演奏会に行ってきました「クラシカル・プレイヤーズ東京 バロック de クリスマス ビーバー、コレッリ、ヴィヴァルディ、バッハ、テレマン」(2009・50)
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東京文化会館小ホール(東京メトロ日比谷線・銀座線上野駅下車徒歩7~8分)
《プログラム》
ビーバー:「戦争(バッターリア)」
コレッリ:クリスマス・コンチェルト(合奏協奏曲 ト短調 Op.6-8)
ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲「冬」ヘ短調 Op.8-4Rv.297
J.S.バッハ:オーボエ・ダモーレ協奏曲 イ長調 BWV1055(編曲版)
J.S.バッハ:2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調 BWV1043
テレマン:フルート、ヴァイオリン、チェロのための協奏曲 イ長調 TWV-53:A2(ターフェルムジーク第1集)
《印象 感想など》
私の席:F列22番(全席指定)ほぼ満席 曲の始めに、有田正広が進行役でソリストとともに曲の説明を行う。(プログラムに曲の解説は無し)。
ビーバー:「戦争(バッターリア)」
Ⅰ.ソナタ Ⅱ.アレグロ(歩兵たちのだらしない散兵戦 Ⅲ.プレスト Ⅳ.軍神マルス Ⅴ.プレスト Ⅵ.アリア Ⅶ.戦い Ⅷ.負傷者の哀歌(アダージョ)
指揮者無し。弦のみの演奏。コントラバス、中央後ろ。生き生きとした音楽を展開。
Ⅱ 不協和音的な音楽。 Ⅲ 早い演奏。主にコンミス(ヴァイオリン)の演奏。そしてコントラバスとの掛け合い。 Ⅷ アダ-ジョ。帰ってくる様子の音楽。
ビーバー(ハインリヒ・イグナーツ・フランツ・フォン・ビーバー)1644~1704。
オーストリアのヴァイオリニスト、作曲家。17世紀後半のドイツ語圏におけるヴァイオリン音楽の代表者。おそらくウイーンでシュメルツアーに師事。1670年以降はザルツブルクの領主司教に仕え、1679年に副楽長、1684年に楽長に昇進。1690年には貴族に叙された。ヴァイオリン技巧の発達に多大な貢献をなし、代表作には《ロザリオのソナタ》がある。(以上 新編音楽小辞典(音楽之友社刊)
コレッリ:クリスマス・コンチェルト(合奏協奏曲 ト短調 Op.6-8)
レコード等ではよく曲。
Ⅰ.ヴィヴァーチェ-グラーヴェ Ⅱ.アレグロ Ⅲ.アダージョ・アレグロ・アダージョ Ⅳ.ヴィヴァーチェ Ⅴ.アレグロ Ⅵ.パストラーレ ラルゴ
コレッリ(アルカンジェロ・コレッリ)1653~1713。イタリアンの作曲家、ヴァイオリニスト。ボローニャでヴァイオリニストとして研鑽を積んだ後、ローマに拠点を移し、パンフィーリ枢機卿、オットポーニ枢機卿、元スエーデン女王クリスティーナといった貴族の宮廷に仕え、作品を提供したり、演奏会を催した。作品の中心はヴァイオリン曲であるが、生前出版された5つのソナタ曲集(トリオソナタOp1からOp4,Op.5)死後出版されたコンチェルト・グロッソ集Op.6はヨーロッパ各地に広く流布し、後期バロックの器楽様式、ヴァイオリン奏法などに関して後世においても大きな影響をおよぼした。(新編 音楽小辞典 音楽之友社刊)
ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲「冬」 ヘ短調 Op.8-4 RV.297
Ⅰ.アレグロ ノン モルト Ⅱ.ラルゴ Ⅲ.アレグロ
有田のコメントでは、1楽章の出だしは、寒さで歯がカチカチする様子を描いたとのこと。ソロ・ヴァイオリンはパウル・エレラ。生き生きとした活気に満ちた演奏。流れるキビキビとした演奏。アーノンクールの古楽器による演奏を思い出す。
