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2008年10月

2008年10月24日 (金)

演奏会に行ってきました「新イタリア合奏団 ロッシーニ『セヴィリアの理髪師』序曲 ヴィヴァルディ:フルート協奏曲 バッハ:ブランデンブルク協奏曲5番ほか」

2008年5月31日(土)午後6時0分開演 すみだトリフォニーホール(東京メトロ錦糸町駅 徒歩5~6分) 内壁・床 茶色を基調とした木造 とても響きの良いホール。

ヴァイオリン:高嶋ちさ子 フルート:高木綾子 チェンバロ:曽根摩矢子 新イタリア合奏団

新イタリア合奏団:日本に12回も来ている室内合奏団。お寿司大好きで、日本通の仲間達とのこと。今回は、他に大宮(埼玉)、北上(岩手)、京都、札幌、愛知、宮城でも演奏。もの凄く上手なアンサンブルの合奏団。ヴァイオリン6人、ヴイオラ2人、チェロ2人、コントラバス1人。ヴァイオリンの女性は真っ赤な衣装。進行役は、ヴァイオリン・ソロの高嶋ちさ子が務める。

《プログラム 印象 感想》

ロッシーニ:(1792~1868)オペラ『セヴィリアの理髪師』序曲

 小編成用にアレンジした版で演奏。チェンバロも入って演奏。チェロ以外の弦は、立って演奏。出だしから、熱い演奏で、溜息の出るような素晴らしいアンサンブル。オペラのそれらしいメロディが随所に出てくる。いつも聴く序曲とは、少し異なる。

J.S.バッハ(1685~1750):チェンバロ協奏曲第4番 イ長調 BWV1055 チェンバロ:曽根麻矢子

Ⅰ アレグロ  Ⅱ ラルゲット  Ⅲ アレグロ マ ノン トロッポ

 弦は座って演奏。チェンバロは、凄く上手で華やかな活気のある演奏。音がよく通る。(曽根が少し話す。実は、隠しマイクで、音を少し拡大していたとのこと。ホールは約2000人収容)

ヴィヴァルディ(1678~1741):フルート協奏曲第2番 ト短調 RV439「夜」 フルート:高木綾子

Ⅰ ラルゴ  Ⅱ プレスト  Ⅲ ラルゴ  Ⅳ プレスト  Ⅴ ラルゴ  Ⅵ アレグロ

 チェンバロも入って演奏。抜群に上手いフルート。音色も素晴らしい。曽根が、録音のことなどを話す。

ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集「四季」op.8より「夏」  ヴァイオリン:高嶋ちさ子

Ⅰ アレグロ ノン モルト  Ⅱ アダージョ  Ⅲ プレスト

 とても凄い演奏。演奏終了後、高嶋がトーク。3楽章は「嵐の情景」とのこと。

      ・・・・・休 憩・・・・・

 高嶋、高木、曽根の3人で少しトーク。イタリア語の話など。

パガニーニ(1782~1840):ヴェネツィアの謝肉祭 op.10

 チェロ以外の弦、立って演奏。音色が素晴らしく、一人一人の腕が凄いことが良く分かる。

バッハ:ブランデンブルク協奏曲5番 ニ長調 BWV.1050  ヴァイオリン:高嶋ちさ子 フルート:高木綾子 チェンバロ:曽根麻矢子

Ⅰ アレグロ  Ⅱ アフェトゥーソ  Ⅲ アレグロ

 名手達による極上の演奏。バッハを堪能する。

アンコール モリコーネ:「ガブリエルのミッション」 しっとりとした、素敵な曲。

シュトラウス:ピッチカート ポルカ」 新イタリア合奏団のみの演奏。コンサートマスターが途中で、少しチェンバロを叩く。

《プログラム》 中村 泰(音楽評論家)

ロッシーニ:オペラ『セヴィリアの理髪師』序曲

 〈セヴィリアの理髪師〉は、ジョアキーノ・ロッシーニ(1792~1868)の17番目のオペラ。もっとも1816年2月20日の初演時は〈アルマヴィーヴァ、または無駄な用心〉という原作だった。原作はフランスの劇作家ピエール・オーギュスタン・ボーマルシェ(1732~1799)によるもので、それを基にチェザレ・ステルピーニが2幕ものの台本を制作。そして初演以来大成功を収め、ロッシーニの代表作となった。物語の舞台は18世紀スペインのセヴィリアで、アルマヴィーヴァ伯爵が、機転の利く理髪師フィガロの働きによりロジーナと結ばれるまでが描かれる。ここで演奏される〈序曲〉は軽やかな第1主題と伸びやかな第2主題からなるソナタ形式で書かれている。

J.S.バッハ(1685~1750):チェンバロ協奏曲 第4番 イ長調

 この作品はライプティヒ時代の1723年頃に作曲された〈オーボエ・ダモーレ協奏曲〉を1738年頃に編曲したものと考えられている。オーボエ・ダモーレは甘美な音色をもつオーボエとコーラングレの中間音域の木管楽器で、1720年頃に発明されたが、その後一旦は廃れてしまう。しかし20世紀に復元され、再び演奏されている。

 曲は3つの楽章からなる。第1楽章は、軽快な曲調で書かれている。第2楽章は、情感豊かで寂しげなゆったりとした調べ。第3楽章は、きびきびと動く急速な舞曲を思わせる。

ヴィヴァルディ:フルート協奏曲第2番 ト短調 RV439「夜」

 アントニオ・ヴィヴァルディ(1678~1741)は1728年頃に6曲からなる「フルート協奏曲集」作品10を出版した。他の5曲がすべて3つの楽章で書かれているが、この〈第2番〉だけは6つの楽章からなる。

 第1楽章は規則的に刻まれるオーケストラのリズムとフルートのトリルが特徴的な軽やかな曲。第2楽章は上行する急速な音型とフルートの技巧が聴きもの。第3楽章はゆったりした調べで、フルートのいわばアリアである。第4楽章は跳躍する音型とオーケストラの同音反復が特徴的な曲。第5楽章は長く伸ばされた音のフレーズが続く。「眠り」という副題を持つ。第6楽章は急速に反復する音型に乗ってフルートが華麗に歌う。

ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集「四季」op.8より「夏」

 1725年頃アムステルダムで一つの曲集が出版された。それが「和声と創造への試み」と題された12曲からなる協奏曲集作品8である。特に最初の4曲には四季の各特徴を表すソネットが付されている。「夏」は他の3曲と同様に3つの楽章からなる。

 第1楽章には、寂しげな雰囲気から荒々しい描写まで多彩な表現が織り込まれている。リトルネッロ形式。(リピエーノ‘総奏’とコンチェルティーノ‘楽器群の独奏’の演奏が交互に行われるもの)。第2楽章は、独奏ヴァイオリンが滔々と奏でるなかオーケストラの同音反復は嵐の前ぶれを思わせる雷鳴のよう。第3楽章は、夏の嵐本番といった感じの激しい曲調が終始続く。リトルネッロ形式。

パガニーニ:ヴェネツィアの謝肉祭op.10

 ニコロ・パガニーニ(1782~1840)は、19世紀を代表するヴァイオリンの奇才として知られる。〈ヴェネツィアの謝肉祭〉は、1829年にヴェネツィアで作曲した作品。曲はナポリ民謡〈いとしいお母さん〉を主題都とし、20の変奏曲からなる。一般に変奏曲の多くは、途中で調性を変更し、曲の雰囲気を変えたりするが、この作品では終始同じ調性のまま。その代わり変奏が進むにしたがって、ヴァイオリンの技法の数々が披露されるという構造である。

J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲5番 ニ長調 BWV1050

 作品の名称は、1721年3月24日に当時のブランデンブルク辺境伯クリスティアン・ルートヴィヒに6つの協奏曲を献呈したことに因み、19世紀ドイツの音楽学者フィリップ・シュピッタ(1841~1894)により命名された。(実際の献呈楽譜の表紙には「種々の楽器のための6つの協奏曲」とフランス語で記されている)。

 この〈第5番〉は他のブランデンブルク協奏曲と同様、合奏協奏曲の形態をとる。こでの独奏楽器は、フルート、ヴァイオリン、チェンバロで、弦楽器の合奏群と対峙する形だ。

 作品は3つの楽章からなる。第1楽章は、躍動的な合奏群主題が中心をなし、チェンバロのカデンツァが印象に残る。第2楽章独奏器楽群によるトリオ・ソナタ。第3楽は、フーガを用いた3部形式。

《演奏者プロフィール》

新イタリア合奏団

 完璧な技巧と高い音楽性で超一流と折り紙付きの名アンサンブル、イタリア合奏団が、21世紀への新たな飛躍を求めてメンバーを一新、「新イタリア合奏団」としてスタートした。メンバーは、イタリアの著名オーケストラのコンサートマスターやソロ主席奏者の経験者、国際コンクールの入賞者、著名なイタリアの室内グループ(ローマ合奏団、キジアノ六重奏団)の元メンバーなどによって構成されている。レパートリーは弦楽六重奏から交響曲まで、指揮者を置かず、ソロもメンバーが交替で演奏している。・・・・・・

ヴァイオリン:高嶋ちさ子

 東京都出身。6歳からヴァイオリンを始め、徳永二男、江藤俊哉、ショーコ・アキ・アールの各氏に師事。桐朋学園女子高等学校音楽科、同大学を経て、1991年イェール音楽学部大学院に奨学生として入学。同大学院修士課程アーティスト・ディプロマコースを卒業。

 1994年マイケル・ティルソン・トーマス率いるマイアミのオーケストラ、ニュー・ワールド・シンフォニーに入団。日本では1995年5月にCDデビュー。1997年に本拠地を日本に移し、本格的に活動を始める。・・・・・・・

 使用楽器は、1736年製ストラディヴァリウスで、愛称はルーシー。

フルート:高木綾子

 確かなテクニックと、個性溢れる音色、テレビ、ラジオ、CM出演など従来のクラシック演奏家の枠にとらわれない幅広い活動とレパートリーで、今最も注目を集める新進気鋭の実力派フルート奏者。2001年第70回日本音楽コンクール第1位、同年新日鐵音楽賞フレッシュ・アーティスト賞、2005年ジャン・ピエール・ランパル国際フルートコンクール第3位をはじめ輝かしい受賞暦を誇る。東京藝術大学卒業、同大学院修了。フルートを西村智江、橋本量至、G.ノアック、小坂哲也、村上成美、金昌国、P.マイゼンの各氏に、室内楽を岡崎耕治氏に師事。・・・・・・現在、東京藝術大学、武蔵野音楽大学の非常勤講師として後進の指導にも当たっている。

