演奏会に行ってきました「レクチャー・コンサート 『作曲家の挑戦』シリーズ 2nd フランス6人組の風」(2009-37)
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2009年9月4日(金)19:00開演 東京文化会館小ホール(東京メトロ日比谷線・銀座線上野駅徒歩8分程度)
《プログラム》
レクチャー・コンサート フランス6人組の風
ナビゲーター&クラリネット:赤坂達三 ピアノ:浦壁信二
アルチュール・オネゲル:クラリネットとピアノのためのソナチネ
ジェルメンヌ・タイユフェール:アラベスク
ダリウス・ミヨー:スカラムーシュ
・・・・・休 憩・・・・・
ルイ・デュレ:3つの短い小品
ジョルジュ・オーレック:映画音楽「ムーラン・ルージュ(赤い風車)より“ワルツ”
フランシス・プーランク:クラリネット・ソナタ
《印象 感想 ナビゲーターの話の聞き書き ()内(文責モントウー)》
私の席:L列31番。どんどん聴衆が増え、ほぼ満席。
ナビゲーターの説明・解説付き演奏。クラリネットはとても上手い。(フランス6人組は、コクトーがまとめ役だった)
フランス6人組の風 解説:柿沼 唯
第1次世界大戦が終結して1年あまりが経った1920年1月のパリ、文芸誌「コメディア」に6人の若い作曲家たちが紹介された。書き手は評論家のアンリ・コレ(1885~1951)。彼は6人を「ロシア5人組」になぞらえて「6人組 Le Grupe Des Six」と呼び、ほどなくこの名は広く知られることとなった。6人の共通の友人で詩人のジャン・コクトー(1889~1963)が宣伝を買って出たことも大きかった。6人はこの時期いくつかの演奏会を開き、作品を持ち寄ってピアノ曲集を出版し、コクトーの台本によるバレエに共作で音楽をつけた。しかし3年後にはグループは自然消滅し、6人は以後それぞれの道を歩んでゆくことになる。
ダルウス・ミヨー28歳、アルチュール・オネゲル28歳、ジェルメンヌ・タイユフェール28歳、ルイ・デュレ32歳、フランシス・プーランク21歳、ジョルジュ・オーリック21歳。彼らが活躍した1920年のパリでは、戦後の自由で開放的な気分が謳歌され、若者達は「祝祭と狂乱の日々」に明け暮れていた。芸術の分野ではダダイズムの芸術家たちの活動がピークを迎え、既成の価値観に風穴を開ける新しい芸術運動が花を咲かせていた。そんな中「6人組」が理想とした作曲家は、ダダイストたちとも交流のあったエリック・サティ(1866~1925)だった。その音楽は単純で率直、明晰で機知に富み、民衆的な笑いを含み日常に根ざしたものであり、彼らはその人間性(ユマニテ)の部分を受け継ぎそれぞれのやり方で作品を書いたのである。グループ解散後も6人は変わらぬ友情のもと、それぞれの個性を発揮した作品を書き続けるが、20世紀のいわゆる現代音楽の波に乗ることは なかった。そして21世紀の今、「6人組」の作曲家たちに再評価の光があてられている。彼らの音楽はどちらかと言えば軽く、遊びの気分に満ちており、いつまでも少年のような純真さを失わない。
A.オネゲル:クラリネットとピアノのためのソナチネ
ふんわりとしっとりとした音楽。低いクラリネットの音は柔らかい音色。クラリネットはもの凄く上手い。
《解説》 柿沼 唯
スイス人の両親のもとフランスで生まれ、パリ音楽院ではミヨーと同期だったオネゲル(1892~1995)は、「6人組」の中でただ一人ドイツ音楽への深い敬愛を隠さず、ミヨーとは正反対の気質の持ち主だった。音楽のダイナミズムを追求し、機関車の力感をオーケストラで表現した〈パシフィック231〉は、彼の即物主義の作風を代表する作品として名高い。この〈ソナチネ〉は「6人組」に参加していた時期の1921~1922年に作曲された作品。