ヴィヴァルディ(アントニオ・ヴィヴァルディ)1678~1741。
イタリアの作曲家。ヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂でヴァイオリニストを務める父親から音楽の手ほどきを受けるが、1693年から聖職者になるための教育を受け、1703年司祭に叙任。しかし音楽活動に専心するため、教会での務めには熱心ではなかったとされる。1703年ヴェネツィアのピエタ養育院の音楽教師に任用、同施設で暮らす少女たちの音楽教育を担当するほか、付属礼拝堂での奏楽用作品を書いた。中断はあるものの、彼は40年までピエタのために数多くの器楽曲やオラトリオ《ユディータの勝利》などの宗教音楽を作曲した。その評判は、トリオソナタOp.1(1705)を皮切りに、協奏曲集《調和の霊感》(Op.3) (1711) ,《和声と創意への試み》Op.8(1725)などの出版で国際的な名声を獲得。彼が駆使した急-緩-急の3楽章構成によるソロ・コンチェルト形式もヨーロッパ各地に広まった。バッハも彼の作品編曲を通じてこの形式に精通したことはよく知られている。またサンタンジェロ歌劇場を基盤にオペラ活動にも没頭し、約50曲(21曲が現存)のオペラを手がけている。作曲ばかりではなく、劇場や歌手の手配といった興行活動もおこない、ヴェネツィア、マントヴァ、フェッラーラなど北イタリアを中心に活動した。しかしこの分野で成功することはなく、1741年国際的な成功を夢見て旅立ったウイーンで貧困のうちに没した。
J.S.バッハ:オーボエ・ダ・モーレ協奏曲 イ長調 BWV1055(編曲番)
Ⅰ.アレグロ Ⅱ.ラルゲット Ⅲ.アレグロ
有田、三宮コメント。元はチェンバロ協奏曲。三宮がオーボエ・ダ・モーレ協奏曲に編曲、復権した。
オーボエ・ダ・モーレは、ややひょうきんな音。洋梨形。
オーボエ・ダ・モーレ
オーボエ属の木管楽器。「愛のlオーボエ」という意味。オーボエより単3度低く、管体全長は約63㎝。イングリッシュ・ホルンと同様、下端が球根状になっている。バッハに用例があるが、常用楽器ではない。(新編 音楽小辞典 音楽之友社刊)
バッハ(ヨハン・セバスチャン・バッハ)1685~1750。
ドイツの作曲家。エアフルトの町楽士だった父と、毛皮加工職人の娘だった母との間に8人兄弟の末っ子として生まれる。10歳までに両親と死別した後、オールドルーフでオルガニストを務めていた長兄ヨハン・クリストフのもとに引きとられ、音楽家としての研鑽を積む。1700年には、地元のラテン語学校からリューネブルクのミカエル教会の附属学校に給費生として転校、聖歌隊員として活動するかたわら、大都市ハンブルクの音楽文化にも触れる。1703年3月以降、一時ワイマールで宮廷楽士を務めた後、同年8月、アルンシュタットの新教会のオルガニストに就任。1705年にはリューベックに旅行し、ブクステフーデの演奏を聴く。1707年にはミュールハウゼのブラージウス教会オルガニストに転任、同年、又従兄弟のマリア・バルバラ・バッハと結婚する。1708年、ワイマールに宮廷オルガニスト兼楽士として転任、多くのオルガン作品を生みだす。また、当時ドイツでは目新しかったイタリアの協奏曲様式に接し、大きな影響を受ける。1714年楽士長就任にともない教会カンタータの作曲も職務の一環となるが、やがて宮廷内の権力闘争を背景に君主との関係が悪化、1717年にはケーテンに宮廷楽長として転任する。同地では理解ある君主と有能な音楽家たちに恵まれ、宮廷のための祝賀音楽(大半が消失)やチェンバロ曲(《平均率クラヴィーア曲集》第1巻ほか)が多数成立、また正確な作曲年代こそ不明だが、室内楽や管弦楽作品のうち相当数が同地で生まれたとみられる。