演劇に行ってきました『文学座公演『殿様と私』(2007-演劇4)
2007年11月5日19時開演 新宿南口 紀伊國屋サザンシアター
朝日新聞プレゼント企画に当選したもの。
作:マキノノゾミ 演出:西川信廣
《配役》
白河嘉晃(子爵 白河家当主 50代後半) たかお鷹
白河義知(嘉晃の息子 陸軍中尉 20代半ば)城全能成
白河雪絵(嘉晃の娘 10代後半)松山愛佳
雛田源右衛門(白河家の家令 70前後)加藤 武
雛田カネ(源右衛門の妻 女中頭 60代半ば)寺田路恵
熊田三太郎(アンナ専属の車夫・通訳 20代半ば)浅野雅博
ジョン・ラング(英国総領事館付武官 英国海軍大尉 30代前半)星 智也
アンナ・カートライト(米国人 鉄道技師の妻 40前後)富沢亜古
《時と場所》
明治19年(1886年)の秋より同20年の冬の終わりまで。東京麻布鳥居坂の白河子爵邸の応接間。
《あらすじ》
東京麻布鳥居坂の白河義晃子爵邸。当主の白河義晃は急速に西洋化する日本になじめず酒浸りの日々を送っていた。ある日、外部卿・井上馨の書生と白河家の家令・雛田源右衛門の間に一悶着が起きた。雛田は時代遅れのちょん髷をからかわれたばかりか、因遁姑息な白河子爵は華族の資格なしと罵倒されたのである。
それを聞いた義晃は怒り心頭に発し、これまた時代遅れの討ち入りを決意。しかし、〈白河家を守るには鹿鳴館に乗り込み、見事なダンスを披露して和魂洋才の手本を示すこと〉という息子・義知の提言に、お家のためならやむを得ずと渋々承知の義晃。米国人のアンナ・カートライトを指南役に、義晃のダンス修業が始まった。さてその成果は・・・・・。
《印象 感想など》
文明開花期に題材を得た、日本近代化の途惑いを描いた重厚な喜劇。配役も充実。
マキノノゾミ
劇作家・演出家。同志社大学卒。劇団M.O.P.主宰。劇団外でも小劇場から大劇場まで幅広く活動中。「浪人外」、「おはつ」、「MOTHER」(第45回芸術選奨文部大臣新人賞)、「東京原子核クラブ」(第49回讀賣文学賞)、「高き彼物」(第4回鶴屋南北戯曲賞)、CX「虹を架ける王妃」、NHK連続テレビ小説「まんてん」ほか、脚本『マリー・アントワネット』、『セパレート・テーブルズ』、『怒濤』第8回讀賣演劇大賞優秀演出家賞)ほか演出。2007年は、森光子出演『雪まろげ』(3月帝国劇場、4月博多座)演出、藤山直美・香川照之出演『妻をめとらば』(明治座)脚本、仲間由紀恵主演『ナツひとり』(新橋演舞場)脚色・演出ほか。
マキノノゾミの劇世界 扇田明彦(せんだあきひこ/演劇評論家)
マキノノゾミの名前を、私に最初に教えてくれたのは劇作家のつかこうへいだった。1980年代末か90年代はじめだったと思う。京都でつかの戯曲を熱心に上演している注目すべき若き演劇人として、つかの口からマキノノゾミの名前が出たのだった。
同志社大学を出たマキノは1984年に劇団マキノオフィスを京都で結成したが(85年に劇団M.O.P.と7改称)、旗揚げ公演は『熱海殺人事件』で、その後の演目も『ストリッパー物語』『広島に原爆を落とす日』『初級革命講座 飛龍伝』などのつか作品が圧倒的に多かった。スタート時の数年間を、マキノはつかに傾倒して過ごしたのだ。つかにとっても、彼に私淑するマキノはかわいい「門下生」だったに違いない。
だが、やがてマキノはつか作品から離れ、自分自身の作品を演出するようになる。オリジナルの第1作は89年にM.O.P.で初演された『HAPPY MAN』で、これは幕末の京都を舞台に桂小五郎、坂本竜馬らが活躍する時代劇だった。
92年にはCカンパニーのプロジュース公演という形でマキノ作・演出の『HAPPYMAN~さよなら竜馬』が紀伊國屋ホールに登場した。マキノの東京デビュー作である。私はつかに勧められ、マキノの作品を初めて観たが、主演の前田耕陽(男闘呼組)の、いかにもつか風な、だが技術的にも幼い絶叫型の演技が気になり、作品自体の印象はあまり強い物ではなかった。
だから2年後の94年、青年座が宮田慶子演出で初演した『MOTYER~君はわらひたまうことなかれ』を観たときは驚いた。つかの影響下を離れ、喜劇性豊かな、しかも見事に成熟した劇世界が構成されていたからだ。(この作品でマキノは芸術選奨新人賞を受賞)。・・・・・(以下略)
西川信廣----その人間へのまっすぐな眼差し。 衛紀生(えいきせい/演劇評論家・可児市文化創造センター館長兼劇場総監督)
西川信廣と協働した『お~い幾太郎』の全国公演が16都市を巡演して終わった。金沢市民芸術村でのドラマリーデイング、金沢在住の演劇人による初演、文学座有志による研究公演、市民芸術村ドラマ工房でのでの金沢ユニットと文学座ユニットとの競演、長岡の演劇人と文学座の俳優による「長岡版」の上演、そして今回の全国巡演で、西川が地域で立ち上げた『お~い幾太郎』の観客はおよそ9000人に及ぶ。・・・・・
西川との出会いは北京だ。北京での小劇場演技祭視察の折に、ホテルで同室になったのが言葉を交わした最初の機会だった。頭の回転の速い、楽しい男というのが、記憶している印象である。ある朝目覚めると大雪だった。階下の道路から湯気がもうもうと立ち昇っていた。労働者のための屋台からのものだった。インターナショナル・ホテルの食事に辟易としていた私たちは少数民族の少女たちが盛ってくれるワンタンと揚げパンに喰らいついた。私も西川も30代の頃である。
何が縁になるか分からない。それから西川と協働した地域での仕事は枚挙に暇がない。(後略)
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