チェンバロ:曽根麻矢子

 桐朋学園大学附属高校ピアノ科卒業。ピアノを寺西昭子、チェンバロを鍋島元子の各氏に師事。高校在学中にチェンバロと出会い、1983年より通奏低音奏者としての活動を開始。1986年ブルージュ・国際チェンバロ・コンクールに入賞。その後、渡欧を重ねて同コンクールの審査員であった故スコット・ロス氏に指導を受け、1990年から正式にパリに拠点を移す。ロスの夭折後、フランスのエラート・レーベルの名プロジューサー、ミシェル・ガンサルにロスの意志を継ぐ奏者と認められ、1991年には同レーベル初の日本人アーティストとしてCDデビューを果たした。・・・・・・

 1996年第6回出光音楽賞をチェンバロ奏者として初めて受賞。1997年飛騨古川音楽大賞奨励賞を受賞。

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2008年10月21日 (火)

演奏会に行ってきました「新日本交響楽団 バレエ音楽『コッペリア』より サンサーンス3番『オルガン付き』ほか」(2008-25)

5月18日(日)14時開演 すみだトリフォニー大ホール 東京メトロ半蔵門線錦糸町駅より徒歩6~7分

私の席 1階13列29番 結構聴衆、入る。

指揮:松尾葉子

《プログラム》

E.ラロ:歌劇「イスの王様」序曲

L.ドリーブ:バレエ音楽「コッペリア」より抜粋

C.サンサーンス3番ハ短調 作品78『オルガン付き』

アンコール カバレリア・ルスティカーナ:間奏曲、シルヴィア:バッカスの行進

《印象 感想》

E.ラロ:歌劇「イスの王様」

 アマオケとしては、A+の出来映え。アンサンブルはとても良い。チェロ主席は上手い演奏.

L.ドリーブ:バレエ音楽「コッペリア」より抜粋

 とても良い曲。最初少し、管乱れる。松尾の指揮、オケは素晴らしい演奏。アマオケのひたむきな演奏は、とても良い。

     ・・・・・休憩・・・・・

C.サンサーンス3番『オルガン付き』

 松尾のアマオケを育てようという姿勢を、いつの演奏会でも感じる。本物の「パイプ・オルガン付き」の演奏。この曲は生演奏に如かず。大迫力で、正にホールが鳴り響く。本当に凄い指揮者。快演、凄演。

《プログラムノート》 文藝部書記 束田千佳

E.ラロ:歌劇「イスの王様」

 “この世にイスほど美しい町はない。広場は大きく、街路はひろい。家々はきれいに揃って立ち並び、滑らかな石、または艶やかな煉瓦造りの正面といい、赤い屋根といい、色鮮やかなカーテンといい、夢のように楽しい町である。”(シャルル・ギヨ著 有田忠郎訳「沈める都-イスの町伝説」(鉱脈社)より引用)

その昔、フランスのブルターニュ地方にコルニュアイユという王国があり、グラドロン王が王国を治めていました。王は娘ダユのためにイスという町を与え、自らもその地に移り住みました。イスは海面より低い土地に在ったため、海水の侵入を防ぐために、巨大な堤防が築かれ、その水門の鍵を王であるグラドロンだけが持ち、常に身につけていました。イスの町はもともと娘ダユが王に懇願して造成した町でした。その頃、王はキリスト教に改宗し、首都キャンベールでは人々の神への祈りが満ちていました。それに嫌気がさした彼女はキリスト教の規律を嫌ってイスに移り住み、この町を収めることとなります。最初のうちはダユは人々に善政をを施し、町は栄えるのですが、次第に享楽におぼれ、背徳のはびこる町へと変貌します。事態を憂えたコルヌアイユの司教、聖コランタンは、弟子をイスに使わし、人々を諫めますが一向に人々の態度は改まりません。何よりも、王でさえダユには何も言えないのですから。

 ついに神はイスの町に罰を与えることにしました。ある時、全身緋色の衣装で身を包んだ騎士が現れ、ダユを誘惑し、水門の鍵を王から奪うようにそそのかします。騎士に心を奪われた彼女は言うとおりに鍵を盗み、騎士に渡すのですが、実は騎士の正体は悪魔だったのです。水門が開かれ、海水がなだれ込んで、イスの町と人々を次々と飲み込んでゆきます。王はダユとともに逃れようとするのですが、神は彼女を許さず、ダユはイスの町とともに海に中に飲み込まれます。王のみが神から許されたのでした。

 ラロはフランスの作曲家です。彼は作品がなかなか世に認められず、一時全く曲を書かなかった時期もありました。しかし結婚を機に再び創作への意欲が湧き、ついには当時有名であったヴァイオリニスト・サラサーテに献呈したヴァイオリン協奏曲で一躍その名を知られるようになります。時にラロ50歳。我慢の末に手に入れた成功でした。現在ラロの作品で知られているのは、ヴァイオリン協奏曲・・・特に「スペイン交響曲」と呼ばれる第2番のもの、そしてチェロ協奏曲あたりでしょうか。1888年作曲された、歌劇「イスの王様」もラロの代表的な曲のひとつといってよいでしょう。・・・・・(後略)

 1892年ラロは69歳でこの世を去ります。「イスの王様」で初演の大喝采を受けた4年後のことでした。辛抱の人、ラロ。どうぞその世界をご堪能ください。

L.ドリーブ:バレエ音楽「コッペリア」より抜粋 文藝部見習 住田千穂

 バレエ「コッペリア」の初演は1870年、パリ・オペラ座。フランスバレエ界の再興を賭け、完成まで3年を費やしたこの作品は、途中、戦争によって中断されながらも各地で再演を重ね、世界中で愛される作品となりました。楽しい物語と振り付けはもちろんですが、この作品の成功はドリーブの親しみやすくも気品溢れる作曲の力によるところが大きいと言えるでしょう。

前奏曲 第1幕 ワルツ・レント 情景 バラード チャルダッシュ 

第2幕 自動人形と情景 情景と人形のワルツ 終曲

C.サンサーンス3番『オルガン付き』 文藝部部長 牛木陽一郎

 サン=サーンスはフランスのモーツアルトにも例えられる神童で、早くからピアニスト及びオルガニストとして国際的に高い評価を得ていました。

 2歳でピアノを弾き、3歳で作曲、5歳の頃にはオペラのスコアをピアノで弾き、10歳の頃には公開コンサートに出演し始めます。13歳でパリ音楽院に進んでオルガンと作曲を学びますが、殊にオルガンの即興演奏については希に見る才能を示します。1853年にサン・メリー教会のオルガニストに就任、5年後にはフランスでは最高の地位と言われたマドレーヌ寺院のオルガニストに迎えられ、以来約20年にわたってその職に就き、世界的な名声を博します。彼がこの交響曲第3番にオルガンを加えたということは、そういった経歴からも必然性をもたしているでしょう。

 さて、サン=サーンスの創作は、多様なジャンルにわたり傑作も数多く、しかも音楽の分野のみならず、詩、絵画、天文学、数学などにも才能を発揮する多彩ぶりでした。

実は交響曲もこの「オルガン付き」を含めて3曲(番号も加えれば5曲)作曲しています。しかし、当時のフランスの作曲家にとって、交響曲は若い頃勉強のために書く習作であり、特に意欲的に取り組むジャンルではなかったのです。従って、19世紀後半のフランス音楽界では、交響楽団や室内楽団が次々に作られますが、作曲家の実益に結びつかないため、主に室内楽曲が盛んで、ベルリオーズの「幻想交響曲」以来、目立った交響曲はありませんでした。サン=サーンスについても、交響曲第2番を24歳の時に書いてより約30年近くの間、もっぱらピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲、または宗教曲を書き続けて、交響曲には手をつけていません。

 そんな彼が51歳の時、ロンドンのロイヤル・フィルハーモニー協会から新作の依頼を受けて1886年に完成したのがこの交響曲第3番です。作曲家が円熟期を迎え、本腰を入れて挑んだこの交響曲は、実質上最初で最後であり、得意としていたオルガンをオーケストラと融合させた本格派として、また過去のキャリアで重ねられた交響的書法のひとつの集約として、作曲者の奥深い教養と練達の職人技を堪能できます。作曲家自身も「この曲には私がつぎ込める全てを注ぎ込んだ」と自信の程を窺わせます。

 オルガンと大オーケストラとの共演がこの曲の最大の特徴ですが、実は先輩のリストがすでに「ファースト交響曲」(1857年)でオルガンを使用した交響曲をを書き、交響詩「フン族の闘い」(同年)でオルガンパートを書いています。しかしサン=サーンスの素晴らしいところは、オルガンを単なる音響効果としてではなく、時にはソロとして、時にはオーケストラの一員として、前面に押し出して活躍させているという点です。

 初演は1886年5月19日、サン=サーンス自身の指揮でロンドンにて行われ、空前の大成功を得ました。そして楽譜を出版すべく準備している矢先の同年7月、リストの訃報に接し、そのため、楽譜の冒頭には彼自身により「フランツ・リストの思い出のために」という献辞が書き加えられ、オルガン付き交響曲の先輩格であるリストに捧げられました。

 リストは1852年の出会い以来、生涯にわたってサン=サーンスを擁護し、1877年12月2日にはワイマールにおいて、パリ初演よりも15年も早く彼の歌劇「サムソンとデリラ」を初演するほどでした。サン=サーンスも長年にわたりリストの作品の紹介に尽力しました。

 そもそも交響曲第3番が循環形式の書法をとっていることが、リストとの強い結び付きをまずもって示してくれます。リストによって創始された交響詩という表現形式と循環形式の手法をフランスの作曲家が積極的に受け継ぎますが、その中心的作曲家こそ、サン=サーンスです。そして、自身の交響詩の作曲の中で、管弦楽法と主題変容の技法を高めていき、この交響曲第3番では形式的には2楽章から成るものとし、内容的には4楽章の構成を備えるものとしながら、循環形式によって全曲の統一を図っているのです。

 また、循環形式の手法をとりながら、同時にベートーヴェンに傾倒していた彼は、古典的形式を音楽の根底に求め、自らの作品の基調としました。理論的・知性的でありつつも、メリハリのあるリズムに、乱舞する多様な旋律の共存と音色の合成の試みなど斬新な発想が加わり、さらにはピアノやオルガンを楽器編成に参入させて華麗な効果を挙げ、結果、色彩鮮やかなオーケストレーションが、溢れる音の洪水と響きの法悦をもたらし、優れた音楽的感興を生み出しています。