なお1720年には妻が他界、翌年宮廷歌手のアンナ・マグダレーナ・ヴィルケと再婚する。やがてケーテンにおける政治的確執を背景に、宮廷の財政事情にかげりが見えはじめる。そのこともあってか、かねてより息子たちの大学教育をつよく望んでいたバッハはライプティヒのトーマス・カントル職が空席となったのを機に応募を決意、1723年、採用される。ライプティヒでのバッハの任務は、主要教会における毎日曜日および祝祭日における礼拝音楽の提供であり、このため教会カンタータ(これ以前に由来するものも含め約200曲が現存)や受難曲が作曲された。またカントルは市の音楽監督も務めていたため、市の公的行事の音楽も担当した。1729年にはコレギウム・ムジクムの指揮も引きうけ、コーヒー店で市民に音楽を提供するかたわら(チェンバロ協奏曲など)、《クラヴィーア練習曲集》(全4巻)など、自作品の出版にも力を注ぐ。その一方で行政当局とは衝突が絶えず、またもや転職の可能性を模索、ザクセン選定候ドレスデン宮廷での地位の獲得をねらって一連の表敬音楽を献呈し、1736年には宮廷作曲家の称号を授与される。晩年は《フーガの技法》など、抽象的な音楽構成の可能性を追求した一連の体系的作品にとりくむが、1749年に失明、翌年受けた眼科手術の失敗で他界した。
バッハはバロック音楽の頂点をなす作曲家であり、のちの西洋音楽の歴史にたいして与えた影響は計り知れない。既存のさまざまな様式を磨き上げ、独創的な仕方で総合することによって表現の地平を拡大し、またパトスと情緒の深みを極めると同時に、最新のギャラント様式にたいしても目配りを怠らなかった。しかしバッハがのちの音楽家たちにとってつねに新たな霊感の源泉でありつづけてきた最大の理由は、音楽のもっとも純粋で本質的な核心を、人間経験の生きた可能性として具現化する彼の比類のない手腕にある。(新編 音楽小辞典 音楽之友社刊)
J.S.バッハ:2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ長調 BWV1043
Ⅰ.ヴィヴァーチェ Ⅱ.ラルゴ・マノン・タント Ⅲ.アレグロ
有名な曲。快活な演奏。ヘンリック・シェリングのLPで楽しんできました。
テレマン:フルート、ヴァイオリン、チェロのための協奏曲 イ長調
(ターフェルムジーク 第1集)
Ⅰ.ラルゴ Ⅱ.アレグロ Ⅲ.グラツィオーソ Ⅳ.アレグロ
ターフェルムジーク 「食卓音楽」の意で、17世紀以降宴会用音楽にたいして用いられた言葉。もっとも有名な例はテレマンの器楽曲集で、1733年刊。原題はフランス語で《ミュジック・ド・タブル》。全3巻で、いずれも序曲(管弦楽組曲)、四重奏曲、協奏曲、トリオ・ソナタ、ソロ・ソナタ、終曲からなる。(新編 音楽小辞典 音楽之友社刊)
テレマン(ゲオルク・フィーリップ)1681~1767。
バロックから古典派への移行期を代表するドイツの作曲家。聖職者の家庭に育ち、法律を学ぶべく1701年にライプティヒの大学に入るが、音楽的才能を一気に開花させ、コレギウム・ムジクムの創設やオペラ監督、大学教会オルガニストへの就任を通して既成の枠を超えた活動を繰り広げた。ゾウラウやアイゼナハ宮廷、フランクフルト市の職を経て、1721年には終生の地となるハンブルク市の音楽監督に就任。聖俗両分野の活動を手中におさめ、市に比類ない文化的興隆をもたらした。啓蒙思想を背景に楽譜出版にもいちはやくとりくみ、平易さと力強さを兼ねそなえた音楽作りをめざしたことで、当時絶大な人気を博す。膨大な数の作品を残しており、各国の器楽様式とジャンルを百科全書的にまとめた《ターフェルムジーク》や家庭音楽のための《忠実な羊飼い》が有名だが、ハンブルク・オペラのための《ピンピノーネ》、受難曲、教会カンタータなどの声楽曲も歴史的に重要な位置を占めている。(新編 音楽小辞典 音楽之友社刊)
