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2008年12月 3日 (水)

演奏会に行ってきました「東京大学フォイヤーヴェルク管弦楽団 バルトーク:弦楽のためのディヴェルチメント、チャイコフスキー:交響曲5番ほか」(2008-32) 

2008年6月29日(日)14時開演 文京シビック大ホール(東京メトロ 春日駅から5~6分) 東京大学フォイヤーヴェルク管弦楽団 第19回定期演奏会 指揮:高羽弘晃

《プログラム》

メンデルスゾーン:「フィンがルの洞窟」序曲 作品26

バルトーク:弦楽のためのディヴェルティメント Sz.113

       ・・・・・・休 憩・・・・・・

チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 作品64

《印象 感想》

メンデルスゾーン:「フィンがルの洞窟」序曲 作品26

 自由席 15列30番。女性はカラフルな衣装。コンサートマスターは女性。学生のみの演奏(これまではトレーナーが一緒に演奏していた)。

 色々な大学の学生を中心としたアマチュアのオーケストラ。私が聴いた限りでは、アマオケではトップクラスの実力のオケ。カンパ制で、料金は無料。会場は1階のホールなのだがいつも地下から長い列ができる。

 賛助会員制度があり、会費は個人が1回の演奏ごとに3,000円で一画を賛助会員の席として確保してくれる。それだけの実力を発揮し、聴き甲斐のするオケ。時には東京フィルハーモニーの大町陽一郎が振る。

 アンサンブルが良く、快調な演奏。

バルトーク:弦楽のためのディヴェルティメント Sz.113

 コンサートマスターは男性に替わる。指揮者なし。バルトークらしい不安を帯びた音楽が奏でられる。3楽章?は、気迫のこもった演奏で、指揮者なしとしては、緻密なアンサンブルが聴かれる。

チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 作品64

 コンサートマスターは男性のまま。1,2楽章はたっぷりとした音楽で重厚な演奏。3楽章、素敵なワルツで快調な演奏。4楽章は、いいテンポで入り、後半は大いに盛り上がる。チャイコフスキーの音楽を堪能する。ブラヴォーが連発される。

《曲目紹介》

メンデルスゾーン(1809~1847):序曲「フィンがルの洞窟」作品26 綱島久美子

 メンデルスゾーンは、モーツアルトにひけを取らない早熟の天才であったと言われています。彼は幼い頃から恵まれた天分を発揮して周囲を驚かせており、詩人ハイネも「「音楽上の軌跡」と語っています。また引越の際に紛失した楽譜を完璧に再現したという逸話も残っています。

 そんな彼は、音楽のみならず詩や絵画にも興味を持ち、作品もいくつか残しています。特に趣味の水彩画に関しては、本職の画家顔負けの実力をもっていたようです。この「フィンがルの洞窟」が作曲された19世紀、物語を中心的な主題としていた絵画の世界にはターナーやコンスタブル現れ、イギリスの風景画は黄金期を迎えています。画家としての道は選ばなかったメンデルスゾーンですが、風景描写的な標題音楽の先駆けといわれており、彼の画家としての才能がよく表れています。

 20歳のとき、友人の汽船に乗ってスコットランド北西沖の大西洋上に浮かぶ島峡、ヘブリディーズ諸島を訪れたのをきっかけに、この曲は作曲されました。メンデルスゾーンはその美しさに魅了され、冒頭部分の主題が自然と浮かんできたそうです。19世紀イギリスの産業革命はヨーロッパ各地へ伝搬し、汽車や蒸気船などの新技術は人々を新しい世界へ導きました。しかしそのような器械全盛の時代だからこそ、洞窟の壮大な自然はメンデルスゾーンの心を揺さぶったのでしょう。

 この曲を鑑賞するときにぜひ注目していただきたいのが、その絵画的な側面です。静かな海のさざ波や海風、訪れる風を予感させる怪しい雲行き、洞の中の孤独感や波の音が共鳴して現れる霊的な表情。こういった洞窟の神秘的な情景が、フレーズの中に映し出されているようです。また、あらゆる機械装置に興味を持っていた彼が、小さなな汽船のシュッシュポッポという音を表している箇所ももあります。このように曲の端々にちりばめられた風景を探しながら聴いていただくのも、この曲の楽しみかたのひとつではないでしょうか。

 それでは若き日のメンデルスゾーンを虜にしたヘブリディーズ諸島の深き風景を思い描きながら、どうぞお聴き下さい。

ベラ・バルトーク(1881~1945):弦楽のためのディヴェルティメント Sz.113(曲目紹介)下西 奏

 バルトークは、1881年という驚くほど多くの作曲家を搬出した時代の真っ直中にハンガリー人として生まれました。彼の父親は多才で芸術にもたしなみがあり、母親はピアノの教授・ピアニストであったことから、彼は幼いころから両親の元で音楽の才能を開花させていました。バルトークは、青年期まではブラームスなどドイツ・オーストリア音楽の影響を強く受けていましたが、23歳の夏、ブダペストの下宿先で彼自身の人生を左右するほどの経験をします。それは、奉公人である農村出身の若い少女が口ずさんでいた歌を聞いたことでした。