第1楽章

(第1部)アダージョ・アレグロ モデラート ハ短調 6/8拍子

 第1楽章は、通常の交響曲の冒頭楽章と緩叙楽章とを結合したもので、第1部は静かで神秘的な序奏と作曲者自ら「暗く、扇情的」と述べる半音階を中心とした弦楽器の第1主題から始まる主部から成ります。主題的素材が変執拗に変容し、弦楽器の循環主題の焦燥感と、伸びやかな管楽器の呟きが対比されます。金管楽器も加わって前半のクライマックスの後、徐々に静かになり、2本のホルンがオルガンに似た低音を伸ばすと、導かれるようにオルガンが登場します。

(第2部)ポコ アダージョ 変ニ長調 4/4拍子

 オルガンのピアニッシモで始まる第2部は、祈りをこめた瞑想的な弦楽器の賛美歌にオルガンは伴奏のように和音を響かせ、天上の音楽のような美しさです。クラリネットとホルン、トローンボーンがその旋律を受け継ぎ、神秘的なコラールを奏でます。続く両ヴァイオリンの清澄で美しい対話も静かに奏されます。コントラバスのピチカートはハ長調主題の回想です。静穏な主題に不安な影を忍ばせた第1部での主題の変形も加え、オルガンの優しい音色に諭されながら、静かな弦楽器の甘美な旋律の中で浄化を遂げて閉じてゆきます。

第2楽章

(第1部)アレグロ モデラート ハ長調 6/8拍子 プレスト ハ長調 ・アレグロ モデラート・プレスト 変イ長調

 新主題のごとく提示されるスケルツォ風の主題は、第1楽章の主題を徹底的に変容させたものであり、弦楽器と管楽器の楽器群の激しい対話の中で情熱的に展開されます。中間部に入ると、木管と打楽器の活躍が活発で、特に連弾ピアノの効果的な使用法が特筆されます。スケルツォを再現し2度目の中間部に入ると、新しい重厚なテーマが低音楽器に登場します。2つの相反する主題を巧妙に絡ませながら盛り上がりを見せるも、再び静けさを取り戻し、弦楽器の澄明な旋律の綾、そこから導かれるオーボエのソロによって楽曲のフィナーレへと突入します。

(第2部)モデラート ハ長調 6/4拍子 アレグロ ハ長調 2/2拍子

 豪華華麗なフィナーレは、最大音量で響き渡るオルガンのハ長調和音で始まります。先だって登場した低音の旋律が応答し、高らかに勝利の感慨を歌い上げます。直後、ピアノの分散和音とオルガンの和音に乗って、弦楽器の祈りの旋律が幻想的に美しく響きます。ハ長調に変容した循環主題のメロディ金管楽器やオルガンが加わり、力強い推進力を持って熱狂的なクライマックスを築くと、アレグロのフガートでさらに前身を加え、、オーボエの歌う副主題、トロンボーンの天使の合奏を織り交ぜながら展開を重ねます。最後は、オルガンとオーケストラが一体となり、ホールを揺るがすオルガンの下降する音階に導かれ、主和音を響かせながら音楽全体がオルガンのように鳴り響き、圧巻の壮麗なフィナーレを迎えます。

 さて、この作品が作られた19世紀後半、イギリスではフランスに先駆けて近代的なコンサートホールに大オルガンが次々に設置されていました。イギリスに刺激されたフランスでも、1878年のパリ万博に際してトロカデロ宮においてパリのコンサートホールとして初めて大オルガンが設置され、コンサート楽器としてのオルガンの存在をアピールし、その後のオルガン音楽の在り方に大きな影響を与えました。サン=サーンスの交響曲第3番はイギリスからの委嘱で書かれたものですが、オルガン・パートについてはこの楽器をめぐる歴史的な背景も考える必要があるでしょう。

 このように、大管弦楽とピアノ、そしてオルガンが織り成す豪華なサウンドは、他の交響曲ではなかなか聴く事ができません。全曲を通して独特なポリフォニックなコラール風など多彩な変化や質感に富み、有機的な統一感が支配しています。

 サン=サーンスは、古典形式による純器楽作品を書き、また、自身の作曲活動のみならず、フランスの作曲家を奨励し、その演奏のためとフランス音楽の地位を確立するために国民音楽協会を設立、ドビュッシーやラヴェル、フォーレ、フランクなど多くの作曲家の作品を紹介し続け、その後の音楽界に計り知れない影響・功績をもたらし続けました。

《演奏者 プロフィール》

指揮者:松尾葉子

 1982年フランスのブザンソン指揮者コンクールで女性として史上初めて、また日本人としては小澤征爾についで二人目の優勝という壮挙により、一躍注目を集めた松尾葉子は、名古屋市に生まれ、1975年お茶の水女子大学教育学部音楽科を卒業後、東京藝術大学指揮科に入学、同大学大学院に進み、群馬交響楽団の学生のためのコンサート指揮者を務めた。

 1981年、国際ロータリー財団の奨学生としてフランスに留学、パリ・エコールノルマル音楽院指揮科でピエール・デルヴォー氏に師事し、ブザンソン指揮者コンクールで見事に優勝を飾り大きな話題をさらった。帰国後名古屋フィルを指揮して名古屋デビュー。この年、東海テレビ賞を受賞。1983年、『若い芽のコンサート』でNHK交響楽団を指揮、絶賛を博した。その後、東京交響楽団、読売日本交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団ほか、国内の主要オーケストラを次々に指揮して高い評価を得る。この年、エイボン女性芸術大賞受賞。1982年より東京藝術大学指揮科講師。・・・・・

《レコード CDのことなど》

サン=サーンス:交響曲第3番「オルガン付き」

 レコード、CDは、自分の気に入ったものを聴いていればいいわけですが、私は若い頃からシャルル・ミュンシュ指揮、ボストン交響楽団のLPレコードをよく聴いてきました。それからエルネスト・アンセルメ指揮スイスロマンド管弦楽団のLPレコードも愛聴してきました。シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団のCDも評判が良いようです。しかし「オルガン付き」は、何と言っても生演奏だと思います。パイプオルガンとオーケストラが渾然一体となって、ホールが鳴り響く生の演奏に敵うものは無いと思います。

 

 

 

 

 

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2008年10月19日 (日)

演奏会に行ってきました「紀尾井シンフォニエッタ東京 オール・シューベルト・プロ 劇音楽『ロザムンデ』より3つの間奏曲、交響曲7番『未完成』ほか」(2008-25)

紀尾井シンフォニエッタ東京 第64回定期演奏会 紀尾井ホール(四谷駅より徒歩7~8分)。 2008年5月17日(土)2:00PM開演 私の席17列12番 満席 終了後2階ロビーで団員・指揮者夫妻との懇親会。

《プログラム》オール・シューベルト・プログラム。

ヴァイオリンと管弦楽のためのポロネーズD580

ヴァイオリンと弦楽のためのロンド イ長調D438

10月のドイツ舞曲D820(ウエーベルン編曲オーケストラ版)

劇音楽「ロザムンデ」より3つの間奏曲D797

交響曲 第7番 ロ短調D759「未完成」

指揮・ヴァイオリン:ライナー・ホーネック

管弦楽:紀尾井シンフォニエッタ東京

コンサートマスター:青木高志

《印象 感想》

歌劇「アルフォンソとエストレッラ」序曲D732

 指揮者・ヴァイオリン コンサートマスターの席で指揮、演奏 コントラバス3人。活気のある曲、演奏。

ヴァイオリンと管弦楽のためのポロネーズD580  

 コントラバス2人。中半は元気のよい曲、演奏。コンサートマスターに、美しい旋律が出てくる。

10月のドイツ舞曲D820(ウエーベルン編曲オーケストラ版)

 指揮者の位置でヴァイオリンの弾き振り。コントラバス2人。よく歌う演奏。

劇音楽「ロザムンデ」より3つの間奏曲D797

Ⅰ アレグロ モルト モデラート Ⅱ アンダンテ Ⅲ アンダンテイーノ 指揮者の弾き振り。ヴァイオリン、艶のある素敵な音色の演奏。よく流れ、歌う演奏。

交響曲第7番 ロ短調D759「未完成」

Ⅰ アレグロ モデラート Ⅱ アンダンテ コン モト コントラバス3人。指揮者は指揮のみを担当。 Ⅰ 憂愁味をおびた曲。しっとりとした演奏。  Ⅱ 一転、少し明るく、落ち着いた曲、演奏。

《プログラムノート》柴田克彦 

 今回は、ライナー・ホーネックの紀尾井シンフォニエッタ東京(KST)初登場であると同時に、KST初の「オール・シューベルト・プログラム」、さらには発足13年にして「未完成」交響曲の初演奏という、初物づくしのコンサートである。

 ホーネックは、ウイーン・フィルのコンサートマスターを務めながら、ソロやアンサンブルのリーダーとしての活動にも意欲的に取り組んでいる。ウイーン・フィルでの協奏曲演奏はもとより、日本を含む世界各地でのリサイタルや協奏曲の演奏を行い、チェコ・フィルとの共演によるCDをリリースするなど、ソリストとしての実績も充分だ。

 今まで接した彼のヴァイオリンは、暖かく清潔な音色とナチュラルな歌い回しを特長とする、実に気持ちの良いものだった。“ウイーンの音”が存在するのならば、夾雑物皆無でふくよかな彼の音はまさにそれだろう。そして刺激的な奏法やフレージグで驚かせることもなく、音楽そのものがいともしなやかに歌われていく。これこそ実は至難のわざ。彼自身のもつ音楽性の高さに加えて、やはりそこに“ウイーンの伝統”を感じずにはおれない。

 そんな彼が今回、“史上初のウイーン生まれの大家”フランツ・シューベルト(1797~1828)の、凝ったプログラムを披露する。しかも、「アルフォンソとエストレッラ」「ドイツ舞曲」ではコンサートマスター、「ポロネーズ」「ロンド」ではソリスト、「ロザムンデ」「未完成」では指揮者を務めるというから、彼の多彩な面も知ることができる。

 彼は「紀尾井だより」の中で、シューベルトの音楽は「ウイーンの雰囲気を知らないと、感情過多もしくは無機質なものになる」旨を語っている。まごうことなき“ウイーンの雰囲気を知り尽くした音楽家”ホーネックが紡ぎ出す“シューベルトの神髄”を聴こう。

《曲目解説》柴田克彦

歌劇「アルフォンソとエストレッラ」序曲 D732

 シューベルトは、オペラでの成功を願いつつ生涯にわたって手がけ、未完を含めて20弱の作品を残した。しかし生前に上演されたのは僅か3作。以前に比べて認識が深まった今なお実演は少なく、序曲といえども今回は貴重な機会だ。

 「アルフォンソとエストレッラ」は、ショーパーの台本によって1821~1822年に作曲された、全3幕35曲からなる大作である。物語は「両親が敵同士の男女が最後は結ばれる=正義と愛が勝つ」典型的なパターン。ウエーバーによるドレスデンでの初演が実現しかけるも、歌劇「オイリアンテ」上演のためにウイーンに来た当人にシューベルトが、「私は『魔団の射手』のほうが好きだ」と言って機嫌を損ね、立ち消えとなった。結局初演は1854年リストの指揮で行われ、現在は全曲盤CDも出ている。

