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2009年4月

2009年4月29日 (水)

演奏会に行ってきました「紀尾井シンフォニエッタ東京 ヴァイオリン弾き振り:安永 徹 モーツアルト:ピアノ協奏曲22番 ハルトマン:ヴァイオリンと弦楽のための葬送協奏曲 モーツアルト:交響曲38番『プラハ』(2008-69)

2008年12月13日(土)2:00開演 紀尾井ホール(JR・東京メトロ南北線・丸の内線四谷駅 上智大学前「ソフィア通り」を徒歩7~8分) 紀尾井シンフォニエッタ東京第67回定期演奏会

《プログラム》

ヴァイオリン弾き振り:安永 徹  ピアノ:市野あゆみ  コンサートマスター:澤 和樹

モーツアルト:ピアノ協奏曲22番 変ホ長調K.482

ハルトマン:ヴァイオリンと弦楽のための葬送協奏奏曲

モーツアルト:交響曲第38番「プラハ」

ヴァイオリン弾き振り:安永 徹(ベルリン・フィル 第一コンサートマスター)  ピアノ:市野あゆみ  紀尾井シンフォニエッタ東京  コンサートマスター:澤 和樹

《印象 感想など》

モーツアルト:ピアノ協奏曲第22番 変ホ長調 K.482

Ⅰ.アレグロ(カデンツァ 市野あゆみ/ダニエル・バレンボイム)  Ⅱ.アンダンテ  Ⅲ.アレグロ(カデンツァ 市野あゆみ/エトヴィン・フィッシャー)

 コントラバス 左奥。安永 コンサートマスターの席で演奏。

第1楽章 ピアノ、軽やかな演奏。  第2楽章 しっとりと落ち着いた楽章。クラリネット、フルート、ファゴットが心地よく絡む。  第3楽章 気持ちよいテンポに乗り、音楽が流れ、木管が素敵に絡む。

ハルトマン:ヴァイオリンと弦楽のための葬送協奏曲

Ⅰ.イントロダクション、ラルゴ  Ⅱ.アダージョ  Ⅲ.アレグロ ディ モルト  Ⅳ.コラール(ゆっくりした行進曲)

ソロヴァイオリン・指揮:安永 徹、コンサートマスター・澤 和樹。伴奏:弦楽合奏。

不安を帯びた音楽が流れる。2楽章は、弦の刻みが印象的。4楽章のコーダは、不協和音ぽく、終わる。

モーツアルト:交響曲第38番ニ長調 K.504「プラハ」

Ⅰ.アダージョ-アレグロ  Ⅱ.アンダンテ  Ⅲ.プレスト

 安永、コンサートマスターの席で弾く。澤は第2ヴァイオリンの席で弾く。第1楽章 管楽器、ティンパニー(小さめの)が入る。キビキビとしたモーツアルト。  第2楽章 ファゴットがしかりとテンポを刻む。  第3楽章 速いテンポで入る。トランペットやティンパニーが快調な演奏。スッキリとした快演。安永はすごい力量を発揮。紀尾井シンフォニエッタ東京は、相変わらずすばらしいアンサンブルを披露。ブラヴォー。

アンコール ピーター・モールオール:パゼリー(6曲の組曲)から5曲目(弦楽合奏)

《プログラムノート》 松本 學

 世界で最も知られている日本人音楽家、といったら候補として何人かの顔が浮かぶだろう。しかし世界で最もアンサンブルの重責を担っているのは誰か・・・・と言い換えたなら、それは本日登場する安永徹氏を真っ先に挙げなければならない。世界最高のプレッシャーとも言えるベルリン・フィル(BPh)のコンサートマスターを務め、はや25年。BPhのアンサンブルは、安永氏がコンマスを務めたときに特に緻密だという評も少なくないが、あれだけの名手を揃え、各人の主張も並大抵でないこのスーパー・オーケストラを統率してきた能力と努力は計り知れない。

 ところが在団30周年の今年、氏がBPhを退団するというニュースが伝わってきた。これには多くの方が驚かれるだろ。今後は日本に活動の拠点を戻すとのこと。ファンや同胞としては、あのコンマスの頂点ともいうべき座から日本人の姿が去ってしまうのは残念な気がしなくもないが、ベルリンで得た経験や知識を日本にフィードバックするというのは、まさに氏にしか出来ない特別なことである。

 今回の紀尾井シンフォニエッタ東京(KST)との共演は、氏が体験してきた世界の最前線の音楽を我々に伝えてくれるその一環ともいえる。もちろんKSTも名手揃いゆえ、氏との相互的なケミストリーとして、さらに磨き上げた音楽を聴かせてくれる筈だ(そもそもKSTにはベルリン留学中にBPhで氏と一緒に演奏していた方もいるほどだし)。

 方やピアノの市野さんは、パルゼビ門下でシルデらにも師事し、フランスとドイツのピアノ演奏の最もよい部分を吸収された音楽家である。安永氏との共演をはじめ、本日のような協奏曲のソロや、何枚ものアルバムでその実力派折り紙付き。彼女の端正でリリカルな音楽を生で聴けるのは実に贅沢な時間といえる。

 この2人を迎えた本日のプログラムは、モーツアルトとハルトマン。3曲とも、安永&市野コンビは既にアンサンブル金沢とのライヴ録音をリリースされているので、お聴きの方も少なくないだろう。何度も演奏を重ね、自家薬籠中といった作品ばかりであるが、KSTを得てさらなる深化した表情を聴かせてくれるに違いない。

モーツアルト:ピアノ協奏曲 第22番 変ホ長調 K.482

 1785年、モーツアルト(1765~91)は、3つのピアノ協奏曲を生んだ。その内、彼にとって初の短調ピアノ協奏曲となった第20番と、映画『短くも美しく燃え』でも知られる第21番は、この年の早い時期(2,3月)に書かれている。対して、その年の終わりに完成されたのが、この第22番である。作曲の経緯ははっきりとはしていないが、自作品目録にある完成美日と、当時の資料などから、12月の後半である可能性が高いようだ。

 第22番の特徴は、まずモーツアルトのピアノ協奏曲の中で最長であること。そぢて何よりも、楽器編成に画期的な発展-それまでのオーボエに代わり、この曲で初めてクラリネットが採用されている点である。冒頭からその効果は絶大で、響きの充実ぶりが目覚ましく、独奏ピアノの活躍以外にも、オーケストラのサウンドが当作品の大きな聴きどころの一つとなっている。

 また、両端楽章にはモーツアルト自身のカデンツァが遺されていないため、奏者のここをどう弾くかも要注目。本日の市野さんは自作とバレンボイム、フィッシャーのもを併せて披露してくれる。

第1楽章:アレグロ 変ホ長調、4/4拍子。ソナタ形式。冒頭から聴かれる第1主題は、トランペットとホルン、ティンパニーが活かされた簡潔なファンファーレ的前段と、木管のふくよかな響きが心地よい後段とが組み合わされたもの。フルートが3連符で下降、そして木管が同じく3連符で上向すると、ヴァイオリンに優美な旋律が現れる。これが第2主題である。これらが提示された後、たおやかにピアノが登場する。

第2楽章:アンダンテ ハ短調、3/8拍子。主題と5つの変奏から成る変奏曲形式。主題は、弱音器を付けた弦楽器による深い憂いを帯びた歌。続いて、ピアノの第1変奏、木管での第2変奏(但し、この部分には主題が登場しないので、独立した変奏ではなく推移部とも考えられる)、ピアノと弦での第3変奏、フルートとファゴットが歌い交わす長閑な第4変奏、総奏での第5変奏、コーダから成る。1785年12月23日にブルク劇場で行われた演奏会では、この楽章がアンコールされた。

第3楽章:アレグロ 変ホ長調、6/8拍子。A-B-A-C-A-B'-A-コーダから成るロンド形式。軽やかなロンド主題の間にエピソードが挟まれてゆく。Cの部分は変イ長調、3/4拍子のアンダンティーノ・カンタービレ。クラリネットとファゴットの穏やかで牧歌的な歌の世界が広がり、ピアノがそれに続く。最後にアインガング挟まれ、再びロンド主題が戻る。B部の再現の後、カデンツァが奏され、3たび主題が戻って華やかにまとめられる。

K.A.ハルトマン:ヴァイオリンと弦楽のための葬送協奏曲

 カール・アマデウス・ハルトマン(1905~63)は、ミュンッヒェン出身の作曲家。ヨーゼフ・ハースに作曲を師事し、戦時中にはヴェーベルンにも作曲を学んでいる。戦中を除き、戦前・戦後にはバイエルン州立歌劇場を中心に活躍した。作品は多岐にわたり、オペラ《シンブリチウス・ジンブリチムス》や8つの交響曲、室内楽曲、ピアノ曲などがよく知られている。

 ハルトマンは、反ナチスの意志を強く表明した作曲家で、ナチスが政権を握った1933年には早くも交響詩《ミゼーレ》という作品を書いて反意を示した。そのため、作品は上演禁止の憂き目にあい、彼自身も国内亡命を余儀なくされてしまう。しかしそれでも1936年には《交響的断片》と題した作品を作曲(この作品は後に交響曲第1番《レクイエムへの試み》として結実した。)また、《コラール・カンタータ《平和-48年》(1937年)といった声楽作品、そこから派生したカンタータ《嘆き》(1937年)、交響曲第2番《アダージョ》(1941~46年)さらに第2次大戦終結の年にはピアノ・ソナタ第2番《1945年の4月27日のソナタ》といった作品を書き続けている。

 この《葬送協奏曲》もそのひとつであり、第2次大戦が勃発した1939年の7月から秋にかけて作曲。完成当時は《葬送音楽》と呼ばれており、1969年に改訂された際に《葬送協奏曲》のタイトルが付された。曲は4つの楽章から成り、全て途切れなくアタッカで続けられる。

第1楽章;イントロダクション(ラルゴ) 3/2拍子。15小節の短い楽章である。ソット・ヴォーチェで独奏ヴァイオリンがテーマを提示し、オーケストラはほんの短く応える。メロディは、チェコに伝わるフス派のコラール。《汝らは神の戦士》から。当楽章と終楽章の2つのコラールは「絶望的な状況に抵抗する人々の希望の象徴」と作曲者は語っている。

第2楽章:アダージョ 4/4拍子。コラール旋律が展開され、深い哀切が歌われていく。sfpppppなどの微細なデュナーミクや、半音階や付点リズムも特徴的。独奏ヴァイオリンにきわめて高い音域も用いられる。

第3楽章:アレグロ・ディ・モルト 4/4拍子。「死の舞踏」を想わせる熱狂的で技巧的なスケルツォ。対位法やリズムが生かされている。結局直前に、独奏ヴァイオリンによる重音を用いたカデンツァが奏される。「きわめて幅広く」。ブリテンやショスタコーヴィチも自作に用いた革命歌(同志は斃れぬ)などが展開される。前楽章と同様、曲は終結に向かって静かに消えてゆくが、最後にffの不協和音で強烈に怒りをぶつける。

モーツアルト:交響曲第38番 ニ長調 K.504《プラハ》

 モーツアルトの交響曲の多くは1770~1774年の間に書かれており、75年以降は旧作の改編(第28~30番)を経て、1778年に第31番《パリ》、1782年に第35番《ハフナー》、翌82年に第36番《リンツ》とペース・ダウンしていった。次の交響曲第38番《プラハ》が発表されたのは3年後の1786年である(第37番は、第1楽章の序奏以外はミヒャエル・ハイドンの作)。

 この理由には、ピアノ協奏曲の需要が高まり、それにつれて交響曲の発注がなくなったことが挙げられる。しかし、そこはモーツアルト。数は減少しつつも、その内容を急激に深化させている点はさすがだ。《プラハ》交響曲も、際立った対位法的書法や管楽器の重視、後年の《ドン・ジョバンニ》にも通じるドラマティックな表現内容など、内容の充実振りは驚くべきレヴェルに達している。《ピラハ》交響曲の完成は、自作作品目録に作曲者自身が記入したところに依れば1786年12月。ピアノ協奏曲第22番完成の翌年に当たる。《プラハ》という愛称は、ウイーンで評判をとった《フィガロの結婚》を上演するために、1787年1月にプラハに招かれた際に持参し、初演したためとされる。

 しかしながら現在の研究では、作品自体はこの初演のためではなく、1786年冬のウイーンでの演奏会のために作曲されたものと考えられている。殊に、用紙研究で名高いアラン・タイソンは、終楽章の五線紙が《フィガロの結婚》後半2幕のものと同じものであることを明らかにし、1786年の早い時期に書かれたものであると推察。さらには《プラハ》の終楽章が、内容上共通点の多い交響曲第31番《パリ》終楽章の代替曲であったことの可能性すら示唆している。

第1楽章:アダージョ~アレグロ ニ長調、4/4拍子。36小節にもわたるアダージョの序奏は、まず堂々と開始されるが、後半は短調に転じドラマティックな風貌を見せる。主部は第1ヴァイオリンのシンコペーションでスタートし、すぐに軽やかに動き出す。これに低弦や、跳躍音程を含んだフルートとオーボエのモティーフが次々に絡んでいく。楽章の後半では、たたみかけられるモティーフの応酬が、華やかで心浮き立つ。

第2楽章:アンダンテ ト長調、6/8拍子。シチリアーナに基づく優美な主旋律が歌われる。3小節目に聴かれるように、半音階が効果的に用いられているのが特徴。

第3楽章:プレスト ニ長調 2/4拍子。活き活きとした冒頭の第1主題は、《フィガロの結婚》のスザンナとケルビーノに二重唱〈早く開けて〉との関連が指摘されるもの。跳躍音程とシンコペーションを組み合わせて作られている。皆が静まって第1ヴァイオリンのみになりると、少しおどけたような旋律による第2主題が登場。軽やかに駆け抜けてゆく中に、対位法技法が織り込められた手練の楽章である。

《プロフィール》

ヴァイオリン:安永 徹

 1951年福岡に生まれる。1964年より江藤俊哉氏に師事。桐朋学園高等学校音楽科を経て、同大学音楽学部に入学。在学中の1971年に第40回日本音楽コンクール第一位受賞。1974年に同大学を卒業。1975年ヨーロッパに渡り、ベルリン芸術大学に入学、ミシェル・シュバルベ氏に師事。1977年ベルリン・フィルハーモニ管弦楽団に第1ヴァイオリン奏者として入団。1983年に同楽団の第一コンサートマスターに就任。1983年~99年までベルリン・フィル弦楽ゾリステンのリーダーとして、1996年~2001年までベルリン・フィル・カンマーゾリステンの第一ヴァイオリン奏者として、又ソリスト、室内楽奏者としてヨーロッパ、日本その他各地で多くの演奏を行っている。