 「赤いりんごが水溜まりに落ちた・・・・」

 「枯れた枝から離れたところにまっ赤なバラ・・・・・」

 それは、それまで彼が都会で出会った商品化された音楽ではなく、今まで1度も聞いたことがない不思議なふしの歌ー彼が初めて民謡を耳にした瞬間でした。この経験から彼の民謡に対する情熱がうまれ、彼にとって必要不可欠な存在となる民族音楽の研究へと繋がっていきます。

 研究について、彼は次のように述べています。

 「私が作曲家としての自我を確立して以来、常にそれを意識してきた私の真の理想、それは諸民族が戦いや争いを超えて兄弟として抱擁し合うということです。この理想のために私はー私の力の及ぶ限りー私の力の及ぶ限りー私の音楽を持って仕えたいのです。」

 さて、「この弦楽のためのディヴェルティメント」は1939年夏のわずか2週間たらずで書きあげられます。当時のナチスの勢力によってヨーロッパ諸国は不安に包まれており、ただでさえ神経質であった彼は大いに悩んでいました。そんな中、彼の音楽仲間のはからいにより、作曲も手につかない状態の彼はスイスの山小屋で完全な休養を取ることになりました。明るく雄大な自然の中でふたたび創造力を取り戻した彼は短期集中型の作曲家としても異例な速さで曲を書き上げたのです。その集中の原動力となったのはファシズムに対する対抗心であり、彼の作品の中でもより民族色が強く、明るい作品に仕上がったのです。

 そして、この曲は彼の創作力が最も充実していた1930年代後半の最後を飾るにふさわしい傑作となりました。

 また、この曲の題名になっているディヴェルティメントとは、日本語で「喜遊曲」とも訳され、語源はイタリア語の「「devertire(楽しい、面白い、気晴らし)」で、明るく軽妙で楽しく、深刻さや暗い雰囲気は避けた曲風とされています。

 バルトーク自身、民謡を採集するために旅をしていたことにならって、この曲を「旅」と見立ててご紹介したいと思います。

第1楽章 アレグロ ノン トロッポ

さぁ、旅の始まりです。ここは東洋と西洋の文化が交じり合うシルクロードの中間地点。目の前に広がる広い大地、砂漠。遙か向こうにかすかに感じられる町並み、人。ひょっとするとそこにはイスラムの香りも漂っているかも・・・・。旅への期待と不安を膨らませながらも、一度始まった旅から引き返すことはできません。

 第1楽章は、躍動感あふれるリズムで始まり、何にも妨げられることのない大自然の流れのようにフレーズが移り変わっていきます。全ての楽章に見られる、ffからppなどへの急な変化は、何かに飲み込まれてしまいそうなことに対する心の葛藤のようにも聴こえます。生きていく厳しさに直面したり、命のはかなさを感じたりする旅の中でも、自然というもには人間の感情や死への恐怖とは無関係に己のリズムを刻み、時を進めて行くものです。

第2楽章 モルト アダージョ

 第1楽章とは全く違う雰囲気で始まる第2楽章ですが、ハンガリー風の美しい旋律が印象的です。全体として厳かで不気味な響きが感じられ、第1楽章の終わりで少し表れていた安堵感が、何かが起こるのでは、という緊張を伴った不安定感に変わります。

 第1楽章にも見られますが、各楽器が逆の動きを見せる部分や、fからpの変化が多くあります。それはまるで、理想を求める人間と、現実を突きつけてくる自然との相容れぬせめぎ合いのようでもあります。

第3楽章 アレグロ アッサイ

 最終楽章は、主題がソロ・ヴァイオリンで提示され、トゥツティで反復されるという形態になっています。全体としても、前半と後半は同じ構成の流れになっており、歴史は繰り返される、と物語っているようであります。

 さて、旅の一行は人のにぎわう市場へとやってきました。そこには様々なな生活をしている人が。商人、軍人、農民、楽器を演奏したり踊りを踊ったり踊ったりするエンターテイナーの姿も。曲の終わりに向かうと同時にテンポはいっそう急速に、荒々しいアクセントをもつ音の奔流となります。ここは、旅の途中で見てきた色々なものが走馬燈ののように頭の中をよぎり、ぐるぐるまわっててまわって駆け巡って・・・・・ 

 最後には頭の中の旅の記憶が全て木箱の中に吸い込まれてしまった!というような唐突な終わり方で幕を閉じます。

 それでは、私たちの演奏が皆さまお一人おひとりの旅路へとご案内できますように・・・・・

チャイコフスキー:交響曲第5番 作品64 (曲目紹介)草川研二

 チャイコフスキーといえば“くるみ割り人形”や“白鳥の湖”、“ピアノ協奏曲”など聴けば誰もが知っているようなメロディーの作り手です。感情的で愛にあふれ、ロマンティック。このような認識が一般的でしょうか。モーツアルトやハイドンの時代と違って、当時交響曲には作曲家の世界観や哲学が織り込まれることが多くありました。チャイコフスキーの場合、交響曲で描かれているのは宿命や運命などといった、とても重々しい陰鬱なテーマなのです。それは彼の最後の交響曲第6番の副題が『悲愴』であることも強い関連性があります。チャイコフスキーはなぜこのようなテーマを描き続けたのでしょうか。