 この序曲は、今回の他演目と無関係ではない。まず1823年「ロザムンデ」初演の祭、暫定的に演奏されている。また1822年11月のピアノ版完成前に書かれたとみられているが、これはまさしく「未完成」の創作時期に重なる。そう思って聴くと、「未完成」とは対照的な硬い曲調に、オペラへの意気込みと伝統の呪縛がみてとれる。

 曲は、アンダンテ、ニ短調の劇的な序奏に始まる。主部は、アレグロ、ニ長調。リズム動機に基づく主題を軸に、木管による優美な主題を挟みながら力強く進む。リズム動機はじめ曲調は、ベートーヴェンの「フィデリオ」序曲を想起させる。

ポロネーズD580/ロンドD438

 あらゆるジャンルに作品を残したシューベルトにあって、唯一欠落に等しいのが協奏曲である。特定の楽器のヴィルトゥオーゾでなかったことや派手を好まぬ性格が要因とされており、モーツアルトやベートーヴェンとのこの違いが、脚光を浴び損ねる一因ともなった。

 その中にあって数少ない協奏作品が、ヴァイオリンのための「小協奏曲D345」と「ポロネーズ」「ロンド」の3曲である。いずれもチャーミングな作品でありながら、演奏時間や効果の面からコンサートでは滅多に取り上げられないにので、2曲が演奏される今回は、これまた貴重な機会となる。

 シューベルトのヴァイオリン音楽は、「ソナチネ」等のピアノ伴奏曲を含む大半が、1816~17年に集中している。これはシューベルト家の弦楽四重奏(自身はヴィオラを担当)で第1ヴァイオリンを弾く兄フェルディナントを中心とした演奏の機会がままあったことに拠るとされる。

 「ポロネーズ」は1817年に作曲され、1818年9月ウイーン孤児養育院で兄が演奏したとの記録が残されている。ポーランドの民族舞曲ポロネーズのリズムが終始キープされた、変ロ長調の快活な作品で、A-B-Aの3部構成。B部分は短調となって変化を加える。

 「ロンド」は、1816年6月の作。アダージョ、イ長調の長めの序奏から、アレグロ・ジュスト、イ長調の主部へ、装飾音と3連符を特徴とする軽妙な主題Aに2つの挿入主題を挟んだ、A-B-A-C-A-B-コーダのロンドが展開される。ソロはかなり華やか、約15分と規模も大きい。

10月のドイツ舞曲 D820(ウエーベルン編曲オーケストラ版)

 シューベルトはピアノ独奏用の舞曲を無数に作曲している。仲間内のダンスの際に即興で弾いた彼が、気に入った曲を書き留めた結果、391曲が現存し、しかも186曲が生前に出版されている(村田千壽著「シューベルト」より)というから需要も多かった。その内「ドイツ舞曲」は78曲現存し、これらはウインナ・ワルツの原型のひとつともなっている。

 ここで演奏されるのは、1824年10月に作られ、20世紀になって発見されたピアノ曲「6つのドイツ舞曲」D820を、新ウイーン学派のアントン・ウエーベルン(1883~1945)が、出版社の依頼でオーケストラ用に編曲したもの。1931年10月に初演された後も、ウエーベルンは好んで取り上げ、自ら指揮した録音も残している。

 この編曲では、1分前後の舞曲が6曲連なるだけでなく、全体が2つのグループに分けられ、第1曲を第2、3曲の後、第4曲を第5、6曲の後にリピートする〈1→21→31、4→54→64〉の形になっている。近代作曲家の編曲とはいえ、いたって素朴な“地の香り”を伝える音楽だ。

劇音楽「ロザムンデ」より3つの間奏曲D797

 「ロザムンデ、キプロスの女王」は、ウエーバーの歌劇「オイリアンテ」の台本作者であるベルリンの女流作家ヘルミーネ・フォン・シェジー(1783~1856)の戯曲(台本は失われたが、「貧しい船乗りの未亡人に育てられたロザムンデが、実はキプロス王の娘で・・・・・)」といった物語との由)に基づく4幕のロマン劇である。1823年10月、「オイリアンテ」ウイーン初演が失敗に終わったシェジーは、挽回を図って「ロザムンデ」を創作、急な依頼を受けたシューベルトの音楽を伴って、同年12月に初演された。ところがまたもや大失敗。結局10曲の付随音楽のみが生き残り、中でも「間奏曲第3番」はアンコールなどで頻繁に演奏される人気曲となった。

 3つの間奏曲がすべて演奏される今回の選曲も興味深い。前記のように「ロザムンデ」は「アルフォンソとエストレッラ」と多少関連性がある上、「間奏曲第1番」は、イギリスの音楽学者エイブラハムが“「未完成」交響曲の失われたフィナーレ”説を唱えて話題を呼んだ音楽だからだ。「未完成」の翌年の作で、調性と楽器編成が同じである点を根拠とし、これを用いた「未完成」の“完成版”CDまで出ている。現在同説が完全に否定されているのは承知の上で、意識して聴いてみるのも面白い。

 間奏曲第1番:アレグロ・モルト・モデラート、ロ短調。対照的な2つの主題を持つ大スケールの1曲。

 間奏曲第2番:アンダンテ、ニ長調。付点リズムを特徴とする、荘重な音楽。これもどこか「未完成」を彷彿とさせる。

 間奏曲第3番:アンダンティーノ、変ロ長調-ト短調-変ロ長調。名旋律と転調の妙が魅力の、哀愁溢れる名曲。主題は弦楽四重奏曲「ロザムンデ」や即興曲D935-3でも用いられた。

交響曲第7番 ロ短調 D759「未完成」

 全4楽章の完成をみずに終わったシューベルトの看板交響曲。長年の番号「第8番」が整理後の新全集では「第7番」となり、近年それが急速に普及している。

 1822年10月30日に作曲が開始されたが、第3楽章9小節目までのオーケストレーションと途中までのピアノ・スケッチで中断した。にもかかわらず、1823年にグラーツのシュタイヤーマルク音楽協会名誉会員に推挙された御礼(異議あり)として、仲介者ヒュッテンプレンナーのもとに2楽章分の自筆譜が送られ、なぜかそのまま留め置かれてしまう。そして1865年ウイーンの指揮者ヘルペックが発見し、同年ようやく初演された。

 未完成の理由は謎だが、そもそもシューベルトには未完の曲が多く、D(ドイチェ)番号の付いた役100曲の内1割近くが“未完成”だし、彼は一度放置した曲に立ち戻ることなどほとんどなかった。それに作曲当時は、他に優先すべき依頼作も重なっている。また第1、2楽章共に3拍子という異色の構成。またも3拍子の第3楽章に至って収拾がつかなくなったのかもしれない。何よりあまりに美しい前2楽章に続く楽章を作るのも困難であっただろうし、彼自身それで良しとしていた節も、楽譜が送付されていた点に表れているといえなくもない。

 曲は、歌に満ちた旋律と瑞々しい和声に包まれ、ベートーヴェンの「第九」より前に作曲された同曲の時点で、シューベルトは既に交響曲作家としての個性を確立している。表示こそアレグロ~とアンダンテ~ながら、両楽章の曲調に感覚的な差異をを感じさせない点もユニークだ。また管楽器のソロが際立っており、中でもトロンボーンにかくも出番を与えた交響曲は史上初といえる。

 第1楽章:アレグロ・モデラート、ロ短調。冒頭で低弦が奏する主題が随所に登場して象徴的な役割を果たす。オーボエとクラリネットが奏する第1主題、チェロに出される第2主題共に冒頭主題と関連がある。

 第2楽章:アンダンテ・コン・モート、ホ長調。弦が奏する第1主題とクラリネットに始まる第2主題を中心に、甘美な憧れを湛えた楽想が繰り広げられる。

《演奏者プロフィール》

指揮・ヴァイオリン:ライナー・ホーネック

 1961年オーストリアのネンツィングに生まれ、7歳よりヴァイオリンを始める。ウイーン国立音楽大学で学び、1977年ウイーンの青少年コンクールで優勝。1978年ウイーンフィルの「カール・ベーム」基金よりの奨学金を受け、1981年ウイーン国立管弦楽団コンサートマスター、1982年にウイーン・フィルハーモニー管弦楽団の第1ヴァイオリン奏者として入団。そして1992年ウイーン・フィルハーハーモニー管弦楽団のコンサートマスターに就任、現在同団の最も重要なポストに在る。また名古屋フィルハーモニー交響楽団に主席客演コンサートマスターとして招かれ、聴衆のみならず楽団員からも喝采を浴びている。・・・・・

 ホーネックのヴァイオリンは、のびやかな歌心と清潔感溢れる弾きぶりで、聴く人の心をなごませ、ウイーンが誇る良き伝統の継承者として大きく期待されている。ヴァイオリンは、オーストリア国立銀行から貸与されている1714年製ストラディヴァリウスを使用している。

紀尾井シンフォニエッタ東

 1995年、紀尾井ホールのオープニングと同時にレジデント・オーケストラとして設立。初代主席指揮者/ミュージック・アドヴァイザーの尾高忠明のもと、国内外の第一線で活躍する日本人演奏家たちが集結した。

 本番会場でのリハーサルを行うという理想的な条件を活かした極めて精度の高いアンサンブルを誇り、わが国を代表する室内オーケストラとして高い評価を得ている。

 2000年に初のヨーロッパツアーを敢行、2005年にドレスデン音楽祭への招聘等、国内はもとより近年は海外への演奏活動を積極的に行っている。 

 

 

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2008年10月12日 (日)

演奏会に行ってきました「山形交響楽団 ブルックナー4番ほか」(2008-24)

地方オーケストララ・フェスティバル2008 山形交響楽団

2008年3月29日(土)午後1時開演 すみだトリフォニーホール 大ホール(半蔵門線錦糸町駅 徒歩5~6分) ホールは、斜めを基調とした面白いデザイン。内壁も床も木で、非常に響きの良いホール。私の席 A席 バルコニー席1列 RB26番。

 今回は、地方オーケストララ・フェスティバルの一環で、他にオーケストラ・アンサンブル金沢、大阪シンフォニカー交響楽団、大阪センチュリー交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団、神奈川フィルハーモニー管弦楽団、関西フィルハーモニー管弦楽団、九州交響楽団、京都市交響楽団、群馬交響楽団、札幌交響楽団、仙台フィルハーモニー管弦楽団、セントラル愛知交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団、広島交響楽団の演奏会が企画され、演奏会が行われた。