 ピアニストの市野あゆとの共演によるリヒャルルト・シュトラウスやフランク、ベートーヴェンのソナタ他、レコーディングも数多く、2004年には「ベスト・ライヴ・コンサート」(ナミ・レコード)がリリースされるほか、オーケストラ・アンサンブル金沢とのライヴ録音(ワーナー・ミュージック)も定期的に行われ、3枚がリリースされている。

 現在、日本音楽財団より貸与された1702年製のストラデヴァリウス“LordNewlannds”を使用している。

ピアノ:市野あゆみ

 東京藝術大学附属高校で田村宏氏に、同大学で安川加寿子氏に師事。在学中に安宅賞を受賞。東京藝術大学を卒業後、マルセイユのコンセルヴァトワールにてピエール・バルビゼ氏に師事。1978年にスペイン、バルセロナのマリア・カナル国際コンク-ルに入賞。1978年よりベルリン芸術大学に於いてクラウス・シルデ、クラウス・ヘルヴィッヒの両氏に師事。1986年同大学に於けるソリスト・コンサート試験に最優秀で卒業。・・・・・1991年より1996年までベルリン芸術大学講師を務める。1996年~2001年までベルリン・フィル・カンマーゾリステンのピアニストとして、又ソリスト又室内楽奏者として、ベルリンを拠点にヨーロッパや日本その他の各地で多くの演奏を行っている。安永徹との共演によるレコーディングも数多く、オーケストラ・アンサンブル金沢とはライヴ録音(ワーナー・ミュージック)も定期的に行い3枚がリリースされている。

《レコードやCDのことなど》

モーツアルト:ピアノ協奏曲

 レコードやCDは、自分の気に入ったものを聴いていればいいわけですが、私はピアノ:アンネローゼ・シュミット、指揮:クルト・マズア  ドレスデン・フィルハーモニックのCDボックスをよく聴いてきました。当時の東ドイツのピアニストで廉価盤のCDボックスですが、なかなかよい演奏です。ボックスなのでピアノ協奏曲が全曲入っていて、重宝です。

モーツアルト:交響曲第38番「プラハ」

 モーツアルトの交響曲は夥しい数のレコードやCDが出ていますが、「プラハ」はベンジャミン・ブリテン指揮イギリス室内管弦楽団のCDをよく聴いています。ブリテンの演奏は、人柄がにじみ出ているというか、心優しい素晴らしい演奏だと思います。

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2009年4月26日 (日)

演奏会に行ってきました「韓国芸術総合学校 弦楽アンサンブル グリーグ:ホルベルク組曲、エルガー:序奏とアレグロ、シェーンベルク:浄められた夜」(2008-66)

12008年12月10日(水)開演18:30 洗足学園前田ホール(東急田園都市線、JR南部線「溝の口駅徒歩10分程度

初めてのホール。パイプオルガンもあり1,081席の立派なホール。私の席:9列22番ぐらい(自由席、座席表示なし) 無料・洗足学園の招待演奏会。22名の至宝たちに共演。

《プログラム》

グリーグ:ホルベルク組曲 作品40

エルガー:序奏とアレグロ 作品47

シェーベルク:浄められた夜 作品4

《印象 感想など》

グリーグ:ホルベルク組曲 作品40

第1曲プレリュード  第2曲サラバンド  第3曲ガヴォットとミュゼット  第4曲アリア  第5曲リゴードン

 第1曲 コンサートマスター 女性、指揮者なし。コントラバス 2人、チェロ 5人。テクニシャン揃いで、レベルの高い、すごいアンサンブル。韓国の音楽のレベルの高さを感じる。曲はよく聴く、聴き慣れた曲。

 第2曲 第3曲 引きしまた演奏で、緊密で驚異的なアンサンブル。

 第4曲 第5曲 完璧な弦楽アンサンブル。すごい演奏で、韓国音楽のレベルの高さを如実に感じさせる演奏会。

エルガー:序奏とアレグロ 作品47

 前半 勢いのあるダイナミックな演奏。重厚な曲。ホールが鳴る感覚が味わえる。とにかくアンサンブルのすごさに、ぶったまげる。

 後半 キビとしたアレグロ。とにかく素晴らしい弦楽アンサンブルで、遠いとろ(埼玉の越谷から武蔵野線・南武線を乗り継い)で来た甲斐がある演奏会。

        ・・・・・・休 憩・・・・・・

シェーベルク:浄められた夜 作品4

Ⅰ プレリュード:グラーヴェ  Ⅱ モルト・ラレンタンド  Ⅲ ペザンテ-グラーヴェ  Ⅳ アダージョ  Ⅴ アダージョ

ステージ上に、横に広がる配置になる。

Ⅰ チェロから静かに始まり、合奏へ。自信に満ちた演奏。  Ⅱ 少し不安げな響き。   Ⅲ 素敵な曲、素晴らしい演奏。切れ目無くⅣへ。  Ⅴ コンサートマスターのソロ・ヴァイオリン、せつない響きのアダージョ。そして分厚い響きの弦楽合奏。最後は繊細な音楽で、静かに終わる。とても素晴らしい演奏。ブラヴォー。

アンコール ボッケリーニ:悪魔の嵐の家

 活気のある曲。快演。とにかくとんでもない技の持ち主たちの集団で、ソリスト達の集まり。

《プログラムノート》 パンフレットより

グリーグ:ホルベルク組曲 作品40

 ホルベルクは「ノルウェー文学の父」と呼ばれるノルウェーを代表する作家で、グリーグが41歳の頃にホルベルクの生誕200年祭にあたり、同郷のグリーグが独奏ピアノのためにこの作品を作曲しました。

 現在では原曲が演奏されることはほとんど無く、グリーグ自身により翌年編曲された弦楽合奏版で演奏されることが多くなっています・。

 グリーグは、生涯を通じてノルウェーの自然や風俗を音楽で描き、「国民学派」と呼ばれました。『ホルベルク組曲』はそうした作風を反映し、北欧の自然を想わせる歌心と親密な温かさを備えた音楽といえるでしょう。

 作品は弦楽5部合奏で演奏されます。副題に“古い形式による組曲”と記され、ホルベルクが生きた時代を音楽形式(バロック)に基づく5楽章からなります。

エルガー:序奏とアレグロ 作品47

 20世紀のイギリスは、弦楽合奏のための名作を数多く生み出していますが、このエルガーの1905年の作品は、そのなかでも傑出した作品として愛好されています。複数のパートに分けられた弦楽合奏のセクションと、弦楽四重奏からなる編成は、コンチェルト・グロッソのスタイルを想わせますが、近代イギリスの弦楽合奏作品の典型的なスタイルとなっています。

 現在ではエルガーの傑作としてよく演奏される曲ですが、作品の複雑さと演奏の困難さから、初演後30年以上も顧みられることはありませんでした。ウェールズ地方の民謡から着想を得た序奏と、輝かしい速いアレグロからなります。

シェーンベルク:浄められた夜 作品4

 シェーンベルクはワーグナー、マーラーと続く後期ロマン派の作風から「無調」「12音音楽」「セリー技法」へと新しい音楽の世界を切り開いた作曲家です。

 この『浄められた夜』は、彼が25歳の時に書いた彼の諸作品中極めてポピュラーな1曲で、後期の複雑怪奇な響きの、いわゆる現代音楽とは異なる比較的分かり易い音楽です。『浄められた夜』が邦題ですが、この曲は標題の付けられた室内楽で、そのプログラムは近代ドイツの詩人リヒヤルト・デーメル(1863~1920)の詩集『女と世界』(1896年)の中の“浄夜”によっています。

 ここに、複数の解説書から編集し引用した詩の意訳を載せます。音楽は単一楽章ですが、性格を異にする5つのパートで構成されています。

リヒャルト・デーメル 詩集「女と世界」より“浄夜”

 男と女が月に照らされた寒々とした森を歩いている。

 月は二人の歩みにつれ、二人を見下ろしている。 

 月は高いカシの木の梢にかかり、

 空は澄み渡り、一片の雲も無く、

 黒い木の梢がまるで空につきささっているようだ。

 女が一人、語り始める・・・

 子供がお腹の中にいます。 

 でもあなたの子ではありません。 

 私は罪に苦しみながらあなたと歩んでいるのです。

 私はひどい過ちを犯してしまったのです。

 もう幸福などは信じはしませんでしたけれど

 それでもどうしても激しい憧れを絶てなかったのです。

 子供を生むこと、母となる喜びとその義務を。

 それで思い余って見知らぬ男にわが身を委ねてしまったのです。

 それでも満ち足りた思いをしたのでした。

 ところが人生はなんという復讐をするのでしょう。

 今になって私はあなたに、ああ あなたにこうして巡り会ったのです。

 女はおぼつかない足取りで歩む。

 女は空を見上げる。月が共についてくる。

 女の暗いまなざしは月の光に溺れ死ぬかのよう。

 男が語る・・・

 君の授かった子を君の心の重荷にしてはいけない。

 ほら見てごらん、辺りはなんと明るく輝いていることか!

 僕と君の間には、心のあたたかさが行き交っている。

 何もかもが輝きに包まれているのだ。

 君は僕と共に冷たい海の上を漂ってゆく。

 でも心の温かさが行き交いしている。

 君から僕へ、僕から君へと。

 この温かさがお腹の子を浄めてくれるだろう。

 君はその子を、僕のため、僕の子として産んでおくれ。

 君は僕の中に輝きを運び、

 この僕をすら子供に変えてしまった。

 男は女の厚く張った腰に手を回す。

 二人の息は温かく交じり合う。

 男と女は明るく高い夜空の中を歩んでいく。

《プロフィール》

韓国芸術総合学校 弦楽アンサンブル KNUA

 英才教育をしている学校。韓国芸術総合学校(KNUA)は、韓国では最高の高等教育機関の一つです。この韓国芸術総合学校は、2007年末にDamon音楽賞グランプリを受賞しましたが、これは確固たる地位を築いていることへの象徴的な出来事です。この音楽賞は、本来その年に最も創造的な活動を行った将来性のある若い音楽家個人へ贈られる賞なのですが、個人やグループ婦ではなく、教育機関であるKNUAが団体として初めて受賞することになりました。これは、才能ある音楽家への類例のない教育システムが、広く認められた証しと言えるのではないでしょうか。

 韓国芸術総合学校の若き弦楽プレイヤーの才能は、KNUAの中でも卓越したものがあります。Nam-yum Kim教授、Myung-Hwa Chung教授他の最高の教授人の影響ももちろんありますが、先生と門下生が厳しい練習を通じて、海外留学をしなくても、世界中のコンクールで結果を出していることは特に注目に値します。大学部門の学生の受賞結果は驚くほど素晴らしいものです。

 チャイコフスキー、パガニーニ、ティボール・ヴァルガ、プラハの春国際、クーセヴィツキー、ハノーバー、仙台国際音楽コンクールなど枚挙に暇がありません。若き至宝たちの活力ある活動は、コンクールだけにとどまらず、KBSオーケストラ、ソウルフィルハーモニック、Daejunフィルハーモニック、Buchoenオーケストラなど、韓国のトップオーケストラとの共演にまで幅広く及んでいます。すでに彼らを学生という枠だけで捉えることはできません。

 KNUA弦楽アンサンブルは、このような若くて素晴らしい学生たちによる最高のハーモニーです。チェロ界に新星のごとく現れたSang-min Park教授は、室内楽の創造的な可能性について、マンズ音楽院やジュリアード音楽院で発見したと言われています。若い教授の新しい試みへの情熱と、若い学生の生き生きとしたエネルギーが、相乗効果を生み出すのが、このKNUA弦楽アンサンブルです。

 彼らの奥深くから無限に生成されるエネルギーは、2007年12月、ハノーバー音楽大学でのステージから感じ取ることができました。モーツアルトへの陽気な集中とチャイコフスキーの強い精神が、彼らのエネルギーにより実現した瞬間でした。2008年には、春のドンヨン音楽祭におけるクロージング・コンサートとドイツ演奏旅行の成功に続き、日本への演奏旅行と2009年の欧州旅行の準備をしています。

《レコード CDのことなど》

シェーンベルク:浄められた夜

 レコード、CDは、自分の気に入ったものを聴いていればいいわけですが、「浄められた夜」では、私はディミトリ・ミトロプーロス指揮ニューヨークフィルハーモニックのLPレコード(1958年3月録音)を聴いてきました。ミトロプーロスは、日本では冷遇されてきた演奏家の一人と思います。私もレコードは、プロコフィエフのバレー「ロミオとジュリエット」を収めたこの1枚しかありません。

 ライナー・ノート(浅里公三記)によると「ミトロプーロスはギリシャ・アテネ生まれで、1936年に渡米しボストン交響楽団を振ってアメリカデビュー。ミネアポリス交響楽団の終身指揮者として1949年まで常任を務めたとのこと。ミトロプーロスの記憶力は「鏡のような記憶力」とよばれるほど有名で、マーラー以後のシェーンベルクやベルク、ウエーベルン、あるいはR.シュトラウスのオペラなど複雑なスコアでもすべてリハーサルから暗譜で指揮したのも今は語り草となっている。生涯を独身で通し、生活も質素で、社交ぎらいのためにアメリカでの活動よりもヨーロッパでのフリーランスの活動を望んだ」とのこと。

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2009年4月25日 (土)

演劇に行ってきました「作:A.R.ガーニー 『ラヴレターズ』(2008-9)

演劇に行ってきました「作:A.R.ガーニー『ラヴ・レターズ』」 200年12月11(木)ル テアトル銀座 by PARCO(東京メトロ銀座線京橋駅から徒歩1分、銀座駅から徒歩5分、有楽町線銀座一丁目駅から徒歩1分、都営地下鉄浅草線宝町駅から徒歩5分) 朝日新聞プレゼント企画に当選したもの

作:A.R.ガーニー 訳・演出:青井陽治 企画・製作:(株)パルコ

2008Christmas Special  かけがいのあなたに贈る、リーディングドラマ

《舞台 ストーリー 感想 印象など》

 これまでに多数の組の男女俳優が出演している。今回は?組目の人気の公演。ロビーには、これまでに出演したカップルの舞台写真が、所狭しと掲示されていた。

 キャッチフィレーズは、「男と女二人だけ 手紙を書き手紙を読む・・・・今夜はあなたもラヴレターを書きたくなるでしょう。クリスマス・シーズン到来で 賑わう銀座に、個性と魅力溢れる 6組のカップル(今シリーズ)を迎えてお贈りします。深い感動が生まれる一瞬に、あなたも立ち会ってみませんか。」

 舞台にはテーブルと二脚の椅子。並んで座った男優と女優が、手にした台本を読み上げるだけの2時間。大掛かりな仕掛けも、目をひく照明や音響もない。このシンプルな舞台が、これほど見るものをとらえてはなさないと、誰が想像できたでしょうか?