《プロフィール》
フルート&音楽監督:有田正弘
最新の研究で名曲に新たな光を当てる日本古楽界の至宝。日本の古楽界をリードする有田正弘は、国内外の数々のコンクールで輝かしい受賞歴をもち、クイケン兄弟やトレヴァー・ピノックなど世界的なアーティストともしばしば共演。古楽器と現代楽器の双方を駆使した広範な活動を繰り広げる、日本が世界に誇る国際的な音楽家の一人。
1989年には「東京バッハ・モーツァルト・オーケストラ」を結成し、指揮者としても活動を開始。2006年には、モーツァルトのフルートと管弦楽のための作品を全曲録音するとともに、東京芸術劇場で同作品の全曲演奏会を行い、“モーツァルト・イヤー”の大きな話題となった。以後、東京芸術劇場で定期的に演奏会を開催。今年5月には、交響曲第41番《ジュピター》、フォルテピアノ独奏にピート・クイケンを迎えてのピアノ協奏曲第21番による「東京バッハ・モーツァルト・オーケストラ」東京芸術劇場公演のCDも発売され、好評を博している。2009年4月には、ロマン派をレパートリーとする日本初のオリジナル楽器によるオーケストラ「クラシカル・プレイヤーズ東京」を結成。新たな音楽的創造を常に探求し、古楽器と現代楽器の枠を超えた新たな音楽的創造の領域へとさらに活動の場を広げている。また、演奏家としてばかりではなく、研究者としても世界の注目を集めており、国際的な学会やレクチャーでその研究成果を高く評価されている。
現在、精力的な演奏活動や研究活動とともに、昭和音楽大学、桐朋学園大学で後進の指導にあたっている。
ヴァイオリン:戸田 薫(かおり)
愛知県生まれ。名古屋市立菊里高等学校音楽科を経て東京藝術大学を卒業。ヴァイオリンを若林正伸、林茂子、景山誠治各氏に、ピリオド楽器による演奏法について若松夏美女史に師事。1992年山梨古楽コンクールにて最高位受賞。同年オランダのデン・ハーグ王立音楽院に留学。シギスヴァルト・クイケン、エリザベス・ウォルフィッシュのもとで研鑽を積む。1996年ディプロマ取得。これまでに、バッハコレギウムジャパン(鈴木雅明指揮)、ラ・プティット・バンドシギスヴァルト・クイケン指揮)をはじめとしたオーケストラに参加、また室内楽ではアンドレアス・ショル、アニュエス・メロン、フィラソワ・フェルナンデスなど多くのミュージシャンとともに数々のコンサート、レコーディングをこなしてきた。
2001年、パウル・エレラとともにアンサンブルグループ「アニマ・コンコルディア」を結成。17世紀、18世紀のトリオソナタを中心とした室内楽に焦点を当てた演奏活動にも力を注いでいる。
桐朋学園大学古楽科講師。富山古楽音楽協会主催古楽講座で講師を務めるほか、名古屋市立菊里高等学校音楽科で室内楽指導にあたっている。クラシカル・プレイヤーズ東京(有田正広指揮)コンサートミストレス。
オーボエ:三宮(さんのみや)正満
1971年埼玉生まれ。中学時代、バロック・オーボエのサウンドに魅了され、本間正史氏に師事。その後、モダン・オーボエを本間正史、吉成行蔵、殻崎耕三の各氏に師事。1995年、武蔵野音楽大学卒業。在学中より演奏活動を始め、数々のオーケストラで演奏。バロック&クラシカル・オーボエプレイヤーとして、ソロ、室内楽、オーケストラを中心に活動。アンサンブル「ラ・フォンテーヌ」のメンバーとして1997年、古楽コンクール(山梨)最高位、2000年、ブルージュ国際古楽コンクール第2位受賞。1996年より「バッハ・コレギウム・ジャパン」J.S.バッハ=カンタータ全曲レコーディングプロジェクトに参加し、数々のオーボエ・オブリガートを演奏。2001年「オーケストラ・シンポシオン」とルブランのオーボエ協奏曲を本邦初演。同年サイトウキネンフェスティバル・バッハプログラムにソリストとして招かれる。2002年より東京藝術大学古楽科講師として後進の指導にもあたっている。・・・・