 山形交響楽団は、学生時代の思い出があり、当時仙台の東北大の川内記念講堂に山形交響楽団の前身(と思われる?)山形大学教育学部の学生オーケストラ?が来て演奏会を開き、聴きに行った。指揮は前田昭彦でベートーヴェンの1番の交響曲ほかのプログラムだったが、当時山大で教えていたと思われるヴァイオリンの巌本麻里(麻里の字は違うかも?)、ヴィオラの菅沼準二(字が違うかも?彼は今でも紀尾井シンフォニエッタの団友として演奏会で演奏している)、チェロの黒沼俊夫(俊夫の字が違うかも)のいわゆる巌本カルテットのメンバーが後ろのほうで弾いていたのを憶えている。アンサンブルは実に見事なもので、びっくりした記憶があります。

《プログラム》

モーツアルト(1756~1791):交響曲第31番 ニ長調 K.297「パリ」

ブルックナー(1824~1896):交響曲4番 変ホ長調「ロマンティック」(ハース版

 モーツアルトは、遅れて聴けませんでした。 

指揮:大森範親

管弦楽:山形交響楽団

《印象 感想》

モーツアルト:交響曲第31番 ニ長調K.297「パリ」

第1楽章 非常に快速に(アレグロ アッサイ) 第2楽章 歩くような速さで(アンダンテ) 第3楽章 快速に(アレグロ) この曲は、遅れて聴けませんでした。

ブルックナー:交響曲第4番 変ホ長調「ロマンティック」(ハース版)

第1楽章 躍動的に、速すぎず 第2楽章 歩くような速さで、ほとんどやや快速に 第3楽章 スケルツォ、躍動的に-トリオ:速すぎず、決して引きずらないように 第4楽章 終曲:躍動的に、しかし速すぎず

 コントラバス4人、中央後方。初演時時と同じ配置と飯森が演奏前に説明。ホルン5人。アンサンブルがとても良い。飯森は力ある指揮者。音が透明で、重すぎず、爽やかなブルックナー。第4楽章:壮大な楽章。重厚さも出る。 凄い演奏でした。

《解説》渡辺 和(やわら) 音楽ジャーナリスト

 地方都市オーケストララ・フェスティバル2008に「我らがオケ」を送り込む都市の中で、一番規模が小さいのは山形市だ。なにせ人口25万5000人程、墨田区の人口約24万人弱とそう違わないのだから(ちなみに高崎市は34万人)。この規模の都市でプロのオーケストラを有し、団員が盛んに室内楽も行ったいる都市は、日本ではここだけ。文字通り「日本離れした地方都市」である。

 そんな「地方オーケストラ中の地方オーケストラ」が本日披露してくれるのは、なんとブルックナーである。第1ヴァイオリン10名の2管編成、演奏者数は総勢55名を予定とのこと。古楽器オケならともかく、恐らく21世紀に響くプロのブルックナー再現としては、最小編成に近いのではなかろうか。

 基本的にエキストラ奏者は加えず、山響の音そのものを響かせたいという指揮者飯森範親の意図は、大成功が伝えられる昨年の定期を収録した自主製作CDからも明らか。来年は、この編成で5番に挑戦するという。ブルックナー好きなら、「つばさ」に乗って首都圏から駆けつける価値がある大事件だろう。その気になれば、山形は案外近い。

《曲目解説》渡辺 和(音楽ジャーナリスト)

モーツアルト:交響曲第31番 ニ長調「パリ」

 ヨーロッパ各国様式を吸収する旅を終え、故郷ザルツブルクの宮廷音楽家として暮らした人生半ばのモーツアルト(1756~91)は、1777年に西方へと求職旅行に向かう。当時の最先端オーケストラがあったマンハイムでの職は得られず、翌年の初春に母とパリに至った。

 革命前のパリは、オペラ以外にきちんとした演奏会シリーズを持つ点で、作曲家にとって貴重な場所であった。「コンセール・スピリテュエル」なる演奏会は、歌劇上演が禁止される宗教祭日に、器楽曲とラテン語歌詞の宗教曲を演奏する目的で始められた。現在のオーケストラ定期演奏会に近い形であった。

 6月18日の聖体祭に同演奏会で初演された荘厳なニ長調交響曲は、作曲者が狙った通りの大喝采を浴びる。だがモーツアルトの成功はこの曲どまり。交響曲初演直後に母が異郷で世を去り、失意の青年は故郷に戻らざるを得なくなる。この段階でパリでの定職が決まれば、我々はマリー・アントワネットと共にフランス革命に巻き込まれるアマデウスを見たかも。

 モーツアルトの交響曲としてクラリネットを含む最大編成となった祝典的音楽は、革命と爆発する市民の力を音に響かせるような力に溢れている。人気の名曲だが、聴衆を想定した改訂を受け入れたため、各楽章に複数の版が存在している。

 第1楽章、アレグロ・アッサイ。ソナタ形式に則りつつ、再現部にも工夫を凝らし、徐々に聴衆を喜ばせてくれる。

 第2楽章、ト長調アンダンテ。8分の6拍子2部形式の初演稿と、コンサート主催者の意向で書き直された同じくト長調のアンダンテで、4分の3拍子の版とがある。後者には、初演後の7月3日にパイで没した母の追悼にグレゴリオ聖歌「エレミア哀歌」が密かに織り込まれたという説もある。

 第3楽章 短いアレグロ。ヴァイオリン2本に始まり、8小節目で大爆発。パリの趣味をはっきり意識した祝祭的音楽だ。

ブルックナー:交響曲第4番 変ホ長調 BAB.104「ロマンティック」

若くしてヨーロッパ世界を渡り歩き、それなりに派手な生活も経験したモーツアルトに比べると、ブルックナー(1824~1896)が生きた世界は誠に狭く、地味だった。オーストリアはリンツ近郊で生まれ、リンツで勉強し、近郊のカトリック教会オルガニストとして生活。後半生を帝都ウイーンで過ごしたのはアマデウスと同じでも、仕事は音楽教師とオルガニストである。遺した作品も、オルガニストとしてのオルガン曲と宗教曲を除けば、40歳を超えてから世に問うた交響曲だけ。モーツアルトが得意としたオペラや協奏曲は試みさえしない。職業というより、学校の先生が趣味で巨大な交響曲を書いていたようなものだ。

 1968年にウイーンに移り住み、交響曲作家として円熟する頃に手掛けたのがこの第4交響曲。この作曲家の例に漏れず大幅な改訂を何度も行っているが、前述のモーツアルト「パリ」交響曲とは異なり、聴衆受けがその目的ではない(本日は20世紀後半に決定版楽譜として出版された巨匠指揮者が愛用したハース版を用いる)。なお、副題の「ロマンティック」とは、作曲者自身がこの「ロマンティックな交響曲」と書簡に記していることに由来する。少女趣味ではなく、独逸浪漫趣味の幻想性を意味するのは言うまでもあるまい。

 第1楽章「躍動的に、遅すぎず」。ブルックナー開始に、全曲を統一するモチーフホルンの呼びかけで始まる巨大なソナタ形式。3主題の提示そのものが音楽の本質になっているのは、この作曲家の常套手段だ。

 第2楽章、哀愁を帯びた静かなアンダンテ

 第3楽章「躍動的に」、ホルンが活躍し、古のドイツの森の狩りを幻想するスケルツォ。ノンビリしたトリオを持つ、素朴な3部形式。

 第4楽章「躍動的に、しかし速すぎず」。作曲者が最も手間取ったフィナーレで、先行楽章のモチーフがあちこちに聴こえ、堂々たる終曲に至る。

《演奏者 プロフィール》

指揮者:飯森 範親(のりちか)

 桐朋学園大学卒業。ベルリンとバイエルンで研鑽を積む。1994年から東京交響楽団の専属指揮者、モスクワ放送交響楽団特別客演指揮者、大阪・オペラハウス管弦楽団常任指揮者、広島交響楽団正指揮者などを歴任。1996年の東京交響楽団ヨーロッパツアーでは「今後、イイモリの名が世界で注目されるであろう」と絶賛された。2003年、NHK交響楽団定期演奏会でマーラー:交響曲第1番を指揮し、年間10コンサートに選ばれる。

 2004年シーズンより、山形交響楽団の常任指揮者に着任、次々と新機軸を打ち出してオーケストラの活動発展と水準の向上に目覚ましい成果を挙げている。

 海外ではフランクフルト放送響、ケルン放送響、チェコ・フィル、プラハ響、モスクワ放送響、ホノルル響など世界的なオーケストラを指揮。2001年よりドイツデュルテンテンベルク・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任、日本人指揮者とドイツのオーケストラの組み合わせとしては史上初の快挙となる「ベートーヴェン交響曲全曲」のCDをリリースした。さらに日本ツアーを成功に導いたことも記憶に新しい。・・・・・・

 現在、山形交響楽団音楽監督のほか、デュルテンベルク・フィルハーモニー管弦楽団主席客演指揮者、東京交響楽団正指揮者、いずみシンフォニエッタ大阪常任指揮者、オペラハウス管弦楽団名誉指揮者。

山形交響楽団

飯森範親を音楽監督に迎え、現在定期演奏会を年間12プログラム・21公演(特別公演を含む)を中心に年間約150回の演奏会を行っている山形交響楽団は、1971年山形出身の指揮者 村川千秋によって準備オーケストラを組織し、翌1972年東北地方では初めてのプロ・オーケストラとして誕生した。

 同年8月運営母体として山形交響楽協会を設立し、9月には第1回定期演奏会を開催、1974年、山形交響楽協会が公益社団法人として認可され、演奏活動範囲は、東北6県・新潟県まで拡大した。その後山形県文化芸術会議賞、齋藤茂吉文化賞、第28回昭和53年度河北文化賞を受賞、2001年6月には30年間に及ぶ学校対象の演奏会等の音楽教育普及活動が評価され、サントリー地域文化賞を受賞、名実ともに東北地方のみならず日本の音楽文化を代表するオーケストラとしての地位を確立した。・・・・・・

 2005年より山形交響楽団初のコンポーザー・イン・レジデンス(委嘱作曲家)に映画音楽・TV音楽の世界で活躍する作曲家 千住 明氏が就任し、毎年管弦楽作品を山響で発表している。・・・・・

 現在、音楽監督に飯森範親、創立名誉指揮者に村川千秋、名誉指揮者に黒岩英臣、指揮者に工藤俊幸、主席客演指揮者に阪 哲朗、コンポーザー・イン・レジデンスに千住 明を要し、定期演奏会・依頼演奏会・音楽鑑賞教室やテレビ・ラジオ出演など、年間に約150回の演奏活動を展開している。