第1楽章 モデラート 第2楽章 レント・ソステヌート 第3楽章 「生き生きとリズミカルに」
(日本は、1916年、オネゲルはモンパルナスの路地のアトリエに住んでいた。ワグナーに強い共感を抱いていた。他のメンバーは反ワグナー派。サティは6人にとって無くては存在だった。サティはブラック・ジョークの塊だった。サティはオネゲルに絶交宣言をした。
G.タイユフェール:アラベスク
「6人組」の中で唯一の女性作曲家であり、コクトーに「耳のマリー・ローランサン」と呼ばれたタイユフェール(1892~1983)は、パリ音楽院在学中にミヨーやオネゲルと出会い「6人組」に入った。アメリカ人風刺漫画家と結婚してニューヨークに移住するなど、2度の離婚を含むその波乱の人生は、チャプリンをはじめ驚くべき豊かな交友に彩られている。
ラヴェルに個人的に師事したこともアル彼女の作風は、明晰な書法と豊かな色彩感をそなえ、あらゆるジャンルに多くの作品がある。1973年に作曲された〈アラベスク〉は、クラリネットのための美しい小品。
(タイユフェールはサティをこよなく愛した女性。母からピアノを学んだ。)(「6人組」に共通なのは、バレエ音楽や(チャプリンの)映画音楽。)
D.ミヨー:スカラムーシュ
(①空飛ぶ医者。)元気のよい音楽。聴いたことのあるメロディー。滑稽味のある曲。 ②ゆっくりとした音楽。ユーモアがある。ピアノ伴奏は高音部が印象的。 ③活気のある音楽。よく聴くメロディーが流れる。クラリネットはとても上手い。
(南仏のマルセイユ生まれ。父はアマチュアのピアニスト、母は歌手。7歳でヴァイオリンを鳴らす。カリフォルニアで教鞭をとる。天才と言われていた。50曲以上を作曲していた。残っている曲は1曲もない。
《解説》 柿沼 唯
裕福なユダヤ系の家庭に生まれ、パリ音楽院で学んだミヨー(1892~1974)は、友人の詩人ポール・クローデルが公使としてリオ・デ・ジャネオロの赴任した際、その秘書としてブラジルに滞在し(1917~1918年)、帰国後「6人組」の活動に参加して指導的役割を果たした。大変な多作家で、しかもその作風は多彩をきわめる。(劇音楽や映画音楽も数多く手がけている)。1937年作曲の〈スカラムーシュ〉は、モリエールの喜劇によるこどものためのドラマ「空とぶお医者さん」のための付随音楽を、2台のピアノ用に改作したもの(クラリネットでもしばしば演奏される)。ミヨーのトレードマークともいえるブラジル音楽からの影響がこの作品にも色濃い。
第1曲 「活発に」 第2曲 「中庸の速さで」 第3曲 「ブラジルの女(サンバのリズムで)
L.デュレ:3つの短い小品
①クラリネットのみの素朴な作品。 ②中ごろに高音も。 ③軽快な部分も。
(南仏のオリーブ出身。この曲は単純でごまかしのきかない曲。たぶん、いや絶対(日本)初演。20歳で商学の学位を得る。1921年南仏のサントロペに移住。1936年パリに帰郷。コクトーの映画音楽を作曲するようになる。「美女と野獣」など作品は多い。1954年オネゲルの後任で作曲家協会の会長になる。
《解説》 柿沼 唯
6人中最年長だったデュレだが、20歳の頃までに正規の音楽教育をほとんど受けたことがなく、ドビュッシーのオペラ〈ペレアスとメリザンド〉を聴いて感銘を受けて、音楽の道を志したという。1921年に早くも「6人組」を離脱し、その後は社会主義者として広く大衆のための音楽を書いた。この〈3つの短い小品〉は、オーボエ独奏のために晩年の1974年に作曲された作品。素朴なメロディーには、ほのぼのとした味わいががある。
