子で書かれた第4変奏はパスピエだし、8分の6拍子の楽しげな第7変奏はジーグである。事実、クリストフ・ヴォルフによって発見されたバッハ所蔵の初版本には、「ジーグのテンポで」という指示が書き込まれていた。第10変奏はフゲッタだが、リズムの特徴はガヴォットのそれに他ならない。ゆったりとした4分の3拍子が美しい第13変奏はサラバンド以外の何ものでもないだろう。第19変奏は、パシポエないしはポロネーズとも考えられる。第22変奏は、アラ・プレーヴェと書かれているように対位法的書法によるが、リズムに注目すると、これはガヴォットである。

 3つの変奏からなるグループそれぞれの中間に置かれた変奏(例えば第5,第8,第11変奏等)は、高度な演奏技術を前提とした華麗な書法によるものが多い。そうした技巧性の追求は、第28、第29変奏で頂点に達するものである。

 華やかな演奏技法を際立たせているのは、随所に見られる手の交差と2段鍵盤使用である。手を交差させる演奏技法は、いかにも聴衆受けをねらった感があるが、とかく気むずかしそうな印象を与えるバッハとはいえ、実は超絶技巧で有名な鍵盤楽器奏者であったことを考えると納得できる。30の変奏曲のうち実に10曲に手の交差が登場することからも、この作品においてバッハはこの技法にかなりのこだわりを持っていたことがわかる。1739年頃にロンドンで出版されたドメニコ・スカルラッティの《練習曲集》とか、ラモーの《クラブサン曲集第2集》(1724年)とか、バッハが参照したと思われる先例もあるが、超絶技巧で知られたバッハのことだから、すでにこのような技巧は自家薬籠中のものだったに違いない。手の交差が登場する10曲のうち、第8,11、17、23、26変奏の5曲は、すべて2段鍵盤のためのデュエットで、両手の音域がほとんど同じのため、必然的に手を交差せざるを得ないところが出てくるわけだ。

 他方において、第1、5、14、20、28変奏の5曲では、片手が突然大きな跳躍を伴って、遠く離れた音域の音を叩くという技法に基づいており、音響的にも視覚的にも派手な効果を伴っている。その跳躍は、右手の場合もあれば左手の場合もあり、それぞれ高音域から低音域へ、あるいはその逆の跳躍を行うわけだ。

 さすがバッハだ思うのは、どちらの場合でも、手の交差は必ずと言ってよいほどシンメトリカル(左右対称)に配置され、それが単なるショーマンシップからではなく、あたかも楽曲構成上の必然からきているように工夫されていることだ。

 2段鍵盤の使用については、バッハ自身、出版譜のタイトルページのなかで「2段鍵盤付きクラヴィチェンバロのためのアリアと様々な変奏」と明記しているように、この長大な曲集の重要な特徴となっている。2つの鍵盤を使用するということは、右手と左手にそれぞれ異なった音色のストップを割り当てて、多声性をより強調する可能性を演奏家に委ねているということを意味している。バッハの楽譜には特にそうした指示はないが、ふつうの8フィート・ストップのほかに、リュートのように響きがするリュート・ストップや、堂々たる響きが特徴の16フィート・ストップを用いて音響上の変化をもたらすことも可能なのである。

 さてこうした様々な趣向を凝らした30の変奏の後で、主題のアリアがもういちど演奏されることになるのだが、それについてはすでにバッハが、気の利いた言い訳を用意してくれている。すでに述べたように、最後の第30変奏は、当時の民謡が織り込まれたクオドリペット(ごっちゃまぜ)だが、そこで演奏される民謡は「キャベツとかぶらに追い立てられて、こんなに長く留守をした」と、美しい主題の不在を詫びているからである。30のみごとな変奏を「キャベツとかぶら」に喩えたのなら、バッハはなかなかユーモアを解する人物であったのだろう。

(曽根麻矢子「ゴールドベルク変奏曲」(エイペックス・クラシクス)ライナーノートより)

《プロフィール》

チェンバロ:曽根麻矢子

 東京生まれ。桐朋学園大学附属「子供のための音楽教室」を経て、桐朋学園大楽附属高校ピアノ課卒業。ピアノを寺西昭子、チェンバロを鍋島元子の各氏に師事。高校在学中にチェンバロと出会い1983年より通奏低音奏者としての活動を開始。

 1986年ブルージュ国際チェンバロ・コンクールに入賞。その後、渡欧を重ねて同コンクールの審査員であった故スコット・ロスに指導を受け、1990年より正式にパリに拠点を移す。故スコット・ロスの夭逝後、エラート・レーベル(フランス)の名プロジューサー ミュシェル・ガルサンにスコット・ロスの衣鉢を継ぐ奏者と認められ、1991年にエラート・レーベル初の日本人アーティストとしてCDデビューを果たす。・・・・・

 現在演奏活動の傍ら、鬼才スキップ・センベの元で研鑽を積んでいる。1996年「第6回出光音楽賞」をチェンバロ奏者として初めて受賞。1997年飛騨古川音楽大賞奨励賞を受賞。上野学園大学教授。

レコードやCDのことなど

J.S.バッハ:ゴールドベルク変奏曲

 レコードやCDは、自分の気に入ったものを聴いていればいいわけですが、ゴールドベルクは私は、チェンバロではスコット・ロスのCD,日本人では中野振一郎のCDをよく聴いてきました。

 もちろん曽根麻矢子のCDも人気が高く、出張販売には沢山の方が買い求めていました。

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2009年8月18日 (火)

紀尾井シンフォニエッタ東京 第62回定期演奏会「ハイドン:交響曲第85番、オネゲル:交響詩「夏の牧歌」、デュパルク:夜想詩曲「星たちへ」、プーランク:シンフォニエッタ」(2009-19)

紀尾井シンフォニエッタ東京 第69回定期演奏会 2009年5月16日(土)2:00PM開演 紀尾井ホール(JR・東京メトロ四谷駅)上智大学前ソフィア通り徒歩7分

《プログラム》

ハイドン:交響曲第85番「王妃」

オネゲル:交響詩「夏の牧歌」

デュパルク:夜想詩曲「星たちへ」

プーランク:シンフォニエッタ

指揮:ジャン=ピエール・ヴァレーズ  紀尾井シンフォニエッタ東京  コンサートマスター:玉井菜積採   

《プログラムノーツ》 音楽が始まる前に  響 敏也

五月の風にパリを聴く

 五月になれば思い出す音楽がある。風薫る五月からの連想かも知れないけれど、「唄う風」(訳者じゃないけれど、もう少し何とかならなかったか)。曲はプッチーニの『蝶々夫人』から女性合唱のバルカローレの旋律を取り出し、ラルフ・フラナガン・オーケストラがスイング・ジャズで演奏したもの。清々しい風の歌が聴こえる。

 そうした初夏に思い出す詩がある。萩原朔太郎の『旅上』。毎年、五月には何か引用したくなる。ことしも詩の全部を書き写そう。

 ふらんすへ行きたしと思えども/ふらんすはあまりに遠し/せめてはあたらしき背広をきて/きままなる旅に出でてみん。/汽車が山道をゆくとき/みづいろの窓によりかかりて/われひとり嬉しきことを思はむ/五月の朝の東雲/うら若草のもえいずる心まかせに

 この詩があるから、私のなかで五月とフランスと旅が、連想の糸で結びつけられている。

 きょうの曲目を眺めれば、そんな五月に相応しくフランスもの、すべてパリの音楽。ハイドンの交響曲に始まり、オネゲルの清新な交響詩、デュパルクが夢辺境を描いた詩曲、プーランクの意欲に満ちた交響曲と続く。

 と、書くと「ハイドンはオーストリアの人だ、フランスではない」という声があがるかも知れない。しかし、きょうの交響曲『王妃』は、ハイドンがパリからの注文で作曲した「パリ交響曲群」の中の曲。しかも、あのマリー・アントワネットが好んだという伝説まである。パリと密接に縁続きの作品なのだ。

 指揮は、名門パリ管のコンサートマスターとして世界に名を馳せ、1978年には「アンサンブル・オルケストラル・ドゥ・パリ」を結成、やがて指揮者としても充実の時期を迎えるジャン=ピエール・ヴァレーズと、清新気鋭の精鋭群像で知られる紀尾井シンフォニエッタ東京が2世紀にわたるパリ音楽の神髄を聴かせる。

 それは五月の風にパリを聴く時間だ。

《印象 感想など》

ハイドン:交響曲第85番 変ロ長調 Hob.Ⅰ-85「王妃」

Ⅰ.アダージョ  Ⅱ.ロマンス:アレグレット  Ⅲ.メヌエット:アレグレット  Ⅳ.フィナーレ:プレスト

 遅れて聴けず。エントランスのスピーカーで聴く。

《曲目解説》 響 敏也

 歴史の成分表には「出会い」と「すれ違い」が多く含まれている。

 人と人、人と事物が「出会った」か「出会えなかった」か、で、出来事のタネが蒔かれ、時代の車輪が回り、歴史の動きにつながる。

 1762年秋。6歳のモーツァルトはウイーンに旅する。女帝マリア・テレジアに拝謁して御前演奏。宮殿の広間で靴を滑らせ転んだモーツァルトを助け起こすのは、彼より1つ年上で女帝の末娘マリア・アントニアだ。モーツァルトは言う。「君は優しいね。大きくなったら僕のお嫁さんにしてあげる」と。叶わぬ話だ。このマリア・アントニアこそ8年後の1770年にブルボン王朝に嫁ぎ、フランス名をマリー・アントワネットと名乗る娘だ。その同じ年1770年にベートーヴェンが誕生。彼は、やがて革命の自由・平等・博愛の精神に深く共鳴する。

 4年後の1774年、マリーは皇太子妃から王妃となる。4年後の1778年、22歳のモーツァルトはマリーの居るパリに滞在、交響曲第31番「パリ」作曲。パリではハンガリーの大貴族エステルハージー侯爵の楽長ハイドンの交響曲が人気だった。2年後の1780年、マリーの母、女帝マリア・テレジア没。翌1781年、ハイドン(1732~1809、49)とモーツァルト(25)は出逢う。4年後の1785年、ハイドンはパリの大規模楽団から注文を受け、一連の「パリ交響曲群」6曲を作曲(翌年に全曲完成)。その4年後の1789年7月14日、フランス革命。また4年後の1793年、マリーは断頭台に消える。その前年1792年、ハイドン(60)はベートーヴェン青年(21)にボンの街で出会い、才能に驚嘆してウイーンに招く。モーツァルトは、その前年にウイーンで没していた。

 出会いと、すれ違いが奏でる「時の音楽」が聴こえてくる。

 このハイドンの名作交響曲は、パリの2つの楽団が合同した「コンセール・ド・ラ・ロージュ・オランピック」から、新作交響曲の注文を受けて作曲された6曲=「パリ交響曲群」(第82~87番)のひとつ。50台半ばに差し掛かる壮年ハイドンの、気力充実の仕事ぶりが聴ける。マリー・アントワネットがこの曲を好んだことも、第2楽章の旋律を好んだとも伝わり、作曲から3年後の出版譜には、すでに「王妃」の文字が入っている。

 ハイドンはマリーの母マリア・テレジアのエステルハージー侯爵家訪問の際も、交響曲(第48→50番「マリア・テレジア」)を作曲、母娘共にハイドンの交響曲に縁が深い。

第1楽章 パリの聴衆を意識してフランス序曲風の序奏を持つ、引き締まったソナタ形式。

第2楽章 フランスの愛唱歌をロマンツェ主題に採り入れ、その旋律を王妃が好んだとも。

第3楽章 しなやかな運動性のメヌエット。

第4楽章 複合ソナタ形式で小気味よく快走。

オネゲル:交響詩「夏の牧歌」

 ゆったりとした、しっとりとした音楽。大半が木管楽器(フルート、ファゴットなど)、そして弦楽器による演奏。緻密な合奏。牧歌的な素敵な曲。

《曲目解説》  響 敏也

 様々な国籍の人々が、大量に入り混じって街を行き来する光景は、日本の日常にはない。

 そもそも国境や国籍について考える機会が、日本では少ない。その点で、日本人は特別な環境にあると言っていい。

 これがヨーロッパだと、国境や国籍といったことを嫌でも考えさせられる。ひとりの、個人の内面でもこの葛藤がある人が多い。

 たとえばオネゲルの場合、フランスの港町で生まれ、パリで活躍した音楽家、とくれば我々にはフランスの人で「准パリジャン」だ。しかし、そこはヨーロッパ人。そこは一筋縄ではいかない。オネゲルはフランス生まれだけれど、そうしてパリで活躍したけれど、じつはスイス人なのだ。両親がともにスイス人だった。