 チャイコフスキーは少年時代、心が繊細で不安定でした。様々なことが思うようにいかず、常に諦念めいたものを抱き続けていたそうです。10歳頃、大好きだった女性の家庭教師や音楽の魅力を教えてくれた最愛の母と別れ、法律学校に入学したことから音楽への夢を断たれた悲しみなど、自分ではあらがうことのできない力に流されるまま、病的な精神状態のうちに少年時代を送ったのです。

 大人になった彼は、ある女性に激しく求愛された末結婚をします。しかし、2ヶ月後には家を飛び出し川に身を投げようとした話が残っています。

 ただでさえ神経過敏で不安定だった彼にとって、これらの出来事は悲しみを通り越して絶望感を与えたのでした。そして次第に宿命や運命の存在を感じるようになったのでしょう。

 この曲が作曲された頃に目を移してみましょう。演奏旅行でヨーロッパを放浪するのに区切りをつけ、モスクワ郊外に新居を構え、心機一転作曲に取りかかっていた時期のことです。あふれでる楽想を形にすべく、彼は第5交響曲の作曲に取りかかりました。

 「この曲には大げさな誇張がある」とこぼすくらい、彼はこの交響曲に自信を持っていませんでした。しかし各地で演奏するたびに聴衆の絶賛を受け、次第にこの曲の価値を確信するようになりました。

 なぜこの曲はそれほどまでに称賛をあびたのでしょうか。それはチャイコフスキーの巧みな感情表現の賜物でしょう。チャコフスキーの特徴として、弦楽器ほぼ全員がひとつの同じメロディーを奏でる場面が多くあります。それはメロディーに対する思い入れの現れでもありますが、その重厚な音がメロディーにこめられた感情をホール全体に響きとして伝え、聴衆を感動させるのです。

 本日の演奏会にお越しいただいた皆さまにもチャイコフスキーがメロディーに込めた感情をお伝えすることができたら、これほど嬉しいことはありません。チャイコフスキーの人生に、そして世界観に思いを馳せながら、どうぞ最後までお楽しみ下さい。

第1楽章 アンダンテ アレグロ コン アニマ

 陰鬱で重々しい「運命の動機」と呼ばれるクラリネットのメロディから全ては始まります。この動機は全楽章で現れ、曲全体を支配しています。広大なロシアの大地への情景、夢や憩い、愛の語らいなど人間的な面が色濃く表現されていますが、それらも結局は運命に支配されているのです。

第2楽章 アンダンテ カンタービレ、コン アルクーナ リエンツア

 チャイコフスキーの傑作に数えられる楽章。冒頭、弦楽器の和声があてもなく移ろいゆく中、ホルンの美しいソロが現れ、ロマンティックな空気をもたらします。それは不安定にゆらぐ幸福を表していますが、諦めというよりむしろ威厳をもって奏されます。そして突然金管楽器によって運命の動機が吹き鳴らされ、その幻想はひそかに回想されつつ消えてゆきます。

第3楽章 ワルツ:アレグロ モデラート

 ベートーヴェン以降、交響曲の第3楽章といえばスケルツォが一般的でしたが、チャコフスキーはここにワルツをもってきました。そのため当時は反論も多かったそうですが、今では単独で演奏されることも多いほど、広く愛好されている曲です。しかしこの交響曲の中では、現実逃避の試みとして、ワルツが演奏されているのではないでしょうか。

第4楽章 フィナーレ:アンダンテ マエストーソ アレグロ ヴィヴァーチェ

 運命の動機が長調となって不気味に伸縮して奏され、嵐のように第1主題が始まります。時に群衆の求める理想郷を示すような明るい第2主題が聞こえますが、その下でも運命は荘厳に無慈悲にどこまでも突き進んでゆきます。第1楽章ではホ短調で歌われた主題が、最後にファンファーレとして長調で奏される部分は、大変印象的です。

《指揮者紹介》

高羽弘晃

 桐朋女子高等学校音楽科作曲専攻を経て、2001年桐朋学園大学作曲理論学科卒業。作曲を三瀬和朗、権代敦彦、ピアノを三瀬和朗、ローラン・テシュネ、藤井一興、指揮を小泉ひろし、秋山和慶の各氏に師事。現在母校で後進の指導にあたっている。

 第68回日本音楽コンクール作曲部門入選。ピアノ演奏では第9回日本室内楽コンクール第1位(ヴィオラとの共演)。2003年「otoの会新作コンサートシリーズ」にて自作初演を含むリサイタルは好評を博した。指揮者としても現代音楽を中心に活動中。多くの邦人作品の初演に携わっている。同窓生を中心に「オーケストラ・アニマ」を結成。2001年3月には卒業記念公演を行った。文化祭では学生オーケストラを率い、バンドネオン奏者小松亮太氏、ギタリスト鈴木大介氏らと共演。三善晃「花火の音楽」やストラヴィンスキー「春の祭典」などを演奏している。

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