《レコード CDのことなど》

 レコード、CDは、自分の気に入ったものを聴いていればいいわけですが、私は、ブルックナーの4番は、以前はカール・ベーム指揮のウイーンフィルのLPレコードをよく聴きました。それからギュンター・ヴァント指揮のベルリンフィルやスタニスラフ・スクロヴァチェフスキー指揮ザールブリュッケン管弦楽団、全曲盤ではオイゲン・ヨッフム指揮ドレスデン国立管弦楽団のCDをよく聴いています。

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2008年10月 7日 (火)

演奏会に行ってきました「アルド・チッコリーニ第2夜 シューマン:ピアノ協奏曲、ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番ほか」(2008-23)

2008年3月26日(水)午後7時開演 すみだトリフォニーホール(地下鉄半蔵門線 錦糸町駅 線歩5~6分) S席1階20列33番(通路の後ろ)

ロベルト・アレクサンダー・シューマン(1810~1856):ピアノ協奏曲 イ短調

ジャン・シベリウス(1865~1957):交響詩《タピオラ》

セルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフ(1873~1843):ピアノ協奏曲第2番 ハ短調

アンコール 〈3楽章のコーダ〉

指揮:ペトリ・サカリ 管弦楽:新日本フルハーモニー交響楽団

《印象 感想》

 内壁のほとんどが木造、床も木。茶色で落ち着いた色調。響きの良いホール。ホールが鳴る。

シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調

第1楽章 快速に、愛情をこめて(アレグロ・アフェトウオーソ)  第2楽章 間奏曲:歩くような速さで、優美に(インテルメッツォ:アンダンティーノ・グラティオーソ)  第3楽章 生き生きと快適に(アレグロ・ヴィヴァーチェ)

 ピアノはテンポゆったりめで、叙情性溢れる、風格ある悠然とした演奏。3楽章は、よく流れるダイナミックな演奏。玉をころがすように、快適に弾く。伴奏オケも、ピアノに、よくついていく。充実した音楽を聴けた。盛大な拍手、ブラヴォー。

シベリウス:交響詩《タピオラ》

 地味な感じの曲。最後は静かに終わる。

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調

第1楽章 中庸の速さで(モデラート) 第2楽章 ゆるやかに、音の長さを保って(アダージョ・ソステヌート)  第3楽章 快速に、おどけて(アレグロ・スケルツァンド)

ピアノ、有名な出だし。少し速めのテンポ。伴奏は重厚な出だし。物思いに耽るようなテーマ。叙情の極み。3楽章の後半、盛り上がる。大ベテランピアニストの快演。圧巻。聴衆のブラヴォー鳴りやまず。

《アンコール》 3楽章のコーダ。 聴衆、スタンディング・オベイション。

《曲目解説》 真嶋 雄大(まじま ゆうだい)

シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調

第1楽章 アレグロ・アフェットゥオーソ イ短調 4/4拍子 ソナタ形式  第2楽章 アンダンテ・グラティオーソ ヘ長調 2/4拍子 三部形式  第3楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ イ長調 ソナタ形式

 ロベルト・シューマン((1810~1856)は1833年、まだ14歳だったクララがシューマンに献呈した「ロマンスとその変奏」の返礼として「クララ・ヴィークの主題による即興曲」を書いた。後に当代随一のピアニストとしての名声を得るクララはこの頃、シューマンにアドヴァイスを受けながら「ピアノ協奏曲Op7」を作曲している。この作品はヴィルトオーゾ性溢れる佳曲で、調性はイ短調。この調性を意識してシューマンが自身のピアノ協奏曲を書いたことは容易に想像できることであり、というのも過去2回計画したピアノ協奏曲は、ホ短調とヘ長調であったからだ。

 ともあれ、徐々にクララへの思慕を強めていたシューマンは、この協奏曲をクララのためにと考えるようになった。そして第1楽章にあたる「変奏曲」を1841年に書き上げ、クララによってゲヴァントハウスで初演されたのである。ただ当時出版社からは出版を見合わせられたので、しばらくそのままにしていたが、1845年メンデルスゾーンのピアノ協奏曲に啓発を受け、3楽章構成で一気に完成させたと言われている。

 その頃時代の趨勢だった単にヴィルトオーゾ性に溢れたものとは一線を画し、幻想やロマンの横溢する濃密な内容となっている。第2楽章と第3楽章は切れ目なしに演奏される。

シベリウス:交響詩〈タピオラ〉

 シベリウス(1865~1957)は自身の交響曲と交響詩において、明らかに異なるアプローチを採った。西洋音楽の根幹としての意識から、あくまで伝統的な純音楽としての創作にこだわった交響曲に対し、交響詩についてはフィンランドの民族的精神を徹底的に注ぎ込んだ。それはフィンランドの民俗叙事詩「カレワラ(英雄の地)」に基づいたテーマや内容の表現でもあるが、シベリウスの最後の大作となったこの「タピオラ」でも、「カレワラ」に登場するタピオ(森の神)を取り上げている。

 1925年、フィンランド政府は白バラ十字勲章を授与するなど、シベリウスの60歳を祝ったが、ニューヨーク交響楽協会も新作を委嘱していた。それに応えて作曲されたのが、この「タピオラ」である。

 非常に精緻かつ凝縮された書法によって創作されており、モチーフも有機的に発展していく。スコアの表紙裏には、「カレワラ」から引用された4行の詩が書き留められているが、それはフィンランドの太古からの神秘の森と、そこに住む森の神に対する賛歌でもある。

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調

第1楽章 モデラート ハ短調 2/2拍子 ソナタ形式  第2楽章 アダージョ・ソステヌート ホ長調 4/4拍子 三部形式  第3楽章 アレグロ・スケルツァンド ハ長調 2/2拍子

 セルゲイ・ラフマニノフ(1873~1943)は、自身が類希なるピアニストだったということもあり、ピアノとオーケストラのための作品を5曲書いた。それは「パガニーニの主題による狂詩曲」と4曲のピアノ協奏曲であるが、この作品はラフマニノフを代表すると同時に、ピアノ協奏曲として最も人気の高い楽曲のひとつである。

 1895年夏、ラフマニノフは「交響曲第1番」を完成させ、2年後にようやく初演に漕ぎ着けた。しかし指揮をしたグラズノフの無理解もあって初演は大失敗、ラフマニノフは作曲意欲を喪失してしまう。

 その後指揮者として活動していたラフマニノフは、恋人との別れなども重なってしばらく心身膠着状態から抜け出せずにいた。文豪トルストイに面会したのもこの頃である。その精神的疾患を治癒したのはモスクワのダーリ博士だった。彼の催眠療法は見事にラフマニノフを復活させ、イギリス王立交響楽協会と約束していた「ピアノ協奏曲第2番」をついに完成させたのである。それは盟友シャリアピンと旅行していたイタリアの小村でのことで、つまり地中海沿岸の明るい太陽の下で、ラフマニノフは世紀末ロシアの叙情を思い描いたのだった。

 幾たびかの試演を経て、作曲者のピアノ、従兄弟の音楽家アレキサンドル・ジロティ指揮モスクワ交響楽協会によって1901年11月に初演が行われた。聴衆は熱狂し、これによりラフマニノフは作曲家としても不動の地位を得たのである。

《演奏家プロフィール》

ピアノ:アルド・チッコリーニ

 1925年イタリア・ナポリ生まれ。9歳で作曲家フランチェスコ・チレーアに認められナポリ音楽院に入学、ブゾーニ門下のパオロ・デンツァ、アキーレ・ロンゴに、それぞれピアノ、作曲を学ぶ。1941年ショパンのピアノ協奏曲第2番を演奏してナポリのサン・カルロ劇場でデビューを果たし、イタリア国内での演奏活動を開始、1948年ローマ聖チュチーリア賞を受賞。

 1949年にロン・ティボー国際コンクール優勝、翌年カーネギーホールに出演しセンセーションを巻き起こす。依頼エルネスト・アンセルメ、ピエール・モントゥー、ヴィルヘルム・フルト・ヴェングラー、シャルル・ミュンシュ、アンドレ・クリュイタンス、ジャン・マルティノン、ロリン・マゼール、カルロス・クライバー等数々の名指揮者と共演を重ねる。

 1949年よりパリに居を構え、1971年フランスの市民権を獲得、長らくパリ高等音楽院の教授を務める。フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章叙位。

 1950年代からEMIとの録音プロジェクトを開始、2度にわたるサティ全集、ラヴェル、ドビュッシー、サン=サーンスの各全集などのフランス音楽、また、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集、モーツアルト、シューベルト、ショパン、リストなどの古典、ロマン派作品の名盤を残している。また2003年に行われた東京公演のライブ録音が2005年にリリースされ、絶賛を博している。

指揮:ペトリ・サカリ

 ヘルシンキ生まれ。8歳でヴァイオリンを始め、翌年にはテンペレ音楽院に入学し、ピアノとオーボエを学ぶ。引き続きヘルシンキのシベリウス・アカデミーで指揮をヨルマ・パヌラに師事するほか、フィンランド国外でフランコ・フェラーラ、ラファエル・クーベリック等より指導を受け研鑽を積んだ。

 1983年より本格的指揮活動を開始、フィンランド放送交響楽団、ラハティ交響楽団、ヴァーサ市交響楽団、トゥルク交響楽団など、フィンランド国内の複数のオーケストラを指揮。

 フィンランド国外では1988年から93年および1996年から98年までアイスランド交響楽団の主席指揮者を務め、1993年から96年までの間は同楽団の主席客演指揮者を務めている。また1995年より97年までスウエーデン室内交響楽団の音楽監督を務めている。

 客演指揮者として、BBCウエールズ交響楽団、ウイーン放送交響楽団を含む数多くのオーケストラを指揮するほか、フィンランド国立歌劇場、ストックホルム王立歌劇場、ゲーテンブルク歌劇場、マルメ歌劇場、アイスランド歌劇場等でオペラ指揮者としても活躍。・・・・・

新日本フィルハーモニー交響楽団

 1972年指揮者小澤征爾のもと自主運営のオーケストラとして創立。1997年より「すみだトリフィニーホール」を本拠地とし、定期演奏会のほか、地域に根ざした独自の活動も特徴。

 2003年9月には新しい音楽監督としてクリスティアン・アルミンクが就任。若手指揮者の異例の抜擢として音楽界の注目を集めた。2004年からは音楽家・久石讓と組み、新プロジェクト“新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ”を起ち上げ、2005年にはアルミンクの指揮でベートーヴェン作曲の歌劇《レオノーレ》を日本初演するなど、注目を集めている。2006年には《火刑台のジャンヌ・ダルク》では第3回三菱信託音楽奨励賞を受賞した。

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2008年10月 4日 (土)