 だからというわけでもないだろうが、しばしば本当に「フランス的」なるものを追求した。同時に「ドイツ的」なるものも徹底して掘り下げた。先人サン=サーンスと同じく、バッハやベートーヴェンを深く研究する。そこでドビュッシーに象徴される音の印象主義からも距離を置いた。本来の「フランス的」なるものはラテン的「明瞭」と「均衡」の美にあると考えていたからだ(余談だけれど、きょうのヴァレーズが指揮すると、フランス音楽が、まさに明瞭な輪郭で、絶妙な均衡美に輝くのを聴ける)。

 交響詩「夏の牧歌」はオネゲル28歳の夏の作。愛読したランボーの詩「夏の暁を抱いて」に呼び覚まされた感興と、その夏を過ごした父母の国、スイスの自然が反映した作品。

 音楽は、内容から3部分で構成され、真ん中の舞曲風の楽想と、それを挟んだ両端の清涼な音の連なりが、美しい対象を創りだし、やがて静寂へと還ってゆく。

デュパルク:夜想私曲「星たちへ」

 夢想的な出だし。しっとりとした曲。中音の弦が良い。コンサートマスターの穏やかなソロが素敵。木管やホルンとの絡み合いが良い。最後は穏やかに静かに、消えるように終わる。

《曲目解説》 響 敏也

 歌曲の王と呼ばれるシューベルトが世を去ったのは1828年。敬愛するベートーヴェンが前年に世去り、その後を追うように31年余りの人生を閉じた。そうしてシューベルトの没年1828年からちょうど20年後、天はまた一人の短命な歌曲の王をこの世に遣わせる。フランス歌曲の王デュパルク。(1848~1933)といっても彼は87歳まで生きたのだから、当時としては長命だった。短命だったのは彼の作曲人生。37歳で神経症となって、スイスに移住するが、やがて一切の作曲活動をやめる。さらには師のフランクの教えに「本当に良いものを少しだけ作曲するように」の言葉を過激に意識して、それまでの作品の多くを破棄してしまった。

 実質の作曲期間は16年間。出版されたのは歌曲17、ピアノ曲1,管弦楽曲2,モテット1.残されたなかで特に有名なものが珠玉の歌曲の一群。しかし管弦楽作品はほとんど聴かれることなく、この清々しくも伸びやかな小品も、貴重な現存作品なのだ。

 原曲は1874年作の3部作の第1曲。「小さな夜想曲」の邦題でも知られる愛すべき掌編。わずか数分のなかで凝縮した音の詩が綴られ、歌曲に示した天分を管弦楽の語法でも存分に発揮していたことを照明する。これ以外の管弦楽曲には、交響詩「レノール」があるが、残っていれば他の作品も聴きたくなる。

プーランク:シンフォニエッタ

Ⅰ アレグロ コン フコ  Ⅱ モルト ヴィヴァーチェ  Ⅲ アンダンテ カンタービレ  Ⅳ フィナーレ

第1楽章 活気のある出だし。洒落た曲。よく流れる。ウイットあり。フランス風な面もある。途中からテンポが上がり、活気づく。  第2楽章 活気のある音楽。フランスの香り。管楽器、ホルンなどが印象的に響く。アンサンブルがとても良い。ダイナミックに楽章を閉じる。  第3楽章、4楽章 管楽器と弦楽器が混じり合い、リズムを刻む。穏やかなメロディー、歌い流れる。オーボエや弦楽器が絡み、穏やかなしっとりとした曲。

《曲目解説》 響 敏

 歴史が音をたてて展開する瞬間に立ち会う可能性は、誰にでもある。

 たとえば東西の壁が崩れゆくベルリン。たとえば9.11のニューヨーク。

 ことし生誕200年のメンデルスゾーンの90年後に、メンデルスゾーンほどではないかも知れないが、やはり裕福な家に生まれたプーランク(1899~1963)は1914年、15歳の多感な時期に音楽史の転換点に立ち会う。あのストラヴィンスキーの「春の祭典」の初演だった。感銘を受けて急激に音楽にのめり込む。父が音楽学校への入学に反対だったため、独学と個人教授で才能を磨く。

 そんなプーランクの、ヤンチャ坊主のように可愛くて小気味良い、この名曲が世に出るきっかけは、20世紀半ばの時代を反映して、ラジオ曲からの依頼だった。1947年英国BBCのラジオ第3の開局1周年記念として委嘱され、同年9月にもちろん放送初演されている。(BBCラジオ第3は現在もクラシック音楽が豊富。日本でもインターネットで聴ける。ことしは当然、英国人ヘンデルの特集が多い。)

 作品の器楽編成は、木管群が典型的2管、トランペットとトローンボーン各2、ハープ、ティンパニー、弦楽器5部という、20世紀作品としては古典的なもの。ただし古典的交響曲の様式からはお茶目に逸脱していて、主題の扱いなど、自由奔放に作曲の筆が走っている。

第1楽章 4つ以上の主題を惜しげもなく振りまくが、最初の主題の後半が全曲を統一。

第2楽章 イタリア伝統舞曲タランテラ風で、快速3拍子系(6/8拍子)の洒脱な楽想。

第3楽章 弦と管の対話も玄妙な歌謡楽章。

第4楽章 ここも4つ以上の主題が乱舞、しかし第1楽章主題が愉悦感を横溢させてさせ     て結ぶ。

《プロフィール》

指揮:ジャン=ピエール・ヴァレーズ

 パリ国立高等音楽院でヴァイオリンと室内楽を学ぶ。パガニーニ、ジュネーブ、ロン=ティボーの各国際コンクールでの入賞ほかヴァイオリニストとして輝かしい経歴を持つ。1975年から1977年までパリ管弦楽団のコンサートをつとめた後、1974年から1990年までフランスのアルビ音楽祭の芸術監督、1978年パリ室内管弦楽団を創設し音楽監督、指揮者として活躍。ソリストとしても世界の一流オーケストラと数多くの共演を重ねている。・・・・・

 これまでにフランス芸術文化勲章、パリ市金賞受賞、現在ジュネーブ音楽院教授。

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2009年8月15日 (土)

演奏会にいってきました「新交響楽団「ウエーベルン:管弦楽のための6つの小品、マーラー:交響曲第6番『髭的』」(2009-18)

2009年4月26日(日)2:00pm開演(東京芸術劇場 JR池袋駅徒歩5分) 新交響楽団定期演奏会 指揮:高関健

《プログラム》

ウエーベルン:管弦楽のための6つの小品〈原典版〉

マーラー:交響曲第6番「悲劇的」

《印象 感想など》

ウエーベルン:管弦楽のための6つの小品(原典版)

 私の席:N列16番 中央のとても良い席。満席。私は新響は、アマ・オーケストラでは1~2を争う力量の腕前と思う。いつも満席です。

 コンサートマスターは女性で、コントラバスは8人で大編成のオケ。

Ⅰ ある程度動きをもった♪(8分音符)  Ⅱ 動きをもって  Ⅲ 繊細に動きをもって  Ⅳ ゆっくりと(♪)  Ⅴ 非常にゆっくりと  Ⅵ 繊細に動きをもって

Ⅰ 木管から弦が演奏。そしてハープ(2)、フルートへ  Ⅱ 管楽器、チューバ、大太鼓。諧謔的演奏。  Ⅳ チェレスタ、大太鼓、小さいトレモロ。金管が続く。ピッコロ、低いトランペット、カネ続く。不気味な響き。ティンパニー等打楽器が強奏。ポーズ。  Ⅴ トローンボーン 小さな持続音。木管、第一ヴァイオリン 強音奏す。ハープ、第2ヴァイオリンソロ。静かに終わる。

《曲目解説》 山口裕之(ホルン)

 ウエーベルンの「オーケストラのための6つの小品」は、今からちょうど100年前にあたる1909年に作曲された。この時期は、彼が生きていた世紀転換期ウイーンの文化にとって、大きなターニングポイントにあたり、その意味でも非常に興味深い作品である。

 1890年頃から第一次世界大戦が始まる1914年頃ウイーンの文化・社会は、一般に「世紀末ウイーン」という言葉で言い表されている。この時代には、それまでの貴族や富裕な市民層の文化・価値観に対して、文学・美術・工芸・建築・音楽などさまざまな領域で、相互に、密接にかかわりつつ、この時期に集中して革新運動が展開されていった。画家のグスタフ・クリムト、作曲家グスタフ・マーラー、あるいはウイーン観光の目玉の一つである「分離派館」の設計者オルブリヒなどは、「世紀末ウイーン」の最初の世代の芸術家たちである。

 それに対して、それらを乗り越えていこうとする、さらに革新的な芸術家たちが20世紀にはいって躍進してくる。強烈にデフォルメされた表現で内面を赤裸々に描出する画家のココシュカ、エゴン、シーレ、装飾を廃し機能性・構造性そのものの表現のうちに現代の建築の価値を求めたアドルス・ロース、そして、「不協和音の解放」を推し進めることによって、伝統的な音楽における中心的な基盤である調性を解体したシェーベルクとその弟子たち(ウエーベルン、ベルクら)は、その最も代表的な芸術家である。こういった転換を考えるとき、1908年という年は特に重要な意味をもっている。建築家アドルフ・ロースが、装飾批判の姿勢を明確に打ち出すエッセイ「装飾と犯罪」を発表したのが1908年であり、またウエーベルンの師シェーンベルクが、いわゆる「無調性」へと移行したのも1908年だった。マーラーがウイーン宮廷歌劇場の監督を1907年に辞任したのも象徴的な出来事といえるかこしれない。

 ウエーベルンも、シェーンベルクと同じ時期に調性を放棄した作品を作曲し始める。「6つの小品」も、ウエーベルンの無調性の時代における最初の重要な作品の一つである。今日演奏される二つの曲は、ウイーンという街に生きた二人の作曲家のほぼ同じ時期の作品でありながら、1904年に完成されたマーラーの交響曲第6番と、1909年に作曲されたウエーベルンの「6つの小品」のあいだに、どれほど大きな隔たりがあるかを感じ取っていただけるのではないだろうか。

 「調性」を放棄することによって作品の構成原理を失うことになり、無調期のシェーンベルクには、緊張が保たれる短時間のうちに表現が完結する作品か、あるいは時間的持続をテキストに依拠する作品かのいずれかの可能性しか残されていなかった、ということが一般的にいわれている。そういったとらえ方に立てば、ウエーベルンの「6つの小品」も、短い時間のうちに表現が収束する代表的な作品の一つだということになる(とくに短い第3曲は、たった11小節しかない)。しかし、しばしば「アフォリズム的様式」という言葉を当てはめられるこれら小品は、そういった消極的な理由による結果といったものをはるかに越えて、まさに「アフォリズム」という凝縮された文学形式に対応するような強力で緊張感に満ちた表現様式をもっているといえるだろう。

 「6つの小品」を実際に耳にすると、かなり抽象的な作品であるという印象を受けるかも知れない。しかしそれぞれの曲には、きわめて具体的なウエーベルンの個人的体験によって与えられたイメージがかかわっているということを、作曲者自身が語っている。今日演奏される1909年の初版では、第4曲目に「葬送行進曲(marcia funebre)という課題が添えられているが、これは直接的には、この曲が作曲される3年前(1906年)の母の死と結びついている。ウエーベルンは、1906年に母が亡くなった後、折りにふれてその悲しみについて言及しており、この「6つの小品」に限らず、彼の作品の多くには、母親の死という奥深い体験の影がつきまとっているようだ。「6つの小品」は、この経験が最も直接的なかたちで現れている作品で、初演の数週間前の1913年1月31日にシェーベルクに宛てた手紙の中で、ウエーベルンは、それぞれの曲の根底にある心的状態や出来事について次のように述べている。

 「第1曲」は、私がまだウイーンにいた時の私の心情を表現しようとしています。その時私は、不安を予感しながらも、生きているうちに母に会えるのではないかとそれでも希望を抱いていました。その日は天気の良い日で、一分間ほどは、何も起こってははいないのだと確信していたのです。

 「第2曲」ケルンテンへ汽車で向かう途上、それはまさにその日の午後のことだったのですが、その事実を知ることになりました。

 「第3曲」は、エリカの香の印象です。このエリカの花は、森の中の私にとってもとても意義深い場所で摘みとったもので、私はこれを棺架の上に置いたのです。

 「第4曲」目には、あとになって「葬送行進曲」という表題を与えました。私は今でもまだ、棺の後ろを墓地へと歩いて行ったこの時の私の感情を理解できません。わかっているのはただ、そのあいだずっと、背筋をぴんと伸ばして歩いて行ったということだけです。それはもしかすると、広い範囲にわたってあらゆる低俗なものの力を退けるためだったのかもしれません。私の申し上げることを正しく理解していただきたいのですが、私はこの独特な状態について明らかにしたいと思っているのです。私はこのことはまだ誰にも話したことはないのですが、理解が終わった晩は、ほんとうに不思議でした。