 『ラヴ・レターズ』は1989年ニューヨークで初演されるやいなや、全世界で上演され、静かなブームを巻き起こしました。日本でも1990年8月19日にパルコ劇場で幕を開け、以来この一つの台本を、年齢も個性も異なった様々な延べ360組のカップルが読み続けています。俳優によって、観客によって、同じ作品とは想えない程全く新しく生まれ変わる舞台。世代、年代、個性に応じて全く新しい『ラヴ・レターズ』が誕生します。俳優が何の具体的な演技を行わないゆえに一層、その声と姿に彼らの演技を超えた真情がほとばしるのを目の当たりにし、観客は新鮮な感動を共に分かち合うのです。

ストーリー

 幼なじみのアンディとメリッサ。自由奔放で感覚人間のメリッサ。真面目でいつも何かを書いているアンディ。思春期を迎えて彼らは、一番近い異性としてお互い十分相手を意識しはじめる。

 しかし、ついに決定的チャンスを迎えた夜、二人は友達以上にはなれない自分たちを発見する。大学を出た二人はそれぞれ結婚し、まったく別の道を歩き始める。海軍を経て法曹界に入り、上院議員まで登りつめるアンディ。アートの道に進んだものの行き詰まって、精神的破綻をきたすメリッサ。久しぶりに再会した二人は、別々に過ごした日々を取り戻すかのように、お互いを激しく求めあう。しかし結ばれるには、時は余りにも遅すぎた。

 

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2009年4月24日 (金)

演奏会に行ってきました「新宿交響楽団 ショスタコーヴィチ:祝典序曲 ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 レスピーギ:交響詩『ローマの松』(2008-65)

2008年12月6日(土)練馬文化センター 大ホール(西武池袋線・西武有楽町線・都営地下鉄大江戸線練馬駅北口より徒歩1分) 新宿交響楽団よりの招待(前回の演奏会のアンケート回答者を招待) 私の席:M(13)列29番(自由席)ほぼ中央席

《プログラム》

ショスタコーヴィチ:祝典序曲 作品96

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77

レスピーギ:交響詩『ローマの松』

ごあいさつ  新宿交響楽団 団長:木内智真

 平成2年に発足した新宿交響楽団は、今回で36回目の定期演奏会を迎えました。団員構成を見ますと、ここ5年以内の新入団員がとても多く、それと同じくらい創団期ごろの団員がおります。私を含めて、その中間期の団員はやや少ないという感じです。それぞれが調和して、とてもよい雰囲気で活動をしています。

 団員以外で第1回からすべての演奏会に出演している方がいらっしゃいます。常任指揮者の高畠浩先生です。高畠先生にはこれまですべての演奏会で指揮をしていただきました。今回は初めて、ヴァイオリン奏者として高畠先生に出演していただきます。2年程前からご指導をいただいてきた長田雅人先生に客演指揮をお引き受けいただき、今日の演奏家が実現しました。いつも大変熱心なご指導をしてくださる長田先生に、是非一度演奏会の指揮をしていただきたいという思いがありました。

 また高畠先生の独奏でコンチェルトを、というのも私達の悲願でありました。毎週金曜日に練習をしていますが、長田先生には、ほぼすべての合奏の指揮をしていただきました。お二人の先生にはこの場をかりて、心よりお礼申し上げます。本当にありがとうございました。・・・・・

 新宿交響楽団はブラームスとシューマンの交響曲を演奏することを当初の目標として創団し、その後はロマン派の作品に取り組んだり、近代の大曲に挑戦したり、日本人作曲家の作品を初演したり、その時々に試みを繰り返してきました。それでも、やはり今回のヴァイオリン協奏曲を含め、ブラームスとシューマンの曲に最も多く取り組んでいるのも面白いと思います。これからも新宿交響楽団は一歩一歩、歩んで行きます。・・・・・

《印象 感想など》

ショスタコーヴィチ:祝典序曲 作品96

 金管のファンファーレで始まる。指揮・演奏ともキビキビとした内容。この交響楽団の今までの演奏の中では、アンサンブルはとても良い演奏だと思った。

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77

Ⅰ アレグロ ノン トロッポ  Ⅱ アダージョ  Ⅲ アレグロ ジオコーソ、マ ノン トロッポ-ヴィヴァーチェ

コントラバス 6人。コンサートマスター 男性。 1楽章 ソロ・ヴァイオリン、まずまずの出だし。  2楽章 オーボエの有名なテーマ、なかなか素敵な演奏。ソロ・ヴァイオリン、丁寧に音楽を奏でる。  3楽章 活発な音楽、演奏を繰り広げる。コーダ、盛り上がる。ブラヴォー。  ヴァイオリンのアンコール。バッハのアリオーソ?伴奏がピチカートで付く。心のこもった演奏。

レスピーギ:交響詩『ローマの松』

Ⅰ ポルゲーゼ荘の松  Ⅱ カタコンブ付近の松  Ⅲ ジャニコロの松  Ⅳ アッピア街道の松

 コントラバス 8人に増える。コンサートマスターは女性に替わる。

Ⅰ きらびやかな出だし。低音弦楽器が、重々しい音楽を奏でる。  Ⅱ 引きずるような音楽。クラリネットや弦楽器が、綺麗なテーマを奏する。ピアノが入る。コントラバスのピチカートが印象的。  Ⅲ 鳥の鳴き声のような音楽。  Ⅳ 遠くから行進曲風の音楽が流れる。トランペットが吹かれ、右袖でトロンボーンが吹かれ、左右からトランペット、トローンボーンが吹かれ、弦も加わり全合奏になり、次第に盛り上がり、壮大なコーダへで大いに盛り上がる。いつ聴いてもぞくぞくする曲。ブラヴォー。

 アマオケのひたむきな演奏は、なかなかいいものだ。

アンコール マーラー:交響曲第5番よりアダージェット

 弦とハープのしっとりとした演奏。

《プログラムノート》 パンフレットより

ショスタコーヴィチ:祝典序曲 作品96

 1954年、ロシア革命37周年記念演奏会のための委嘱作品として、わずか3日間で作曲されたという、いわくつきのこの曲。すでに20世紀ロシア音楽の定番メニューのひとつといっても良いぐらい売れっ子の曲目になったいます。

 曲は金管主体の祝祭的なファンファーレに始まります。ひと段落するとすぐ、クラリネットが下降上降と、イ長調のスケールを駆け抜けるかの如き第1主題。いかにもショスタコーヴィチらしい歯切れよい速歩行進に乗って前進!ひとしきり盛り上がると、ふいにホルンとチェロにちょっと息の長いフレーズの第2主題が歌い出されます。

 この2つの主題が組み合わされ、ちょぴっとブギウギな香も漂わせたりしつつ、無窮動的なスケルツォ行進はテンポを緩めることまなくひたすら前進!前進!します。

 怒濤の流れの果てに輝かしく冒頭のファンファーレが再現し、金管の別働隊(パンダ)もこれに加わって華々しいコーダを迎えます。

 単純明快、簡潔豪快、清冽爽快。

「迷わず聞けよ、聞けばわかるさ」・・・この楽しさは問答無用です。

 うーん、これぞ「社会主義リアリズム」の極み!さすがスターリン独裁の厳しい前衛芸術批判時代を仮面を被って生き延びた天才ならでは。ソヴィエト労働人民のための素晴らしき楽天的御用芸術!

 こんな「やっつけ仕事」が有名になった後世に残ったのは、きっと草場の影のショスタコ御大には忸怩たる思いに違いないと・・・・と、筆者は昔、けっこう本気でそのように思っていました。

 しかし。いろんなことを知ると、物事はまた違った風に見えたり聞こえたりするもの。そんな私的な「ウラ解釈」を少々垂れ流してみましょう。

 ショスタコーヴィチの「祝典序曲」作品96が作曲されたのは19564年ですが、実はこの曲の原形として、発表されずにお蔵入りした革命30周年祝典曲があるそうです。これが1947年のこと。そしてこの間、前後に何があったのか・・・・年表を読み解いてみましょう。

1932年 妻ニーナと結婚。

1936年 歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」等への「荒唐無稽」との批判。

      5月、長女ガリーナ誕生。(★1)

1937年 交響曲第5番初演、大成功。(★2)

     翌年長男マクシムも誕生。

1942年 交響曲第7番がスターリン賞第1席。

     ロシア共和国功労芸術家の称号を受ける。

1946年 レーニン勲章受章。

1947年 ロシア共和国人民芸術家の称号を授与。

     ロシア共和国最高議会代議員に。(★3)

1948年 ジダーノフ批判。

     9月、レニングラード音楽院、モスクワ音楽院ともに教授の職を解任。(★4)

1949年 オラトリオ「森の歌」作曲・初演。(★5)

1950年 「森の歌」がスターリン賞第1席を受賞。

1953年 3月、スターリン死去。

     12月、交響曲第10番作曲・初演。(★6)

1954年 ソヴィエト人民芸術家の称号を受ける。

     11月、祝典序曲作曲・初演(★7)

     12月、妻ニーナ死去。 

 新進気鋭の作曲家、若きショスタコーヴィチが1936年の政府からの糾弾受けたショックはいかばかりであったことでしょう。

 守らねばならない新しい家族(★1)も生まれたこの年、彼は激しい葛藤の末にソヴィエトで作曲家として生きていくためのスタンスを決めたのだと思います。

 翌年、名誉回復のための試金石であった交響曲第5番(★2)。その壮麗なフナーレは、【後のショスターコヴィチの証言】の言葉を借りれば「あれは強制された歓喜である」ということになります。

 しかしながら、彼の生き方はスターリンから直接強制されたのではなく、自分自身と家族が生きていくための彼が自分自身に「強制」したのです。芸術家も含めて「反人民的」「反革命的」とされた人々が次々と粛正されて消えていく時代を目の当たりにして、若き作曲家がとるべき道は他にいくらでもなかったとはいえ、才能あふれる彼は「御用作曲家」としても、まれにみる成功をおさめたのです。

 祝典序曲の原形が作曲された1947年という年は、このような屈折した頂点にある一時のことでした。(★3)しかしながら、彼は泡のごとき名声を疎ましく思っていたに違いないのです。直前に作曲した第9交響曲では、軽妙洒脱な作風で世間の(というより、党指導部の)期待を見事に裏切り、革命30周年&戦勝記念をスターリン万歳となるべき祝典曲もあえて世にださず、反骨ぶりを示しました。そんなイチビリを党は見逃さず、翌年再び彼は地獄を見ることになります。

 中央委員会書記ジダーノフによる芸術批判の真髄はスターリン批判への粛正でしたが、ショスタコーヴィチも「共産主義の敵」として糾弾され、あわや全てを失う瀬戸際まで追い込まれます。(★4)

 これを生き延びるために彼が放った起死回生の第2弾がオラトリオ「森の歌」(★5)でした。この曲の明快さは、これまでに例の無いほどのもので、歌詞はいまとなっては恥ずかしいぐらいの革命礼賛、スターリン崇拝にまみれたものでした。そして彼は屈折した大成功をおさめたのです。

 恐怖と怨みにおののきながら、生きるために、独裁者の靴を舐めんばかりの努力をした彼の心はいかばかりであったでしょうか。・・・・彼はしばらく交響曲の作曲を封印しています。

 そして1953年。偉大なる恐怖の独裁者、スターリンがこの世をついに去ります。

 彼が死んだ?ほんとに?ウソじゃないよな?おお、ブラヴォー!ヴラヴイッシモ!乾杯!!!

 そんなふうにショスタコーヴイチが思ったかどうかは知りませんが、おそらくこの何倍も(ただし、密かに・・・)歓喜したことでしょう。

 その同年、したたかな彼は、用心深く、でも確信を持って問題作を発表します。交響曲10番です。

 自分のイニシャル(DSCHドイツ音名によみかえてレミドシ)を主題に刻印した第10番は、それ自体が暗喩と皮肉に満ちた私小説のようです。その第2楽章のスケルツォは狂王スターリンの肖像と言われています。(★6)

 大論争の末、これまでと違った真価を認められ、ショスタコーヴィチは「スターリン後」の生き方を確保しました。

 さて翌1954年ですよ、54年!これぞ「祝典序曲」の生まれたその年。第10交響曲の発表から1年たらず。(★7)「革命37周年」なんていうハンパな企画モノを、3日で仕上げるやっつけ仕事など、すでに大家となっていたショスタコーヴィチにしてみれば断ってもよかったはずです。でも彼はきっとこの曲を世に出すべき理由があったのです。だから無理な注文もまたとない機会として受けたのでしょう。

 その理由とは?・・・・たぶん曲自身の中にその答えがあるのです。

 クラリネットの第1主題が「森の歌」(★3)の中の『スターリングラード市民は行進す』の自作引用なのは以前から知られていました。ところが、後になって冒頭のファンファーレ動機は長女ガリーナ(★1)のために私的に作曲して死後まで出版されなかった「誕生日」というピアノ曲の自作引用だったことが判明したのです。これらのことを知ったとき、筆者の中では第10交響曲のあのグロテスクなスケルツォと、祝典序曲がまるで対をなすもののように聞こえるようになりました。

 この曲の歓喜のファンファーレが、家族との幸せに満ちた小品からこっそり引用されていたことは、偶然ではあり得ないことです。

 狂える独裁者が死んで、ひとつの時代が終わったのです。吹き荒れる嵐の中で、必死に守ってきた自分自身とかけがえの無い家族。そして同じように抑圧されてきた市民たち。

 それらあまたの人々を祝福し、新しい時代の到来を、「誕生日」のお祝いのファンファーレにこめたのが、この曲だったのではないでしょうか。

 第10交響曲で展開された私小説の傍らで、交響曲にはどうしてもそぐわないが、ショスタコーヴィチ自身がぜひとも音楽にしたかったもうひとつの私的スケッチ。

 荘重壮大な墓碑銘ではなく、小さいけれど溢れる愛のこもった可憐な花束。

 「祝典序曲」は、そんな思いを秘めた作品だろうと筆者は勝手に信じています。でも、できあがった作品は単純明快、簡潔豪快、清冽爽快。・・・・この楽しさは問答無用!ムズかしいことは考えず、ぜひノリニリで、スカッとお楽しみ下さい。

 草場の陰のショスターコヴィチ御大も、きっとそれでご満悦のはずです。

(SSO「森の歌」児童合唱団準備委員長&鼻血でるまで吹きまくり実行部隊長&その手下)

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77

 ドイツ北部のハンブルク、コントラバス奏者の父ヤーコプ27歳、母クリスティアーネ44歳の間に生まれたヨハネス・ブラームス(1833年~17897年)は、父から音楽の手ほどきを受け、早くも10歳から音楽を始め、13歳のときから家計を助ける助けるためにレストラン、居酒屋でピアノ演奏、15歳でピアノリサイタルを開いています。革新派のワーグナー=リスト派とドイツ音楽界を二分した保守派のブラームスは、バッハの作品を熱心に研究、その成果は交響曲第4番第4楽章の「パッサカリア」などバロックの技巧として彼の作品の随所に生かされています。また、ハイドン、モーツアルト、ベートーヴェンを敬愛していて、ロマン派の中にあって古典派に最も近い「新古典派」などと呼ばれたりもします。

 20歳のときにハンガリー出身のヴァイオリニスト・レメーニと演奏旅行の最中にリスト、シューマン、ヴァイオリニストのヨアヒムと初めて出会い、特にシューマンは「新しい道」と題する評論を「新音楽時報」誌に発表して、ブラームスを熱烈に称賛しています。この時シューマンの妻クララ34歳。(12歳から女流ピアニストとしてヨーロッパ中を演奏旅行していたクララは、作曲もしていたのですが、女性であるがゆえに世間からは評価されず、37歳で作曲は止めてしまっています。)

 クララは21歳でシューマンと結婚、ひっきりなしに妊娠、8人出産、その合間に演奏旅行のハードスケジュール。ブラームスと不倫関係にあったという説もありますが、14歳も年下で、自分にもたくさんの子供がいて、夫シューマンは梅毒に起因する精神障害を患った上に自殺しているし、クララ自身はそんな雰囲気ではなかったのでは?