演奏会に行ってきました「モーツアルト ピアノソナタ全曲演奏会第2回 野平一郎 ピアノソナタ9番イ短調ほか」(2008-22)

ブログ「モントウー演奏会日記」へのアクセスが10,000件を超えました。皆様のご愛読を感謝します。今後もブログを書き続けてまいります。引き続き、ブログのご愛読をよろしくお願い致します。

演奏とお話 野平(のだいら)一郎

2008年3月28日(金)18:30開演 水戸芸術館コンサートホールATM 水戸駅からバスで7~8分さらに徒歩5分。

 一番前の席(A列29番)。中央のピアノの真ん前。よく見え、よく聴こえる。ピアノはスタインウエイ。

《プログラム》

ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルト(1756~1791)

ピアノ・ソナタ第6番 ニ長調 K.284(205b)〈デュルニッツ〉

ピアノ・ソナタ第7番 ハ長調 K.309(284b)

      ・・・・・・休憩・・・・・・

ピアノ・ソナタ 第8番 ニ長調 K.311(284c)[旧全集第9番]

「ああ、お母さん、あなたに申しましょう」による12の変奏曲 ハ長調 K.265(300e)(通称〈きらきら星変奏曲〉

ピアノ・ソナタ 第9番 イ短調 K.310(300d)[旧全集第8番]

《アンコール》 8つの変奏曲

モーツアルト:ピアノソナタ全曲演奏会へようこそ 水戸芸術館音楽部門 関根哲也

 クラシック音楽の世界は、私たちが一生かけても探りきれないほどに、果てしなく広がっています。さまざまな名曲にいざなわれ、あちこちを旅することは、とても楽しいことですよね。

 しかし、あまりに広大なクラシック音楽の世界で、道に迷ってしまったことはありませんか?ここはすでに来たことのある道だったか、そして、この道はどこに通じる道だったか・・・・。

 そんなとき、頼りになるのは、よく通る重要な道をしっかりとおぼえておくことです。そうしておけば、たとえ細い道や曲がりくねった道に出会っても、自信を持って足を踏み入れることが出来るからです。

 「モーツアルト:ピアノソナタ全曲演奏会」は、そんなことを考えながら作られたシリーズです。(1年に2回ずつ/全6回)。ご案内役は、当代きっての知的ピアニスト、野平一郎さんにお願いしました。ピアノの演奏だけでももちろん素晴らしいのですが、日本を代表する作曲家の一人でもある野平さんですから、曲の理解を深めるのに役立つさまざまなお話もしてくださることでしょう。

 この企画ではモーツアルトのピアノソナタの創作を、ひとつの“道”にたとえています。研ぎ澄まされたすばらしい演奏で曲を聴き、モーツアルトの人生の歩みや変転などにも思いをめぐらせることで、その“道”がどこから来て、どこに通じているのかがしだいに見えてきます。

 このシリーズをお聴きいただけば、モーツアルトのピアノソナタという“道”の初めから終わりまでが、くっきりと見渡せることでしょう。そしてこの“道”を足がかりに、皆様がご自分の手で、モーツアルトの他のジャンルの作品や他の作曲家の作品に手を広げて旅をひろげていけたら、どんなに素晴らしいことでしょう。どうぞご期待ください。

《印象 感想 野平の話しなど》

ピアノ・ソナタ第6番 ニ長調 K.284(205b)〈デュルニッツ〉

 とても響くホール。ホールがよく鳴る。21歳の時、ミュンヘンで作曲。モーツアルトのピアノ・ソナタの中で、最も長く、規模の大きな曲。モーツアルトの最初のクラヴィコードの曲。クラヴィコードは、当時は1、2列目ぐらいしか音が聞こえなかった。

 シュターミッツとか出て、音楽が格段にシンフォニックになる。マンハイム学派の影響。減七和音を使う。

ピアノ・ソナタ第7番 ハ長調 K.309(284b)

 マンハイムで作曲。マンハイム学派のフォルテ・ピアノが出てくる。シンフォニックで明るい曲。最後は静かに終わる。

        ・・・・・・休 憩・・・・・・

ピアノ・ソナタ第8番 ニ長調 K.311(284c)[旧全集第9番]

 1楽章 歌のある楽章。 2楽章 表情豊かな、祭典的な要素が見える。ピアノは素晴らしい演奏。 3楽章 跳ねるようなロンド。

「ああ、お母さん、あなたに申しましょう」による12の変奏曲 ハ長調K.265(300e)(通称〈きらきら星変奏曲〉)

 元はフランスの民謡。研究によると、1778年23歳の時、ウイーンで書いたと言われている。当時ウイーンでフランスのものが流行っていた。

ピアノ・ソナタ第9番 イ短調 K.310(300d)[旧全種第8番]

 パリ旅行に、母が初めてついて来て、旅先で母が死ぬ。曲と因果関係があると言われている。1楽章 イ短調だが、深刻になりすぎず、良い演奏。憑かれたような出だしが、曲想に合っている。2楽章 少しテンポを落として、歌う素敵な演奏。3楽章 テンポを速めて、短調ぽい楽章。大変な名演。

モーツアルト:ピアノ・ソナタ全曲演奏会にむけて 野平一郎

 モーツアルトのピアノ作品は、私にとって永遠の愛の対象。子どもの頃から親しんできたこのレパートリーへの愛は、50を過ぎた今でも全くもって変わりません。その全ピアノ・ソナタをはじめとして、変奏曲や小品、また四手連弾や二台ピアノのための曲など、重要な作品のすべてを演奏できるというには、この上ない法外な喜びです。2008年の最初の2回のコンサートのために、今着々と準備作業を進めていますが、楽しくて仕方がありません。

 モーツアルトの音楽というのは、感情表現が多彩なのに、これほど自然に淀みなく流れ、屈託のないように聴こえる・・・これが魅力。モーツアルトを演奏する時、まず求められるものは「優雅さ」、そして何より「遊び」の精神がないとさまにならないでしょう。モーツアルトがそれを作曲した時に持っていたであろう「喜遊」の精神が、演奏の時によみがえるようにようにしたいと思っています。この「遊び」の精神を持てるかどうか、そしてそれが音楽の内容と照らしてふさわしいものであるかどうかに、モーツアルト演奏の一つの秘密が隠されていると思うからです。また「喜遊」の精神とともに「生成」の概念、すなわち正に演奏の現場で音楽が作られていくという感覚を持つことなしに、モーツアルトの演奏は成功しないと思うのです。

 全部で6回からなるこの全曲演奏会シリーズでは、ピアノ・ソナタを作曲された順番に演奏しながら、モーツアルトが体験した道を、皆さんとご一緒に巡っていきます。1月と3月の2つのコンサートで演奏するソナタは、モーツアルトが19歳から22歳にかけて書いた最初の9曲。青年から大人になろうとするこのたった3年の間の、モーツアルトの音楽の発展と進化には驚くべきものがあります。ヨーロッパ各地をまわる天才ピアニストの作曲は、次第にピアニストとして活躍する天才的作曲家の作品へと脱皮、変貌していきます。

 まず1月の第1回では、5曲のソナタをまとめて、その間にナント10歳で書いた2つのいずれも見事な変奏曲と、おそらく15歳で作曲されたと観られている小さく愛らしいメヌエットを挟み込んで演奏します。このようにして、モーツアルトのピアノ作品が、どこから来て、どこに向かおうとしているのかを明らかにしようと思っています。

 3月の第2回のコンサートでは、いよいよ皆さんがよく聴かれているであろうピアノ・ソナタがいくつも登場してきます。第6番から第9番として知られる4曲で、いずれ劣らぬ傑作揃いですが、特にマンハイムで書かれた第7番のハ長調の両端楽章の群を抜いた優美さや、パリで書かれた第9番のイ短調の持つ疾走する悲しみの表現はどうでしょう。さらに、この4曲のソナタに加えて、25歳の時ウイーンで書かれた有名な変奏曲を1曲、通称「キラキラ星」変奏曲と言われている曲を演奏します。元の主題は、パリで当時はやっていた民謡「ああ、お母さん、あなたに申しましょう」をモーツアルトとは別の作曲家がオペラの中のアリアで使ったもの。モーツアルトはパリジャンが愛好していた流行歌の旋律を使っていくつも変奏曲を書きましたが、その中で最も親しまれているものがこの12の変奏曲です。またこの曲は第3回、第4回で取り上げる曲、すなわち故郷のザルツブルグを離れ、いよいよウイーンで一躍時の寵児となるモーツアルトの作品群の予告するものでもあります。

 ぜひとも一緒に水戸芸術館でモーツアルトの辿った軌跡を旅してみませんか。きっと、あなたの知らないモーツアルトが、いくつも発見できること間違いありません。(2007年11月)

曲目解説 安田和信(音楽学)

 今回のプログラムは、ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルト(1756~1794)が1775年から1778年まで、つまり19歳の誕生日を迎えた頃から22歳の年まで作曲したソナタ4曲を中心としています。そのうちの1曲k..284は、前回の演奏会で取り上げられた3曲のソナタ(k.279~283)とともに、1775年初頭にミュンヘンで作曲されています。この時のミュンヘン滞在は、同地の宮廷劇場のためにオペラ(ラ・フィンタ・ジャルニィエラ(偽りの女庭師))k.198を作曲・上演することが主な目的でした。モーツアルト一家の書簡で「難しいソナタ」と呼ばれていた、このミュンヘンのソナタ集は、作曲者の生前にはまとまった曲集としては出版されることはありませんでした。しかしk.284のみは、ソナタ変ロ長調k.333、ヴァイオリン・ソナタ変ロ長調k.454とともに3曲1セットのソナタ集として、ウイーン移住後の1784年に同地の出版業者クリストフ・トリチェッラから出版されています。k.333とk.454はいずれも規模が大きく華やかな作品であり、これらの作品と組み合わせて出版するソナタとして、旧作のk.284が相応しいとモーツアルトには思われたのかもしれません。