「第5・6曲」私は妻[当時の妻ヴィルヘルミーネ]と連れだってもう一度墓地へと足を運び、埋葬された塚に供えられた花輪や花束をきれいにとととのえました。私はいつも、母と身体的に近いと感じていました。わたしは母がやさしく微笑んでいるのが見えました。それは一瞬のことでしたが、至福の感覚でした。その後、2回の夏[実際には、3回の夏]がすぎて、ようやくまた自分の家に戻ることになりましたが、その夏の終わりにこれらの曲[「6つの小品」]を書いたのです。私は毎日、夕方頃に墓を訪れました。もう夕暮れですっかり暗くなっていることもありました。

 さらに1933年、1928年に改訂されたこの曲が演奏される機会に、ウエーベルンは次のように短いコメントを、ある音楽雑誌に書いている。

 「この曲は、多くが3部形式だという意味で、短い歌曲の形式を取っている。主観的な連関は、それぞれの曲の内部においても存在しない。そういったものを与えなかったことは、意識的に行ったことでもある。次々に変化していく表現を求めていたからだ。これらの小品--純粋に叙情的性質をを持つ--の性格を簡単に述べると、第1曲はある不幸の予感を、そして第2曲はそれがほんとうにそうなったという確信を表している。第3曲は、きわめて繊細な対立・コントラストを表す。それはある意味で、第4曲、葬送行進曲への導入となっている。第5曲、第6曲はエピローグ--回想と諦念--である。この作品は1928年に、新しく楽器編成を行った稿を重ねることになった。この改訂稿は、初稿に対してきわめて簡潔なものとなっており、唯一有効なものと考えている。」

 1933年に書かれたこのコメントは、十二音技法時代のウエーベルンによって書かれたものだということをまず念頭においておく必要がある。このときのウエーベルンにとっては、無調性の時代に入ったばかりの1909年のこの曲の巨大なオーケストレーションに対して、より簡潔で透明性を増した改訂版が正しいものと考えられていたということになる。しかし、逆にいえば、無調性の初稿は、改訂版とは全く異なる志向を持つ作品として独自の価値を持つとということもいえるだろう。

 それはともかくとして、作曲家自身によるこれら二つのコメントから、この「6つの小品」を形成しているある明確なイメージ、あるいは母親の死にまつわる「物語」が浮かび上がってくる。それは確かに、その時体験されたさまざまな心情や出来事が、6つの曲においていわば時系列的に並べられることによってできあがる物語である。しかしそれと同時に、1933年のコメントでこれらの小品が「純粋に叙情的性質を持つ」と述べられていることも見逃すべきではないだろう。「叙情的」とは、「叙事的」に対置される言葉として、「物語」として語られるものではなく、ある感情や印象そのもの表現にかかわる。この作品の各曲に仮に表題が与えられることになったとしても、それらはR.シュトラウスの交響詩にしばしば見られるように、ある種の物語を紡ぎ出すものではなく、あるイメージに対してそれを何らかのかたちで呼ぶために名前がつけられたと考えられるだろう。「6つの小品」が作られとき、そこには確かにウエーベルン自身が語っているような物語的な流れが存在していたかもしれない。しかしそうだとしても、それぞれの曲が「純粋に叙情的性質を持つ」ということは、これらの小品によって与えられるものは、出来事の描写ではなく、出来事によって生み出されたウエーベルンのイメージそのものということになるだろう。

 6つの曲のそれぞれには、次のような速度・表情の指示、表題が与えられている。

 第1曲 ある程度動きをもった♪(八部音符)

 第2曲 動きをもって

 第3曲 繊細に動きをもって

 第4曲 ゆっくりと(♪)

 第5曲 非常にゆっくりと

 第6曲 繊細に動きをもって

初演:1913年3月31日 シェーンベルク指揮 ウイーン

    「私の師であり、友であるアーノルド・シェーンベルクに、この上ない愛情を込   

     込めて」献呈

マーラー:交響曲第6番 イ短調

 Ⅰ アレグロ エネジコ.マ ノン トロッポ  Ⅱ アンダンテ モデラート  Ⅲ スケルツオ  Ⅳ フィナーレ

《印象 感想など》

 第1楽章 低弦と合奏のマーチ。快調に進む。シンバルと弦のしっとりとしたテーマ。多様な打楽器の強打。打楽器ラインの面白い使い方。弦にロマンティックなテーマが出る。そしてまたマーチ。リズム感がとても良い。シンバルの一撃。メロディックなテーマが木琴に出る。  

 第2楽章 一転してメロディックなテーマが弦で歌う。しっとりとしたマーラーらしい旋律があふれ出す。よく歌い、流れる。 

 第3楽章 ティンパニーから合奏へと続く。打楽器がリズミックに続く。木管のおどけた音楽が出る。ホルンがメロディックなテーマを吹く。そして合奏が滑稽なメロディーを奏す。  

 第4楽章 むせぶような出だし。コントラバスのピチカート。二人のティンパニーの掛け合い。ハープ、シンバルが有名なテーマを奏す。トライアングルが出て、メタメタのテーマが奏され、そしてハンマーの一撃が。そして合奏が猛烈な音楽を奏す。そしてハンマーの二撃目。第一ヴァイオリンに素敵なメロディーが出て、オーボエがいいテーマを奏す。シンバル、トライアングルが出て、コーダへ突っ走る。コーダの最後で全楽合奏の一撃で終了。ブラヴォーの連呼。凄い演奏でした。

《曲目解説》 松下俊行(フルート)

■ハンマーを巡って

 「悲劇的」が演奏されるとなると、そこには必ずそのオーケストラの独自のハンマーが登場する事になる。楽員そして聴衆の感嘆・呆然・失笑が渾然一体となった束の間の称賛を浴びては忘れ去れるこの「楽器」は、言うなれば死と再生を繰り返しながら、着実に巨大化の道を歩んできた。

 確かに最終楽章の大音響の中でこのハンマーの効果を引き出す事は難しい。そこで音量を補強する手段としてハンマー質量増大が図られる。これは人類の限りない欲望の肥大と同様に、不可逆的な道筋となって久しい。前回よりサイズを小さくしましょうという声は、世界中の核兵器を廃絶しましょうというに等しく、誰でもその実現を信じていない。どこのオーケストラがどんなハンマーを使い、いかなる末路を辿ったかも耳に入る。かくしてハンマーの大型化は更に加速され、それはひとたび振り下ろされるや、人間の運命の変転よろしく奏者のコントロールを離れてしまい、指揮者はひたすら落下するハンマーの到達点を見定めて、オーケストラに出を合図せざるを得ないという段階まで、今や事態は深刻化しているのである。今世紀中には人力の及ばぬところまで極大化するだろう。

 マーラーはこのハンマーのパートを、総譜を脱稿した後に書き加えた。「金属的でない性質の音。(斧を打ち込むように)」との指定がある。言うまでもなくハンマーは楽器ではない。打楽器として転用するにせよ、それは叩く為の道具であって、叩くべき発音体がなければならない。鐘(つ)いて鳴るのは鐘であって撞木(しゅうもく)ではない道理である。(そしていくら撞木を大きくしても、鐘の音量は上がらない)。ところが作曲者は何を叩くかを指定せず、ただ音のイメージのみ示す。そこで一応は叩くべき対象について打楽器奏者は思案する。が、結局それよりは前述の通り、作曲家が指定しているハンマーの、サイズや仕様に帰着くさせてしまう傾向がある。基本的には指揮者も彼らの自主性に任せ、既存の楽器と組み合わせて現実の音を補強する挙に出る。と、その時点でハンマーは聴衆に対し、聴覚よりは視覚に訴え、彼らに実際以上の音を連想させる効果をもたらすべき象徴へと変質を遂げる。ここに於いてハンマーの無軌道且つ無謀とも見える巨大化は、音量を拡大する手段として間違ってはいるが、作曲者の意図を象徴する道具立てという意味ではきわめて正しいという推論が導き出される訳である。

では新響のハンマーはどうかというと、巨大化路線には与(くみ)せず叩くべき発音体の追求に力点が置かれている。所詮ハンマーは叩くための道具に過ぎぬという方針は、「悲劇的」を初めて演奏した1980年以来30年間、一貫して冷静なまでに維持されているのである。さすがというべきであろう(ちょっと寂しい気がするが・・・・)。

 ハンマーによる打撃は当初5回書き入れられていた。その後3回に減らされ、初演では最終的に2回となった。だから妻であったアルマの語る、初演翌年の1907年に訪れるマーラーの人生への3つの打撃(長女の死・死病となった心臓病の判明・ウィーン宮廷歌劇場との訣別)の暗示とこれを解するのは、あとづけの理屈にもなっていない。この作品を書いた1903~4年はマーラーの人生に於いて順風満帆の時期だった。いま思えばあの時期がピークだったとその後の結果を知る人は、そこに何らかの衰微の兆しを見出す事でひとつの物語を完結させようと務めがちである。マーラーの死後30年を経て語られたアルマの回想が、そうした「因果」の物語に満ちている事はには、よくよくの注意を払わねばなるまい。

「悲劇的」の誕生

 グスタフ・マーラーは1911年に51歳を目前に死んだ。その生涯に生み出した作品数は決して多くはない。音楽大事典に載るその全作品リストは2ページに満たない(「M]つながり言えば同書に見えるモーツァルトのそれは25ページに及ぶ)。彼はウイーンの音楽院で作曲を学んだものの卒業時のコンクール選考に落ち、指揮者としてスタートした。ヨーロッパ各地の劇場を転々とし、37歳(1897年)でウイーン宮廷歌劇場の音楽監督の地位に登りつめる。この悲願の実現に際し、ユダヤ人たる彼はカトリックへの改宗に踏み切っている。ヨーロッパ最高峰、という事は世界最高峰の指揮者としての多忙な日々・・・・年間に100回もの演奏会(勿論練習は別にある)・・・・の中で、2ヶ月弱の夏の休暇期間だけが自らの創作に許されていた時間だった。

 限られた時間の中で彼の創作の主体となった交響曲は、最初期段階から従来この作品のジャンルが持っていた「時間の経過に伴う発展と終結」にこだわらぬスタイルを持っていた。それは例えばテーマの発展性に対する無関心であり、ソナタ形式からの離脱であり、楽章間の調的な連続性を含めた関連性の否定といったものである。卑俗な音楽をも取りこんだ作品は、ベートーヴェン以来の交響曲になじんだ聴衆に「つぎはぎだらけ」の印象をもたらし、故に指揮者の余技に過ぎぬの非難も受けた。そうして最初の4曲の交響曲は書かれた。これらは並行して創作された彼の歌曲と密接な関係がある。20世紀迎えて以降に書いた3曲の交響曲は、様々な特殊楽器と前世紀に発展を遂げた管楽器を含んだ大編成の純楽器作品で、ウイーン宮廷歌劇場のオーケストラを掌中にしたマーラーにして、初めて完成し得た世界だった。

 さて第6交響曲である。マーラーの全11曲の交響曲中ちょうど中間に位置するこの作品は、ソナタ形式(もちろん極度に複雑化している)による両端の楽書を備え、全曲に一貫するテーマを持つなど、ほぼ唯一古典的スタイルを保ち、彼のそれまでの「交響曲」とは一線を画している。

 イ短調で書かれた交響曲は何故かこの作品以前には余り例がない(『スコットランド』くらいだろうか)が、それに加えて他の主要楽章もその調性に基づいているという一貫性。楽章間の調的関係についてこだわりを見せなかった作曲者が、こうしたスタイルを維持している事はもっと注目されて良いだろう。この調性の持つ色調(トーン)が作品全体を覆い、交響曲としての統一感をもたらしている事は間違いないのだから。

 そしてこの色調ゆえに「悲劇的」の名も定着している。作曲者による命名ではないが、初演時のプログラムの表紙に既にそれは明示されており、指揮をしたマーラーもこれに頓着しなかった。聴衆は新しい音楽に込められている意味を見出すためのヒントを常に求める。それが片言であっても構わない。むしろ作品全体のムードを象徴する、気の利いた一言を好む。そんな手垢じみた空疎な一言で作品が表現されうるものなら、作曲家は複雑で長大な音楽など書く必要もないのだが、マーラーは最初の交響曲に「巨人」の表題を用いたが、その表題と音楽の細部との関連について説明を求められる煩雑さ故に、これを撤回している。第3交響曲には楽章ごとに表題を付したが、やはり後に全てを取り去った。このように表題によって作品の持つ多面性が損なわれることを避けようと行動した同じ人物が、第6交響曲のみ看過した真意はもはやわからない。

 「私の『第6番』は、私の最初の5つの交響曲を吸収し、それを真に消化した世代だけが、その解決を企てうる謎を提供するだろう」とはマーラーの書簡にある言葉である。晦渋(かいじゅう)な言葉だが、これまでの自身の交響曲の集大成を生み出した自信が伝わる。それが『悲劇的』の名を敢えて認識するだけの余裕を、作曲者に与えていたと解すべきだろうか。

■第1楽章

 マーラー特有の行進曲風の出だし。やがてこの作品に一貫する長和音→短和音のハーモニーの変転と打楽器による指導動機=「モットー」が現れる。次いでノスタルジックな旋律が提示される。アルマはこれを作曲家が与えた自分へのテーマと回想しているが、ソナタ形式の各主題としての対照性を際立たせている事のほうがよほど重要だ。この2つの主題の提示部はマーラーの交響曲としては例外的に繰り返される。