 写真で見る限り、ブラームスの20歳頃はかなりのハンサムで、ピアニストで作曲家とくればモテないはずがありませんが、でも社交嫌いの厭世家、恋愛下手で未亡人のクララを慕い続けて一生独身を貫き通しました。つきあった女性は何人かいたようですが。

 1859年にライプティヒで演奏したピアノ協奏曲第1番は酷く不評(拍手したのは3人だけ、これがトラウマに)で、しばらく作曲よりも演奏活動や合唱指揮のほうに力を入れていましたが、1862年にウイーンに移り住み、1865年の母の死に触発されて作曲した《ドイツレクイエム》を1868年に発表、これが大成功を収め、1872年にはウイーン楽友協会の総務を務めるなど、演奏、指揮に多忙となり、作曲活動は専ら夏に避暑地で集中して行うようになりました。

 本日演奏するヴァイオリン協奏曲ニ長調OP.77は1877年9月にバーデン・バーデンでサラサーテのヴァイオリン演奏会を聴き、これに刺激されて作曲を開始、親友のヨアヒムに技術的な助言を受けながら作曲を進め、ベルチャッハにて1878年(ちょうど今の私と同じ年の45歳)に完成させています。その前年1877年には、同じベルチャッハにて交響曲第2番を完成するなど、この曲はまさに絶頂期の作品の一つで、メンデルスゾーン、ベートーヴェンと並ぶ3大ヴァイオリン協奏曲と称されています。

 ヨアヒムの説得で、1879年の元旦に、あのトラウマのライピティヒで、ヨアヒム独奏、ブラームス指揮、ゲヴァントハウス管弦楽団で初演することになり、11月にブラームスは中間の2つの楽章を破棄、新たにアダージョの楽章を追加して一般的な3楽章形式に直し、ようやく12月12日に楽譜をベルリンのヨアヒムに送っています。

 ヨアヒムは第1楽章のカデンツアを書き上げ演奏会に臨み、今度は大成功で評論家から絶賛され、続くブダペスト、ウイーンでも成功を収めています。しかしヨアヒム夫人で歌手のアマーリエのブラームスに対する感情にヨアヒムが嫉妬深くなり、これが基でしばらくの間友情が壊れてしまいました。が、1887年の二重協奏曲は、再びヨアヒムの助言を受け入れながら作曲され、そのためクララは《和解の協奏曲》と名付けています。そのクララが1896年に亡くなると、その後を追うようにして翌年、1897年4月3日、父と同じ肝臓病に侵され64歳の幕を閉じたのです。

第1楽章 アレグロ ノン トロッポ ニ長調 4分の3拍子 ソナタ形式

 ゆったりとした第1主題がヴィオラ、チェロ、ファゴットのユニゾンで演奏され、それをオーボエが受けて次第に気分が高揚して、弦楽器群が力強くオクターブ跳躍しながらかなりのハイテンションとなるが、一旦収まり、一瞬で情景が変わり、弦楽器群がマズルカ風のリズムを力強く奏すとついに独奏ヴァイオリンが情熱的な音で登場する。オーケストラによる提示部で披露された動機が回想されるうちに、独奏ヴァイオリンが甘美な第2主題を奏でる。

 展開部は、形式的にはかなりベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲に似ていて、これまでに登場した節を変形、組み合わせながら進行している。独奏ヴァイオリンにはそれほど速いパッセージはないが、9度、10度という幅広い重音が多用され、これについてヨアヒムが「よほど大きな手でないと難しい」と修正を提案したのをブラームスは拒絶している。もっともヨアヒムの書いたカデンツアにも、10度や2オクターブ以上の跳躍もある。

 ベートーヴェンに倣い、ブラームスはカデンツァを書いていないため、多くのヴァイオリニストがそれぞれのカデンツァを書いている。主なものに、初演者ヨアヒム、フリッツ・クライスラー、レオポルド・アウアー、アドルフ・ブッシュ、ヤッシャ・ハイフェッツらのものがあるが、今日よく演奏されるのはヨアヒムのもの(本日も)とクライスラーのものであろう。クライスラーはこの曲のブラームスの自筆原稿を持っていたが、現在はアメリカ国会図書館に収蔵されている。

第2楽章 アダージョ ヘ長調 4分の2拍子 三部形式

 オーボエの牧歌的な中にペーソスを感じさせる旋律で、これがヴァイオリン協奏曲であることを忘れるくらい、別世界へと誘ってくれる木管アンサンブルが、何と31小節続く。これが約1ヶ月間の即席で書き上げた曲とは思えない。

 サラサーテが、この作品の出版譜を、ブラームスから贈られながら、それでも演奏しない理由として、「オーボエが奏でて聴衆を魅了しているというのに、自分がヴァイオリンを持ってぼんやりそれを眺めていることに我慢がならない」と語ったと言われる。

第3楽章 アレグロ ギオコーソ、マ ノン トロッポ-ヴィヴァーチェ 4分の2拍子 自由なロンド形式

 重音を多用したジプシー風の力強い主題で、独奏、トゥッティが何度か繰り返された後、徐々に加速して煌めくような高速スケール、続いてオクターブ重音で弾むような上行音型、そして主題に戻る。その後は2拍子と3拍子のフレーズが交互に登場して、リズムの変化を楽しみ、やがて変化した高速スケールが再現される。

 再び冒頭主題に戻って一瞬の間の後、バッハの無伴奏ソナタとパルティータを思わせるような重音を多用した対位法的なカデンツァとなる。これにオーケストラが静かに加わっていき、ホルンのリズムに乗って、独奏ヴァイオリンの煌めくような下降音型の高速スケールが引き出され、コーダへと移る。

 ポコ・ピウ・プレストの結尾は、トルコ行進曲風のリズムをチェロがコミカルに刻み、独奏ヴァイオリンが主題を変型した旋律を演奏して、最後は主要主題による和音を静かに奏で、八部休符をはさんで唐突にニ長調の解決和音で締めくくる。  (Kenbo)

レスピーギ:交響詩『ローマの松』

 各曲には、「 」のレスピーギ自身の曲の解説があります。

第一部「ボルゲーゼ荘の松」

 「ボルゲーゼ荘の松の木立の間で子供たちが遊んでいる。彼らは輪になって踊り、兵隊の真似をし、行進したり、戦争ごっこをする。彼らは、自分たちの叫び声に酔い、大空の下で駆け回り、夕暮れに帰る燕のように群れなして退散していく。」

☆ ボルゲーゼ荘は、ローマの中央にある現在のボルゲーゼ庭園で、周囲6Km、皇居ぐらいの広さの庭園です。

 私には、子供が二人おります。9歳の男の子と7歳の女の子ですが、まあうるさい。仲良く遊んでいるかと思えば、喧嘩をしている。大変なものです。休日に近所の公園などに連れて行った時に、友達数人と遊び始めると電池が切れるまで、走ったり、わめいたり、一つの遊びに飽きると次の遊びにと休むことなく続ける有様です。

 これは大人の目で見ていると、結構面白く、微笑ましい光景です。この曲も、子供の遊ぶ風景を大人の温かい目で見て書かれたのだと思います。ちなみにこの一曲目では、子供たちの軽快さを描くためか、舞台上のある楽器は全く使われていません。私もマエストロからの指摘があるまで気が付きませんでした。よろしければ、お聴きの皆様もその楽器を探し下さい。

 さて次の曲に入る前に、レスピーギについてご紹介いたします。

 ラヴェル、ドビュッシー、バルトークなどと同時代を生きたレスピーギ(1879~1936)は、ボローニャの音楽院を卒業後、ロシアのサンクトペテルブルグ王立歌劇場の主席ヴィオラ奏者となりその頃、「シェエラザード」や「熊蜂の飛行」などで有名なリムスキー=コルサコフに学んでいます。その後、ローマに戻り、サンタチェチリア音楽院作曲科教授となり、校長を12年間務めました。音楽院時代、彼は図書館で昔の作曲科の作品を調べることを楽しみにしていたといわれ、イタリアの古い作曲家の作品研究を行い、心から愛した「ローマ」の風物に関した作品を残しています。

第二部「カタコンブ付近の松」

「カタコンブの入り口に立っている松の木陰で、その深い奥底から悲嘆の聖歌の歌声が響いてくる。そしてそれは、荘厳な賛歌のように大気にただよい、しだいに神秘的に消えていく」

☆ カタコンブは、初期キリスト教時代の地下墓所。数百m四方の敷地の地下に、通路で連結されて無数の暮室が3層ないし4層をなして設けられた石棺が収められている。埋葬形式は土葬。なお、カタコンブは1578年に再発見されるまで、長い間忘れ去られていたそうです。

 私は10年以上前に、イタリアではないのですが、ある教会の地下墓所に入ったことがあります。ひんやりとした空気の中、驚いたのはどこまでも長く、深く続いていたことです。あちこちにある墓が、何層にもあると案内人が言っているのを聞き、もしかしたら地上の建物よりも高いのではと感じたものです。

 見物人の一団から遅れ墓所に取り残されたとき、不思議と薄気味悪さは感じませんでした。この曲も当時、弾圧を受けていたといわれる初期キリスト教信者たちの荘厳で強い姿を想像し、賛歌で表現したようです。尚、カタコンブの中から聞こえてくるがごとく姿を見せずに、ある楽器が賛歌旋律を歌います。お楽しみに。

 ここでちょっと、レスピーギの「ローマ三部作」について。

 レスピーギは、1924年「ローマの松」作曲する前に、1916年に「ローマの噴水」、また、後の1928年には「ローマの祭り」を作曲しています。前作にはローマにある四つの噴水の夜明けから夕暮れまでの情景を描き、後者では古代ローマ、ロマネスク、ルネサンスおよび現代のローマの祭りを扱ったものです。お聴きになったことのない方には、お勧めいたします。

第三部「ジャニコロの松」

「そよ風が大気をゆする。ジャニコロの松が、満月のあかるい光りに遠くくっきりと立っている。夜鶯が啼いている。」

☆ ジャニコロは、ローマ7つの丘の一つで、バチカンの南にあるこの丘からティベル川を挟んでローマ市街を一望できるそうです。ジャニコロの丘に登ると「ローマの街がいかに緑に包まれてているか」よくわかるそうです。

☆ 夜鶯=ナイチンゲールは、スズメ目で、ツグミやコマドリの仲間です。長く変化に富んだ歌声は、夜に最もはっきりときかれるそうです。尚、歌っているときは姿をみせないとのことです。この曲の中でも、そんな夜鶯の歌声が聞こえてきますが、本日は残念ながら本物をつかまえることができなかったため、録音を使います。

 皆さんも感じたことがあると思います。満月の夜がこんな明るいとは、と。そんな夜を思い浮かべてお聴き下さい。

第四部「アッピア街道の松」

「霧につつまれたアッピア街道の夜明け。高い松並木の陰に、静かな平原の景色が見える。突如として、多数の兵士の足音の響きが、絶え間ないリズムをとって聞こえてくる。古代の栄光が詩人の幻想に甦る。ブッキーナの音がとどろき、太陽の光が射すとともに、執政官の軍隊が現れ、聖なる街道を行進して、首都へ凱旋していく。」

☆ アッピア街道は、長靴の形のイタリアのちょうど弁慶の泣き所あたりのローマから、かかとのナポリの方向へ延びている石畳の街道で、紀元前312年、国務調査官アッピウスクラウディスによって建設されました。

☆ ブッキーナ(buccina)は、古代ローマ軍で使われていた軍隊ラッパで、巻いた管の中に身体を入れる大きな楽器です。

 今日の演奏でどんな姿の凱旋兵士か、どのような規模の凱旋軍隊かご想像ください。

 最後に、題名にも使われているローマの「松」について

 ローマで見られる松は、「笠松」といわれるもので、高さ25mくらいになります。写真で見ると日本の松とは違い、椰子の木のように頭の部分に葉っぱが集中し、枝の無い幹が長いのが印象的です。

 レスピーギが「ローマの風景を支配している何世紀にもわたる樹木は、ローマの生活での主要な事件の証人となっている」と言ったように、上から静かに見ていた松のようです。

 本日、お聴きの皆様もローマの「松」になって、この曲を楽しんでいただければ幸いです。  (4番)

《プロフィール》

指揮:長田雅人(おさだ まさひと)