 他のソナタ3曲、ハ長調k.309、ニ長調k.311、イ短調k.310は1777年9月から1779年1月にまでに及ぶ「マンハイム・パリ旅行」の往路で書かれています。この旅行はザルツブルグに辞表を提出し、いわば退路を断ったうえでの求職旅行でした。この旅行でモーツアルトに同行したのは父親のレーオポルトではなく母親マリーア・アンナで、青年期に入った作曲家にとって、父親からの精神的な独立が促された旅でもあったでしょう。すでに高度な作曲技術を身につけ、多くの経験を積んでいたモーツアルトでしたが、能力だけで就職できないのは今も昔も変わりません。求職旅行としての「マンハイム・パリ旅行」は失敗に終わってしまいました。パリでは母親の死という悲痛な出来事も体験しなければなりませんでした。しかし、青年モーツアルトが、音楽の先進地であるマンハイムやパリの地を踏んだことは、さらなる音楽的な成長を促したに違いありません。

 k.309の作曲が往路のマンハイム滞在中に書かれたことは、1777年11月初旬から12月初旬の父親宛の書簡で明らかです。これらの書簡によると、モーツアルトは、マンハイム宮廷楽団指揮者クリスティアン・カンナビヒの娘ロジーナ・テレジア(通称ローザ)のために書き、レッスンもしたようです。なお、k.311もk.309とほとんど同時期に作曲が進められたと推測されています。k.310だけが、マンハイムを去り、最終目的地であったパリに滞在していた時、1778年夏に作曲されています。モーツアルトはパリ滞在中に、ドイツ人出版業者ゲルハルト・ハイナと出会い、親交を深めましたが、これらの3曲は1782年頃になってから、ハイナによってまとめて出版されています。最初から計画的に3曲のソナタを作曲し、1セットの曲集として出版する意図があったかどうか定かではありませんが、母親の死に際し面倒を見てくれたハイナへの感謝の念が、ソナタ集の提供という形で示された可能性は大いに考えられるでしょう。

 本日のプログラムは、前回と同様に変奏曲を1曲含んでいますが、〈きらきら星変奏曲〉という名前で親しまれているk.265は、フランスの俗謡を主題としているためか、以前はパリで作曲されたと推測されていました。しかし、近年ではウイーンに定住して間もない頃の1781年から1783年の間に書かれたと結論づけられました。先に触れたk.284と同じく、この作品がウイーンのクリストフ・トリチェッラから出版されたのは1785年です。したがって、奇しくも本日のプログラムは1780年代に前半に出版された作品をあつめたことになります。

 ソナタ ニ長調 k.284は、「ミュンヘンのソナタ」のなかでも最も規模が大きく、また華やかな性格をもっており、ソナタ集の最後を飾るに相応しい作品と言えるでしょう。

第1楽章(アレグロ、4/4)は交響曲の冒頭を飾ってもおかしくない同堂々とした身振りの主要主題を持って始まります。第二の主題は弱音で繊細な動きを持っており、主要主題とは対比的です。「ポロネーズ風ロンドー」と題された第2楽章(アンダンテ、イ長調、3/4)は、フレーズの最後が3拍目に来るポロネーズの特徴を示したロンド形式の楽章。全体を図式化すれば「主要主題→第1エピソード→主要主題→第2エピソード(短調で始まり、後半は第1エピソードを利用)→主要主題→コーダ」となりますが、主要主題は現れるたびに変奏されていきます。

 第3楽章は、2拍目からフレーズを開始することが特徴的な主題(アンダンテ、2/2)の後、12の変奏が続きます。モーツアルトの変奏曲における変奏の数はこの楽章のような12が最大ですが、中頃の変奏に短調の変奏(第7変奏)、最後から2番目の変奏にゆっくりしたテンポの変奏(第11変奏、アダージョ・カンタービレ)を置き、テンポを速めた最終楽章(第12変奏、アレグロ、3/4)で閉じるという、変奏曲全般に見られる全体の流れが、この楽章にも認められます。

ソナタハ長調 K.309の第1楽章(アレグロ・コン・スピリート、4/4)は、モーツアルトがウイーン時代を迎える前に書いたソナタの第1楽章としては最大の小節数を持っています。最初の主題はフォルテとピアノの対比が明確なもので、これは「展開部」で活用されるばかりか、楽章の終結部分でも利用されています。

 第2楽章(アンダンテ・ウン・ポコ・アダージョ、ヘ長調、3/4)は二つの主題を使い、「主要主題→主要主題→第二の主題→主要主題の一部→第二の主題→主要主題」という構成を採っています。K.284の第2楽章のように、二つの主題は登場するたびに変奏が加えられていくのです。なお、モーツアルトの書簡には、この楽章が先述の「ローザ孃そっくりに」作曲されたとあり、音楽による肖像画として聴くこともできるかも知れません。「ロンドー」と題された第3楽章(アレグレット・グラツィオーソ、、2/4)は流麗な旋律を持つ主要主題を中心として、大まかにみて「主要主題→第1エピソード→主要主題→第2エピソード→→第1エピソード→主要主題→コーダ」という構成になっています。最後のコーダで静かに閉じられるのは、モーツアルトのソナタでは初めての試みです。

 ソナタニ長調 K.311の第1楽章(アレグロ・コン・スピリート、4/4)は、同じ調で書かれたK.284の第1楽章にも似て、華麗な性格を基調に据えています。この楽章の再現部は非常に変わっていて、主要主題の再現が第二主題の後に置かれているのです(これは、マンハイムで活動していた作曲家たちがよく用いた構成方法でした)。第2楽章(アンダンテ・コン・エスプレッショーネ、ト長調、2/4)は、K.309の第2楽章と同じく、二つの主題が交互に現れます。最初の主題はフォルテの和音が愛らしい旋律に突然乱入することが特徴的なものですが、これは第二の主題でも姿を見せます。「ロンドー」と題された第3楽章(アレグロ、6/8)は、「主要主題→第1エピソード→主要主題→第2エピソード→主要主題→第1エピソード→主要主題→コーダ」と図式化出来る構成を採っています。第2エピソードは嵐のような激しい短調で始まりますが、次の主要主題の再現に入る前に、協奏曲を思わせるアインガング(小規模なカデンツァ)が置かれているのが特徴的です。

 

〈きらきら星変奏曲〉K.265の主題は、「ああ、お母さん、あなたに申しましょう」という歌詞で始まる、18世紀後半に流行したフランス語の俗謡で、モーツアルト以外にも多くの作曲家たちがこの主題で変奏曲を書いています。K.284の第3楽章のように、この変奏曲も、モーツアルトとしては最大の12の変奏を持っています。シンプルな主題が多様なリズムや音型によって変化していきますが、ここでも短調の変奏(第8)、テンポを落とした変奏(第11)が組み込まれ、最後に拍子を3/4、テンポをアレグロにしたコーダ付きの最終変奏で閉じられます。

 ソナタイ短調 K.310の第1楽章(アレグロ・マエストーソ、4/4)は、テンポ指示にあるように、「マエストーソ(荘厳)」な性格を持つ行進曲風の、しかし哀感漂う溜息のような音型も盛り込まれた主要主題に始まります。第二の主題は16分音符の動きがそれこそ休みなく続き、通常の第2主題とは趣を異にしているのです。

 第2楽章(アンダンテ・カンタービレ・コン・エスプレッシーネ、3/4)やや遠隔なハ長調を採って、イ短調による両楽章との響き、性格の対比をまず強調します。起伏の大きい旋律が繊細な装飾音、細かく記譜された強弱やアーテキュレーション(語り口)によって色づけられていることも特筆されます。展開部において突如として噴出する激しい情念は穏やかさを基調とする楽章に強烈なインパクトを与えるでしょう。

 第3楽章(プレスト、2/4)は絶え間ない8部音符の旋律が異様さを演出するロンドで、「主要主題→第1エピソード→主要主題→第2エピソード→主要主題→第1エピソード→コーダ」5と図式化できます。第2エピソードは安定したイ長調の楽節で、束の間の安息をもたらしますが、ここにおいても律動が止むことはないのです。

野平(のだいら)一郎(演奏とお話)

 作曲家・ピアニスト。1953年東京生まれ。東京藝術大学、同大学院修士課程修了後、フランス政府給費留学生としてパリ国立高等音楽院に学ぶ。

 ピアニストとしては、国内外の主要オーケストラにソリストとして出演する一方、ミシェル・デボスト、アラン・マリオン、ピエール=イヴ・アルトー、ピエール・チボー、佐久間由美子、今井信子、竹澤恭子、など内外の多くのソリストと共演、室内楽奏者としても活躍。古典から現代まで幅広いレパートリーを得意としている。

 作曲家としては、フランス文化庁をはじめ、スペイン文化庁、IRCAM、アンサンブル・アンテルアンテルコンタンポラン、ベルリン・ドイツ交響楽団などから数多く数多くの委嘱作品がある。2005年にはオペラ〈マドルガーダ〉(シュレスヴィッヒ・ホルシュタイン音楽祭でケント・ナガノ指揮により初演)、2006年には歌曲集〈悲歌集〉(津田ホール委嘱)、チェロのための〈謎〉(ハンブルク・ムジークハレ委嘱)、チェロと管弦楽のための〈響きの連鎖〉(サントリー音楽財団委嘱)などが初演され、いずれも絶賛を博す。

 2007年にはバッハ〈平均率クラヴィーア曲集〉をピアノ、チェンバロ、オルガンで演奏し、全曲録音を行った。3月にはロサンゼルスのMonday Evening Conncertsシリーズに指揮者、作曲家、ピアニストとして登場。8月にはザルツブルク・モーツァルテウム音楽院のレジデンス・コンポーザーとして招かれた。

 水戸芸術館では、水戸室内管弦楽団の定期演奏会のシュニトケ〈合奏協奏曲第1番〉、バルトーク〈弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽〉(いずれも小澤征爾指揮)でピアノ奏者を務めたほか数々の企画に出演。毎年恒例のニュー・イヤー・コンサートでも冴えたピアノを聴かせている。

 第13回中島健蔵音楽賞(1995年)、第44回尾高賞、芸術選奨文部大臣新人賞、第11回京都音楽賞実践部門賞(1996年)、第35回サントリー音楽賞(2004年)、第55回芸術選奨文部科学大臣賞(2005年)を受賞。2005年より静岡音楽館AOI芸術監督。

《レコード CDのことなど》

 レコード、CDは自分の気に入ったものを聴いていればいいわけですが、評判のいい盤などを紹介します。モーツアルトのピアノソナタの盤は、古くはワルター・ギーゼキングの盤が好評でした。その後リリー・クラウス(ステレオ録音もありますが、モーツアルト生誕200年を記念してシャルランが録音したモノーラル録音が好評です。後、バレンボイムピリスなどが全曲を録音しています。

 今回のプログラムにあったピアノ・ソナタ第8番イ短調は、以前からディヌ・リパッテイ盤が圧倒的人気でした。私もこれは名盤だと思いますが、もう一つ、イ短調に限って言えば、グレン・グールドを推したいと思います。この曲は、モーツアルトが母の死を契機として作曲したという説もあります。グールドはモーツアルトのピアノソナタを全曲録音していますが、曲の解釈は独特です。有名な第11番「トルコ行進曲付き」K.331などはテンポが普段聴く弾き方とは大分違います。しかしイ短調はグールドはとても良いと思っています。あの有名な出だしからして、せっぱ詰まった感じが、曲の特徴をよく捕らえていると思います。いかがでしょうか。

 

 

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