 途中チェレスタを伴ってカウペルが彼方から響く。作曲者はこれを「非音楽的な日常の断片」となるように奏者に指示する一方で、「この演奏上の注意は、決して表題的な意味をもたらさないということ、その事ははっきり釘をさしておきたい」と、具体的な情景と無縁である事を強調している。

 イ長調(同主調)にに転じた第2主題を以て楽章は締めくくられる。

■第2楽章

 楽章配置に最後まで迷ったものの、初演を含めマーラー自身が指揮をした演奏は全てここに緩徐楽章を置いている。古典的な楽章配列に落ち着いたわけである。

 特徴のある跳躍の音型が動機となって、楽章全体を覆う。めまぐるしい転調の中で音楽の色彩変化が繰返されるが、主調に戻り静謐(せいひつ)の中で終結する。

■第3楽章

 激情・無邪気・グロテスクといったあらゆる感情の錯綜する楽章と言える。スケルツォと題されているが、激情の部分については第1楽章に通じる部分を持っている。(同じくイ短調)。続けて演奏されれば楽章の転換の気分は表れにくく、作曲者が配置を変えた理由のひとつと言われる。

 トリオにあたる部分は長調に転調し、拍子もめまぐるしく変わる。アルマは、マーラーとの間に設けたふたりの娘がよちよち歩く様の描写であり、やがてそれが長女の死に向かう楽想であると回想しているが、次女はこの作曲の最中に生まれたばかりであり、「ふたりの娘」の描写と矛盾する。ここにも彼女の牽強付会(けんきょうふかい)がある。

 モットーの長和音→短和音が繰返し現れながら次第に弱まって終わる。

■第4楽章

 マーラーの書いた最長楽章のひとつ。ここだけで約30分かかる。長い序奏が入る最終楽章も、彼の交響曲にはあまり無いスタイルである。このテーマは都合3回現れ、その都度モットーにつながっていく。

 ハンマーの打撃は、速度を速めた音楽の最高潮に1度、しして退潮の兆しが明確になった曲調を再度奮い立たせるために1度加えられている。当初考えられていた最後の打撃は3度目に楽章冒頭のテーマが現れる箇所であり、既に全体の音量も下がっている。これを「英雄への最後の一撃」と解する向きもあるが(作曲者がそうコメントしたという)、この部分にのみそうした具体性を迫っても他の楽章から一貫したテーマが見えてくる訳ではない。せいぜいがこの楽章に限定された「気分」にすぎない。

 楽章冒頭の葬送的な旋律が金管群によって奏されたのち、打楽器を含むモットーが短和音のまま現れて、断ち切られたように突然終わる。

初演:1906年5月27日 エッセン

    全ドイツ音楽連盟音楽祭にて作曲者自身の指揮による

《プロフィール》

指揮:高関 健

 桐朋学園大学在学中の1977年にカラヤン指揮者コンクールジャパンで優勝。翌年同大学卒業後、ベルリン・フィル・オーケストラ・アカデミーに留学、1985年までカラヤンのアシスタントを勤めた。1981年タングルウッド音楽祭で、バーンスタイン、小澤征爾らに指導を受け、同年ベルゲン交響楽団を指揮してヨーロッパセビュー。1983年ニコライ・マルコ記念指揮者コンクール第2位入賞。1984年ハンス・スワロフスキー国際指揮者コンクール優勝。1985年1月、日本フィル定期演奏家で質の高い演奏を披露、その後の活躍の礎を作った。1991年にはN響定期演奏会に出演し絶賛を博した。・・・・・

 現在、札幌交響楽団正指揮者(2003年4月~)。1996年6月渡邊暁雄音楽基金音楽賞受賞。桐朋学園大楽と東京藝術大学で後進の指導にも当たっている。

新交響楽団

 19056年創立。会社員、教員、学生、主婦など、さまざまな職業、年齢にわたる団員で自主運営されているアマチュアオーケストラである。東京を拠点として年4回の自主演奏会を中心に演奏活動を行い、演奏曲目への深い共感に根ざしたハートのある演奏を展開している。

 創立以来、音楽監督・故芥川也寸司の指導のもと、旧ソ連演奏旅行、ストラヴィンスキー・バレー三部作一挙上演、10年に及ぶ日本の交響作品展(1976年サントリー音楽賞受賞)、ショスタコーヴィチ交響曲第4番日本初演などの意欲的な活動を行ってきた。またマーラー交響曲全曲シリーズ(山田一雄指揮)、細川俊夫委嘱作品「ヒロシマレクイエム」初演など、オーケストラとしての可能性を最大限に生かした積極的かつ幅広い且つ幅広い活動を実施しており、各方面から注目を集めている。・・・・・

《レコードやCDのことなど》

マーラー:交響曲第6番「悲劇的」

 レコードやCDは自分の気に入ったものを聴いていればいいわけですが、今回はいわゆるマーラー指揮者でないものを1枚。ジョージ・セル指揮クリ-ブランド交響楽団のLPレコード。これは1967年のライブ録音です。これは本当に凄い演奏です。併せて未完の交響曲第10番が入っています。

追記ですが、柴田南雄著「グスタフ・マーラー-現代音楽への道-」岩波新書 1984年10月22日第1刷発行はマーラーの交響曲の1番~10番まで、作曲家らしい解説が見事で、マーラーの交響曲の日本での演奏歴も詳しく参考になる。

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2009年8月 3日 (月)

演奏会にいってきました「2009都民芸術フェスティバル助成公演 新日本フィルハーモニー交響楽団 J・S・バッハ:シンフォニア、ハイドン:チェロ協奏曲 ニ長調、ブラームス:交響曲第2番」(2009-17)

2009年3月26日(木)7:00pm開演 東京芸術劇場大ホール(JR池袋駅徒歩5分) 私の席 Q列18番

《プログラム》

指揮:ゲルイハルト・ボッセ  チェロ:山崎伸子  新日本フィルハーモニー交響楽団  コンサートマスター:西江辰郎

J・S・バッハ:シンフォニア ニ長調 作品18-3

ハイドン:チェロ協奏曲 ニ長調 作品101(Hob.Ⅶb-2)

《印象 感想など》

J・S・バッハ:シンフォニア ニ長調 作品18-3

 Ⅰ アレグロ  Ⅱ アンダンテ  Ⅲ アレグロ アッサイ

 コントラバス 左奥1。チェンバロ 中央前。

第1楽章 快活な出だし。弦を中心としたアンサンブル、とても良い。  第2楽章 よく歌い、流れる。チェンバロ、響く。フルート等木管鳴る。  第3楽章 テンポを上げて走る。ホルン響く。コーダ、収まる。

《プログラムノーツ》  大木正純

 ヨハン・クリスティアン・バッハ(1735~1782)は大バッハの末息子。父が他界したときにはまだ15歳だったため、当時ベルリンにいた兄エマーヌエルに引き取られ、音楽の基礎をみっちりと叩き込まれた。時代が違うと言うべきか、あるいは終生チューリンゲン地方に留まった腰の重い父とは性格がかけ離れていたとみるべきか。やがてドイツを飛び出して国際的な活躍を繰り広げる。すなわち、21歳の年にイタリアに渡り、数年後にはミラノの大聖堂オルガニストに就任する。一方、父は全く縁のなかったオペラを手がけて大成功を収めた。さらに27歳の年にはイギリスに移住、オペラを中心にここでも時流に乗った人気作曲家として一世を風靡する。ロンドンで公開コンサートのシリーズ「バッハ・アーベル演奏会」を主宰したり、当地を訪れた幼いモーツァルトと親しく接したのはよく知られている通りである。

 今回取り上げられるシンフォニアはクリスティアン・バッハの晩年、1781年ロンドンで出版された「6つの大序曲」作品18に含まれる1曲。作曲されたのはおそらく40歳前後、47年足らずの短い生涯の、最も脂の乗りきった時期である。

 作品18の6曲は半分が通常のオーケストラ、残り半分が2群のオーケストラのための曲として書かれており、この第3番ニ長調は後者の方。オーケストラを大きな合奏部分と多少補助的な部分に分けて対比させるやり方は、バロック時代のコンツチェルト・グロッソ(合奏協奏曲)の流れを汲むもので、当時の過渡的な様式を示すものと言える。

 なお、この曲を「交響曲」と表記すべきかどうかはいろいろな意味で微妙なところ。「シンフォニア」はある時期からオペラなどの序曲をさす言葉として使われ、それが独立した急~緩~急の3部からなる楽曲として発展したあと、やがて古典派において交響曲として完成されるのである。クリスティアンのこのニ長調の曲は、そもそもはロンドンで上演されたあるセレナータ(オペラないしカンタータ風の音楽)の序曲として書かれたものということで、簡潔な3楽章の構成からみても、やはりシンフォニアとするのが実質にふさわしいのではないだろうか。明快で流麗なアレグロから、優美なアンダンテ、活気溢れるアレグロ・アッサイの終曲と続く構成で、演奏時間は15分程度と思われる。

ハイドン:チェロ協奏曲 ニ長調 作品101 Hob.Ⅶb-2

 チェロの山崎、緑っぽい衣装で登場。 第1楽章 伴奏は親しみやすいテーマ。チェロは艶のある素敵な音色を奏でる。カデンツァもとてもよい。  第2楽章 ゆったりとした楽章。チェロがよく歌い、流れる。チェロの艶のある中高音がよく鳴る。  第3楽章 ハイドンらしくあまり粘らず、すっきりと流れる。コーダ盛り上がり、満場の拍手。

アンコール 3楽章

 ブラヴォーがかかる。

《プログラムノーツ》 大木正純

 今年ハイドン(1732~1809)の没後200周年。オーケストラ・コンサートでも、彼の作品がプログラムを飾るチャンスがこれまで以上に多くなるだろう。チェリストにとっては、2曲の協奏曲という格好のターゲットがある。

 ところで、いまでは古典派協奏曲の名作としてハイドンの代表作のひとつに数えられるこのニ長調(第2番)は、ほんの半世紀ほど前までは、アントン・クラフトというチェリストの作ではないかという疑いが濃厚とされていた。クラフトはハイドンのエステルハージ家宮廷楽長時代の後半、1778年から90年まで楽団に所属した人物で、相当な名手だった模様である。曲がクラフト作と推測された根拠は、ひとつには彼の息子がそう主張したこともあるが、同時に、チェロの華麗な技巧を駆使した作風がいかにもヴルトオーゾ演奏家的な発想で、通常はどちらかと言えば地味なハイドンの協奏曲書法と違和感があったためではないだろうか。

 しかし、1954年になってれっきとしたハイドンの自筆譜がウイーンで発見され、めでたく一件落着となったのである。思うに、ハイドンはクラフトの技量を前提にこの曲を書き、しかもその際、彼からかなり突っ込んだ技量面の進言を受けたのではないだろうか。

 その自筆譜によるとこの曲は1783年、ハイドン51歳の年に作曲された。それはまさに各ジャンルを通じて彼が真に古典的な手法の熟練を手にした創作の絶頂期で、この曲がバロック様式を完全に脱却した、新しい息吹に満ちているのも当然のことと頷けるのである。

 曲は3楽章構成。優雅な響きの中にもハイドンならではの風格を感じさせる第1楽章アレグロ・モデラートから、旋律楽器としてのチェロの魅力を余すところなく生かしたアダージョを挟んで、最後はアレグロの明るく活発な終曲で締めくくられる。

ブラームス:交響曲第2番 ニ長調 作品73

《印象 感想など》

 第1楽章 コントラバス、右奥。春の田園を思わせる有名な出だし。懐かしさがこみ上げる。なんとも和やかな第2テーマが続く。ブラームスはメロディーメーカー。次々と素敵なメロディーが湧いてくる。快調なアンサンブルが続き、テンポを速めながら、盛り上がる。そして穏やかに1楽章が終わる。  第2楽章 弦楽器から入る。中低音で繋ぎ、素敵なテーマが続く。コーダはティンパニー、弦のピチカート、全合奏で盛り上がる。  第3楽章 少し弾みをつけたテーマで始まり、途中から弦の刻むようなテーマに移り、テンポを上げて流れる。  第4楽章 弦のアンサンブルで始まり、フォルテで元気のよいテーマを奏する。ティンパニー、クラリネット等で繋ぎ、弦合奏で有名なテーマが続く。弦中心のアンサンブルでコーダへ。弦が爽やかなテーマで繋ぎ、コーダへ。分厚いアンサンブルが続き、活気のある終曲へ。大いに盛り上がり、テンポを速めエンド。盛大な拍手。ブラヴォーの嵐。快演。