 1962年山梨県甲府市生まれ。東京音楽大学を経て桐朋学園大学において指揮を学ぶ。指揮法を小澤征爾、秋山和慶、尾高忠明、紙谷一衛、オラフ・コッホの各氏に師事。ファゴットを霧生吉秀、菅原眸の各氏に師事。

 1990年よりウイーン留学。ウイーンマスタークラスにおいてK.エスタライヒャー氏に師事。オーストリア(ミュルツ・ツーシュラーク)で開かれた現代音楽講座「20世紀の音楽」においてR.シューマッヒャー氏に師事し、ミュルツタラーカンマーオーケストラを指揮した。これまでに東京シティーフィルハーモニー、仙台フィルハーモニー、札幌交響楽団、東京室内歌劇場オペラ公演に副指揮者として参加し、またコンサート等も指揮した。またこれまで旧ソ連の作曲家ショスタコーヴィチ作品を演奏し続けるオーケストラ・ダスビダーニャにおいては、1993年創団以来全公演を指揮、常任指揮者として現在に至る。・・・・・

 2003年ラトヴィア人作曲家ルツィア・ガルータア作曲カンタータ「」主よ、あなたの大地は燃えている」の日本初演を指揮。・・・・・

ヴァイオリン独奏:高畠 浩

 東京藝術大学附属高校を経て、東京藝術大学卒業。ヴァイオリンを高畠 亘、兎束龍夫、海野義雄、田中千香士、アーロン・ローザンド、ジャン・コーランの各氏に、指揮を佐藤功太郎氏に、室内楽をルイ・グレラー氏に師事。・・・・・

 指揮者としても、これまで市川交響楽団、つくば学園都市オーケストラ、ムジカ・ド・モルト、聖徳大学附属中・高等学校管弦学部他、多くのオーケストラを指導。またオペラも多数手掛けており、「魔笛」「フィガロの結婚」に続き2008年3月の「コジ・ファン・トゥッテ」の公演も好評を博した。

 現在、東京藝術大学管弦学部研究部講師、テオフィルス室内管弦楽団、新宿交響楽団、みなとオペラ常任指揮者、杉並弦楽合奏団客演指揮者、JYD記念オーケストラ&合唱団指揮者。

《レコード CDのことなど》

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲

 レコード、CDは自分の気に入ったものを聴いていればいいわけですが、私はハイフェッツ(Vn),ライナー指揮シカゴ響のLPレコードをよく聴いてきました。今は、CDのプレミアム盤が出ているはずです。

レスピーギ:交響詩『ローマの松』

 私はトスカニーニ指揮NBC響のLPレコードでこの曲の凄さを知りました。もちろんモノーラルですが。今はXRCDのプレミアム盤が出ていますが、トスカニーニとNBC響の凄さを伝えるCDだと思います。

 

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2009年4月20日 (月)

演劇に行ってきました「文学座『口紅』(2008-6)

2008年12月3日(水)東京芸術劇場小ヒール地下1階(JR池袋駅徒歩5分)朝日新聞のプレゼント企画に当選したもの。

《キャスト・スタッフ》

作:サタケミキオ  演出:高瀬久男

登場人物

花田 鉄(元詐欺師):渡辺 徹  あきな(キャバ孃):松岡依都美  篠田陸夫(「紅の湯」主人):小林勝也  雄介(「紅の湯」従業員):亀田佳明  桜庭陽子(陸夫の娘):奥山美代子  桜庭千春(陽子の夫):中村彰男  桜庭 遥(陽子の娘・大学生):吉野実紗 ほか

《あらすじ》

 ---実に風呂のない時代、銭湯は街の社交場だった。例えば60年くらい前ならば、銭湯は年がら年中大入り満員で一番風呂を楽しみに多くの人が行列をした。内風呂という言葉を聞かなくなったのはいつ頃だろうか。

 銭湯から客足が減り始め、次々と廃業していく現代、ここ「紅(べに)の湯」は昔ながらの銭湯として主人の気概と、家族たちの支えもあって、なんとか営業を続けていた。

 さあ、本日も「紅の湯」開店の時間である。一番風呂を待つお客さんがいる。どこかで見かけたような男・花田 鉄はやはり一見さんでもただの客でも、なさそうだ。

 鉄は一体何者か?そして「紅の湯」の運命はいかに---

私の席 C(2)列1番(左端)。この劇場は初めてだが、なかなか良い小屋。

 客が銭湯の入り口に並び、チンドン屋もおり賑やかな出だし。舞台後ろ上部に、次の掲示がずっと掲げられている。

 入浴者心得

東京都衛生局からの注意により 公衆衛生のため入浴する方は左の事がらを守って下さい(縦書き)

一、湯船(ゆぶね)に入る前全身特に下の方をよく洗うこと

一、浴槽の縁にまたがらないこと

一、流し場にペタリと座らないこと、お子さんはなるべく持参の腰かけを使うこと

一、共同の腰かけを使うときはよく洗うこと 浴槽の場で髪や顔を洗わないこと

   手ぬぐいやタオルなどを浴槽内に持ちこまないこと

一、よっぱらって入浴したり騒いで他人に迷惑をかけないこと、なお傳染する病   気を持っている方、他人に迷惑を及ぼす者の入浴は法により禁ぜられております

 昭和二十七年六月

 浴場主

 東京都公衆浴場商業協同組合

 お客様

サタケミキオさんこと詫間孝行さん

 1970年7月7日、東京生まれ。1997年、俳優座養成所の仲間と共に劇団「東京セレソン」を旗揚げ、主宰者兼役者として活動を開始する。

 2001年、劇団「東京セレソンデラックス」と改名以降は、全作品の脚本・演出・主演を受け持つ。脚本・演出「サタケミキオ」と俳優「詫間孝行」の二つの名前を使い分けて活躍中。

 脚本家・サタケミキオとしては、2005年、「アタックNO.1」(EX系)を経て、同じく「花より男子」(TBS系)が大ヒット。続編の「花より男子2」はさらに大ブレイクで、今夏には「花より男子ファイナル」として映画化され、メガヒットを記録した。

 その他には、映画「ヒートアイランド」、東京セレソンデラックスの舞台を連続ドラマ化した「歌姫」(TbS系/ギャラクシー・第2回マイベストTV賞グランプリ受賞)がある。

 俳優・詫間考行としては、NHK大河ドラマ「新撰組!」、「タイガー&ドラゴン」(TBS系)、「今週、妻が浮気します」「鹿男あおによし」「セレブと貧乏太郎」(CX系)、「おせん」(NTV系)などに出演。

 来年4月から放送予定のNH朝の連続テレビ小説「つばさ」にもレギュラー出演が決まっている。・・・・・

詫間考行さんのこと     うつみ宮土理

 「うつみさん!スゴイ舞台を観てきた!笑って泣いて・・・・感動した。《東京セレッソンデラックス》という劇団!詫間考行という俳優で、脚本家、演出もするというすっごい男がいるんだ!観にいこうよ」興奮気味で私を誘ったのは、俳優の石井愃一さん。石井さんとは随分昔、私が『ロンパールーム』というテレビ幼稚園の先生役をしながら、演技力をつける為に『舞台芸術学院』に通っていた時の同級生。石井さんの舞台好きは有名で・・・・・

 その石井さんが「スゴイよ!」を連発する舞台を観たのは、2005年の夏、『夕』からである。中野のある狭い劇場の通路にまで客が溢れている。『夕』・・・・

 泣いて、笑った。そして縁を感じた。・・・・・その夏《東京セレッソンデラックス》は、夏の三部作ということで『夕』に続いて『口笛』『ぴえろ』の三作品を上演した。どれも、これも、甲乙つけ難く、感動の名作だった。そして、とにかく、詫間考行さんがカッコいい!・・・・

 私の短兵急な性格が、「三部作」の舞台を観終えたその晩、劇場近くの居酒屋でお客様と歓談中の詫間さんにいきなり切り出した。「次回の舞台に、私を出して下さい!」キョトンとして、「えっ」と聞き返した詫間さんに私は同じ言葉を繰り返した。詫間さんは私の迫力に押されたように「はいっ」と返事をして下さった。

 「やったーッ」どうよっ、私の行動力!と私は我ながら自分の素早い実行力に、ちょっと恥ずかしさを感じつつも「夢はかなうんだ!」と幸せな気分になった。・・・・・

 今回、文学座に登場の詫間さん。渡辺 徹さんがとても熱心に、詫間さんを口説いて実現したと、聞いた。やはり徹さんは私に似ていて行動派だとと分かった。やったね!!徹さん!!徹さんご夫妻の仲人の私は、とても嬉しい。・・・・

       

 

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2009年4月17日 (金)

演奏会に行ってきました「イエルク・デームス~傘寿を祝って バッハ、モーツアルト、ベートーヴェン、シューマン、シューベルト」(2008-64)

2008.12.2(火)19:00開演 東京文化会館小ホール(JR上野駅公園口 横断歩道を渡って3,4分。東京メトロ日比谷線上野駅徒歩5~6分) 朝日新聞プレゼント企画に当選したもの。満席。

イエルク・デームス 80歳バースデー・ピアノリサイタル~傘寿を祝って~

ウイーン・ロマン派、最後の巨匠

《プログラム》

J.S.バッハ:半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV903

W.A.モーツアルト:幻想曲 ハ短調 K.475

L.V.ベートーヴェン:ピアノソナタ 第32番 ハ短調 Op.111

         ・・・・・・・休 憩・・・・・・・

R.シューマン:子供の情景 Op.15

F.シュ-ベルト:ピアノソナタ 第21番 変ロ長調 D960

《印象 感想など》

 私の席 B列34番 ピアノ:スタインウエイ

J.S.バッハ:半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV903

 しっかりとしたタッチ。ピアノよく鳴り、響く。

《プログラムノート》 渡辺謙太郎(音楽ライター)

 J.S.バッハの鍵盤音楽のなかで、最も衝撃的な傑作のひとつ。とりわけ即興や転調を多く含んだ幻想曲は、しれがバロック時代に書かれたとは思えない、近現代の音楽に通じる趣さえ感じさせる。自筆譜が失われているので、詳しい作曲年代は不明だが、彼の息子のフリーデマンが好んで演奏して以来、現在も多くの人に愛奏されており、古典派を大成し扉を開いたベートーヴェンも、この作品に深く傾倒して研究に勤しんだとのこと。

 デームスの愛奏曲としてもおなじみのナンバーだが、昨年の秋にこのホールで行われた彼の演奏会(10月21日)でも、プログラムの冒頭に置かれていた。彼の演奏の特長は、淡々としたテンポのなかでペダルをたっぷり使って、まるでオルガンのように深々と輝かしい響きを実現していることが挙げられる。蘊蓄や威厳をことさらに強調したバロック音楽が氾濫している昨今、デームスのように安らいだ気分で日常的に楽しめるJ.S.バッハの演奏は、本当に少なくなった。

モーツアルト:幻想曲 ハ短調 K.475

 粒立ちの良い音。特に高音がよく鳴り、響く。

《プログラムノート》 渡辺謙太郎

 前曲(J.S.バッハの半音階的幻想曲)や、ベートーヴェンの幻想曲(Op.77)とならぶ、このジャンルの最も独創的な傑作。前曲と同じく、前年12月21日の演奏会で、2曲目に置かれていたのも記憶に新しいところ。

 モーツアルト20代最後の年にあたる1785年に書かれ、前年作曲のピアノソナタ第14番(K.457)とともに、彼の弟子だったテレーゼ・フォン・トラットナール夫人に献呈。

 モーツアルト(1756~1791)は、生涯に4つの幻想曲を書いているが、そのうち3つが暗い短調で、明るい創作のなかで異彩を放っているのも特色。現在は作曲の経緯に倣って、K.475の幻想曲とソナタを続けて弾く奏者が多いが、デームスの場合は、K.475とK.397をならべたプログラムもお気に入り。彼の奏でる静寂と浄白に満ちたメロディーの数々は、純粋な音符の美しい連なりのなかで、ふとした瞬間に、ぞっとするような悲しみや寂しさが覗くモーツアルトの素顔を見事にとらえている。

ベートーヴェン:ピアノソナタ 第32番 ハ短調 Op.111

 Ⅰ マエストーソ-アレグロ コン ブリオ エ アパッショナート  Ⅱ アリエッタ.アダージョ モルト.センプリス エ カンタービレ

1楽章 ベートーヴェンらしいテーマ。  2楽章 きれいなピアニズム。

《プログラムノート》 渡辺謙太郎

 1822年に書かれたベートーヴェン(1770~1827)最後のピアノソナタ。第3楽章を欠いた変則的な2楽章からなるが、第1楽章には熟達したフーガと対位法が、第2楽章には無限の広がりを感じさせる澄明で自在な変奏曲が、それぞれ描かれている。

 第3楽章が存在しない理由については、彼の弟子のシントラーに向かって、「書く時間がなかったから」とだけ語ったそうだが、この冗談ともとれる淡泊な言葉の裏側には、晩年の彼が到達していた悟りや諦観の境地があるような気がする。

 まるで「辞世の句に、下の句など蛇足」と静かに微笑むように。かつて鬼才グレン・グールドも、「航海を続ける勇敢な旅人が、短いながらも想うことができた寄港地」と評したこの作品だが、デームスの演奏会ではプログラムの最後に置かれることが多く、その夕映えの淡い戯れのような演奏は、いつも私たちに深い感銘をもたらしてきた。彼がこのソナタを弾き終えた後、どれだけ熱烈な拍手を繰り返し浴びようとも、私の知るかぎり、一曲としてアンコールを弾いたことはない。

シューマン:子供の情景 Op.15

1.見知らぬ国と人びとから  2.不思議なお話  3.鬼ごっこ  4.おねだるする子供  5.満足  6.重大な出来事  7.トロイメライ  8.炉端にて  9.木馬の騎士  10.むきになって  11.こわがらせ  12.眠っている子供  13.詩人は語る

 優しいまなざしで、愛情を込めた演奏。

《プログラムノート》 渡辺謙太郎

 シューマン(1810~1856)が、1838年に書いた全13曲からなる曲集。13曲とは言っても、演奏時間が20分弱の小品で、とりわけ7曲目の《トロイメライ》が広く親しまれている。

 8人の子供に恵まれたシューマンだが、作曲当時はクララと結婚前だったので、子供はまだなかった。彼は後にある手紙のなかで、「これは子供のための作品ではなく、大人の回想であり、大人のための作品です」と語っており、技術的にはやさしく書かれているものの、その幻想的ノスタルジーと慈愛に満ちた世界を表現するためには、いわゆる大人の演奏解釈が求められている。