第1曲 「中庸の速さで」 第2曲 「中庸の速さで」 第3曲 アレグロ・スケルツァンド
G.オーリック:映画音楽「ムーラン・ルージュ(赤い風車)より“ワルツ”
(画家ロートレックの生涯を描いた映画から。ワルツは目立たない曲。有名な曲とのこと。)たしかにいい曲。
《解説》 柿沼 唯
プーランクとともに最も若いメンバーだったオーリック(1899~1983)は、15歳の時に作品が出版されて作曲家デビュー、20歳までにいくつもの舞台音楽を手がけるという早熟ぶりを示し、そのユーモアあふれるフレッシュで明晰な作風は「6人組」の理念に最もふさわしいものだった。1930年代以降、彼はその才能を映画音楽の作曲に注ぎ、大家として大きな成功を収めた。コクトーの「美女と野獣」や「ローマの休日」は名高い。〈ムーラン・ルージュ〉はロートレックの生涯を描いた1952年のハリウッド映画。
F.プーランク:クラリネット・ソナタ
(ナビゲーターとして演奏とお話両方というのは、なかなか大変です。プーランクは最大手の化学者・経営者を父に持ち、24歳の時にディアギレフの要請でバレエ音楽「牝鹿」を作曲。
《解説》 柿沼 唯
「6人組」の仲間に加わった時、作曲はまだ独学だった。その後シャルル・ケクランについて本格的に作曲を学ぶ。作風は軽妙洒脱、そして旋律や調性から決して逸脱しない保守性もプーランクの特徴である。「ガキ大将と聖職者が同居している」と評されたこともある。この〈クラリネット・ソナタ〉は、ベニー・グッドマンの求めに応じて1962年に作曲された作品で、オネゲルの追悼を意図して書かれた。しかしその翌年、プーランク自身がニューヨークで心臓発作により急死したため、この曲の初演はカーネギーホールにおけるプーランク自身の追悼演奏会で行われることなった。
第1楽章 アレグロ・トリスタメンテ 第2楽章 ロマンツァ 第3楽章 アレグロ・コン・フォーコ
(フランス6人組はロシア5人組に近いものを目指したわけではない。この曲はオネゲルの追悼のために書いたが、自分の追悼の曲ともなった。)
①コケティッシュな曲。 ②ゆっくりとしたテンポ。しっとりとした感じ。 ③活気があり盛り上がる。
《プロフィール》
ナビゲーター&クラリネット:赤坂達三
国立大学で学んだ後、パリ国立高等音楽院のクラリネット及び室内楽を第1位で卒業。他、パリ・ポールデュカ音楽院、ヴェルサイユ国立音楽院、共に第1位で卒業。トゥーロン国際音楽コンクール第3位(クラリネットで国際音楽コンクール連盟加入のコンクール上位授賞は日本人初)、日本木管コンクール第1位、20数年に渡りリサイタルでの活躍はもちろんの事、国内外の主要オーケストラやゲヴァントハウスをはじめとする著名な弦楽カルテットとの共演は数え切れない。・・・・・
ピアノ:浦壁信二
1969年10月生まれ。4歳よりヤマハ音楽教室で学ぶ。1981年JOC(ジュニア・オリジナル・コンサート)国連コンサートに参加、ロストロポーヴィチ指揮ワシントン・ナショナル交響楽団と自作曲を共演。その他にも各地で自作曲を多数のオーケストラと共演。
1985年都立芸術高校音楽科に入学。1987年渡仏し、パリ・コンセルヴァトワールに入学。ジャニィヌ・リュエフ、ベルナール・ドゥ・クレピィ、ジャン・ケルネル、ミシェル・メルレの各氏に師事。和声、フーガ、伴奏で1等賞、対位法で2等賞を得る。ピアノをパラスキヴェスコ氏に師事。1994年オルレアン20世紀音楽ピアノコンクールで特別賞“プランシュ・セルパ”を得て優勝し、ヨーロッパ各地でリサイタルを行う。・・・・・現在室内楽、伴奏等で活躍中。
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