《プログラムノーツ》 大木正純

 ワーグナーが、作曲を学ぶ若者なら誰もが一度は試みる「習作」として、まだ20歳になる前に1曲だけ交響曲を書いたあと、もうこの分野にはほとんど未練は持たなかったのとは対照的に、遅れてきた古典主義者ブラームス(1833~1897)にとっては、交響曲は、これはどうしても避けて通るわけにはゆかない最重要課題だった。

 第1交響曲が、そもそものスタートから最終的な完成まで何と20年あまりの歳月を要したのも、ブラームスの志があまりにも高く、並大抵なところで妥協することができなかったからに違いない。それでも彼は、その難関をついに突破する。

 第2交響曲は第1番の翌年、ブラームスの44歳の1877年6月に着手され、今度は見違えるような速筆で、9月にはもう書き上げられてしまった。懸案だった第1交響曲の完成と、その初演の成功とが、彼の肩にのしかかっていた大きなプレッシャーを取り払ったことを、それは物語っている。第1交響曲ももちろん不滅の名作である。だがその意味で、ブラームスが気負いを捨て、隅から隅まで完全に彼自身の言葉で語り始めるのは、この第2番と言えるのではないだろうか。作曲はアルプスの山々を仰ぎ見る南オーストリアの風光明媚の地ペルチャッハで行われた。その美しい自然がスコアの随所に影を落として、何とも言えぬ魅力をこの交響曲に与えている。なお、初演は完成の年の12月30日に、ハンス・リヒターの指揮のもとに、ウイーンで行われた。

 曲は4楽章で、とくにアレグロ・ノン・トロッポの第1楽章はきわめて規模が大きい。ホルンの呼びかけに木管が応える第1主題、チェロとヴイオラに出る揺れるような第2主題、さらに第2主題に先立ってヴァイオリンが高らかに奏でる澄明なメロディーなど、美しい楽想がいっぱいである。そのあと、いかにもブラームスらしいチェロのチャーミングな主題に始まる第2楽章アダージョ・ノン・トロッポ、そこはかとない哀調を秘めた間奏曲風のアレグレット・グラツィオーソを経て、最後はアレグロ・ロン・スピーリトの終曲が力強いクライマックスを築く。

《プロフィール》

指揮:ゲルハルト・ボッセ

 1922年、ライプティヒ近郊のヴルツェン生まれ。ヴァイオリンをE・ヴォルガント教授、ライプトィヒ音楽院では、W.ダヴィッソン教授に師事。在学中からゲヴァントハウス管弦楽団の代用メンバーを務め、第二次大戦中はリンツ帝国ブルックナー管弦楽団に所属し、フルトヴェングラーやカラヤン等のもと演奏活動に従事した。1946年、ワイマール音楽大学の講師、1949年に教授就任。1951年、ライプトィヒ放送交響楽団第一コンサートマスター、同時に母校ライプトィヒ音楽院の教授に就任する。1955年、ゲヴァントハウス管弦楽団の第一コンサートマスターに迎えられ、同弦楽四重奏団の第一ヴァイオリン奏者としての活動も開始。1987年に引退するまでコンヴィチュニー等歴代の指揮者、国際的なソリスト達と共演した。1962年、ゲヴァントハウス・バッハ・管弦楽団を創立、ソリスト兼指揮者として活躍した。・・・・・1994年から通算7年、東京藝術大学客員教授を務め、以来日本に在住。

 近年は指揮活動に専念し、ゲヴァントハウス管弦楽団や新日本フィルハーモニー交響楽団をはじめとする日本の主要オーケストラへの客演多数。・・・・・

 2009年からジャパンアカデミックフィルハーモニック初代音楽監督に就任することが決定している。1962年と66年にドイツ民主国家国家賞、1972年ライプトィヒ市ニキシュ賞、1998年ドイツ連邦共和国第一等功労十字勲章を授与される。・・・・・

チェロ:山崎伸子

 広島生まれ。桐朋女子高等学校音楽科、同大学音楽学部卒業。斎藤秀雄、レイヌ・フラショー、堤剛、安田謙一郎、藤原真理各氏に師事。第1回民音室内楽コンクール第1位、第44回日本音楽コンクール・チェロ部門第1位、卒業後、文化庁海外派遣研修員として2年間ジュネーブでピエール・フルニエに師事。・・・・・

 1987年「村松賞」、「グローバル音楽賞第1回奨励賞」受賞。東京藝術大学准教授。

新日本フィルハーモニー交響楽団

 「一緒に音楽をやろう!」1972年、指揮者・小澤征爾のもと楽員による自主運営のオーケストラとして創立。以来、優れた企画と充実した演奏で好評を得てきた。1997年より葛飾北斎生誕地、国技館などで知られる歴史と伝統の街・墨田区に移転同年オープンの「すみだトリフォニーホール」を活動の本拠地とし日常の練習と公演を行うという日本初の本格的フランチャイズを導入。・・・・・

 1999年、桂冠名誉指揮者に小澤征爾、2003年、音楽監督に1971年生まれのクリスティアン・アルミンクが就任。若手指揮者の異例の抜擢に音楽界の注目を集めた。・・・・・

《レコードやCDのことなど》

ブラームス:交響曲第2番

 レコードやCDなどは自分の気に入ったものを聴いていればいいわけですが、私はピエール・モントウー指揮ロンドン交響楽団、ギュンター・ヴァント指揮北ドイツ放送交響楽団、バルビローリ指揮ウイーンフィルハーモニー管弦楽団のCDを聴いてきました。

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2009年8月 1日 (土)

紀尾井ニュー・アーティスト・シリーズ 河村尚子 スカルラッティ、ドビュッシー、ショパン」(2009-16)

2009年3月24日(火)午後7時開演 JR、東京メトロ四谷駅徒歩7分(ソフィア通り) 私の席5列13番(全員招待 ど真ん中の席)

《プログラム》

スカルラッティ:ソナタホ長調 K.380

         ソナタニ長調 K.492

         ソナタヘ短調 K.466

         ソナタハ短調 K.158

         ソナタハ長調 K.357

ドビュッシー:月の光(「ベルガマスク組曲」より)

        アラベスク 第1番 ホ長調

        アラベスク 第2番 ト長調

        ピアノのために

ショパン:舟歌 嬰ヘ長調 Op.60

      夜想曲 第7番 嬰ハ短調 Op.27-1

      夜想曲 第8番 変ニ長調 Op.27-2

      バラード 第3番 変イ長調 Op.47

      アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 変ホ長調 Op.22

未来に響く新しい音の流れ

 将来性豊かな魅力ある新進演奏家たちを広く紹介してゆく「紀尾井ニュー・アーティスト・シリーズ」。日本の音楽界の新しい動き、新しい波をお伝えしてまいります。紀尾井ホールから未来に響く瞬間をぜひご一緒に。

《プログラムノーツ》 伊熊よしこ

 河村尚子は規模の大きな派手な作品や、ヴィルトォオーゾな作品よりも、親しみやすく情感豊かで旋律の美しい作品を得意とするピアニストである。演奏は気負わず気どらず自然派。ピアノのひとつひとつの音が心の歌を奏で、内省的で静謐でこまやかなニュアンスに富む。これまでシンプルで叙情的な作品を好んで演奏し、ショパンではごく自然なルバートを表現。心に近いというモーツァルト、ブラームス、フランク、プロコフィエフでは各作品の中に光りを見出し、遊び心を探し求め、聴き手の心に響く演奏を心がけてきた。

 目下の課題は「フォーム(全体の構成)」。これは音楽を表現する上でひとつのスキルかも知れないが、とても大切な要素だと考えている。今回は古典的な構成とシンプルな美質に貫かれたスカルラッティ、色彩豊かでピアノから響きの多様性を引き出すドビュッシー、そして大好きなショパンという選曲。心に語りかけてくる音楽が生まれるに違いない。

《印象 感想など》

スカルラッティ:ソナタ ホ長調 K.380、ソナタ ニ長調 K.492、ソナタ ヘ短調 K.466、ソナタ ハ短調 K.158、ソナタ ハ長調 K.357

 奏者は紫ぽい衣装で登場。ホ長調は、有名な知っている曲。チェンバロらしい響きがする。明るいタッチのみずみずしい演奏。  ニ長調は、テンポの速い、リズミックな曲。  ヘ短調は、憂いを帯びた短調の響きの曲。軽いタッチの曲。  ハ長調のソナタは、一転、明るい感じの曲。玉を転がすような演奏。何れの曲も、元はチェンバロの曲だと思わせる。デリケートさを感じさせる演奏。

《プログラムノーツ》 伊熊よしこ

 スカルラッティの現存する555曲以上のチェンバロ・ソナタは、ポルトガルのマリア・バルバラ公女の音楽教師を務めたときにポルトガルとスペインの官廷でそのレッスン用に作曲されたものといわれ、速いテンポ、きらびやかな装飾音などが明るい南国を連想させる。なお、作品には編集にあたったロンゴ(L)とカークパトリック(K)のイニシャルがちけられ、両者の番号には各々違いがある。

 ソナタホ長調はスカルラッティの全ソナタのなかでもっとも有名で、録音も多い。昔から多くの音楽家に影響を与えてきた。  ソナタ ニ長調はスペインのアンダルシア地方の民謡、踊りのブレリアが用いられている。

 ソナタヘ短調は2組の8分音符による伴奏の上に、3連符が置かれている。

 ソナタ ハ短調は高度な鍵盤技巧を必要とするフレーズが随所に登場し、音型が密集している。

 ソナタ ハ長調はスペインの5オクターブの楽器を想定して書かれたのか、チェンバロの最高音が多く用いられ、形式も多様性をもつ。

ドビュッシー:月の(『ベルガマスク組曲』より)

 情感が滲み出た煌めくような素敵な演奏。テクニックは申し分ない。

         アラベスク 第1番 ホ長調

 ドビュッシーらしい、映像感溢れる曲、きらびやかな曲。

         アラベスク 第2番 ト長調

 付点音符が印象的な曲。

         ピアノのために

 Ⅰ プレリュード  Ⅱ サラバンド  Ⅲ トッカータ

Ⅰ テンポの速い出だし。ダイナミックな曲。  Ⅱ 落ち着いた品のある調べ。  Ⅲ テンポのよい、ダイナミックな曲。コーダ、盛り上がる。

《プログラムノーツ》 伊熊よしこ

ドビュッシー:月の光

 全4曲からなるピアノ曲集「ベルガマスク組曲」の第3曲。「ベルガマスク」とは、ドビュッシーがイタリア留学中に訪れたベルガモ地方の舞曲「ベルガマスカ」に由来しているといわれるが、同時にヴェルレーヌの詩集「雅な宴」のなかの「18世紀の宮廷的(ベルガマスクな)」からインスピレーションを得たとも考えられている。月の光が水面に輝く輝く光景をロマンティックに描いた名曲。

        アラベスク第1番、第2番

 ドビュッシー初期の作品で、1888年ころに書かれている。第1番は美しいアルペジオが印象的に用いられ、対位法的な書法、洗練された優雅な表現力が特徴。

 第2番は3連符と8分音符の組み合わせによる、生き生きとした躍動感あふれるリズムが全編にちりばめられている。

        ピアノのために

 古典組曲風のタイトルをもつ3曲からなる。豊かな色彩感、至難な技巧、ドビュッシー特有の和声の技巧が織り込まれた意欲作。

 第1曲「プレリュード」は「力強く、よいリズムで」と指示されている。高度な演奏技術が要求され、軽快で急速な音の連なりに鮮やかな色彩感が浮かび上がる。

 第2曲「サラバンド」は「優雅な落ち着いたゆるやかさをもって」と記され、18世紀クラヴサン作品の古典的舞曲の形式が取り入れられている。

 第3曲「トッカータ」はスカルラッティ風の古典的な構造で、始まりは急速な音の流れにつながる。深刻さを増し、ついに狂乱のクライマックスに達する。

 Op27-2は前作とは正反対の甘美な旋律と詩的なハーモニーをもつ。2つの主題が3回繰り返して登場し、3度と6度の重音などで精巧に装飾される。美しいコーダも印象的。

ショパン:舟歌 嬰ヘ長調 Op.60

 美しい旋律の曲。柔らかいメロディーが印象的。

      夜想曲 第7番 嬰ハ短調 Op.27-1

 少し強いタッチが求められる。影を感じさせる曲。短調の響き。ショパンらしい歌。少し寂しいメロディーも聴かれる。

      夜想曲 第8番 変ニ長調 Op.27-2

 明るめの弾むような表情の曲。よく聴くメロディー。繊細な演奏。

      バラード 第3番 変イ長調 Op.41

 有名な曲。よく歌う弾き方。後半はダイナミックな面も。

     アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 変ホ長調 Op.22

 素敵な弾むようなテーマ。玉を転がすような演奏。泣かせるメロメロのメロディーも。快演。ショパンは絵画のように、詩のように、映像のように聴き手を刺激し想像力を喚起する。豊かな歌と叙情性を感じさせる演奏。