 その意味で、この作品は、多忙な演奏活動のかたわら、若手の教育に熱心に取り組んできたデームスの、厳しくも温かいまなざしに重なっているとも言えるかもしれない。彼の奏でるシューマンが素晴らしいのは、やたらテンポを揺らして煽り立てたり、分厚い音量で魅惑したりする手法とは、明確に一線を画している点だと思う。あくまでもひとつひとつの音を慈しむように、そっと優しく奏でられるデームスの《子供の情景》は、彼がまぎれもなく、今日最高の演奏家のひとりであることを照明している。

シューベルト:ピアノソナタ 第21番 変ロ長調 D960

Ⅰ モルト モデラート  Ⅱ アンダンテ ソステヌート  Ⅲ スケルツオ.アレグロ ヴィヴァーチェ コン デリカテッツア  Ⅳ アレグロ マ ノン トロッポ

 1828年作曲。シューベルト(1797~1828)の没年に書かれた彼の最後のピアノソナタ。この年に書かれた3曲(第19番~第21番)は、いずれも完成度の高い名曲として知られているが、なかでもこの作品は、規模的にも、内容的にも、ロマン派のピアノソナタの最高傑作と言えるだろう。

 全4楽章のしっかりした構成のなかでは、儚(はか)くも美しい春の小川の清流のようなメロディが次々とあらわれ、花を開き、柔らかく麗(うら)らかな音の列を紡ぎ上げていく。

 シューベルトはは生前、公開の演奏会を開く機会を全くと言っていいほど恵まれなかった。そのため彼の作品の多くは、親しい友人たちが集い、開いた私的なコンサート(シューベルティアーデ)のなかで生み出されていった。日本では、比較的小さなホールで演奏することが多いデームスだが、そうした小さな美しい空間で、彼が弾くまるで冬の陽だまりの微笑みのようなシューベルトを聴いていると、19世紀そのままのシューベルティアーデが、今も静かに息づいていることを教えてくれる。そして今夜、このホールにも・・・・・・

《プロフィール》

ピアノ:イエルク・デームス

 イエルク・ヴォルフガング・デームスは1928年12月2日、オーストリア南部のサンクト・ペールテンの生まれる。母はヴァイオリニスト、父オットー・デームスは高名な美術史学者であった。6歳のとき母の手ほどきでピアノのレッスンを開始する。11歳でウイーン音楽アカデミーに入学し、ピアノ、指揮を学び、1945年に卒業。在学中の14歳のときウイーン楽友協会にてデビューを飾る。

 高校に通う傍ら、ピアノをワルター・ケルシュバウアーに、オルガンをカール・ワルターに、指揮をハンス・スワロフスキー、ヨゼフ。クリップスに、作曲をヨゼフ・マルクスに指示する。ウイーンでの勉強を終えた後、1951年から1953年までパリにてイーヴ・ナットに師事する。1953年、ザールブリュッケンにてヴァルター・ギーゼキングのマスタークラスに参加。また、ウィヘルム・ケンプ、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェロ、エドウイン・フィッシャーの教えも受ける。1950年21歳の時、チューリッヒ、ロンドンにてコンチェルト・ハウス・カルテット・ウイーンとの共演でデビューコンサートを行い、続いて1951年、南アメリカのツアーでは36回のコンサートを行う。1953年にはパリ・サル・ガヴォーにてセンセイショなるなデビューを飾り、楽団の話題をさらった。1956年ブゾーニ国際コンクール(イタリア、ボルツァーノ)での優勝を契機に、世界各地の主要ホールでの演奏活動を開始する。・・・・・・

 ロマン派の大家として輝かしいソリストとしてのキャリアを築いている他、歴史的古楽器やハンマークラヴィーアの演奏法解釈の権威としても名を馳せている。バッハ作品に見せる解釈、ドビュッシー作品における色彩豊かで柔軟な表現力も抜群で、またモーツアルトからシューマンに至るドイツに於けるピアノ曲の伝道師として他の追随を許さず、またフランク作品の演奏でも絶大な評価を得ている。

 伴奏者としてもデームスの鋭敏な音楽性は高い評価をえており、エリザベート・シュワルツコプフ、デートリッヒ・フィシャー=ディースカウ、エリー・アメリンク、ペーター・シュライヤー、テオ・アダムなどから絶大な信頼を受けている。デームスとフィッシャー=デスカウのシューベルト「冬の旅」は、恐らく声楽作品の膨大な録音の中でも最も高い評価を持つものの一つであろう。・・・・・・

 80歳を迎える今年2008年、東京でのバースデイ記念リサイタルに続いて、ウイーン楽友協会ホールでも祝賀コンサートが予定されている。

《思いつくことなど》

 デームスは、ウイーンの三羽鴉の一人として、グルダ、パドラ・スコダらと注目を集めたが、グルダは今は亡く、パドラ・スコダはどうしたかな?デームスは80歳で現役で日本にはちょくちょく来て弾いている。集客力はいまだに凄い。

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2009年4月14日 (火)

演奏会に行ってきました「東京音楽大学シンフォニーオーケストラ ベートーヴェン:交響曲1番、リスト:ピアノ協奏曲2番、ドヴォルザーク:交響曲8番」(2008-63)

2008年11月28日(金)19:00開演 東京芸術劇場大ホール(JR池袋駅徒歩5分 長いエスカレーター登って直ぐ)

私の席M(13)列22番(自由席)1階のど真ん中

《プログラム》

       ・・・・・・・休 憩・・・・・・・

A.ドヴォルザーク:交響曲8番 ト長調 作品88

指揮:広上淳一  ピアノ:金子三勇士(みゆじ)  東京音楽大学シンフォニーオーケストラ コンサートミストレス:常光 今日子

《印象 感想など》

L.V.ベートーヴェン:交響曲第1番 ハ長調 作品21

第1楽章 アダージョ モルト-アレグロ コン ブリオ  第2楽章 アンダンテ カンタービレ コン モト  第3楽章 メヌエット:アレグロ モルト エ ヴィヴァーチェ  第4楽章 フィナーレ:アダージョ-アレグロ モルト エ ヴィヴァーチェ

 コントラバス8人、第一ヴァイオリンはほとんど女性で、男は後方に一人のみ。

 1楽章 きびきびとした音楽が流れ、アンサンブルはとても良い。  2楽章 快適なテンポで、音楽がよく流れる。自信に満ちた指揮。  3楽章 快調なメヌエット。  4楽章 アダージョの序奏からアレグロに入り、リズミックで軽快な音楽が奏され、引き締まった演奏が展開される。

《曲目解説》 東京音楽大学講師 藤田 茂

 1792年11月、21歳のルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)は故郷ボンを後にして憧れの都ウイーンに向かった。大作曲家ヨーゼフ・ハイドンに師事するためのの上京である。「最高のジャンルに最高の作品を残す」、ベートーヴェンはそう誓っていたに違いない。そして、彼にとっての最高のジャンルとは、交響曲に他ならなかった。

 ベートーヴェンは、実は、ボン時代にも交響曲の作曲を試みていた。しかし、あえなく挫折する。そして、ウイーン上京後も、比較的早い段階で、全く新たな発想のもと交響曲を再度、書き始めました。しかしこれもまた完成にいたらなかった。彼の前には、モーツアルトのすべての交響曲があり、また、師ハイドンがまさに交響曲によって当代最高の名声を得ていたとすれば、交響曲に対するベートーヴェンの気負いはいかばかりだったろう。今日わたしたちがが聞く、《交響曲第1番》は、繰り返しの挫折と幾多の逡巡を経て、はじめて生み出されたものなのである。

 《交響曲第1番》の作曲は、1799年から1800年のの早い時期であろう、と考えられている。ということは、ベートーヴェンがついに最初の交響曲を脱稿したとき、彼は30歳になろうとしていたわけだ。《交響曲第1番》は、もはや「若書き」の作品ではない。これは、過去の様式に対する徹底した批判研究と新たに見出した自己の様式への信頼に裏づけられた、完全に個性的な声を発している。

 全体は4楽章からなる。急-緩-メヌエット-急という構成は、交響曲の伝統を受け継ぐものであるが、各楽章の新機軸は枚挙にいとまがない。第1楽章はアダージョ・モルトの序奏からアレグロ・コン・ブリオへ。Ⅳ度調のドミナントから始まるというこの序奏の始まり方は異例であり、また、この開始部分に主部で展開されるリズム的・旋律的・和声的要素を散りばめておくというやり方もこれまでにないもの。

 第2楽章はアンダンテ・コン・モート。旧来のロココ風の緩徐楽章とは一線を画する、颯爽としたリズムの楽章。また、弦と管の対等な扱いが新鮮な立体性となって耳を打つ。

 第3楽章はアレグロ・モルト・エ・ヴィヴァーチェ。「メヌエット」と記されてはいるが、この言葉から連想される貴族的な舞曲からはほど遠く、実質、「スケルツォ」と言ってもよい生命の躍動にあふれている。

 終楽章の4楽章もおなじくアレグロ・モルト・エ・ヴィヴァーチェ。ただしアダージョの短い導入部を持っている。貴族趣味を断ち切った若きエネルギーが奔出する。

F.リスト:ピアノ協奏曲第2番 イ長調 ピアノ:金子三勇次(みゆじ)

《印象 感想など》

ピアノはスタインウエイ。普段よく聴く曲ではない。  1楽章 ロマンティックな出だし。ダイナミックな曲で、ソリストのピアニズム、技巧は凄い。  2楽章 テンポを落として、よく歌う。伴奏はチェロのソロを伴い、独奏ピアノとよく絡む。ピアノはきらびやかな音色で奏される。  3楽章 ピアノソロはよく歌い、伴奏と一体となって盛り上がる。ピアノ、伴奏とも快演。伴奏は、プロの卵達だが、とても上手い。何せ指揮が広上淳一だ。

アンコール(ピアノ) リスト:「愛の夢」

 夢見ごこちの素敵な曲、演奏。

《曲目解説》 藤田 茂(東京音楽大学講師)

 魔術的な技巧で人々を熱狂させた希代のピアノ・ヴィルトゥオーゾであり、かつ、創造の矢を誰よりも遠い未来へと投げ渡した革新的な作曲家でもあったフランツ・リスト(1811~1886)。彼の才能は、ピアノと管弦楽のための協奏曲というジャンルで奇跡的な融合を遂げる。

 リストが作曲したピアノを独奏楽器とする協奏的作品は14作品にのぼるとされるが、そのなかでも現在、特に「ピアノ協奏曲」の名で残っているのは作品は3つ。変ホ長調の第1番、1988年になって発見された変ホ長調の遺作協奏曲、そして今回演奏される変イ長調の第2番である。(遺作協奏曲は、最後に発見・出版されたという意味で第3番とよばれることもある)。

 いずれの作品も、1830年代の終わり、つまり、まさにリストが前代未聞のピアニストとしてヨーロッパをまたにかけた公演を行っているころに最初の形が整えられたピアノ協奏曲である。ただリストは改訂に改訂を重ねる作曲家である。第2部に関していうならば、初稿が一応の完成を見たのは1936年、それが2度の改訂を経て、リストのリストの指揮、弟子のロンザルトの独奏で初演されたのは1857年、そして、さらなる改訂がなされて、現在知られている最終稿が出版されたのは1863年のことであった。

 伝統的なピアノ協奏曲を構成する急-緩-急の3つの楽章を単一楽章のなかに組み込むという手法は、他の2つのピアノ協奏曲と並んで、この第2番のピアノ協奏曲にも見られる大きな特徴である。この音楽は、かくして、決して途切れることなく、フィナーレに向けて毅然とした歩みを進めていく。聴き手はその課程で、冒頭のクラリネットが提示する何ともナイーブな主題が、高潔で英雄的主題へと姿を変えていくのに立ち会うこととなるだろう。

 リストのピアノ協奏曲曲第2番は、ピアノの技巧が先に立つ華美なショーピースとは一線を画した作品である。これは、実質的にピアノと管弦楽による交響詩といってもよいものであり、リストがタッソーやマゼッパニ託した「苦難に打ち勝つ気高き人間」という自身の理想を愚直なまでに宣言した作品なのである。

A.ドヴォルザーク:交響曲8番 ト長調 作品88

第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ  第2楽章 アダージョ  第3楽章 アレグロ グラトィオーソ  第4楽章 アレグロ、マ ノン トロッポ

《印象 感想など》

第1楽章 分厚いオケの響き。テンポよく、よく流れる演奏。フルートがメロディーを吹き、ティンパニーやトロンボーンが勢いのある演奏。  第2楽章 弦がよくメロディーをよく歌い、フルート、ティンパニーが好演。  第3楽章 弦が心地よく、メタメタ歌う有名な楽章。ワルツ風のトリオが続き、流れ、歌い、盛り上がる。  第4楽章 トランペットの有名な出だし。アンダンテ風の音楽が低弦に現れ、ヴァイオリンも加わり、テンポを次第に上げて大いに盛り上がっていく。凄い演奏。広上の力量はさすが。ブラヴォー。

アンコール ヨハン・シュトラウス:ピチカート・ポルカ

       ルロイ・アンダーソンの曲

       ブラームス:ハンガリアンダンス 第5番

 いずれも快演。心地よい演奏会でした。

《曲目解説》 藤田 茂(東京音楽大学講師)

 1889年、アントニーン・ドヴォルザーク(1841~1924)48歳の夏は、とりわけて高い創作意欲に満たされた日々だった。チェコ国内のみならず、ドイツ、オーストリア、そしてイギリスで大成功を収め、いまや大作曲家として公的に認められたドヴォルザークは、友人にこう書き送ることができた。「頭が音楽でいっぱいなのです。期待以上のものができることが多く、自然にメロディーが頭の中で沸いてきます」。

 交響曲8番は、このような霊感に守護されて書かれた作品であり、内容的にもドヴォルザーク管弦楽の逸品のひとつに考えられよう。作曲は1889年の8月26日から11月8日にかけて(しばらく前に建てたヴィソカーの別荘にて)。初演は、、翌1890年2月2日、ドヴォルザーク自身の指揮によってプラハで行われた。

 この交響曲8番は、ドヴォルザーク作品出版を専属的に請け負ってきたベルリンのジムロックからではなく、作曲家が新たに知己を得たロンドンのノヴェロ社から出版されたため、かつては「イギリス」の名称でよばれることもあった。しかし、この音楽から、何かイギリス的なものが感じ取られることはあるまい。交響曲8番は、われわれが「チェコ的」という言葉で理解している、優しい憂愁と素朴な喜びとが同居する、あのドヴォルザーク特有の調べに満ちているのだから。