現在「バッハ・コレギウム・ジャパン」及び「オーケストラ・シンポシオン」主席オーボエ奏者、管楽合奏団「カライドスコープ」、「ラ・フォンテーヌ」他メンバー。東京藝術大学古楽科講師。
ヴァイオリン:パウル・エレラ
ヴェネズエラ、カラカス市出身。ジュリアード音楽院のマスターコースでマーガレット・パーディ、ルジェーロ・リッチ、オーグスティン・ドュメイの各氏に指導を受ける。ヴェネズエラ国内ではシモンポリパルシンフォニーオーケストラのメンバーを10年間務め、その間主要音楽祭ではオーケストラのソリストとして多くのコンサートをこなした。
1988年来ピリオド楽器の演奏法に焦点をあて、イギリスのロイヤルロンドンアカデミーでバロック音楽の分野において更なる研鑽を積んだのち、オランダのデン・ハーグ王立音楽院へ留学。シギスヴァルト・クイケンに師事し、1996年ソリストディプロマを得て卒業。・・・・・
現在は日本に本拠を移し、バッハ・コレギウム・ジャパン、クラシカル・プレイヤーズ東京(有田正広指揮)などのグループとともに演奏活動を行っている。・・・・
チェロ:山本 徹
東京藝術大学を経て、同大学院古楽専攻を終了。これまでにチェロを土肥敬、河野文昭、北本秀樹、鈴木秀美の各氏に師事。また藝大バッハカンタータクラブにて小林道夫氏の指導のもと研鑽を積む。バッハ・コレギウム・ジャパン、オーケストラ・リベラ・クラシカ、レ・ポレアード、クラシカル・プレイヤーズ東京(有田正広指揮)、など主要な国内のオリジナル楽器オーケストラのメンバーとして、公演・録音・海外ツアーに多数参加する一方、チャイコフスキーやショスタコーヴィチのチェロ協奏曲をオーケストラと共演するなど、モダン・オリジナル楽器双方の分野で活動を展開している。2006年、第20回古楽コンクール〈山梨〉第2位、・・・・2008年、第16回ライプティヒ・バッハ国際音楽コンクールのチェロ部門で第2位を受賞。
クラシカル・プレイヤーズ東京
フルート&音楽監督:有田正広
オーボエ:三宮正満
ヴァイオリン:戸田 薫、パウル・エレラ、大内山 薫、荒木優子
ヴィオラ:成田 寛、深沢美奈
チェロ:山本 徹、長谷川弘樹
コントラバス:諸岡典経
チェンバロ:有田千代子
(今回のコンサートは選抜メンバーによるものです)
有田正広音楽監督、指揮のもと、日本最初の本格的古楽器オーケストラ「東京バッハ・モーツァルト・オーケストラ」は1989年4月に結成され、2009年3月公演をもって20年の歴史の幕を閉じた。その後「東京バッハ・モーツァルト・オーケストラ」のメンバーを中心に2009年6月に「クラシカル・プレイヤーズ東京」と改称し、バロック、古典派にロマン派のレパートリーを加え、活動を開始。この第一回目の公演はメンデルスゾーンの生誕200年記念としてヴァイオリン協奏曲とベートーヴェンの「英雄」交響曲を有田正広氏の最新の研究成果を基にピリオド楽器で演奏された。「クラシカル・プレイヤーズ東京」の活動は、歴史的資料に基づいた解釈とその演奏という、日本のクラシック音楽界に新しい一条の光を当て、日本の管弦楽演奏史のエポックメイキングとなっている。


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