《プログラムノーツ》  伊熊よし子

ショパン:舟歌 Op.60

 ラヴェルやブラームスら次世代の音楽家を魅了したこの作品は、ジョルジュ・サンドとの破局を控え健康的にも衰えが見えたころに書かれた。ショパンのピアニズムの集大成といわれ、高度な技術が要求される。ヴェニツィア特有のゴンドラのリズムに乗せて寂寵感をただよわせている。しかしショパンは通常の舟歌の8分の6拍子に代わり、8分の2拍子を採用。磨き上げられ、創意と魅惑に満ちた優美な旋律が心に響く。

2つの夜想曲 Op.27

 Op27-1はピアニシモの8分音符6連音の伴奏音型で始まる。その主題は暗く悲痛な面持ちだが、次第に深刻さを増し、ついに狂乱のクライマックスに達する。

 Op.27-2は前作とは正反対の甘美な旋律と、詩的なハーモニーをもつ。2つの主題が3回繰り返して登場し、3度と6度の重音などで精巧に装飾される。美しいコーダも印象的。

バラード 第3番 Op.47

 ショパンはバラードを4曲書いているが、いずれも傑作に数えられている。1835年から1843年にかけての創造の絶頂期に作曲され、ピアノ技法を存分に生かしたものとしてショパンのピアノ作品の頂点をなす作品となっている。

 第3番はショパンが親しい友人や知人に囲まれ、一番幸せだった時期1840年から翌年にかけての作品。これはミツキエヴィチの「水の精」という詩からインスピレーションを得て書かれたといわれる。A-B-Aの部分とコーダからなる。他の3曲に比べると洗練された華やかさをもち、貴族的な品格が感じられる。それは優美な主題や、最後のワーグナー風のコーダなどにも感じることができる。

アンダンテ・スピヤナートと華麗なる大ポロネーズ

 本来、ピアノとオーケストラのために書かれた作品で、ポロネーズの部分は1830年から翌年にかけて書かれ、次いで1834年に序奏の部分が書き加えられ、今日のようなきらびやかな作品となった。のどかで牧歌的な色合いをもつアンダンテに続き、ポーランドの民族色豊かなポロネーズが多様な技巧を伴って現れる。若きショパンの初々しく華麗な書法が全編に流れる作品である。

《プロフィール》

ピアノ:河村尚子(ひさこ)

 2006年、権威ある難関ミュンヘン国際コンクール第2位、続いて翌年、多くの名ピアニストを輩出しているクララ・ハスキル国際コンクールにて優勝を飾り、世界の注目を浴びる。

 1986年渡独。ハノーファー国立音楽芸術大学在学中にヴィオッティ、カサグランデ、ゲーザ・アンダなど数々のコンクールで優勝・入賞を重ねる。・・・・・

 クラシック界に新風を吹きこむ新進気鋭のピアニストとして、今後も期待されている。・・・・・現在、ハノーファー国立音楽芸術大学ソリスト課程に在籍。兵庫県生まれ。

《レコード CDのことなど》

スカルラッティ:ピアノ(チェンバロ)曲

 レコードやCDは自分の気に入ったものを聴いていればいいわけですが、スカルラッティの(今回は)ピアノ演奏曲は、私はクララ・ハスキルとウラディーミツ・ホロヴィッツのLPレコードをよく聴いてきました。

ドビュッシー:ピアノ曲

 私はパスカル・ロジェのピアノのLPレコードを聴いてきました。

ショパン:ピアノ曲

 ウラジミール・ホロヴィッツのピアノのLPレコードをよく聴いてきました。

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2009年7月28日 (火)

演奏会に行ってきました「2009都民芸術フェスティバル助成公演 日本フィルハーモニー交響楽団 ブラームス・プログラム :大学祝典序曲、ヴァイオリン協奏曲、交響曲第4番」(2009-15)

2009年3月12日(木)7:00pm開演 (JR池袋駅徒歩5分)日本演奏連盟よりオーケストラ公演一括購入 私の席A席Q列18番通し券 満席

《プログラム》

~ブラームス・プログラム~

大学祝典序曲 作品80

ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77

交響曲第4番 ホ短調 作品98

指揮:梅田俊明  ヴァイオリン:竹澤恭子  コンサートマスター:木野雅之

《印象 感想など》

大学祝典序曲 作品80

 この曲を聴くと、どうしてもラジオの「大学受験講座」を思い出す。厚みのあるアンサンブル、テーマでグッとくる。次々とドイツの学生歌のメロディーが出てくる。青春賛歌。大太鼓やトライアングルなどが出てきて、よく流れ歌う演奏。コーダ、大いに盛り上がる。

《プログラムノーツ》  道下京子

 ヨハネス・ブラームス(1833~1897)が作曲した序曲は2曲である。1つは、1879年にプレスラウ大学から名誉博士号を授与されたことへの返礼として、1880年に作曲された《大学祝典序曲》である。もう1つは、厳粛な雰囲気の《悲劇的序曲》である。ほぼ同時期に作曲されたこの2曲は、交響曲の作曲経験を土台として、様々な作曲経験も見られる。

 1880年夏、ブラームスは、オーストリアの避暑地バート・イシュルに初めて滞在し、名誉博士号授与への返礼のための作品の創作に着手した。作曲は速いスピードで行われ、8月に着手、9月に完成を見た。初演が行われたのが授与式の折で、1881年1月4日、ブラームスの指揮により、ブレスラウで行われた。この作曲に当たり、ブラームスは、学生生活を作品に取り入れることを構想し、《ドイツ学生のための酒宴歌曲集》に収められた学生歌4曲(「我らは立派な校舎を建てた」「領邦君主」「新入生の歌:」「喜びの歌」の旋律を、作品に織り込んだ。まず、第63小節からトランペットによって「我らが立派な校舎を建てた」の旋律が厳かに演奏される。第129小節には「領邦君主」の旋律が現れてヴァイオリンが奏でる。続いて、第157小節からの「新入生の歌」の旋律は、ファゴットによって軽快に開始する。最後に「喜びの歌」の旋律が第379小節から示されて、音楽は壮麗な雰囲気に包まれて結ばれる。

 《大学祝典序曲》は、オーケストレーションの実験の場でもあった。特に、多彩な打楽器の使用は注目される。この作品には、ティンパニーをはじめ、大太鼓、トライアングル、シンバルなどの打楽器が用いられている。ブラームスが、トライアングルを管弦楽曲に使用したのは、この作品が初めてであり、後に作曲された《交響曲》第4番におけるトライアングルの使用に、少なからず影響を与えている。

ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77

《印象 感想など》

 竹澤 黒っぽいシックなドレスで登場。 第1楽章 ブラームスらしい出だし。ヴァイオリンはきりりと引きしまった美音。よく歌い、鳴り響く。梅田は快調に付ける。ヴァイオリンは艶のある張りのある音。カデンツアが素敵。  第2楽章 オーボエが有名なテーマ。いつ聴いても素晴らしいメロディー。ヴァイオリンが艶やかなメロディーで続く。  第3楽章 勢いのある出だし。ヴァイオリンが抜群のテクニックで続く。やはり竹澤は凄い演奏。ソロヴァイオリン、伴奏とも一体となって熱っぽい演奏。コーダ追い込み、雪崩れ込む。何とも凄い演奏。盛大な拍手。ブラヴォーの連呼。

《プログラムノーツ》 道下京子 

 (大学祝典序曲)完成の2年前(1878年)、ブラームスは(ヴァイオリン協奏曲)を作曲する。この前には、(交響曲)第1番と第2番を相次いで完成させている。交響曲作曲家としての地位を確立した時期でもあり、ブラームスは、創作における円熟した時期を迎えていた。(ヴァイオリン協奏曲曲)は、初期の初期の破棄された作品を除くと、彼にとっての初めてのヴァイオリン作品であった。ブラームスの創作にに対する慎重すぎる姿勢と、新しいヴァイオリン協奏曲に対する書法のさらなる模索によって、この作品に対する創作は遅々として進まなかった。創作に対しては、友人のヴァイオリン奏者ヨアヒムと幾度となく意見を交わし、ブラームスはスケッチを送り、ヨアヒムに意見を求めた。残された自筆譜の中にも、特にヴァイオリン・パートには、ヨアヒムの細かな添削が施されており、ヴァイオリンの表現に慣れていないブラームスが、ヨアヒムから具体的な助言を求めていたことがわかる。ヨアヒムは、1879年の元旦、作曲者自身の指揮とヨアヒムの独奏、そしてゲヴァントハウス管弦楽団とともに初演は行われた。

 第1楽章 アレグロ・ノン・トロッポ ニ長調 4分の3拍子。ソナタ形式に則って書かれており、伝統的なオーケストラの前奏に続いて、ヴィオラとチェロ、ファゴットは第1主題を曲の冒頭に穏やかに示す。

 第2楽章 アダージョ ヘ長調 4分の2拍子。最初に、管楽器が柔らかく歌い上げて、そこからオーボエは、牧歌的な旋律をくっきりと浮かび上がらせる。その旋律をヴァイオリンが引き継いで鮮やかに彩る。3部形式で書かれており、中間部はヴァイオリニストの腕の試される場面である。また特に主部では、転調が巧に用いられており、豊かなハーモニーを生み出している。

 第3章 アレグロ・ジョコーソ・マ・ノン・トロッポ・ヴィヴァーチェ ニ長調 4分の2拍子。ヴァイオリン独奏によるジプシー風の主題を持つ。独奏と総奏(トゥッティ)が繰り返された後、独奏ヴァイオリンによる第1副主題による、8度音程で長音階をエネルギッシュに駆け上がってゆく。第2副主題は4分の3拍子へと転じて、優美な優美な雰囲気を漂わせる。コーダの3連符は、主題に由来しており、この楽章に藤一感を与えている。

交響曲第4番 ホ短調 作品98

《印象 感想など》

第1楽章 むせび泣くような出だし。人生の秋を感じさせるブラームスの傑作ですね。少し哀しみが足りないか。ワルターみたいにはいかない。弦楽器を中心とした厚みのあるアンサンブルはとっても良い。ティンパニーが印象的。コーダ追い込み、大変見事な演奏。  第2楽章 ホルン、木管が有名なテーマを奏する。弦のピチカート、めためた泣き濡れるテーマ。  第3楽章 いきなり、弾むようなテーマ。トライアングルが効果的。スケルツオ的アンサンブル。短調の響きで進む。  第4楽章 壮大なパッサカリア。弦楽器のピチカート。全合奏が厚く深く響く。フルート、トロンボーンが活躍。コーダに向かって突っ走り、弾みをつけて、盛り上がる。壮大なフィナーレ。大変な演奏。万雷の拍手、ブラヴォー。

《プログラムノーツ》 道下京子

 ブラームスは、4つの交響曲を完成させている。(交響曲)第4番は、ミュールツーシュラークで創作された。この場所は、ウイーンの郊外の山間部に位置する静かな避暑地として知られている。この頃のブラームスは、演奏活動に多忙を極めており、ヨーロッパ中を旅していた。日常の都会の喧噪から逃れるように、新たな創作の地としてミリュツーシュラークを選んだのである。1884年夏に第1楽章と第2楽章を、第3楽章と第4楽章を85年夏に書き上げ、同年中にマイニンゲンでブラームス自らが指揮棒をとって初演した。ブラームスの後期の作品様式が、色濃く示された作品である。

第1楽章 アレグロ・ノン・トロッポ ホ短調 2分の2拍子。第1主題はヴァイオリンが提示する。この主題は、3度づつ下降する動機(シ・ソ・ミ・ド・ラ・#ファ・#レ・シ・・・)で構成されている。これは、ブラームスの後期の様式の特徴であり、彷徨うような不安定感を誘う。第2主題はロ短調で示され、木管楽器がスタッカートで鋭く刻み込む。ソナタ形式で書かれており、長いコーダでは、第1主題を低音部に登場させた後、高音の楽器によって徐々に模倣させて、オーケストラの全奏で力強く終結する。

第2楽章 アンダンテ・モデラート ホ短調 8分の6拍子。序奏では、ホルンと木管楽器によってフリギア旋法による旋律を奏でる。主部でも、第1主題にフリギア旋法が用いられており、これをクラリネットとピチカート奏法のヴァイオリンが受け持つ。その後、3連符による鋭いスタカートが現れる。これは、後に続くチェロによる第2主題を暗示している。この楽章は、展開部を持たないソナタ形式で書かれており、経過句を経て、直ぐに再現部が現れる。

第3楽章 アレグロ・ジョコーソ ハ長調 4分の2拍子。この楽章も、ソナタ形式に則っており、オーケストラによる劇的な前奏の中に、第1主題は示されている。第2主題は、ト長調で大らかに歌いあげられる。2つの対照的な主題が印象的である。

第4楽章 アレグロ・エネルジーコ・エ・パッソナート ホ短調 4分の3拍子。バッハのカンターカから主題を採り、バロック時代に行われていたパッサカリアの手法が採り入れられている。ブラームスの全交響曲中、変奏曲の形式で書かれているのは、第4番のこの楽章だけである。主題は、冒頭の8小節の句であり、フルートとオ-ボエ、そしてトロンボーンが力強く演奏する。その後、この主題は形を変えて30回示される。圧倒的な迫力に満ちたフィナーレである。