 全体は、古典交響曲の規範に従って、急-緩-トリオ付きの舞曲-急という4つの楽章から構成されるが、各楽章の扱いは、かなり自由なものと感じられるだろう。ここにはもはや、規則への盲従もなければ、規則からの故意の逸脱もない。ドヴォルザークの芸術的価値観が、彼自身を導く新たな規範となって、伝統的鋳型に新たな生命が宿っていることが分かる。

 第1楽章はアレグロ・コン・ブリオ。ソナタ形式の形を借りて、ひとつの調べから、またひとつの調べへと、生命の喜びを歌い継ぐ。

 第2楽章は、アダージョ。ボヘミアの自然を優しく見つめる詩人の肖像。

 第3楽章はアレグレット・グラツィオーソ。どこにでもいて、そして、どこにもいない聖霊の優美な踊り。

 第4楽章はアレグロ・マ・ノン・トロッポ。変奏曲。静かに歌いだされる主題が、遂には誇り高き民衆の歓呼の声となる。

《プロフィール》

指揮:広上淳一

 東京に生まれ、東京音楽大学指揮科に学ぶ。1984年9月、第1回キリル・コンドラシン国際青年指揮者コンクールで優勝。1986年以降、広上の世界への快進撃が始まり、フランス国立管やベルリン放送響、コンセルトヘボウ管、モントリオール響、イスラエル・フィル、ロンドン響、ウイーン響などメジャーなオーケストラへの客演が展開された。1991年~1995年モールショピング響主席指揮者、1991~2000年日本交響楽団正指揮者、1997~2001年ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団主席指揮者、1998~2000年にリンブルク響主席指揮者を歴任。2006/2007シーズンから米国のコロンバス交響楽団音楽監督に就任、初シーズンの最後の定期演奏会では「マエストロとオーケストラによる神々しい演奏は、聴衆から信者達を創造、広上の時代が始まった!」と絶賛された。

 オペラの指揮の分野でもシドニー歌劇場におけるヴェルディーに《仮面舞踏会》や《リゴレット》が高く評価されたをはじめ、国内外で活躍。近年では日生劇場《後宮からの逃走》、藤原歌劇団公演《椿姫》、関西二期会公演《フィガロの結婚》が記憶に新しい。

 2008年4月より京都市交響楽団常任指揮者に就任。東京音楽大学教授。

ピアノ:金子三勇治(みゆじ)

 1989年9月22日生まれ。6歳でハンガリーのピアノ教育第一人者Cs Nagy Tamasne教授に師事することになり、単身ハンガリーへ留学。祖父母の家からバルトーク音楽小学校に通う。1997年と2000年に全国連弾コンクールで優勝し、2001年には全国ピアノコンクールで優勝。同年(11歳)飛び級で国立リスト音楽院大学ピアノ科に入学し、EcaHardt Gabor教授、Kevehazi Gyongoy教授、Wagner Eita教授に師事。2006年(16歳)ピアノ科全課程を修了とともに日本に帰国、東京音楽大学附属高等学校2年に編入し、清水和音、迫昭嘉、三浦捷子の各氏に師事。現在、東京音楽大学ピアノ演奏家コース1年在学中。

 2005年バラッシャジャルマット国際音楽コンクール グランプリー優勝。2005年コンツエテウム・ギリシャ国際コンクール優勝。2006年シンメルUSASU国際ピアノコンク-ル(アメリカ)優勝。2008年バルトーク国際ピアノコンクール(ハンガリー)優勝。

東京音楽大学シンフォニーオーケストラ

 長い歴史に培われた伝統あるシンフォニーオーケストラは、国内はもとより海外での演奏もさかんに行っている。国内においては、東京芸術劇場で毎年定期演奏会を行い、海外においては、これまでにアメリカ、中国、東西ドイツ、オーストリア、オランダ、ハンガリー等延べ31余りに都市で演奏し、大好評を博した。特に1993年にはニューヨークのカーネギーホール、シカゴ・オーケストラホール、ワシントン・ケネディーセンターで公演。指揮は卒業生で現在本学教授でもある広上淳一、・・・・・・

《レコード CDのことなど》

ベートーヴェン:交響曲第1番

ベートーヴェン:交響曲第1番 

 レコード、CDは自分の気に入ったものを聴いていればいいわけですが、ベートーヴェンの1番の交響曲で思い出すのは、カール・シューリヒト指揮ウイーン・フィルのモノーラルLPレコードです。ロンドン不滅の名盤シリーズの1枚で、もちろん音はよくないのですが、シューリヒト、ウイーン・フィルの洒落れた演奏は、とても気に入っていました。録音年は分かりませんが「C1970」と印刷されています。

ドヴォルザーク:交響曲8番

 ドヴォルザーク:交響曲8番は、35年以上前の学生時代に、まだCDは無く、金も無くFM放送ぐらいしかクラシックを聴くことができなかった時代に、NHKの朝9時からのクラシック放送の始まりのテーマ音楽に4楽章の出だしの音楽を使っていたのを懐かしく思い出します。あれは誰の演奏だったのでしょうか?

 ドヴォルザーク:交響曲8番は、私はジョージ・セル指揮クリーブランド管ラファエル・クーベリック指揮ベルリン・フィルのLPレコードをよく聴いてきました。

 それに小沢征爾がボストンを引退する頃でしょうか、ウイーン・フィルと入れたCDもいい演奏で、懐かしく思い出します。カラヤン指揮ウイーン・フィルの演奏はいまだに評判がいいようですが、カラヤンは今でも私は持っているレコード、CDが少なく、結局あまり好きにはなれませんでしたけど。

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2009年4月11日 (土)

演奏会に行ってきました「ジークフリート・フュアリンガーと仲間たち-室内楽の愉しみ-」(2008-62)

2008.11.26(水)19時開演 JR千駄ヶ谷駅前(千駄ヶ谷駅より徒歩5分程度。横断歩道を渡った斜め向かいの場所)

 私の席 F(16)列15番。全席自由席。中央の席。楽器配置 チェロが中央。

《ご挨拶》 ジークフリート・フュアリンガー 

 敬愛する東京藝術大学の客員教授として招かれた事は、私にとって大きな喜びである、と言う事をまず是非お伝えしたいと思います。

 協力的で親切な、そして素晴らしい同僚(先生達)、及びモチベーションの高い生徒達は、私の藝大でのレッスンを楽しませてくれたいます。

 更に玉井菜摘さん、吉村知子さん、川中子紀子さん、河野文昭さんという仲間達と室内楽演奏会を催すことができるのも大きな悦びです。我々のリハーサルも本当に楽しいものでしたし、私はこの先も我々が一緒に演奏会ができればと、願っています。

 何故なら、これは東京にいながらウイーンが聴こえてくる、この上ない素晴らしい機会だからです。

川中子 紀子

 ヴィオリストとしてだけでなく、一人間としても心から敬愛する恩師、フュアリンガー先生と今宵、一緒に弾ける事は、私にとって最高の幸せです。

 若い頃にウイーンで彼の元で勉強していた時、彼は当時20歳代のヒヨッ子の私を上から押さえつける事を決してせず、驚くべき事に一人の音楽家として接してくれた事に戸惑いをを感じたのを、未だによく覚えています。

 音楽の解釈は一つではなく、私のレッスンの時に彼はいつでも、「自分とは違う解釈だけど、それも悪くはないという」表現をしました。それで、では彼はどういう解釈なのか突っ込んで尋ねてみると、大抵目から鱗のような答えが返ってきたものです。

 音楽は一生捧げる価値は充分にあっても、音楽で苦しむ為に生きているのではない、という事を教えてくれたのも彼です。

 今宵は、ウイーン弦楽六重奏団で彼が何度も弾いてきたモーツアルトの五重奏曲と、彼のお気に入りの2曲のヴィオラ・デュオを演奏いたします。お楽しみ頂けましたら幸いです。

《演奏者》

ヴァイオリン:玉井菜採(なつみ)・吉村知子、ヴィオラ:ジークフリート・フュアリガー・川中子紀子・齋藤 幸(さつき)、チェロ:河野文昭、

《印象 感想など》

モーツアルト:弦楽五重奏曲第1番 変ロ長調 K.174

Ⅰ アレグロ モデラート  Ⅱ アダージョ  Ⅲ メヌエット マ アレグレット  Ⅳ アレグロ

1楽章 柔らかい音色で弾く、抜群に上手い連中。特に第1ヴァイオリンの玉井が凄い。

第2楽章 ゆったりとした楽章。  第3楽章 よく流れ、歌う快適な演奏。  第4楽章 快調なテンポで進む。

《プログラムノート》 パンフレットより

モーツアルト:弦楽義重奏曲 第1番 変ロ長調 K.174

 モーツアルト(1756~1791)は弦楽五重奏曲を6曲残していますが、そのすべてがヴァイオリン2,ヴィオラ2,チェロ1という楽器編成です。この変ロ長調はその最初の作品で1773年(17歳)にザルツブルクで書かれました。彼以前にはミハエル・ハイドンやボッケリーニがこのジャンルの傑作を残していますので、おそらくはモーツアルトも彼らの作品を手本にしたのでしょう。やがてヨゼフ・ハイドンやベートーヴェンもなしえなかった名作を生み出すことになります。

 この第1番変ロ長調の五重奏曲は直前のイタリア旅行で学んだ成果が充分に発揮されており、明るく若々しい輝きのある作品に仕上がっています。

ロッラ:二つのヴィオラのためのデュオ 第3番へ長調

ヴィオラ:齋藤 幸、川中子紀子

 ヴィオラは立って演奏。1楽章 ヴィオラの中音域が心地よく響く。2楽章、ピチカートが入る。3楽章 速めのテンポで、心地よく弾く。

《プログラムノート》 パンフレットより

 アレッサンドロ・ロッラ(1757~1841)は、イタリアのパヴィアに生まれた、ヴァイオリン奏者です。1782年からパルマ宮廷でヴァイオリン奏者、指揮者として活躍しますが、さらい1803年からはミラノ・スカラ座の指揮者としても活躍しました。さらに1808年にはミラノ音楽院の教授になっています。

 このデュオは音楽院の教材として作曲されたものと思われますが、教則本のような味気ないものではなく、まさしくイタリアの歌と高度な演奏技巧が程よく調和されています。

       ・・・・・・・・休 憩・・・・・・・

ブリッジ:二つのヴィオラのためのラメント(哀歌)

 エレジー風の曲。最後は静かに終わる。

《プログラムノート》 パンフレットより

 イギリスの作曲家、フランク・ブリッジ(1879~1941)は、また指揮者やヴィオラ奏者としても活躍しました。この頃のイギリスといえばホルストやボーン=ウイリアムスによる民族主義ともいえる風潮が主流でしたが、ブリッジはそれらに拘わらずヨーロッパ大陸のフランス印象主義やドイツ表現主義といった新しい流儀の音楽に影響を受けたようです。

 また若い頃のブリテンの先生としてもその功績が知られています。この作品は、ヴィオラの名手、ターティスと演奏するために1912年に作曲されました。2つのヴィオラがまことに美しい「哀歌」を紡いで活きます。

モーツアルト:弦楽五重奏曲 第4番 ト短調 K.516

Ⅰ アレグロ  Ⅱ メヌエット;アレグレット  Ⅲ アダージョ マ ノン トロッポ  Ⅳ アダージョ-アレグロ

《印象 感想など》

 ヴィオラは、ジークフリート・フュアリガー、齋藤 幸。

1楽章 有名な素敵な出だし。  2楽章 アンサンブルはとても良い。 3楽章 ヴィオラが心地よく響く。  4楽章 よく歌う。特に第1ヴァイオリンが素敵な演奏。

《プログラムノート》 パンフレットより

 1787年に作曲されたこのト短調の五重奏曲は、しばしば前作であるハ長調K.515とペアで語られます。それはたまたま同時期に作曲されたというだけではなく、翌1788年に完成した二つの名高い交響曲(ト短調K.560とハ長調ジュピター)と同じ調性であり、芸術的高みに達した作品としてモーツアルトの天才を充分に発揮しているからです。さらに、ご承知の通り彼にとって特別な響きである「ト短調」で書かれていることも重要です。

 この作品ではその悲劇性だけではなく、宗教的な美を湛えるとともに同時に反して明るく爽やかで開放的なフィナーレで締めくくられます。

《プロフィール》

ヴァイオリン:玉井菜採(なつみ)

 桐朋女子高校音楽科を経て同大学を卒業。在学中に日本音楽コンクールに入選、「プラハの春」国際音楽コンクール・ヴァイオリン部門に優勝、併せて審査委員長特別賞であるヨゼフ・スーク賞を受賞。東儀祐二、小国英樹、久保田良作、立田あづきの諸氏に師事。桐朋学園大学を卒業後、アムステルダム・スヴェーリンク音楽院にてヘルマン・クレパース氏に、またミュンヘン音楽大学マイスタークラスにてアナ・チュマチェンコ氏に師事。この間J.S.バッハ国際コンクール最高位をはじめ、エリザベート王妃国際コンクール、フォーヴァル・スカラシップ・ストラデヴァリウス・コンクール、シベリウス国際ヴァイオリンコンクールなど、数々のコンクールに優勝、入賞している。

 平成14年度文化庁芸術祭新人賞、ABC音楽賞クリスタル賞、関西クリティッククラブ奨励賞を受賞。・・・・・・現在東京藝術大学准教授。

ヴァイオリン:吉村知子

 3歳より才能教育にてヴァイオリンを始める。東京藝術大学附属高等学校入学。1990年第59回日本音楽コンクール入選、1991年第10回ヴィエニアフスキー国際ヴァイオリン、コンクール第6位入賞。東京藝術大学附属高等学校卒業。同年同大学入学。大学在学中に安宅賞を受賞。1995年第29回ティボー・ヴァルガ国際ヴァイオリン・コンクール第1位。・・・・・

 愛知県豊田市より「文化関係功労賞」「豊田文化奨励賞」受賞。・・・・・現在、新日本フィルハーモニ交響楽団第2ヴァイオリン主席奏者。

ヴィオラ:ジークフリート・フュアリンガー

 1938年オーパーエステラ州オーパーノイキェルヒェンに生まれる。1957年ウイーン国立音楽大学に入学、フランツ・サモヒル氏に師事。1963年ウイーン交響楽団にヴァイオリン奏者として入団。1965年にヴィオラに転向、1966年から14年間、ソロ・ヴイオリニストを務める。またニコラウス・アーノンクール主宰のウイーン・コンチェルト・ムジクスに3年間在籍し古楽奏法にも携わる。1971年よりウイーン国立音楽大学で教鞭を執るようになり、1980年からはヴィオラ科主任教授を務める。・・・・・・