アンコール ハンガリアン・ダンス 21番

 珍しい曲。快演。

《プロフィール》

指揮:梅田俊明

 東京に生まれる。5歳よりピアノを始め、井上直幸、新井精氏等に学ぶ。1984年桐朋学園大楽音楽学部を卒業。1986年同研究科を修了。指揮を小澤征爾、秋山和慶、尾高忠明、コントラバスを小野崎充、ピアノと室内楽を三善晃の各氏に師事する。

 1983年、84年には来日中のジャン・フルネ氏に学んだ。また在学中よりNHK交響楽団においてピアノ、チェレスタ奏者として出演し、同楽団の推薦で1986年よりウイーン国立音楽大学指揮科に留学、オトマール・スイトナー氏に師事し、研鑽を積んだ。帰国後、1989年12月より92年4月まで大阪センチュリー交響楽団指揮者を務めた。1990年より仙台フィルハーモニー管弦楽団の指揮者に就任。オーケストラの発展に情熱を注ぎ込み、2006年3月までその任を務めた。・・・・・

 2006年には大ブームとなったドラマ「のだめカンタービレ」に指揮者及び演奏で参加し注目を集めた他、レコーディングにも参加。国内だけでなく、1996年1月には南西ドイツ・フィルハーモニーとスロバキア・フィルハーモニーの定期演奏会に出演、いずれも好評を博した。・・・・・桐朋学園大学非常勤講師。

ヴァイオリン:竹澤恭子

 3歳よりヴァイオリンを始め、山村品一、小林健次両氏に師事。6歳より才能教育研究会海外派遣団の一員として海外ツアーを行う。桐朋女子音楽科在学中に第51回日本音楽コンクール第1位、併せてレウカディア賞、黒柳賞を受賞。1985年にジュリアード音楽院に留学し、ドロシー・ディレイ、川崎雅夫両氏に師事した。

 1986年第2回インディアナポリス国際ヴァイオリン・コンクールで圧倒的な優勝を飾る。以来、“世界のKYOKO TKEZWA”として国際的なスターダムを昇り続けている。・・・・・

 1993年第3回出光賞受賞。使用楽器は、日本音楽財団より貸与された1710年製作のアントニオ・ストラデヴァリウス“カンポセリーチェ”(Canposelice)

日本フィルハーモニー交響楽団

 日本フィルは“市民とともに歩むオーケストラ”としてあその歴史を刻み、2006年には創立50周年を迎えた。2008年9月よりロシアの名匠アレクサンドル・ラザレフを主席指揮者に迎え、「プロコフィエフ交響曲全曲演奏プロジェクト」等の企画を通じて、より一層の演奏水準の充実を目指し音楽活動に邁進している。

 1956年創立。楽団創設の中心となった渡邉暁雄が初代常任指揮者に就任。幅広いレパートリーと斬新な演奏スタイルで、当時の楽団に新風を吹きこんだ。その後イゴール・マルケヴィチ、シャルル・ミュンシュなど世界的指揮者が相次いで客演、1964年にはアメリカ、カナダ公演で大成功を収め、創立から10年足らずの間に飛躍的な発展を遂げた。・・・・・

《レコードやCDのことなど》

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲

 レコードやCDは自分の気に入ったものを聴いていればいいわけですが、私はヤッシャ・ハイフェッツ(Vn),フリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団のLPレコードをよく聴いてきました。今はプレミアムCDが出ています。

ブラームス:交響曲第4番

 私は、ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団、カール・シューリヒト指揮バイエルン放送交響楽団、オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団のLPレコードをよく聴いてきました。

 

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2009年7月22日 (水)

演奏会に行ってきました「2009都民芸術フェスティバル助成公演 東京交響楽団 モーツァルト:交響曲第9番、ピアノ協奏曲第26番「戴冠式」、ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」(2009-14)

2009年3月4日(水)7:00pm開演(JR池袋駅徒歩5分)東京芸術劇場大ホール

《プログラム》

モーツァルト:交響曲第9番 ハ長調 K.73

モーツァルト:ピアノ協奏曲第26番 K.537「戴冠式」

ベートーヴェン:交響曲第3番 変ホ長調 作品55「英雄」

指揮:飯森典親  ピアノ:今野尚美  東京交響楽団  コンサートマスター:高木和弘

モーツァルト:交響曲第9番 ハ長調 K.73

Ⅰ アレグロ  Ⅱ アンダンテ  Ⅲ メヌエット  Ⅳ モルト アレグロ

 遅れて聴けず。

モーツァルト:ピアノ協奏曲第26番 ニ長調 K.537「戴冠式」

Ⅰ アレグロ  Ⅱ ラルゲット  Ⅲ アレグレット

 ピアノ スタインウエイ。コントラバス 3人。中央 奥。若い、コンサートマスター。ソリストは白っぽい明るいステージ衣装。

 第1楽章 伴奏のアンサンブルがとても良い。ピアノはスッキリとした音色でよく歌い、玉を転がすように流れる。  第2楽章 弱音が奇麗に聴こえる。優しい素敵なメロディー。  第3楽章 少しテンポを速めて、音楽がよく流れ、転がすように快調に進む。快演。万雷の拍手。ブラヴォー。

《プログラムノーツ》 寺西基之

 モーツァルトは20代の半ばまで故郷ザルツブルクの大司教の宮廷音楽家の地位にあったが、自由な活動が許されない宮仕えに嫌気がさすようになり、1781年、大司教と衝突したことを機にウイーンに移住した。

 ウイーンでの特定のポストが特に決まっていたわけではない。協会や宮廷に仕えることで音楽家としての身分が保障されていた当時、職のないままフリーの音楽活動に乗り出したことはいわば大胆な冒険といえるものだったが、モーツァルトはまずピアニストとしての活動によってウイーンでの名声を確立する。とりわけ彼自身の主催する演奏会での自作自演のピアノ協奏曲は大きな人気を博し、彼に大きな収入をもたらすことになった。ウイーン時代のモーツァルトが多数のピアノ協奏曲を書いた背景にはそうした事情があり、ピアノ協奏曲によって彼はウイーンの聴衆の心を捉えたのである。

 しかし1780年代後半になると、ウイーンの政情や社会不安に加えて、モーツァルト自身が聴衆の好みよりも芸術な深まりを求めるようなこともあって、聴衆のモーツァルト熱も急速に冷めていく。以前のように演奏会を開けば収入が得られる状況でなくなり、モーツァルトは経済的な苦境に陥ってしまうのだ(実際は別の収入がかなりあったのだが、彼の消費癖が困窮をもたらしたと言われる)。そうした状況の中、1788年に窮地を打開するための演奏会を開く目的で作曲されたのが、本日演奏される協奏曲ニ長調K.537だった。結局その時は演奏会を開くことすらできず、翌1789年にウイーンでなくドレスデンで行われたのが初演と考えられている。

 この作品が「戴冠式」と呼ばれているのは、1790年フランクフルトで行われたレオポルト2世の戴冠式の祝賀会において演奏されたからである。たしかに祝典に相応しい華麗さと明快さを持った作品だが、最初から戴冠式を目当てに書かれたわけでないことは、上述した作曲経緯からも明らかだ。人気の凋落したモーツァルトが聴衆の親しみやすい華麗な作風を意図したという見方もあるが、生き生きとした運びの中に鋭い才気が息づいた作風にはやはり後期の作らしい円熟した筆遣いが感じられる。なお自筆譜は、第2楽章の左手パートが書かれていなかったりなど不完全な部分が多いが、そうした部分は初版出版の際に他人の手で補完された。

第1楽章(アレグロ、ニ長調)は、行進曲風の主題に始まる華やかな協奏的ソナタ形式。独奏の鮮やかなパッセージが効果的に用いられている。

第2楽章([ラルゲット]、イ長調)は簡素な主題による愛らしい楽章。

第3楽章([アレグレット]、ニ長調)は軽妙な主題を持った愉悦に満ちたフィナーレである。

ベートーヴェン:交響曲第3番 変ホ長調 作品55「英雄」

《印象 感想など》

 第1楽章 コントラバス6人になる。ジャン、ジャンという有名な出だし。アンサンブルはとても良い。音楽は、テキパキと快調に流れる。若々しい「エロイカ」。コントラバスのピチカート、気持ちよく響く。  第2楽章 葬送行進曲。有名なテーマ。重くなりすぎず、流れる。オーボエ、テーマを歌う。弦楽合奏、テーマを重々しく。  第3楽章 スケルツォ。弦楽器のの刻みで入る。全合奏へ。テンポよく進む。ホルン、有名なテーマを吹く。次第にテンポを上げる。4楽章へ。  第4楽章 短い序奏を経て「プロメテウスの創造物」にお有名なテーマへ。マーチ風に。オーボエが鳴る。合奏が重厚に響く。テンポを上げてコーダへ。飯森の指揮は、若々しい。快演。ブラヴォー。

《プログラムノーツ》 寺西基之

 初期には18世紀のいわゆる古典派様式から出発したルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)だが、進取の気性に富み、新しい時代の精神を感じ取っていた彼は、早くから18世紀の様式を超える音楽を求めていった。そして中期に至って、従来の形式を拡大したスケールの大きな劇的スタイルを確立する。そうした中期のダイナミックなスタイルの始まりを宣言するような作品が、1804年に完成されたこの交響曲第3番である。

 演奏の面でも内容の面でも、当時の交響曲としては破格のスケールを持ったこの作品の革新性が、ヨーロッパ革命期の精神と結びついていることは、これがもともとナポレオンに献呈するために書かれたという作曲動機からも明らかといえよう。結局は彼の期待を裏切ってナポレオンが皇帝という権力の座についたことで、ベートーヴェンは献呈をとりやめてしまうことになるのだが、まさに革命期最大の英雄との関わりのうちに、音楽史上エポックメイキングといえるこの作品が生まれたわけで、ベートーヴェンの創作活動がいかに当時の時代精神、時代思想に結びついていたかが窺える。私的な初演は1804年に彼のパトロンのロプコヴィツ候の邸宅でなされ、公の初演は1805年4月7日ウイーンで行われた。

 第1楽章(アレグロ・コン・ブリオ、変ホ長調)は決然とした2つの主和音に始まる壮大かつドラマティックなソナタ形式で、2つの主題のほか多様な楽想が様々に展開される。コーダも第2展開部といえるような充実ぶりを示している。

 第2楽章(葬送行進曲、アダージョ・アッサイ、ハ短調)は英雄を悼む“葬送行進曲”。フランス革命期には英雄のために葬送行進曲がよく書かれたが、このベートーヴェンの手による行進曲はそうした当時のスタイルを用いつつも、きわめて悲劇的な性格を持った深い内容の緩徐楽章に仕上げられている。

 第3楽章(スケルツォ、アレグロ・ヴィヴァーチェ、変ホ長調)は急速なせわしい動きを持ったスケルツォ。トリオでの新時代を告げるようなホルンの響きが印象的だ。

 第4楽章(フィナーレ、アレグロ・モルト、変ホ長調)は自由な変奏技法を用いたフィナーレで、主題は自作のバレエ音楽「プロメテウスの創造物」の終曲を用いている。このバレエは、粘土から人間を造って理性と感情を与えたプロメテウスの物語を題材としたもので、その主題を用いたということは、この交響曲が人間性のめざめという新しい時代精神の表現を意図したものであるということを示唆しているとも解釈できよう。ベートーヴェンがこの主題を重視していたことは、この交響曲に先立って、ピアノのための変奏曲をこの主題によった書いていることにも窺える。

 

アンコール モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」序曲

 オケは人数を抑えて少なめ。弦はビブラート無し。コントラバス4人で第1ヴァイオリンは後ろ、1プルと外す。とても軽快な演奏。

《プロフィール》

指揮:飯森典親

 1986年、桐朋学園指揮科卒業後、ベルリンへ留学。1989年からバイエルン国立歌劇場でW.サヴァリッシュ氏のもと研鑽を積む。1994年東京交響楽団の専属指揮者に就任し、同楽団のポルトガル演奏旅行で成功をおさめた。続く1996年には東京交響楽団創立50周年記念ヨーロッパツアーを指揮、特にミュンヘン公演は南ドイツ新聞で「今後、イイモリの名が世界で注目されるであろう」と絶賛された。・・・・・

 1995年~2002年3月、広島交響楽団正指揮者、2003年、NHK交響楽団定期演奏会(マーラー:交響曲第1番)は、年間ベスト10コンサートに選出された。2004年シーズンより山形交響楽団の常任指揮者に就任し、次々と新機軸を打ち出してオーケストラの活動発展と水準の向上に目覚ましい成果を挙げている。大きな注目が集まる中、2007年より音楽監督に就任した。・・・・・

 2001年よりドイツ・ヴェルテンベルク・フィルハーモニー管弦楽団の音楽総監督に就任、日本人指揮者とドイツのオーケストラの組み合わせとしては史上初の快挙となる「ベートーヴェン:交響曲全曲」のCDをリリース。・・・・・

 現在、山形交響楽団音楽監督、東京交響楽団正指揮者、いずみシンフォニエッタ大阪常任指揮者、ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団名誉指揮者、ヴェルテンベルク・フィルハーモニー管弦楽団主席客演指揮者。

ピアノ:今野尚美

 4歳よりヤマハ音楽教室でピアノと作曲を学び、中学、高校生の頃自作のピアノ協奏曲を国内外のオーケストラと共演。18歳より英国王立音楽院に留学。ピアノをアレクサンダー・ケリー、ヘオミッシュ・ミルンに、室内楽をマイケル・デュセック、ジェフリー・プラットリー、ジョゼフ・サイガーの各氏に師事。

 主席卒業後、同大学院に進み、ディプロマを得て卒業。在学中より数々の学内コンクールに優勝および入賞。1991年イタリア・シエナ・コジアナ音楽院夏期セミナー室内楽部門でディプロマ名誉賞受賞。1992年イタリア・パロマロード・国際室内楽コンクールで最高位並びに新曲優秀賞を受賞。・・・・・

東京交響楽団

 1946年に東宝交響楽団の名で創立。1951年東京交響楽団と改称して今日に至る。

 1988年(株)すかいらーくからの支援が約束され、以来それを基盤として大作に取り組んでいる。株式会社すかいらーくは、当楽団への援助が評価され、1992年メセナ大賞を受賞した。

 歴代の指揮者には、近衛秀麻、上田仁などがおり、1964年より秋山和慶が長きにわたり音楽監督・常任指揮者を務めた。現在は音楽監督にユベール・スダーン、桂冠指揮者に秋山和慶、常任指揮者に大友直人、正指揮者に飯森典親を擁する。・・・・・

《レコードやCDのことなど》

モーツアルト:ピアノ協奏曲第26番「戴冠式」

 レコードやCDは自分の気に入ったものを聴いていればいいわけですが、モーツァルトのピアノ協奏曲26番「戴冠式」は、私はフリードリッヒ・グルダ(ピアノ)、アーノンクール指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、カサドシュ(ピアノ)、セル指揮コロンビア交響楽団、内田光子(ピアノ)、ジェフリー・テイト指揮イギリス室内管弦楽団のCDをよく聴いてきました。

ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」

 私はブルーノ・ワルター指揮シンフォニー・オブ・ジ・エアー(アルトゥーロ・トスカニーニ追悼演奏会実況録音~1957年2月3日)のモノーラル録音、ヨゼフ・カイルベルト指揮ハンブルク国立フィルハーモニ管弦楽団(1975年発売)のLPレコードをよく聴いてきました。

 フルトヴェングラー指揮ウイーンフィル(1952年録音)のCDも評判がいいようです

  

          

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2009年7月19日 (日)

ハイドンプロジェクト ブリュッヘッン+新日本フィルハーモニー交響楽団 ロンドン・セット全曲演奏会第4回 交響曲第102番、交響曲第103番「太鼓連打」、交響曲第104番「ロンドン」(2009-13)

すみだトリフォニーホール(東京メトロ錦糸町駅徒歩7~8分、JR錦糸町駅徒歩5分)

《プログラム》

ハイドン:交響曲第102番 変ロ長調

      交響曲第103番 変ホ長調「太鼓連打」 

      交響曲第104番 ニ長調「ロンドン」

指揮:フランス・ブリュッヘン  新日本フィルハーモニー交響楽団  コンサートマスター:豊嶋泰嗣

《印象 感想》

ハイドン:交響曲第102番 変ロ長調 Hob.Ⅰ-102

私の席 25列33番 出足好調、満席。コントラバス 3人、左奥。ブリュッヘンは椅子に座って指揮。

第1楽章 弦の奇麗な序奏で始まる。その後、少しテンポを上げて合奏へ。フルートが繋ぐ。弦を中心とした活き活きとした合奏。ティンパニーが小気味よい響き。  第2楽章 渋みのある音楽。  第3楽章 リズミックな楽章。木管のトリオが素敵き。  第4楽章 気持ちの良い合奏。軽やかなコーダで締めくくる。

《曲目解説》  那須田 努

 第2回ロンドン旅行の2年目の最初のコンサート、即ち1795年2月2日の第1回「オペラコンサート」で初演された。96番の「奇蹟」の由来となった事件はこの曲とも言われている。(96番の項を参照)。

 第1楽章はラルゴの序奏とヴィヴァーチェの主部からなる。序奏はトゥッティによる主音のユニゾン(デゥナーミクは〈 〉で緩やかに開始され、弦楽のフレーズに続いて再び主音のユニゾンとなり、再び先ほどの弦楽の旋律が現れて属音上に半休止する。続く主部はソナタ形式。第1主題は明るくて快活なもの。第2主題は前半がニ短調、後半はト短調の2つの楽句からなるミノーレのミステリアスな性格を持つ。展開部で2つの主題や経過的な動機の対位法的な展開を経て再現部となる。

 第2楽章はアダージョ、ヘ長調。三部形式。主題は装飾音と付点音符、三連符からなる優美な性格のもので、独奏チェロのオブリガートが特徴的。複雑でデリケートな転調が楽章全体に得も言われぬ陰影を与えている。

交響曲第103番 変ホ長調「太鼓連打」 Hob.103

《印象 感想など》

第1楽章 ティンパニーの連打で始まる。弦、ファゴットの低音が続く。中、高弦がきれいなメロディーを奏する。そして快活な第1テーマが続く。そして第2テーマが気持ちよく突き進む。よく歌って流れる。コントラバス、チェロが下支え。ティンパニーが響く。  第2楽章 短調の響き。でも重くならず流れる。ヴァイオリンがソロで、素敵なメロディーを奏す。そして分厚いアンサンブルが続く。  第3楽章 ティンパニーを伴った小気味よいテーマ。木管によるトリオ。  第4楽章 ホルンによる出だし。弦が細かくテーマを弾く。合奏が続く。テンポを上げてコーダへ。非常に充実した演奏。

 第3楽章メヌエット、アレグロ。元気のよいメヌエットに対してトリオは柔らかな情緒を持った歌謡的なレントラー。

 フィナーレ楽章プレストは2つの主題を持つロンド・ソナタ形式。

[フルート2,オーボエ2,ファゴット2,ホルン2,トランペット2,ティンパニー、弦楽5部]

《曲目解説》  那須田 努

 1795年3月2日のオペラ・コンサートで初演された。「太鼓連打」のニックネームは、第1楽章序奏がティンパニーのトレモロで開始されることから。後述するようにオーストリアのチロル地方やその周辺の民族音楽の色彩の濃い作品である。

 第1楽章の序奏にはティンパニーの導入がある。総譜には変ホ音が記されているだけだが、当時は打楽器奏者による即興的な演奏が期待されたと考えられる。果たして今回はどうだろう。その後ファゴットと低弦で厳粛な雰囲気が醸しだされ、それに弦楽が続く。主部は一変してアレグロ・コン・スピーリトで明るい主題が奏でられる。一説によれば、この旋律はクロアチア地方の民謡に由来するという。第2主題も軽やかなリズムを持つ。展開部では序奏の動機も展開される。さらに再現部に続くアダージョのコーダでも序奏の一部が再現される。

 第2楽章アンダンテ・ピュウ・トスト・アレグレット。ハ短調の旋律とその変形のハ長調の2つの主部に基づいた変奏形式。独奏ヴァイオリンによる第2主題の変奏がが聴きどころだ。

 第3楽章はメヌエットとトリオ。このメヌエット主題はヨーデルに由来するといわれている。2つの部分からなり、後半部分は対位法的に展開される。トリオは変ホ長調、ヴァイオリンにクラリネットを加えたノンビリとしたレントラー風のもの。

 終楽章フィナーレはアレグロ・コン・スピーリト。変則的なロンド形式で、ロンド主題のホルン響きはアルペンホルンを連想させ、その主題はクロアチア民謡の主題に旋律に由来する。

[フルート2,クラルネット2,ファゴット2,ホルン2,ティンパニー、弦楽5部]

交響曲第104番 ニ長調「ロンドン」 Hob.Ⅰ-104

《印象 感想など》

 第1楽章 総奏の出だし。スケールの大きさを感じさせる。第1テーマは素敵なメロディ。 第2楽章 まさにアンダンテのテンポの演奏。スッキリとした響き。ピリオド奏法の響きがとても良い。ドラマティックな演奏も入る。  第3楽章 活気のあるテンポの出だし。そして休みなく4楽章へ。  第4楽章 生き生きとした音楽。小気味よいテンポで走る。コーダでちゃんと収まる。ブラヴォー。

アンコール 「ロンドン」の4楽章 

 チクルスを締めくくるにふさわしい演奏。ブラヴォー。ブリュッヘンも新日フィルも本当に素晴らしい演奏会でした。

《レコード CDのことなど》

ハイドン:交響曲ロンドン・セットなど

 レコードやCDは、自分の気に入ったものを聴いていればいいわけですが、私は曲に依って色々ですが、CDの無い頃は、ワルターやネビル・マリナー、ビーチャムなどを聴いてきました。

 95番と101番「時計」はフリッツ・ライナーの交響楽団(亡くなる直前の録音で、メトロポリタン歌劇場のオーケストラと言われています)をよく聴きました。

 私が若い頃、アンタル・ドラティーフィルハーモニア・フンガリカで当時交響曲全曲を録音して大いに話題になったことを記憶している。資料(クラシック名盤大全~交響曲篇(音楽之友社 1998年5月)にはちゃんとリストに載っている。

 なお、CDでは全曲ではないが選集で、指揮:シギスヴァルト・クイケン ラ・プティット・バンドが曲がまとまっていてよく聴きます。

 なお、鈴木秀美がオリジナル楽器の室内オーケストラ・オーケストラ・リベラ・クラシカを指揮してハイドンの交響曲全曲演奏に取り組んでいます。最近は年2回の演奏会ですが、必ずハイドンの交響曲をプログラムに組んでいます。鈴木秀美はラ・プティット・バンドやフランス・ブリュッヘンの18世紀オーケストラでチェロを弾いていたそうですので、私は大いに期待しています。演奏会の次の演奏会にはライヴCDを発売します。鈴木秀美にハイドンの交響曲の全曲録音を期待したいと思っています。

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2009年7月14日 (火)

演奏家に行ってきました「2009都民芸術祭フェスティバル2009 NHK交響楽団 モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」序曲、クラリネット協奏曲、リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェラザード」(2009-12)

東京芸術劇場大ホール(2009年2月27日(金)7:00pm開演)JR池袋駅徒歩5分) 私の席A席 Q列18番 日本演奏連盟よりオーケストラ演奏会を一括購入(中央後方席)満席 指揮:カルロス・シュピーラー NHK交響楽団  コンサートマスター:篠崎史紀  クラリネット:ポール・メイエ

《プログラム》

モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」序曲

       :クラリネット協奏曲

リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェラザード」

《印象 感想など》

モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」序曲 K.492

 コントラバス4人。有名な序曲。とても軽やかな響き、最高のアンサンブル。

《プログラムノーツ》 道下京子

モーツァルト:歌劇《フィガロの結婚》序曲 K.492

 歌劇「フィガロの結婚」は、1786年、ウイーンのブルク劇場で初演されたヴォルフガング・アマデウス・モーツァツアルト(1756~1791)の代表的作品である。原作者ポーマルシェの戯曲は、貴族制度に脅威を与えるという理由から、フランスのみならず、ウイーンでも厳しい検閲の対象となっていた。

 以下、簡単なあらすじである。アルマヴィーヴァ伯爵は、理髪師のフィガロが取り持って、めでたくロジーナと結婚できた。ところが、結婚生活に飽きてしまい、浮気心も芽生えてくる。家臣として伯爵に仕えていたフィガロは、小間使いのスザンナと結婚することになる。古い貴族制度では、使用人の娘が結婚する時、「初夜権」を行使できた。啓蒙主義の時代によって、その制度は過去のものとして使われなくなった。伯爵は、この昔の権利を行使して、スザンナに手を出そうとするところから物語は始まる。歌劇《フィガロの結婚》序曲は、この歌劇の面白おかしい、しかし非常に複雑な物語をほのめかすように開始する。

 序曲は、ニ長調、2分の2拍子、ソナタ形式で書かれている。冒頭の主要主題は、トリルのような動機で静かに始まり、やがてffで華々しく再提示される。短い序曲ではあるが、これから始まる物語への期待に、胸をときめかせるような見事な展開をみせてくれる。

モーツァルト:クラリネット協奏曲 イ長調 K.622

《印象 感想など》

第1楽章 軽やかな天国的な音楽。伸びやかにクラリネットが響く。明るいほど少し渋い響きも聞こえる。クラリネットの低音の響きがとても良い。あくまで軽やかな音楽で、何