 2007年ウイーン国立音楽大学を退官。2008年秋期、東京藝術大学にて客員教授として招かれる。

川中子紀子

 桐朋女子高校音楽科を経て同大学ヴァイオリン科卒業。久保田良作、徳永二男の両氏に師事。卒業後ヴィオラに転向。ドイツ・バンベルクで学んだ後、給費留学生としてウイーン音楽アカデミー(現ウイーン音楽大学)にて学ぶ。ヴィオラを岡田伸夫、ジークフリート・フュアリガーの両氏に師事。1962年ジュネーブ国際音楽コンクールにてディプロマ受賞。オーストリアのリンツ・ブルックナーオーケストラ主席ヴィオラ奏者、ウイーン・フォルクスオパー管弦楽団副主席奏者を務める。帰国後は多数の演奏会に出演、NHK-FMなど放送や録音などでも活躍。・・・・・・・アンサンブルofトウキョウのメンバー。現在東京藝術大学室内楽科非常勤講師。

チェロ:河野文昭

 京都市立芸術大学卒業。1981年第50回日本音楽コンクール第1位。その後、文化庁海外派遣研究員としてロサンジェルスに留学、さらにウイーンにて研鑽を重ねる。黒沼俊夫、ガポール・ライトナー、アンドレ・ナヴァラの各氏に師事。1984年に帰国後は、リサイタル、オーケストラとの共演など演奏者として活躍。室内楽奏者としても、福岡モーツアルトアンサンブル(弦楽四重奏)、アンサンブルofトーキョウ、紀尾井シンフォニエッタ東京、静岡音楽館(AOI)レジデンス・カルテットなどのメンバーとして国内外にて活発に演奏活動を行ってきた。また1993年~2003年、大分県「ゆふいん音楽祭」音楽監督を務める他、各地の音楽祭、講習会に講師として参加。

 これまでに京都音楽賞、京都府文化賞功労賞などを受賞。現在東京藝術大学教授、愛知芸術大学講師、中国天津音楽学院客員教授。

《レコード CDのことなど》

モーツアルト:弦楽五重奏曲

 レコードやCDは自分の気に入ったものを聴いていればいいわけですが、私は全曲盤ではスメタナ四重奏団・Vaヨゼフ・スークのLPレコードを愛聴してきました。

 また3番ハ長調4番ト短調は名曲として人気があり、多くのレコードやCDが出ています。私はLPレコードでは、ブタペスト四重奏団・Vaワルター・トランプラーの盤を愛聴してきました。それにCDではメロス四重奏団・Vaバイヤー盤も聴きます。

  

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2009年4月 4日 (土)

演奏会に行ってきました「オーボエとチェンバロの日 オーボエ:古部賢一 チェンバロ:クリスティーネ・ショルンスハイム ヘンデル、テレマン、J.S.バッハ」(2008-61)

2008年11月18日(火)15時開演 演奏時間約1時間(休憩無し) Hakuju Hall(東京メトロ千代田線 代々木公園駅徒歩7~8分)

第53回リクライニング・コンサートシリーズ(I列~Q列はリクライニングシートが利用できる) オーボエとチェンバロの日|夢の共演が実現 「あなたは聴きますか、眠りますか」が当コンサートのキャッチフレーズ 

私の席C列12番 よく見えて聴こえる。

《プログラム》

ヘンデル:オーボエと通奏低音ためのソナタヘ長調 HWV363a

テレマン:12の無伴奏ファンタジー第6番ニ短調(オーボエ独奏)

J.S.バッハ :イタリア協奏曲ヘ長調BWV971(チェンバロ独奏)

J.S.バッハ:ソナタト短調BWV1020

《印象 感想など》

ヘンデル:オーボエと通奏低音ためのソナタヘ長調 HWV363a

Ⅰ アダージョ  Ⅱ アレグロ  Ⅲ アダージョ  Ⅳ ブーレ  Ⅴ メヌエット

 Ⅰ アダージョ 綺麗なオーボエ、上手なチェンバロ。前の席で、音がよく聞こえ、よく見える。

 Ⅱ アレグロ 快調なテンポで演奏される。

 Ⅲ アダージョ 落ち着いた速さで演奏され、心地良い音楽が響く。

 Ⅳ ブーレ テンポが速まる。

 Ⅴ メヌエット 諧謔的音楽。

テレマン:12の無伴奏ファンタジー第6番 ニ短調(オーボエ独奏)

Ⅰ ドルチェ  Ⅱ アレグロ  Ⅲ スピリトーソ

 オーボエの音色、音楽がよく伝わる。諧謔的な響き。面白い演奏を楽しむ。

J.S.バッハ:イタリア協奏曲 ヘ長調BWV971(チェンバロ独奏)

Ⅰ アレグロ  Ⅱ アンダンテ  Ⅲ プレスト

 Ⅰ 有名な聴き慣れた出だし。  Ⅱ この曲はピアノでも演奏されるが、チェンバロの方が、合うと思った。ピチカート奏法が気持ち良い。  Ⅲ 一転して速いテンポに変わる。明るい快調な曲、演奏。テクニックの優れた、素晴らしい演奏。

《古部の話》 チェンバロのクリスティーネ・ショルンスハイムも舞台に出て、一緒に話す。

 当時はヘンデルやテレマンの方が、バッハよりも有名だった。バッハは、ゴールドベルク変奏曲やイギリス組曲、フランス組曲など、チェンバロの曲がたくさんあって有り難い。〈クリスティーネ・ショルンスハイム〉 当時はイタリアとフランスが競い合っていた。ドイツは双方がミックスされた文化状況だった。イタリア協奏曲は、イタリア風の作品という意味。バッハが作った。

J.S.バッハ:ソナタ ト短調 BWV1020

Ⅰ アレグロ  Ⅱ アダージョ  Ⅲ アレグロ

 Ⅰ チェンバロからやや速いテンポで入り、オーボエが続く。  Ⅱ ゆっくりとなり、とても良い二人のアンサンブルを奏す。  Ⅲ アレグロとなり、快調な演奏が続く。

アンコール カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ:オーボエソナタより2楽章

       ヘンデル:ソナタヘ長調より

 昼下がりの時間、バロック音楽を楽しむ。とても贅沢な時間を持つ。

 なお、パンフレットには曲目解説は無く、省略。

《奏者プロフィール》

オーボエ:古部賢一

 日本を代表するオーボエ奏者の一人であり、柔らかく甘い音色と響き、バロック音楽から現代音楽に至る幅広い様式に対応する柔軟性と優れた音楽性が高く評価されている。

 東京藝術大学在学中の1991年、弱冠22歳で新日本フィルハーモニー交響楽団の主席オーボエ奏者に就任。1995年から翌年にかけて、アフィニス文化財団海外研修員としてドイツミュンヘン音楽大学大学院に留学。これまでにオーボエを中山和彦、北島章、小畑喜昭、小島葉子、ランダル・ヴォルフガング、ギュンター・パッシンに、また室内楽を村井裕児、中川良平の各氏に師事。・・・・・

 東京音楽大学、昭和音楽大学非常勤講師、兵庫芸術文化センター管弦楽団アソシエイトプレイヤー、第8「回国際オーボエコンクール・軽井沢」審査員を務めるなど、後進の指導にもあたっている。

チェンバロ:クリスティーネ・ショルンスハイム

 ベルリンのC.P.E.バッハ音楽高校、ハンス・アイスラー音楽大学でピアノを学ぶ。1983年までポツダムのハンス・オットー劇場でノロ・レペティートロを務め、またライプティヒにてチェンバロ奏法と通奏低音をワルター・ハインツ・ベルンシュタインに学ぶ。1985年以降チェンバロ奏者としての活動を始めながらグスタフ・レオンハルト、トン・コープマン、ヨハン・ゾン・ライトナー、アンドレアス・シュタイヤーらのマスタークラスで研鑽を積み、・・・・・

 1988年からライプティヒ音楽大学で助手を経て、1992年11月、チェンバロ学科とフォルテピアノ学科の教授に就任。・・・・・2002年10月よりミュンヘン音楽大学チェンバロ学科教授に就任、1992年より国際チェンバロ・コンクール審査員。

  

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2009年4月 3日 (金)

演劇に行ってきました「マキノ ノゾミ作・演出『フユヒコ』(2008-5)

2008年11月15日(土)18時30分開演 紀伊國屋サザンシアター(JR新宿南口徒歩7,8分) 『フユヒコ』 朝日新聞のプレゼント企画に当選したもの。

《スタッフ》

作・演出:マキノノゾミ  衣装:川口夏江  照明:中川隆一  音響:高橋 厳  衣装:三大寺志保美  舞台監督:澁谷嘉久  製作:森 正敏・東雲幸一

《キャスト》

寺田冬彦:山野史人  寺田りん:津田真澄  寺田康一:太田佳伸  寺田早月:椿真由美  寺田秀二:五十嵐明  寺田秋子:加茂美穂子  大河内政親:佐藤 祐四沢木 登:木下政治(劇団.M.O.P)     

《場割》

第1幕-

1 昭和9年12月24日月曜日の夕刻。

  東京、本郷区曙町にある理学博士寺田冬彦氏宅の居間。

2 翌25日、火曜日の昼下がり。

  うららかな小春日和で、茶の間も応接室も明るい。

3 翌26日、水曜日の晩。

  康一が講師嘱託となった祝いの宴、

  その半ば過ぎた頃合。(ゴロツキ新聞の記者と友人のはなし)

4 翌27日、木曜日の昼下がり。

  空は今にも降りだしそうな曇天である。(沢木が寺田家に来る。冬彦が秋子にシーッと  言って話しを禁じる。)

第2幕-

 翌28日、金曜日の昼過ぎ。

  昨日からの雨が降り続いている。

2 翌29日、土曜日の夜。

  外ではしんしんと雪が降り続いている。

3 翌30日、日曜日の夕刻。

  居間には誰もいない。-と・・・・・。

4 翌31日、月曜日の昼過ぎ。外は快晴、日本晴れ。

《印象 感想など》

 ユーモアのあるコメディ。会話が面白かった。

《パンフレット》より

 マキノノゾミの三部作「フユヒコ」「赤シャツ」「MOTHER」の中の、「フユヒコ」の上演。

 キャッチ・フレーズは、「日本が日本であった頃、みんな同じ空気を吸っていた」。

縁ありし--。  マキノノゾミ

 遠藤寿美子さんは、京都演劇会ではその名を知らぬもののない有名な女傑だった。

 洛北の小劇場「アートスペース無門館」の管理人であり、プロジューサーでもあった。とにかく強烈な個性というか、人格の持ち主だった。どう強烈なのかは、実際に遠藤さんを知らない人に説明するのが難しい。正直「かなんなぁ」(堪らなんんぁ)と思うことも多かった。言うことがコロコロと変わる。ほんの一~二度劇場を使わせてもらっただけなのに、「マキノいうんはわたしが育てたんや」みたいなことを吹聴する。途中からは、こちらも開き直って「どうせ言われるのなら、本当に育ててもらおうじゃないの」と、半ば積極的に甘えてお世話になる、というような関係になった。ともあれ、そんなふうに大勢の若い演劇人を応援というか挑発というか、鼓舞し続けた人だった。そして、現代演劇を心底から愛するというその一点においては、まさに人後に落ちぬというふうの人だった。・・・・・・

 その遠藤さんが亡くなって、この秋で5年になる。べつにしめっぽい話ではない。

 今回の連続上演にあたって、わたしは、この不思議な縁というものに、ひたすら感謝したいような気持ちになっている。

セピア色の劇作家大全 大笹吉雄(演劇評論家)

 マキノノゾミが相当のキャリアの持ち主であることを知ったのは、1994年に青年座が初演した『MOTHER-君笑ひたもふことなかれ-』(宮田慶子演出)を見てからかなり経ったころだった。・・・・・・

 『MOTHER』は時代設定が明治42年から大正2年までで、与謝野晶子を軸にその夫の鉄幹、北原白秋、石川啄木、佐藤春夫、平野萬里、平塚明子(らいてう)、管野須子、大杉栄らの実在した「有名人」が登場し、『フユヒコ』は昭和9年と設定され、物理学者で随筆家でもあった寺田寅彦をモデルとする一家などによる物語であり、タイトルのフユヒコは寺田寅彦のペンネームの一つだった吉村冬彦から採られている-。

 夏目漱石の小説『坊ちゃん』に材を求めた『赤シャツ』は明治38年で、タイトルロールをはじめ、うらなりや野だいこや山嵐や狸などの、おなじみの旧制中学校の教師たちの活躍が中心となる。

 つまりセピア色がかった時代や人物ばかりであり、このことが言葉遣いにつながっている。そしてそういう言葉を交えた描写を得意とするのが、マキノノゾミなのである。・・・・・

フユヒコと寅彦  関 直彦(寺田寅彦の孫)

 祖父、寅彦逝って早70余年。天国から「フユヒコ」を見たら、どう思うであろう。抱腹絶倒するか、それともシャイに照れて黙すか。だが映画評論もやっていたからいろいろとコメントを述べ、注文をつけたに違いない。

 平成9年の初演を前にして青年座からドラマ化の話があった時、ごく真面目な学者の平凡な家庭が、どうして観客を引きつけるようなドラマになり得るのかと、訝しく思った。それが蓋を開けてみると殊のほか面白く、マキノノゾミ氏のかくも観客を魅了する脚本モノにする剛腕と、ストーリー作りの巧みさに感心した。読売演劇賞を貰ったのも頷ける。・・・・・

 寅彦の最後の遺児であった私の母(劇中の早月)が2年前に他界した今、登場人物は皆、あの世の人となってしまった。・・・・・

 「好きなもの 苺 珈琲 花 美人 懐手して宇宙見物」と書いた寅彦の色紙がある。これは自由人としての人生観を集約したものと言えよう。大正9年に胃潰瘍で倒れ、その療養の頃から学問、文学、芸術で我が道を思いのまま行くようになり、特に晩年近くになると、家族に囲まれた幸せな日々を送っていたようだ。悪妻とも言われた3番目の妻しん(劇中のりん)はひょうきんな面があり、また新しもの好きで、丹那トンネルが開通すれば、一番列車に乗り、民間航空が始まれば一番機に飛びつくような人だった。劇団青年座に乾杯!

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